ミニー・シェーンバーグ・マルクス。フレンチーの妻で、私の母。フレンチーが愛し、忠誠を尽くしたすべての人の中にあって、彼女ほど彼とかけ離れた人間はいませんでした。ミニー・マルクスについてはこれまで多くのことが語られてきました。ショー・ビジネス界においては、彼女はすでにひとつの伝説です。そして、彼女については、これまでにどの人が語ったどの事柄もすべて、本当です。ミニーは、まったくギャルでした。
彼女は愛らしい女性でした。けれどもその柔和な、雌鹿のような外見に惑わされてはいけません。その内には、酒好きな馬を思わせるスタミナや、滝に抗いそれをのぼっていこうとするサケのような推進力、狐のような抜け目なさがありましたし、一家の子供たちへのその強い愛情は、雌のライオンに勝るとも劣らないものでした。ミニーは浮かれて大はしゃぎするのが好きでした。歌声や話し声、はたまた笑い声が聞こえた場合は、何であれ、とにかくその物事の真っ只中にいたい人でした。とはいえ、これらのこともまた、われわれを惑わそうとする彼女のやり口のひとつだったに違いありません。成人してのちの彼女の全人生、その一秒一秒はすべて、自身の立てたマスタープランの遂行のために費やされました。
ミニーは、自分の決めた計画を是が非でも実現させるんだという野心を抱えていて、それは、右っかしにいる残りの全員を、左っかしまでぐいっと連れていってしまうに足るものでした。最も陽気に過ごしているその瞬間でさえ、彼女は仕事に──
計画の筋を練り、策をめぐらすという仕事に、取りかかっていました。冗談を飛ばして浮かれている間もずっと、計画は進んでいたのです。
ミニーのプランというのは単純にこうです。自分の弟と五人の息子たちを舞台に立たせ、彼らを成功させる。手始めにアル叔父(シェーンバーグからシーンへと、名前を変えていました)を舞台へと送り出した彼女は、その後、グルーチョ、ガモ、私、チコ、ゼッポという順に、その計画ラインを推し進めていくことになります。これはとんでもない仕事でした。何に手こずったといって、そもそもこの中のアル叔父とグルーチョだけがショー・ビジネスの道に進みたいと考えていたところへ、いったん舞台というものを経験してみると、グルーチョは物書きになりたいと考え始めました。チコは、プロのギャンブラーになりたいと考えていました。ガモは発明家を夢見ていましたし、ゼッポはプロボクサーにあこがれていました。私は、フェリーの上でピアノを弾きたいと考えていました。
しかし、誰もミニーの考えを変えさせることはできませんでした。マスタープランは、神かけて、ことごとく成し遂げられたのです。
私が成長段階にあった日々の、彼女のフレンチーとの結び付きというものは、ふつう世間にあるような婚姻関係というよりか、むしろビジネス上の協力関係に近いようなものでした。家の外のことはミニーが。家の中のことはフレンチーが。家族の命運を決するべく、ミニーは世間を相手に奮闘していました。フレンチーは家で、縫いものとお料理。ミニーは、純然たるボスでした。すべての決定は彼女が下しましたが、フレンチーがそのことに憤慨する様子はこれっぱかりもありませんでした。
ミニーに対して憤慨するなどということは、誰にも出来っこありませんでした。彼女は面白すぎました。われわれの生活を笑いで満たしたのはミニーでしたし、そのために無一文のときなど、前回の食事からどれほど時間が経っているのか、めったに気づきませんでした。
母と父との間のこうした状況設定が、われわれの目に奇妙に映ったり、不自然に思えたりということはありませんでした。われわれは、難破して無人島に生き残った一家のようなものでした。マルクス一家がアメリカという地でやっていくにあたり、お金も、名声も、背景も、助けとなるようなものは何ひとつありませんでした。そうした状況にこそ、われわれは立ち向かわなければならなかったのであり、そのため、それぞれがそれぞれのやり方を、生き残るためのやり方を、手に入れたのでした。フレンチーは仕立屋を。チコは賭博場に。私は街へ。ミニーはそんなみんなを束ねて、われわれが救い出されるような筋書きを練ったのでした。
伝統の欠如、ということが、わが家の唯一の伝統でした。
自分の人生が成功であったのか失敗であったのか、私には分かりません。しかし、他の人生を歩むかわりにこういった人生を歩んできたことには何ら迷いめいたものはなく…
私が学校教育をちっとも受けていないということが伝説化しています。…