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Mar.
2017
Yellow

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/ 4 Mar. 2017 (Sat.) 「いつ高とわたし / Fools speak while wise men listen」

ロビンとピーとわたし。2006年5月。

アート・リンゼイ『 Cuidado Madame』

えー、今日の、むだに長いです。『 Fools speak while wise men listen』にかんする記述がお目当ての方は、中段以降ぐらいまで飛ばしてください。
日記の日付と書く現在時とがいよいよ乖離しつつあるので何日か割愛。2月28日〜 3月3日についてはとくに〈トピック〉めいたものはなく(ま、世間的にはいろいろあったかと思いますが)、どうやら日々、まじめに仕事に精を出していたらしいと想像していただけたらと思います。あ、トピックといえばひとつだけ、アート・リンゼイの今年出たアルバム『 Cuidado Madame』 を買いました。いいですねこれ。といってわたしはアート・リンゼイの何を知っているわけでもなく、アルバムも『 O Corpo Sutil / The Subtle Body』──デヴィッド・バーン『 David Byrne』のプロデューサーとしてその名前を知った当時に買った一枚──以来の二枚目ですが。
というわけで 4日の話。まずは午前(ひるまえ)に家を出て、駒場東大前へ。アゴラ劇場でロロ「いつ高」シリーズ(物語の共通舞台となる「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校」を詰めて「いつ高」)の vol.1、『いつだって窓際であたしたち』を観る。大場(みなみ)さんが出てる。(ま、全員そうだけど)高校生役。
「高校生に捧げる」シリーズとも銘打たれた「いつ高」は、高校演劇(全国高等学校演劇コンクール)の出場ルールに則ったかたちで作られているのが大きな特徴で、上演時間 60分以内、舞台装置のセッティングは 10分以内に自分たちで行う(開演後に役者たち自身が行うそれを公開)、音響・照明の操作も部員または顧問が行う(その条件に準じ、演出家や演出助手が担当)、火や水、消え物(食べ物)を使わない(消え物がダメなのは東京都のルールとのこと)等のしばりをシリーズ全作において守っている。現在公演中の最新作は vol.4だが、くわえて期間中に何日か、一日で vol1〜 vol.4までを観られる「まとめ公演」の日が企画されており、今日がそれなのだった。──と、例によって知ったふうな様子で説明をしているわたしだが、「いつ高」シリーズを観るのはこれがはじめて。(いま、「そもそも『ロロ』を観るのがはじめてだ」とうっかり書き連ねそうになったが、それは嘘だった。1コ観てた。あぶねえ。)
さてわたし、じつをいって高校時代は演劇部に所属し、所属したばかりか部長だった者である。それでいて「あ、そうだっけ?」とすっかり忘れているのが舞台装置の仕込みのルールで、まあ、自分たちで仕込むというのはそれはそうだった(それ以外にないよなあ、たしかに)と思い起こされるものの、それが 10分以内と決められ、厳格に時間計測されていたような記憶がまるでない。というのはおそらく、〈どうやったって 10分もかからないような装置〉しか使ってなかったからだと思うのだが、さらにもう一歩踏み込んでいま疑問に思っているのは、〈装置、あったっけ、おれたち〉ということだ。いや、あったんだと思うんだけどね。なにせ、同級の部員、田村(彰啓)君は「大道具・小道具係」だったし1]、その田村君のご家族の協力を得てクルマで何か大きなものを運んでた記憶もあるのだが、それ、なんだっけ? 装置とか、おれたち必要だったっけ?
と、高校演劇の方々が読んだら「はあ?」とお思いになるだろうことを書いているが、つまり、当時のわたしは〈いわゆる「高校演劇」なるものが大嫌いな、演劇部々長〉だったのだ。それで、ちゃんとした地方予選の大会でも漫才をやったりしてた(いちおう漫才師ふたりを主人公に据えて、漫才を終え楽屋に戻ったところから物語がはじまるという体にはしたのだが、どうせたいした物語ではない。要は漫才がしたかったのであり、漫才で会場を笑わせたかった)(そして目的は達成し、けっこう笑わせもしたのだが、)いやほんと、申し訳なかったと反省している2]

