江戸っ子とは何かを考える (1996)

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江戸っ子とは何かを考える

 「江戸っ子」とは何か。ひとことで答えるには大変難しい問題です。しかし、ここではあえて、ひとことでの解答を目指してみましょう。

 例えば、「ちゃきちゃき」というのはどうでしょう。「ちゃきちゃきって何だ?」という事に目をつぶれば、たいへん江戸っ子っぽいひとことです。しかし、これは江戸っ子の本質を突いた言葉とは違います。「ちゃきちゃきの江戸っ子」という言葉からも分かるように、これは、その人の「江戸っ子具合」とか「江戸っ子指数」とかいったものを表しているのです。ちなみに答えておくと、ちゃきちゃきとは「嫡嫡(ちゃくちゃく)」の変化したもので、「生まれついての」とか「生粋の」とかいう事です。「ちゃきちゃきの博多っ子」もいれば、「ちゃきちゃきのニューヨーカー」もいるわけです。「ちゃきちゃきのパン」というのもあり得ない話ではありません(というか、みんなそうです)。というわけで、「ちゃきちゃき」という言葉をもって「江戸っ子」とするわけにはいきません。

 では、「粋でいなせで」というのはどうでしょうか。これはすでに「ふたこと」です。ややもすると、「…喧嘩っぱやくて情に厚くて…」と、どんどん続きます。まあ、そういったことに目をつぶるとしても、やはり「江戸っ子とは何か」の問いに答えているとは思えません。なぜかというと、これは「江戸っ子とは何か」ではなくて、「江戸っ子の希望」だからです。「背が高くてぇ、かっこよくてぇ、年収が1000万以上でぇ、やさしいひとぉ!」と女の子が言ってるようなもんです。まあ、「粋でいなせで」の方は自分に対する希望ですから、正確に例えると宮沢賢治の「雨ニモマケズ…」のようなもんと言えるでしょう。要するに、「そういう人に、私はなりたい」という事です。ですから、「江戸っ子とは何か」という場合、粋でいなせで喧嘩っぱやくて情に厚い人、なのではなく、「あなたはどういう人になりたいですか?」と聞かれて「粋でいなせで喧嘩っぱやくて情に厚くて…」とどんどん答える人、なわけです。なんか、「野暮な人」のイメージですね。めげずに次のひとことをさがしましょう。

 「初鰹は、てめえのかかあを質に置いてでも食う」。全然ひとことじゃありませんが、でも、「そんな馬鹿なことを言ってる人」というのは我々の持つ「江戸っ子」のイメージに近いですね。いっそのこと、「てめえのかかあを質に置く人」と言い切ってみるといいかもしれません。

 「火事が好きな人」。いいですね。我々が目指すものにぐんと近くなった気がします。でも、たぶんこれは「誤解」です。たしかに「火事は江戸の名物」と言いますが、これは、あんまり火事が多くて、いやんなっちゃうくらい火事が多くて、しかも一度燃えだすと消すことができなくて、だから「火事は名物」なんて言って強がってみせるしかなかった、という感じではないでしょうか。「強がってどうするよ」とも思いますが、そこらへんが「江戸っ子」なんでしょう。

 「熱い風呂をがまんする」。これです。言葉に説得力があります。見事に江戸っ子の本質を突いている気がしてきます。「どう本質を突いているのか」と言われると全く弱ってしまいますが、でも私としては、これを今回の結論としたいと思います。「熱い風呂をがまんする」。「江戸っ子」という言葉の持つ、いろいろな要素のかなりな部分が、見事に抜け落ちてはいますが、それをおぎなって余りある勢いが感じられます。もともと「江戸っ子」という言葉自体が、十人十色のものを十把ひとからげにする勢いを持っているわけですから、この勢いは大事にしなければなりません。ということで結論は、「江戸っ子とは、熱い風呂をがまんする」です。まったく文になってませんが、これも勢いということで。

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