▲もしかして自分は嫌われてるのではないか、そういう瞬間というものが人生には欠かせないもので、あるいはそういう瞬間を縫い合わせてひとつなぎにしたものこそが「人生」なのではないか、と、そこまで考えてしまうほど、私にはそういう瞬間が頻繁に訪れるのであった。
▲その代表的な例というのが、「満員の電車にもかかわらず、自分の隣に誰も座らない(座ろうともしない)」という事態である。
▲私の友人には、なぜかおれの隣はいつも外国人だ、という若者がいるが、その話はいまはあまり関係がない。
▲おれがコンビニに行くたびに店員は必ず外国人だ、とも彼は言うが、その話はとりあえず置いといてー。
▲座らない。ほんと、なかなか誰も座らない。座ってくれない。
▲いや、ほんとうはそんなにも毎度毎度なわけでもないのだが、うーんと、月に3、4回はあるかも知れない。
▲(やっぱりけっこう多い、よね?)
▲しかし私は思い付いてしまった。いいことを考えてしまった。最初からもうすでに隣人がある座席に狙いを定めて、そこに座ればよいのではないか。この電車のこの車両の人々はほとんどが終点駅の改札の場所を見越した上での乗車であるから、つまり、一度その隣を確保してしまえば、ほぼ確実に彼らは終点まで私の隣にいてくれる。はずだ。
▲ああ、よかった。解決した。私は嫌われてなど、いない。
▲いま気が付いたが、この「▲」は逆さまなのではないか。
▼とにかく、私は嫌われてなど、いないのだ。
(相馬称)
▼すごくいい天気。こんな日はバットなしで野球したいくらいなもんだ。
▼「一体どうやるのよ」と今、かわいい声がしたと思ったら空耳。うーん。
▼思い出せないでいるのはガガーリンがロケット打ち上げの朝に食べたメニューのこと。学研だったか、何かの教科書だったかでそのメニューにまつわるエピソードを読んだ覚えが、Nの自慢話を聞くうちにふと思い出されてきて、しかし、肝心の中身はちっとも覚えていない。どこでどうつながって頭に昇ってきたのか。
▼「ガガーリンやきそば」というのもあったな。アレはなんで「ガガーリンやきそば」だったんだっけか。
▼いやー、風呂とか入って、三十分経ったんだけど、三年生か四年生のときの理科の教科書だったような気がしてきた。顔写真が載っていて。たしか、ガガーリンはバットを持って、笑みを浮かべていたんじゃなかったか。おぼろげ。
(古川直樹)
引き続き電車の話。電車嫌いの方は我慢して欲しい。
電車に乗って通勤していると、さまざまな人間を見かけることができるが、今日見たのは袋出しおばさんだ。あと、ものすごい汗っかきだ。
袋出しおばさんは、袋を2つ持っていた。ユニクロ紙袋と布の買い物袋。そこまでは普通の光景。するとおばさんおもむろに、ユニクロ袋からビニル袋を取り出して、それにユニクロ袋を入れ、ユニクロ袋の入ったビニル袋を、布袋から取り出した赤いナイロン製の袋に入れようとするが入らず、仕方なしにビニル袋に入ったユニクロ袋から紙包みを取り出して、それをナイロン袋に放り込み、そのナイロン袋を布袋に入れるとおもいきやすかさず取り出し、紙包みの入ったユニクロ袋の入ったビニル袋を布袋に入れ、結局、布袋とナイロン袋を抱えているがまだ納得いかない様子。というようなことを延延と繰り返しており、結局最後はどうしたかったのか分からずまま、無念の下車。
ものすごい汗っかきについての話は割愛。
(相馬称)
抱く夢をしばらく見ないというのは、むこうが抱かれる夢を見ているのだなんて、考えながら見ていると音を消したテレビもなかなかいいもんだ。
覚えがある、これは幾度か見たあの夢だと思いながら目が覚めれば、これまで何度も夜を重ねて見た夢だというその感覚もまた、いま見た夢に折り畳まれていただけだったというのが本当だろうかと、判然としない。それはよくある。
高校のときに見た風景のような、それとも中学の記憶だろうかという教室で、けど周りは大学時代の友人たち。だから僕も大学生なのだが、二ヶ月先に控えた大学受験の勉強にせかされている。友達である彼らの通う大学へ、僕は再び合格して通うことができるだろうかと、さっきから夏休みの相談が進まない。
今度、あの人に電話口で、「ちょっと目をつぶってみて」と言ってみよう。それで、「はい」と答えるあの人が、本当に目をつぶっているのか、つぶったふりをしているのか、考えてみることにしよう。
(上山英夫)
今日は暑かった.いや,今日もかな?
