75歳:思い出せるようで思い出せないことはよくある。
38歳:素敵な人を見て、その時、不思議に気分がよくなるが
後で考えてみると、どこが素敵であったか思い出せない。
25歳:同じ場所から見つづけていると、思い出せるようで、
思い出せないことが毎日、増えつづけていることに気がつく。
56歳:今日1日の行動は電車に乗って出かけ、電車に乗って
家に帰ってきただけだ。
45歳:やはりスネオの家族構成がうらやましい。
(相馬称)
思い出したが、私は禁煙中だ。
禁煙中だということを忘れて、この十数年たばこを喫ってきてしまったのは、まったくうっかりしていたことだ。スパスパ喫っていた。
それで思い出したが、新聞を発明したのは私だ。自分で発明したことも忘れて、毎日読んでいたのはまったくうっかりしていたものだ。
スパスパ喫っては読んでいた。
(まくらざか)
永らく日記を休んでいたのは、病床にふせっていたからだ。
と書くと、何やら闘病記などという物を連想せざるを得ないが
なに、単なる風邪だ。
だがしかし、なめていると拗らせて、酷くなってしまい、
ついには寝込んでしまった。
独り、真っ暗な六畳一間でただ熱にうなされる。
ここには看病してくれるような親兄弟はいない。
ふいに足元の方にあるドアがガチャリと開いて
明るい日差しと共に、シャンプーの香りも香しく、澄んだ声で
「風邪、大丈夫?おかゆ、炊いたげようか?」
と言いつつ、部屋に何の躊躇いもなく上がって、
俺の額にキスし、熱を計って
「会社、心配で早引けしちゃった。」
などと、照れ笑いするというような天使のような彼女もいない。
そんなものは幻想、いや妄想だ。
うなされつつ、気が付くと病院のベッド。
今までつき合ってきた元彼女たちがずらり、居並ぶ。
皆、悲壮で沈痛の面もちだ。
医者が言う。
「お別れの言葉はありませんか?」
ああ、俺はもうダメなんだな・・・と思う。
でも、それも妄想。
そんなこんなだが、今はもう、すっかり元気なのだった。
風邪ってヤツはほんとにもう。ぷんすか。
(相馬称)
永らく日記を休んでいたのは、風呂を沸かしていたからだ。
と書くと、何やら風呂釜奮闘記などという物を連想せざるを得ないが
なに、単なる朝風呂だ。
だがしかし、なめていると拗らせて、酷くなってしまい、
ついには月を跨いでしまった。
独り、真っ暗な六畳一間でひと月以上、ただ風呂を沸かす。
「何をしている」「いつまで沸かしている」と声を掛けてくれるような親兄弟はない。
ふいに足元の方にあるドアがガチャリと開いて
明るい日差しと共に、シャンプーの香りも香しく、澄んだ声で
「沸いた?」
と言いつつ、部屋に何の躊躇いもなく上がって、
俺の額にキスし、あれやこれや計って
「会社で浴びてきちゃった。」
などと、照れ笑いするというような天使のような彼女もいない。
そんなものは幻想、いや伴奏だ。
うなされつつ、気が付くと病院がグッド。
とてもよい病院になっていた。
(やまもと)
彼は、西に向かって歩いていた。
「君が本当に好きな音楽のジャンルは、ノスタルジック・ロック
だろ」と私は彼に言った。
すぐさま彼は、「君が本当に好きなのは、1996年当時、世間と
かかわるのが億劫だった自分だろ?」と言い返し、東の方角に
消え去っていった。
仕方がないので私は、「サンドバッグを打ち揺らせ」とつぶやいた
うえに、シャドウボクシングしながら家路についた。
(相馬称)
先ごろコタツを片付けた。
コタツがあるとついコタツで寝てしまうというのも、何というか、「ダラダラすることの幸せへの、どうにも絶ちがたい誘惑」と言葉にできそうなものがそこにはあるからだが、さすがにコタツがなければベッドに寝るのであって、そのことでひどく驚かされるのは、ベッドはとてもよく眠れるということだ。
ベッドは、寝起きも比較的いいのではないか。実家でコタツに寝ていたりすると、「ちゃんと布団で寝なさい」と母親に叱られるというのはよく知られた話だが、「コタツ寝」は、そうした言説が示唆するように「寝ていない」側に属する何かなのであり、「起きている」という状態との境界が曖昧にぼかされたままである「コタツ寝」はつまり、その分だけ「パッと起きる」という起き方に不向きだということが言えるのではないかと考えてみたものの、別に、そういう分析がしたかったのではなかったのではないか、どうなのか。熊本か。熊本どこか。肥後か?
(まくらざか)