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オリジナルスタイル 「不在日記」ふうスタイル

2.19(水)

2003.2.20 23:28

べつに日々「Red」のリニューアル作業ばかりやっていたわけではないが、少なくとも「Yellow」の更新をとめて作っていたそれもようやくアップに漕ぎつけ、ほっと一息だ。たいてい「リニューアル欲」は不意にやってくるが、今回も不意にやってきた。それ以前にずいぶん「Yellow」に入れ込みすぎたということもあるが、ある日「Red」にもどってみたらそのデザインが「全然だめ」に見えたのだった。「詰めが甘い」と言いますか。
いきおい本当に全面リニューアル的な作業になってしまってそれが時間がかかる。古い1ページ完結もののネタのうち、可能なものを今回のデザインに移行する作業。結果すべてのネタを見返すことになり、面白くないと思われるものはばさばさ削除する。移行作業が面倒なのでなるべく減らしたいということもあって、ずいぶん削除した。
これでもう当分「Red」のデザインは変えない。というか、毎回デザインを変えるたびに「これで二度とリニューアルはしない」「これ以上いじるところはない」と考えるのであり、そうした「過不足のないシンプルさ」の地点に着地しては、結局毎度ある日突然「飽きる」わけで、だからというわけでもないが今回は「過剰さ」、あるいは「過不足あるところ」をめざしてみた。しかし出来上がってみればやはりどこかシンプル。やはり私は YAS にはなれない。突き詰めて言えば、そもそも「デザインする」という意識から出発する時点で「YAS 的なるもの」からはかけはなれてしまっているのかも知れない。
って、ものすごい失礼なこと言ってますでしょうか私。ぜひ信じてほしいところだけれども、「YAS 的なるものへの憧れ」というのは、たとえそれが半分冗談だとしても、やっぱり半分は本気なのであって、ないものねだりだと言われればそれまでだが、しかしないものはねだりたいじゃないか。

書いたように古い単発ネタはばさばさ削除したが、一方でついつい作り直してしまったものもあり、といってこまかい修正ばかりだが、例えば「インターネット大全科」というネタには「ダブルクリック」の項目を追加してしまった。
あと、削除するつもりでいて見返してみたらすごく面白いので驚いたものもある。「三井弘次データベース」と「藤原釜足レータレース」などはそうだ。ってこのふたつは黒澤明の『どん底』がわからないとまったくわからないわけですが。

「Red」のトップにも書いたように本当にびっくりしたのは榎本滋民さんが亡くなったことだ。本来の肩書きは「劇作家」になる人だが、私が知っているのは「落語にやたら詳しい人」としての顔で、今はもう終了してしまった TBS の「落語特撰会」という良質の番組で解説を務めていた。私の回りでそれを最初に指摘したのは兄だけれども、顔がどこかグルーチョ・マルクスに似ていた。
「Red」のほうでは「昨日知った」と書いてあるが、あれはトップページを作っている途中で書いていた文章をそのまま載せてしまったもので、その「昨日」はもう少し前の「昨日」である。えのきどいちろうさんのサイトを久しぶりに覗き、日記をまとめ読みしていたらそのなかで訃報に触れられてあったのだった。そしてえのきどさんはこう書く。

江戸開府4百年の年に東京は大損失だよ。

 ああ、なんてそのとおりなんでしょうか。

2.4(火)

2003.2.5 23:26

さて、私がしばらく「ただの宮沢章夫ファン」になっているあいだに掲示板にはいくつか書き込みがあったんですが、

前から思ってたんだけど
宮沢章夫と亜細庵ご主人てなんか似てるよね
ヒトシちゃんの好みのタイプなのかな?[記事番号:33]