「土用の丑隠れ」という言葉というか,
音の響きが浮かぶのだが,今日,暑い盛りの
14時に,ふと池を見ると,金魚が,藻に隠れて,
涼んでいるのである.
それが,一匹ならば,障害物競走かと流すのだが,
実にたくさんの金魚が,そうして涼んでいるのである.
涼しいのかな?
今日,荻窪の家で蚊帳でもつって,その真価を試してみよう.
いや,蜘蛛の巣でもいいのか.なんなら,綿埃でも.
また,土用の丑隠れということばが,頭をよぎった....
(相馬称)
買ったばかりの携帯が,危うく壊れるところだった.勢いよくこすりすぎた.きをつけねば.
「基礎的自我状態における血液比率とその家族」上梓.やっと仕上がった.
研究はやはり,きりがなくて楽しい.
午後,会食.会食ってほどでもないけど.
食事中は,室内で別に暑かったわけでもないのに,やたらがぶがぶ水を飲んでいた.
(永澤悦伸)
今日見た夢。
昔住んでいた家に家族が勢揃いしている。
母がサンドイッチを作っている。
外は暗いけれど、どうやら朝ご飯みたい。
具は4種類。
卵、トマトとレタス、ハムとポテトサラダ、
それからなんだかわからないけれど美味しそうなオレンジ色の。
すごく食べたいのはオレンジ色のなんだけど
後にとっておいて、取りあえずハムとポテトサラダを手に取る。
トースターで温めてから食べた。
おいしかった。
さ、次はオレンジ色の、と思って見ると、それだけもうない。
「あれ食べたかったのに。」
と文句を言い、
「中身はなんだったの?」
と母に尋ねると
「オージービーフ。」
と母は答えた。
(相馬称)
うちにいるパンダが、さっさと起きて、笹を食べろと言うから、
「味がないし、かたいよ」と言うと、
「ばか、笹に聞こえるじゃないか」と言って、白の部分と黒の部分を反転させた。
悪いことをしたな、と思うので、なんとかパンダのご機嫌取りをしようと、
とっておきのジャムを詰めたビンを冷蔵庫から出したら、もう空っぽになっていた。
「ねえ、食べちゃったの?」とパンダに聞くと、
「僕はしらない。君が自分で食べて忘れちゃったんじゃないか」ととぼける。
パンダはいつのまにか真っ黒になっていて、そのことに自分でびっくりしたらしく、のそのそと風呂場へ急いだ。
(みえしか)
▼昨日の夜10時起床。今、7日の夕方6時。
▼七夕か。今気づいた。七夕じゃなくて、7日ってことに気づいた。
▼テスト勉強。
▼「志賀直哉の小説『小僧の神様』を素材にして、「純粋な贈与」の困難さを論じなさい」
▼論じているうちに、「鬼太郎とねずみ男の関係」にたどり着いた。
▼とても驚いた。
(相馬称)
七夕は母の誕生日。
ずっと使っていた新明解国語辞典(第四版)の電池がとうとう切れて、開かなくなってしまったので、本屋まで取り替えに行く。
本当は、大学で国文学会が催されるというので、友達とそれに足を運ぶつもりでいたが、寝過ごした。
(ゆうすけ)
朝目が覚め一服していると、ふと今日は、ワイルドに生きてやろうかと思った。
話は変わるが、今日電車の中で、鼾をかいて寝ている人を見かけた。気持ち良さそうではあるが、少々(?)恥ずかしい。でも寝ている本人にしてみれば、そんなことは関係ない。はずだ。
話を戻すが、そう、ワイルドね。何で突然ワイルド?ワイルドって何?きっと誰もが1度や2度(若しくはもっとか)、その想いを抱いたことがあるはずだぜ!(←)
そうそう、電車の中で寝るのって確かに気持ちよいよね。ビクッ!とかん~ガクン!てなるとこっ恥ずかしいけどな!(←)
豹柄の服を着ている人ってワイルド?なんか違う。いや全く違うな。これはどうだろう、半袖からこれでもかってゆう位、肉がはみ出ているオバチャンなんてワイルドじゃない?ある意味。なんか違う?いや、さっきの(豹柄)よりは近いな。
そんな1日。今日は。(2ワイルド)
(相馬称)
「ルパン三世」ファーストテレビシリーズDVDボックス、購入。
他にもいろいろ、カードでDVDソフトをたくさん買っていることをはしゃいだ調子で言うと、「気をつけなよー」と電話口の永澤に心配された。
床屋に行ったり、なんだりかんだりせず。
(ドラゴン)