1:田村君は「大道具・小道具係」だったし

ちなみに、この日記にしばしば登場している永澤も部員で、「音響係」だった。圧倒的に部員数が少ない(役者の頭数が足りない)なかを、ぜったいに音響しかやらないと言ってきかなかった。で、これも思うのだが、「音」なんか使ってたっけ、おれたち。

2:反省している

むろんわたしの反省などとは無関係にだが、母校の演劇部はその後、このふざけた系譜からみごとに脱却し、2007年には全国大会で優秀賞(文化庁長官賞)を受賞するに至っている。また奇しくも、その年の全国大会の審査員のひとりは宮沢さんだった。この日記この日記など参照。

あ。しまった。思い出話を長々書いている場合ではなかった。「いつ高」である。まとめ公演の日だがわたしはスケジュールの都合で今日は vol.1のみ。役者はすぐに vol.2のセッティング等やることがあり、ダメ出しもあるしで、あいまに客と面会してる時間もほとんどない忙しさらしかったが、無理を言い、大場さんにちょっとだけ出てきてもらったのは会いたかったからだ。ヒゲ面のわたしを見るなり「ヒゲのびましたね」と大場さんが言い、「生えてないけどなあ」とわたしが首をひねるやりとり──その繰り返し──はまったく何も生まないが、なぜか毎度(ヒゲが生えていれば)これをやっている。で、本を貸し、「 24条変えさせないキャンペーン」のリーフレットもあげる。「運動家?」と大場さんが訊くので、「スポーツマンと呼んでもらいたい」と応えた。
vol.1の開演が 13時で、公開セッティング+上演で計 70分弱、大場さんが出てきてくれるのを待っているともう 14時20分過ぎだ。次の予定は早稲田で、もし間に合えば 15時の回を、間に合わなければ 19時の回を観ようという肚である。大場さんを待ちながら 15時のセンはなかばあきらめてもいたのだが、間に合うかも? と思い直してものすごく急ぐ。間に合った。
京都の村川(拓也)君の、『 Fools speak while wise men listen』。早稲田小劇場どらま館。東京公演は今日明日で全 4ステージ。A・Bのふたバージョンがあって、それぞれ 2回ずつ観るチャンスがあるかたちだということをわたしは今日になって知る。間に合った 15時の回は Aバージョン。しかしなあ、まさか Bも観ることになる(する)とはちょっと予想していなかった。
ほぼ何もない黒い舞台。中央奥にスピーカー装置と、そこから延びたマイクが二本。床には白いテープで長方形の〈対話エリア〉が示されている。それだけ。対話エリアの向かって右に中国人が、向かって左に日本人が立つルールで、向かい合った両者がマイクを使って会話する──といったおおよその決まり事と、携帯の電源オフや飲食禁止であることなどの注意事項を、開演直前、出演者でも
ある女性が中国語でアナウンスする(ジェスチャーや時折英語も交えるので、そこそこ何を言っているかが伝わるのが面白い)。アナウンスをした女性がそのまま舞台上の片隅にとどまるなか、上手奥に開いている出入り口から最初の対話者がエリアのなかにやってきて、マイクを手にとり、会話する。終わるとまた同じ口から捌けて、入れ替わりにつぎの対話者がやってくる。会話はすべて日本語でなされる。それが計四組。そしてその同じ四組による同じ会話が、ほんの少しだけずらされたかたちでもう二回ずつ繰り返される。途中、アナウンスをした女性も何度かマイクを手にとり、話したものかどうか逡巡するそぶりを見せる(彼女は中国人側のマイクを手にしたり、日本人側のマイクを手にしたりする)が、なかなか話し出すに至らず、また舞台の脇に身を寄せる。ようやく彼女が話し出すのは計十二回の会話がなされたあとで、日本語の、かなり詩的な言葉で自身の思いの丈を吐露し、そうして客席側の通路を抜け、会場から去る。最後にもういちど、四組の会話の繰り返し──もしくは繰り返しの失敗?──があって、暗転。あらましを説明すればそんな舞台である。
観ている途中ですでに、「これはもう Bも観るかあ」と考えていて、いったい何にそんな魅了されたものか、ちょっとまだうまく言語化できないのだけれど、要はこの繰り返しをもう少しだけ聞いていたいというか、もっと言えばこの〈俳優〉たちともう少しいっしょに居たいという、そういった感情だったように思う。