 ってあのですね、おれ、「宮沢章夫の顔が好き」だったのか。そうか。それは気がつかなかった。ありえない話ではないな。煎じ詰めれば顔だった、といったような。
ただ、宮沢さんと亜細庵のご主人て似てるか?という問題があるわけで(亜細庵は私がよく行く近所の食べもの屋です)、そう言われると似てるような気もしてくるからあれだが、一般的に言えばたぶん、亜細庵のご主人は「岸谷五郎似」ということになるんじゃないのか。
「宮沢章夫似」ということで言えば、私の頭にのぼるのは亜細庵のご主人ではなく、急に話は飛ぶけれども新日本プロレスの小島聡選手であって(って最近全日に移ったんですかこの人)、いや私近年のプロレスには全然詳しくないんですが、この人が新日にいたころにときたま深夜のテレビ放送で見かけては、「あ、宮沢さん、試合だとちょっと雰囲気ちがうな」とか思って楽しんでいた次第だ。

小島聡

 ちなみにこういう人なわけですが。

恭子ちゃんからは「10の質問」の感想[記事番号:34]。ていねいにどうも。まあこの「10の質問」の企画は私としては、恭子ちゃんが笑ってくれれば八割方満足だというところがあるわけで、楽しんでもらえたのだったらなによりだ。ってまあ、

「和製ブラックジャックさんも自転車通学なんだ、私と同じだー」

 と書き込まれては私のほうが笑わせられてるんですけども。
「高校時代にやっていた漫才」のストリーミング配信問題[記事番号:35]について言わせていただければ、ばかを言うな、流すもんか。
ただ気になるのは、「流してみない?WWWというなの海に.」というその永澤の書き方で、その「流す」って、「ペットボトルの中身を海にじょぼじょぼやる」ような、つまり「捨てる」にちかいニュアンスを言ってるのかとも思え、だとしたら、「ネットに流す」というのもわるくないような気分になる。いや、流さないけど。

と、この「Yellow」を書く前に、今週も無事「Red」を更新。三週連続とはえらいじゃないか、おれ。どれだけの人が覚えているかわからないが「毎週水曜更新」というのが「Red」のトップページであって、来週の保証はできないが、とりあえず更新頻度でもって初心に返ってみたこの三週だ。
まあ、だいたい一日でえいやっと作るわけで、それは更新間隔がずっとあいたとしても更新するときには一日でえいやっと作るのだからいっしょだが、四週、五週と続けばそろそろネタは「だめ」になってくるからそのつもりで願いたい。だめになるぞー、どんどん。
ついでに、「Yellow」用の favicon(WinIE 5 以上では「お気に入りに追加」した際にブックマークの頭に、Mozilla 等ではアクセス時に URL 欄の頭などに表示される例のアイコン画像)も用意した。ただ「Red」のそれは「R」の字をななめにして丸で囲んだ非常に記号的なものでわかりやすいが、「Yellow」は何にしようかと迷い、「Y」もつまらないからと考えて結局意味のない写真をそのままちっちゃくして用い、だから何の画像なのかわからないかも知れない。まあ見る人それぞれが見たままに「これはの画像だろう」と思っていただければいいわけで、一種のロールシャッハケーキ。うまそう。

2.3(月)

2003.2.5 18:26

表題は本文となんら関係がないわけですが、なぜそんな表題かという由来をお知りになりたい方はこちらをどうぞ。
というか本文すらないわけですがね。

2.2(日)

2003.2.4 19:08

「トーキョー・ボディ」楽日。まあ私もいまごろ日記を更新しているわけですが、公演中ストイックなまでにコンスタントな更新間隔を保っていた宮沢さんの日記が、いま時点でまだ2/1分で止まっているのはああ終わったんだなあというか、ひと区切りなんだなあという感慨を催させる。
まだまだここから。いよいよここから。ここから彼方へ。

15時からの開演。午後部屋を出、ひとまず新宿に出て、紀伊国屋へ。『ハイナー・ミュラー テキスト集』を3冊と、ハイナー・ミュラー関係の評論を2冊掴んでレジへ。

いくらいろいろな実験的な試みを入れていようと、コンテンポラリーなダンスがあろうと、しかしハイナー・ミュラーにかなり影響されたようなテクストの舞台がですね、こんなに人が入っていいのでしょうかというくらい観客は大入り。(「トーキョー・ボディ」1/31分)

