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Jan.
2017
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/ 14 Jan. 2017 (Sat.) 「ロビンの火葬」

ロビンのお骨と仮位牌。みんなのいるリビングがいい、ということで、ひとまずテレビ台の上に置かれることに。

弔問におとずれたポシュテ。

申しそびれましたが、そんなわけで、今年もよろしくお願いします。
サイト内には暮れから、tawk.toの無料サービスを利用したライブチャットのシステムを──いったいその需要はあるのか? という話はさておき──設置している。各ページの右下に、PCでは「オンライン」の字のタブ、スマホでは吹き出しマークのアイコンがあるのをクリックするとチャットのためのインターフェイスが現れ、あとはまあ、だいたい直感で操作してもらえる感じになっているかと思う。どのページで会話をはじめても同じで、どのページを開いた状態でチャットしてきているかは自動的にこちらに知れる仕組みだ。受け取るこちら側は PCブラウザや専用のデスクトップアプリ、および iPhoneアプリで受け取ることができ、返信できる。わたしがすぐに応答できない状態にある場合は「オフライン」もしくは「一時退席中」の表示にしておく、ようにサービスの設計はされているのだけれど、この切り替えがついつい杜撰になりがちで、ほぼずっと「オンライン」表示になっていることが多く、すでに何人かにたいしては「だいぶ経ってからメッセージに気づき、すでに応答するすべがない」という失態を犯している(ただしその場合もメッセージ自体はこちらに届いていて、読めています)。ことに南波(典子)さんには二度もそれをやらかしてしまい、ほんと、すいませんです。メッセージありがとうございました。今年もよろしくお願いします。
あ、そうそう、今年もよろしくお願いしますといえば、年賀状。けっきょくうちは今年どこへも出さずに過ぎてしまった次第で、ま、そんな調子なので来るほうも年々減っているのだけれど、今年、ちょっと解せない気分でいるのは「元旦に一葉も届かなかった」ことだ。こちらの不義理とは関係なく毎年いろいろと届くところの店舗・業者系の年賀状もゼロだというのが「ん?」となるところで、ことによると配達のミスなりトラブルなりがあったのではないかと訝っている。いや、ただ訝っているというだけで「郵便物等が届かないなどの調査のお申出」をしたりもしていないので(なにせはっきり「出した」とわかるところがないので)、それっきりになっているのだけれど、もしお読みいただいているなかに「元旦に届くくらいに出したよ」という方があればご一報ください。たぶんそれ、届いてないです。
これはきのう 13日の話だけれど、牛尾さんの新サイト「牛尾千聖のページ」が、「牛尾千聖」での Google検索でついに 2位に浮上した。1位はツイッターなので、ここらが精一杯というか、妥当なところかもしれない。去年の 12月16日に一般公開して以降、柄にもない SEO的な努力を細々していたのだけれど、公開後ほどなく 10位にランクインしてからはずっと 9〜10位をうろうろしていて、遊園地(再生事業団)のメンバーページや「ルアプル」のプロフィールページ、アメブロに残してある旧ブログ、Facebookといった上位陣の牙城をなかなか崩せずにいたのだったけれど、それがきのう、一気に順位を駆けのぼった。けっきょく約一ヶ月、「ま、そんなもんですかね(あるいは SEO的な努力がなかったとしても?)」という期間をかけて、公式個人サイトは妥当な位置に落ち着いたのだった。

ロビンは、「みいこペットセレモニー」というところのペット火葬サービスを頼んだ。白いバンの車体のうしろに火葬炉を搭載した「移動火葬車」でやって来てくれて、家の駐車スペース(なければ近隣のどこか)で火葬、骨上げまでさせてくれるサービスだ。
その移動火葬車に乗って、お昼の 12時に「みいこペットセレモニー」の方が到着。ダンボールに入れ、廊下の室温の低いところに安置してあったロビンを、そのダンボールごと炉のなかに入れる。いわゆる「最後のお別れ」。ペット火葬サービスの各社サイトなどを見ていると「よく遊んだ玩具などを棺に入れてあげましょう」といったふうな案内がされているのだったが、ことロビンは玩具で遊ぶというイメージのほとんどない猫だった。とはいえ何もないのもさみしいということで、いちおう遊んだことのある、手袋型の玩具(マタタビ付き)を入れてあげた。折りからの冷え込みのなか、バンのまわりにちらつくようなものが見えて、「雪?」と思うも、「灰だよ」と妻に訂正される。
ところでまったく関係ないが、火葬というとふと、〈葬儀に参列した場合に、火葬の前後のどの場面がもっとも悲しいか〉について意見をたがわせる父と母の会話が思い起こされる。つまり、火葬の前のいわゆる最後のお別れ──生前の姿の見納めとなるところ──がもっとも悲しいか、それとも火葬が済んで、お骨となった姿を見るのがより悲しいかという会話。いや、思い起こすと言っておきながら、どっちがどっちの意見だったかをはっきり記憶していないのだったが、日ごろ(?)の思想から論理的に推し測るとすると、お骨のほうが悲しいとしたのが父、だっただろうか。と、これはどうでもいい話。
炉に火が入ったあとはしばし家のなかで待機。あらかじめ説明を受けていたのよりもだいぶ早く、13時10分ごろに「もう骨上げしていただけます」と声がかかる。妻とふたりで箸を使い、人間のと同じような骨上げ。業者のひとが「これが喉仏ですね」などと説明するのも人間と同じ。わりあいはっきり残った頭蓋骨には、ロビンぽい牙がしっかりとあった。骨壺と、ちいさな仮位牌とを受け取って終了。
お骨はいずれ、実家の寺──歴代の犬猫たちが眠る──に埋めようと思っている。

本日の参照画像
(2017年1月16日 22:50)

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