「なんで中国なのか」とか「そんなこと問題にしなくてもいいんじゃないか」とかそういう雰囲気がありますが、いやすでに日本人はそれぞれ個人的に中国や中国人に対して解決しがたい問題を抱えているはずだし、実はその問題に対して小さな答えをすでに持っているような気がします。中国人も同様に、日本や日本人に対して別の問題と小さな答えを個人的にすでに持っているのではないかと思います。
彼らは同じ舞台に立ち、向かい合い、対話を始めます。
ホーム - murakawa-theater ページ!

 これは公式サイトにある村川君の言葉だけれど、ここで言われる、「すでに持っているような気が」する「小さな答え」というのは、読者論(受容理論)における〈期待の地平〉にあたるものでは──おそらく──ないのだろうと思う。そうではない何か。いや、なんだか回りくどい言語化の仕方になってしまってあれだが、手探りのまずはじめとしての、そんな感触。まだちょっとわからない。ちなみに、今年後半に京都で予定されている新作公演では、ここに韓国人も加わって、〈日本・中国・韓国〉による対話となるのだという。
あー。京都かー。うーん。いっそおれが京都(おれという存在そのものが京都)だったらなー。
というわけで Bバージョンの、19時の回までの時間が空く。そこで東小金井へ。駅からほどちかい場所(高架下)にある「ヒガコプレイス」に、全国のフリーペーパーのみを扱った本屋(?)があり、そこで『往復曲線』──同じくこのヒガコプレイスを会場にして来週上演される『ささやきの彼方』の戯曲が全編掲載されている。ヒガコプレイス以外でも配布中3]──をゲットする。ほか、いろいろあったが、手をのばしているときりがないので、東京レインボープライドの機関誌『 BEYOND』と、ヒマつぶしのためだけのフリーペーパー『 Himagine』というのだけもらう。すぐとなりのカフェでコーヒーを飲み、ごく短い戯曲である『ささやきの彼方』を読んで、ふたたび早稲田へ。

3:ヒガコプレイス以外でも配布中

配布場所の詳細はこちら。そして、ちょうど 3月4日に更新されたらしい最新の配布場所一覧には「こまばアゴラ劇場」が加わっていた。なんだよ。あったのかよ。ま、いいけど。

ちなみに 19時の回にはアフタートークがあって、ゲストが宮沢(章夫)さん。ちょうど空いていたので 15時の回と同じ席に座ったら、となりが宮沢さんだった。終わって、これはなんでしょう、アフタートーク打ち上げ? のような場に同席。宮沢さんと村川君、今作で制作をしているアトリエ劇研の長澤(慶太)君、早稲田の山崎(健太)君、あと桜井(圭介)さんとわたし。宮沢さんは左肩をどうかしてしまったらしく、昨夜から、腕をちょっと上げるのもままならないという。「花粉じゃないですか?」と言うと、「ああ」と納得するそぶりの宮沢さんだ。
村川君とはほとんど直接はしゃべらなかったけれど、別れしな、ささっと寄ってきて「どうもありがとう」というようにわたしの腕に手を添える。これだな。村川君のこれ(どれ?)に人はやられるよな。知らないけど。

Walking: 4.2km • 6,339 steps • 1hr 6mins 55secs • 199 calories
Cycling: 1.2km • 5mins 22secs • 26 calories
Transport: 109.9km • 2hr 45mins 45secs
本日の参照画像
(2017年3月 7日 14:49)

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