 と宮沢さん自身が書くように、この舞台の「まえみつ」あたりを掴んでもってくためにはやはり読まないといけないんじゃないでしょうかという感じで購入。いや、全然「予習」が遅いわけですけど。しかしあれですか、「まえみつ」の「まえ」は「前」でいいんですかね。
開演の1時間前ぐらいに三軒茶屋に到着し、それで近くのドトールに入り、とりあえず「ハムレット・マシーン」を読む。いや、それは「本日のコーヒー」を唯一の味方にドトールで1時間弱ねばったところで途方に暮れるしかない難解なテクストなわけで、何が読めたということでもないが、さしあたってその「ハムレット・マシーン」は次のようにはじまって何も知らなかった私を驚かせる。

私はハムレットだった。浜辺に立ち、寄せては砕ける波に向かってああだこうだと喋っていた、ヨーロッパの廃墟を背にして。

 一方「トーキョー・ボディ」はこの「ハムレット」をすり替え、はぐらかすことによってはじまる(「私は警備員ではなかった」)わけだが、「私はハムレットだった」というこのモノローグが、「私はもはやハムレット(=大文字の「演劇」?)ではない」という過去への訣別を言うのだとして、その図式を単純に敷衍すれば、「私は警備員ではなかった」としゃべる男はいま「警備員である」ことになる。
たしかに、

労働はいいよ。

 と、その肉体的快楽に言及する男は「警備員」に魅せられており、「いつしか警備員になってしまっていた地方公務員」というよくわからない物語はしかし舞台上で「あるかもしれない」という説得力をもっていたわけで、だとすれば、

私は警備員ではなかった。

 という〈否定の過去(形)〉は――「ハムレット・マシーン」が〈過去の否定〉として屹立するの対して――〈いまのゆるやかな肯定〉を抱えていることになる。「私は〜ではなかった」という否定が呼び込む肯定――それはつまり、「劇作家」の語る

破壊への希望

 へとつながってきはしまいか。
って結論早いよおれ。まあそのへんが「ドトールで1時間弱」の限界なわけでしょうがないけど、とにかくそんな安易なジグソーパズルをしてる場合ではないのだ。チケットよし、トイレよし、舞台はすぐそこ。

2.1(土)

2003.2.4 11:04

みえしかさん(=次兄の嫁)からは、「宮沢章夫の日記で紹介された記念」の「おいわい」として、「ピーの発掘された写真たち」がメールで送られてきた。「ピー」というのはいま私の部屋にいる猫で、送られてきたのはつまりその猫の実家で拾われた直後の写真だが、それがどんなにかわいいかといえば、例えば

ピー(1)

 であり、

ピー(2)

 であり、

ピー(4)

 であって、そしてこれがウォン・カーウァイふうのそれだ。

ピー(Kar-wai Wong)