自慰をして、放り出したティッシュー屑。
朝になり、そこに蟻がたかっている。ごく小さな種類のものが、何十匹、百何匹か。
網戸をきっちりと閉めないで寝たことを反省して、あとは殺虫剤を吹きかけさえすればそれで話は終わるのだろう。
けれど、まだ覚めきってはいない頭でぼんやりと状況を眺めていると、ひどく不安になった。
それは、「蟻が妊娠しはしないだろうか」というような無茶な着想のせいである。
勿論、そんなことはありえない。また、蟻の姿が目の前にあるので、「俺に似た蟻」などの映像までは浮かばない。
ただ、「何かと勘違いして集まってきている蟻」というものが、どこか「間違った生命の誕生」のようなものを暗示している気がして、いやなのだ。
もしそんな「間違った生命」と対峙した場合、私はそれを「可愛い」とは思わないだろうな、と思いつつ殺虫剤を吹きかけた。だって、蟻だぜ。
(相馬称)
ペットボトルは、ここでは、最寄りのコンビニに置いてある専用の回収ボックスへ投げ入れるのが基本的な捨て方になっている。
それで、空の、小ぶりなタイプのペットボトルを一本ずつ、両手に掴んで道を行く。キャップは燃えないゴミとして分けなければならないので、飲み口が開いており、うかうかと両手を振れば、ヒュウボウ、ヒュウボウとペットボトルが鳴り出す。夏の夕暮れのやっと涼しくなりかけたかという頃合に、また暑さをぶりかえすようで、それでいて暑さをその内に留めるようで、手になじんで不恰好に細長い、これもまた風鈴と呼べばいいのか。
わけも知らず舞いを踏むようにファミリーマートまで歩いたよ、末世の風鈴の、中味は緑茶だったよと、胸のはしゃぎに圧し上げられた声で話すと、「気をつけなよー」と電話口の永澤に心配された。
(吉沼晴信)
今日は一日、仕様書の作成に追われる。何かを作り出すという行為は嫌いじゃないのだが、それを万人に分かるような形でドキュメントにするという作業は非常に苦手だ。仕様書なんぞすっ飛ばして、いきなり物作りに取りかかれたらどんなに幸せなことか。きっと、会社に来るのも楽しくなるだろう。
そして今日も、しがないサラリーマンのいつもと変わらない日常が幕を下ろす。毎日が同じことの繰り返し。刺激的な出来事など、あるはずもなく。
などと、まるで一般人のようなことを思うはずもなく。
一般、といえば、大学では「一般教養科目」略して「パンキョウ」などと呼ばれる科目があるが、「専門」に対する「一般」であり、「心理学」だの「プログラミング概説」だの、他の学部では「専門」となる科目が並び、ある意味そっちの方がタメになったりなんかする。だって別に、弁護士になる為に大学へ進学したわけじゃないし。
(相馬称)
▼午前8時起床。かるくシャワーを浴び、表へ。ラジオ体操をする。
▼午後2時、ラジオ体操がまだ終わらない。中断し、遅めの昼食。腹が満たされて元気を取り戻した。
▼午後6時、いよいよラジオ体操が終わらなくなっている。へとへとだが、中断できず。機械的な反復の味をしめて、ひとつに繋がった身体が止まらず、もはや腕も足もない。胴ということでもない。
▼午後の深まったあたりから、夕暮れが、あるいは事態に転機をもたらすのではないかと期待していたが、ただ暮れていくばかりの夕暮れ。しだいに闇にまで包まれていく。
▼今日のナイターはあきらめるしかないなと、しかしすでに時間さえよく分からなくなっている頭で考えると、向こうに、〈ラジオ体操の第三〉が浮かんでくるようで、「とにかく、終わらせなければ」と声に出した。
▼しまった、空が白んできてしまったと思ったのは、実際にはいよいよ朦朧とする意識が見せた光景だったことになるが、布団の上で目が覚め、妻に介抱されていることに気づくと、夜中の1時だった。「よかったあ。びっくりしたのよ」と妻。
▼そういえば今日、俺は会社に行かなかったんじゃないか。ずっとラジオ体操をしていたのだから間違いないが、しかし、どこかその合間に行っていたような気がするのも不思議なものだ。
(百鬼丸)
と``れみちやん
(相馬称)
