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気持ちのいい連中 (Fine Pixes)

京都の6人、19枚と2日間

京都の6人、19枚と2日間 (2002.08.28)

  • ※はたしてちゃんと日記にして「コーナーの日記」に載せるのか、わからないので余白に時系列のメモ書きも添えつつ。
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    (8/23午後:田村、東京着。吉祥寺で『エピソード2』鑑賞)
    (8/23夜:上山、京都着。恭子ちゃん宅に泊まる。)
    (8/23夜:田村、相馬宅に泊まる。就寝前にビデオで米朝「崇徳院」「壷算」)
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    (8/24早朝:永澤、山梨発。荒川、栃木発)
    (8/24朝:田村・相馬、東京駅で荒川と合流。東京発、ひかり。名古屋駅で永澤も合流)
    (8/24昼:京都着。京都駅にて6人そろう)

  • (京都駅→ラーメン屋→三十三間堂→ほんやら洞)

    ほんやら洞では喫茶と軽い食事だが、かなり長居した。みな早起きして来ていることもあり、米朝の前にあまり疲れてしまうべきではないというのが口実だが、うだうだしきる。写真はぶれる者ら。[撮影:上山]

    ほんやら洞では恭子ちゃんもぶれた。「このあたりは京都のどのへんなの?」と尋ねる永澤に、「(自己評価で)80点ぐらい」という答えを用意してみせた恭子ちゃんだったが永澤にはそれほど伝わらず、その説明のしかたをめぐって反省会がはじまる…というだらだら具合。[撮影:上山]

    にやけながらぶれる相馬。[撮影:永澤だっけ?]

  • (ほんやら洞→京都御所)

    独演会々場の近くに広がる京都御所を歩き、開場までの時間をつぶす作戦。京都御所は広い。[撮影:恭子ちゃん]

    いまやすっかり〈幕末維新〉ファンとなった上山君のお目当ては「蛤御門」。その門の脇にある、もとは通用口か?と思われる枠部分の上のほう。[以下、撮影:相馬]

    門の前に立てられた札が「蛤御門の戦い」を説明する。読む上山君。

    会場に一番近い出口(=門)の手前まで来たものの開場まではやや時間あり。で、ベンチ(低い)に腰かけて休む。

    同じく。

    上山君(手前)と恭子ちゃん(奥)。

    興味津々に田村(中央)を見る永澤(左)と荒川(右)。

    まだ休む。

  • (京都御所→京都府立文化芸術会館『第61回 桂米朝独演会』)

    宗助「近眼の煮売屋」
    千朝「夏の医者」
    米朝「足上り」
    (中入り)
    小米「口合小町」
    米朝「崇徳院」

    (終演後、移動してお好み焼き屋)
    (その後、パチンコ屋やコンビニばかりを残してシャッターの降りた新京極を歩く)
    (上山チームと別れ、永澤・田村・荒川・相馬はホテルへ。就寝)
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    (8/25朝:ホテル組、8時すぎにチェックアウト)
    (ホテル→京都駅で帰りの切符を買う→昨日のラーメン屋のとなりのラーメン屋→西本願寺)
    (西本願寺から、待ち合わせ場所とした蹴上駅へと向かう途中の地下鉄で偶然にも上山チームと合流をはたす)

  • (蹴上駅→南禅寺)

    上山君と恭子ちゃんを下に残し、あとの四人は南禅寺の「三門」の上へ。その階段途中にいる相馬を写す恭子ちゃんを、私は撮っている。

    「三門」の上から。カメラを構えるようにみえる上山君もまた私を写すのか。

    これも「三門」にて。奥から覗く顔が永澤。その手前が荒川。手すりをもつ手は田村。

    「三門」の急な階段を降りる永澤。

    水道橋。橋脚のくりかえしの先に立つ上山君を撮る恭子ちゃん。

    「このローマ水道はいまも生きている」とか言ってはもりあがる一行は、水道橋の上へと登り、水道沿いを行き止まりまで歩いた。

    いよいよ私の写真は、何を撮りたいんだかわからなくなっていく。

    最後に南禅院の庭をひとめぐりした。

    (南禅寺→湯豆腐屋→京都駅)

    (永澤・田村・荒川・相馬、帰京)
    (栃木へと帰る田村・荒川と別れ、永澤・相馬はさらに原宿へ。空飛ぶ雲の上団五郎一座旗揚げ公演『アチャラカ再誕生』)

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