 いや、それはそれとしてですね。

句会だった。
午後2時に蒲田駅集合で、遅刻せずに行ったが、すでに吉沼と大竹君は来ていた。明日にCAD検定の実技試験を控える上山君からは午前中に電話があり、「行く」ということで、その上山君もほどなく姿を見せる。「会おうよ」という話はほぼ三人だけでメールをやりとりしていたので、上山君がそれを知り「誘えよ」ということを言ってきたのは直前だが、結果的に、私と吉沼がそれぞれの高校の同級を連れてきたようなかたちである。「上山君大丈夫なの?明日」というのを一番心配していたのは吉沼。えらいなあ、吉沼。
大竹君と私はこれまでずっとお互いのサイトの閲覧者だったのであり、まあネットを介さなかったとしても吉沼を介してリアルに知り合う可能性はあったわけだが、とにかくこれが初対面なのであって、いや、だからこその「会おうよ」という話で、話の順序からいえば句会は「じゃあ会って何する?」という副次的なアイデアであるのだが、それで何をするのかとなって句会という案が出、すんなり GO になってしまう時点で「あ、挨拶は要らないのかもな」という空気はすでにある程度漂っていたともいえ、その上でお互いの様子を手探るというスリリングな役割にまた句会がぴったりだということもあるが、要はこの数日のうちにこちらの句会へのモチベーションが上がってしまっていた次第で(吉沼もそうだったのではないか)、つまり「挨拶もそこそこに」まず句会がはじまってしまった案配だ。
場所は吉沼のアパート。句会(合評)の様子は全編ビデオを回したので(といってほぼ音声記録だが)、うまく録れていればそのへんの素材も使い、またあとであらためて紹介したいと思うが、しかしどう紹介したものかと思うのは、まあ、たっぷりやってしまったからだ。吉沼もあとでそのぐらいじゃないかと思っていたと言っていたように、私も「句会は1時間ぐらいかな」と思っていたのだが、3時間近くやっていた。日が暮れてしまった。言葉を換えて言えばつまり、楽しかった。
句会後には、「好き放題」(大竹君と吉沼の即興演奏ユニット)のスタジオでの様子を記録・編集したビデオを見る。これがかなり面白い。笑った。「狙い」とかではない、強度をもった「でたらめ」を感じたし、それとは別に、なんとなく大竹君(および、大竹君と吉沼の関係性)がわかってくるような気にもなる。自身のバンド「オトガシ」(ドリフ西遊記における加トちゃん=酔っ払いのハゲのようなポジションで担当楽器のない私も参加。命名も)の活動再開を案件として抱えている上山君は、単純に「やっぱりやりたいな、音楽」といった刺激を受けていた様子だし。
そのあと、まあ「お互いの〈資料〉を持ち寄ろう」ということだったので、今度は私が持参した漫才のビデオ(高校時代にやっていた漫才。学園祭を撮影したもの。荒川が相方だった)を見せる。いや、そのですね、たいしたもんじゃありません。というか、私の場合「大学時代の〈資料〉」というとかたちになっているのは結局「Superman Red」だったりするわけで、それ以外となるとさかのぼってこの漫才になってしまう。くりかえしますが、たいしたもんじゃありません。結果的には「大竹君に向けて」というよりも、当時を知る上山君が単純に懐かしく見たりしたんじゃないか。「若いねぇ〜」を上山君は連発。一方で「荒川君はあんまり変わらないね」とも言い、「うん、荒川君は当時もう完成してたね」とかよくわからないことを話す。いや、私だっていまとなっては、この漫才に関してはただただ荒川に感謝するばかりだ。もう荒川がすべて。おれのほうが全然だめ。
そうしたら、最後の最後に大竹君が「こんなものも持ってきたんだけど」と、小学1年のときの作文(文集に載ったもののコピー)を用意していた。そうだよ、そういうやつだよ大竹君。
蒲田駅の駅ビルで夕食。それで解散。やっぱり句会に関しては2回、3回と回を重ねていきたいというのが一致した意見で、もっと多くの仲間に声をかけ、大所帯でやればより楽しいのではないか、場所もさまざまな場所でやるのが楽しいだろうし、そのためのより良いスタイルがあるのではないか、ていうかまあ、たぶん「こういうことがやりたかった」んだよなおれ(たち)、といったような話をする。けっして忘れてはならないが、会の最終目標は「俳句がうまくなる」だ。そこを忘れてはいけない。吉沼は「歳時記を買う」と言っていた。いや、「言っていた」と他人事にして書いてちゃだめだけど。
さしあたって次回は花見時期。花見プラス句会プラスオフ会な感じだ。じゃあギターを持っていくよと上山君は言う。それ、つまりあれだ、「花見」だよ。
そのときが来たらまた声をかける。ふるって参加していただきたいですね。