父には弟がふたりいて、うち、一番下の弟が父によく似ている。近頃似ていないようでもあるし、騒ぐほどそっくりでもないねと、誰だったかの反応はそんなもんだったが、どこか近親の者ほど感応させられるような、そんな相似のしかたがあるのかもしれない。幼い頃の私はその叔父にたいへん怯えていたと、今はよくも覚えていないが、聞かされた話だ。あきらかに父ではないけれど、ひとまわりサイズの小さくて若い、父のような何かを見て、と、そんな判断めいたものがあったとも思えないが、逃げ回るようにしていたという。あるいは姪を前にして身の置き所を考えあぐねるといった、叔父側の不備が原因だったのかもしれない。
と、今になってここを、自身で書き換えているのは、「さすがに上手く処理できなくて、すっかり下品な日記を書いてしまって、長らく申し訳ない思いでした(笑)」と言うその叔父からの頼み。
しかしまあ、そうですか、「と``れみちやん」と打ちましたか私は。
(相馬麻琴)
今日は7時に目が覚めました。そしてキッチンへ行き、少しだけ残っていた牛乳を飲み干そうとしました。しかし、牛乳は腐っていました。おととい、冷蔵庫にしまい忘れたからです。牛乳を吐き捨て部屋に戻ると、昨夜買った新しい牛乳が放置してありました。私はそれを口に含んでみました。でも、腐っているのかどうか、分かりませんでした。とりあえず私はその牛乳を冷蔵庫に入れ、寝てしまいました。
夢を見ました。夢の中でも牛乳は腐っていました。私は新しい牛乳を買うのですが、帰ってくると牛乳は増えていて、どれが腐っている牛乳なのか分からないので飲んでみるのですが、ことごとく腐っています。だんだん自分が買ってきた牛乳がどれだったのか分からなくなってきました。いつのまにか牛乳にまぎれてトマトジュースもあります。これも腐っていました。
目が覚めると9時でした。コーンフレークを食べました。
(相馬称)
「僕が君を一番に想っていても、君が僕を一番に想っているとは限らないんだね」
と言ったのは誰だったか。
深夜仕事帰りに電車に乗っていると、「電車の中で日付がかわるんだなぁ」とか思う木曜。
夜、松寿庵で蕎麦。
(恭子)
電話に出ると相馬で、「牛乳は牛乳でも、白い飲み物なーんだ?」と言うので、間を置いてやってから「牛乳なんじゃないの?」と答えると、「当たり」だと言う。何やらはしゃいだ調子でまくしたてるのを、永澤が思わず心配したというのはこれかと聞いていると、急に深刻なような声になって、「どんどんと腐っていくんだよ」と言った。
「何が?」と受けそうなところを、こちらもこちらで「牛乳が?」と、まるで話の通じているふうに聞き返すと、しばらくびっくりしているような間が空いて、「トマトジュースもなんだ」と答えた。
「しかもなくならないんだ。しかも腐っている」と相馬。
「腐っているというのは聞いた。繰り返すな。判断が鈍る」と、釣り込まれるようにして声を荒げたが、判断が鈍るとはどういうことか。
「飲んでも、飲んでも…」と相馬の声が消え入りそうなので、「別のものを飲め。腐っているものは飲むな。別の、アクエリアスとかそういうものだ。で、もしアクエリアスが腐っていたら、いいか、慌てずにもう一度電話しろ」と言って、電話を切った。
(yAs)
今日見た夢。
小学校時代の同級生の母親だという女性が、ヤクルトのセールスにきた。
「Mさんていたでしょ」
「Mさんですか?あぁー、えーと、なんとなく。男の子ですよね?」
「ううん、女の子」
う~ん、そんな子がいたような、いないような。おぼろげな記憶。あぁ、たぶんいた。いました。たぶん。で、「まぁ、立ち話もあれなんで」と中に入ってもらった。
ふと時計に目をやると、まだ朝の4時台だ。「なんでこんな時間に、セールスなんかしてるんだろう」と思ったけど、わりとタイプだったので時計は見なかったことにした。
8歳くらいの男の子を連れていたので、何かあげられる物はないかとベッドの下を探ってみると、「いなかっぺ大将」の3巻と5巻があったので、これでも読みなと渡してあげた。でも、5巻のほうは、カバーは「いなかっぺ大将」なんだけど、中身は「ドラえもん」だった。
「8歳なら、ドラえもんのほうがいいかもね、川崎のぼるより藤子かもね」
と、なんだかやさしい気持ちになれた。
小学生のころ、本屋で立ち読みしていて、「巨人の星」を手にとったら、中身が「レイプマン」ですごくびっくりした記憶がある。だから「ドラえもん」でよかった。
で、初期のドラえもんの丸さについて話し合った。
目がさめると、壁に阪神のメガホン(トラの立体顔つき)がぶら下がっていたので
「これあげりゃあよかったな」
と思ったけど、なにせ起きた後だった。窓を開けっ放しで寝たので背中にハネアリが入っていた、やっと勝ち数で横浜に追いついた、とはしゃいだ調子で言うと、「気をつけなよー」と電話口の永澤に心配された。
(相馬称)
▼午前10時、微笑。
▼午前11時頃という約束のクーラーの取り付け工事の人は、10分前にやってきた。加藤賢崇似のお兄さん。加藤賢崇かもしれない。
▼じっくり2時間ほどの作業。森高千里『今年の夏はモアベター』をBGMにかけ、私はぶらぶらネットサーフィンなどしてすごす。
▼「間違って2個付けちゃったんで、1個外しますね」と工事の人。「はい」と答える。よく見ると、あまり加藤賢崇には似ていないと気づく。
▼「基本的には『運転/停止』のボタンだけ押してれば大丈夫です」というその説明を聞いていると、体感センサーだのなんだの、最近のクーラーはたいへんなことになっている。「ユーザーは余計なこと考えてくれなくていい」という勢いで、せっかく快適になり、これからいろいろ考え事をしようという折りから残念な話だ。
▼夜は「一圓」というラーメン屋で、ゴーヤチャンプルーラーメン。今年の初ゴーヤ。ラーメン屋なのでしょうがないが、この際麺が余計であると思わせる夏。あるいは麺も込みで、ゴーヤラーメンチャンプルーだと捉えるべきだったか。
▼午前2時、獣神。
(ゆうすけ)
猫と暮らしていると、家の中に「砂」が侵入しやすい
「砂」を掃き出す
直接的な意味において、「砂」を掃き出す
というより、ここでは既に括弧をはずしたような
砂
...それを、掃き出すような
...いや、「ような」ではなくて直接的な意味での
毎日の「差異」そして「反復」
「不毛」の侵入と、
掃き出すことをやめれば、たちまち、それに埋もれる恐怖と、
繰り返しそれ自体の「倦怠」への恐怖とを
「不毛」を「物語」だの「カタルシス」だの
なんだかんだの、介入なしに引き受け、また、戯れ、かつ
それに埋もれることには抗う...意志と気概、あるいは...消尽
しかしこの「砂」は、どこかしら外部(砂漠)からもたらされたわけではなく
内部、より具体的には、猫トイレから
侵入、ではなく、浸出したものであるわけだが
このことに関して「内部の砂漠」という比喩に立ち止まる必要も特になく
視点を移動してみると
そもそもは、外部、より具体的には、西友から
「クラインの壷のごとく」などと差し挟み、多少の赤面を伴うまでもなく
もたらされたものである、ともいえ
また、それを購入、運搬、搬入したのは
他ならぬ「私」自身である、という事実と
そして、さらには
ここまで「砂」と呼んできた物質は
実は「おから」であり
使用後に、生ゴミ処理機等を使えば有機肥料にリサイクルでき
「不毛」の隠喩を忍び込ませるには、いささか
躊躇するような「砂」ですらある
とは、どういうことか考えてみる必要は
あるのか?
(相馬称)
「サーッ」と鳴いたように聞こえたにもかかわらず、振り向いたときには猫の姿を思い浮かべていた。当たり前だという顔をして、後ろには何もいなかった。そのまましばらく見つめていると、我が家の猫が視界に現れて、伸びをする。
「お前ではなかったろう」と、自身に聞かせるような、猫に言うような調子で、声には出さずつぶやく。
「聞き及んではいないか。サーッと鳴く猫のことだが。」今度は明らかに猫に向かって、しかし声には出さず続けた。猫は痒そうに、後ろ足で耳の後ろを掻く。
「百年生きた猫の砂が、魂を得て猫になるといったような、例えばそんな…」と、知らず饒舌になりかかった。埒があかぬといったふうに、猫は今度、前足で耳を掻きだした。
「なんだ。前足で掻けるのか」と、これはふつうの声になった。大きな声だったかもしれない。寝室から「なあに?」と聞こえた。
(相馬彰)