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オリジナルスタイル 「不在日記」ふうスタイル

12 May 2004 (Wed.)

2004.05.13 12:06

朝起きると風邪はだいぶよくなっていた。
リーディング公演期間中には、私経由でチケットを予約した知り合いが何人か観に来てくれた。ト書き読みとして出演することが決まったのは直前で、みな、それ以前から観に来ることになっていた者たちがほとんどだが、念のため事前に「出ることになった。気が散るかも知れないがどうか物語のほうに専念してくれ」という電話を入れておき、そのさい、下手側の最前列の席はほんとうに私の目の前に座ることになるので避けてくれるよう注意を促したが、促し忘れたのが永澤で、舞台に出てみるとまさにその目の前の席に永澤は座っていた(楽日・9日14時開演の回)。入場し、自分の席に着くまでのあいだに目が合う。こちらが気づくと、「うん」というようにうなずく永澤。なんだ、何を承知されてしまったのか。
舞台がはじまると、むろん永澤の視線は私の左斜め後方に広がる演技空間のほうに熱心に向けられ、目を合わす恐れも少なそうなのでその様子をときおりチラチラと見ていたが、セリフに登場人物の名前が出てくるたび、永澤は当日パンフレットを開き、そこに載っているキャスト表を確認していた。で、「不在の主人公(ハムレット)」である「牟礼秋人」の名前がセリフに登場したさいも永澤はキャスト表にそれを探し、つまり「不在」なので劇中には登場しないのだが、「あれ、ないな」というふうに何度かくり返しパンフレットを開いていた。
で、あとで電話し、感想など聞いたが、結局やらなかったものの「途中までその場で家系図を書こうかと考えていた」という。まあ、おそらく永澤の頭にあるのは、石坂・金田一が旅館で、坂口良子の作る料理などつまみながら事件を整理するために書くアレで、しかし横溝作品においてそうであるほどには(つまり、家系図を見ただけで「そりゃ、殺人も起こるよ」ってほどには)べつに複雑な家系図ではない。
あと、永澤は自分が観た日が楽日だと思っておらず、あと2日ぐらい公演がつづくと勘違いしていたようで、もう一度観ようかと考えていたが「また日を改めて」と計画を立て失敗し、その日の18時開演の回を観ることにしておけばよかったと後悔していた。

2日目・7日(金)の夜には次兄夫婦と母が来た。次兄の嫁・みえしかさんの感想はその日記を参照していただきたいが、そのなかで、

「北関東訛り」に関していえば、あの劇中では「どうだっていい」というのが私の意見でした。「どうだっていい」、つまりそんなものに左右されるもんでもないだろう、っていうか。

 と書いていることのひとつには、今回のリーディング公演での「北関東訛り」がじつはそれほど(とくにイントネーションの面で)リアルではないということがあり、「言葉の面では訛っているが、イントネーションはほとんど訛っていない」(ちなみにおそらく、この逆であれば非常にリアルなのだと思われる)というちぐはぐさに「なんだか居心地の悪い感じがした」とみえしかさんは終演後に語ったのであり、その上での「どうだっていい」なのだが、その一方で、たとえば高森さんがその感想に、

「路地」の創出にはやはり北関東の方言が重要な役割を担っていたのではないかということだ。(中略)舞台上に創作された北川辺町の世界が、あの方言で語られることによってリアルな空間として立ち上がったからではないか。もちろん私自身は北関東の方言に詳しくないので、台詞に含まれる訛りが現実の当地の方言に忠実かどうかはわからないが、舞台上では確かに、観客に「路地」的なものを感じさせるという意味で有効だったように思う。

 と書かれているのを読み、そこにどうしても居心地の悪さを感じてしまうのは、ここで言われている「方言の有効性」というのが(それがリアルではないだけに)、やっぱりそれ、究極的にはただの「オリエンタリズム」なのではないかという懸念を払拭しきれないからで、「(リアルであるかどうかは)どうだっていい」としつつなお、そこで「オリエンタリズム」に回収されない方法はないものかと考えるのだった。

ほか、吉沼夫妻、荒川とその友達、Pさんなどが観に来てくれた。あとで感想を聞くといずれも「楽しめた」「堪能した」「面白かった」という答えで、それはなにより。出演者のひとり(身長190cmの大男である佐藤さん)だけ、そのミネラルウォーターの入ったペットボトルがでかい、という点をみな口を揃えて面白がっていた。
と、書いていたら永澤のページが更新されていた。観劇の模様を書いた日記がアップされている。

夜の献立。焼き鮭、ソーセージとごぼうのにんにく玉葱炒め、鶏肉とにんにくの芽と長ネギの黒胡椒炒め(きのうの残り)、味噌汁(油揚げ、キャベツ)、納豆、らっきょう、トマト。

11 May 2004 (Tue.)

2004.05.12 13:19

すでに書いたように10日(月)は朝10時半ごろ出社。のどもそうだが、とにかく首・肩のあたりの凝りがはげしく頭痛がし、これはリーディング公演でト書きを読むさい(読んでいないときも含めて)ずっと首を下に向けたまま台本に視線を落としていたせいだと思われるが、そういえば、ひとり客席のほうを向いて舞台の一番手前に座っていた私は、一部(どうしても視界の端に入ってくるものや、役者の動作にト書きを同期させるため意図して見るようにした部分)を除いて、左斜め後方に広がる演技空間をほとんど見ていなかった。ちょうど私の左斜め後方すぐに柱があって死角になることもあり、伊勢さんのダンスなど、本番中のそれは一度も見ていない。台本のページをめくるときの紙の音はノイズでありながらも、ほとんど同時に、ややズレつつ、いっせいにめくられるその音は聞く者にとってリーディングの一部であるようにも思え、それもあってページを先取りして次のセリフを確認するようなこともせず、ただ聞こえてくる声のままにテキストを目で追って、ト書きが出てきたら読む、というふうにしていた。
といった話どころではなく、とにかく凝りがはげしく、夕方6時すぎにいったん会社を抜けて近くにある整体院に行き、凝りをとってもらう。ものすごく気持ちがいい。だいぶ楽になり、会社に戻って仕事。しかしやはり疲れは抜けきらずはかどらない感じなので、今日のところはと、いつもより早めの夜10時すぎに会社を出る。
10日夜。かじきまぐろの照り焼き、はすのきんぴら、野菜炒め、野菜スープ、刻んだみょうが、納豆、らっきょう。

で、11日(火)の朝、起きたときにとなりで寝ていたPさんに「ひょっとして熱ある?」と聞かれ、それではじめて計ってみると37度5分ある。ずっとのどの痛みにばかり気をとられ、それで「のどクールスプレー」をシュッシュとやっては満足していたが、たしかに鼻も出、咳もしていて、熱でようやく実感したが風邪だった。
会社近くの病院に寄り、薬をもらい、それで11時ごろ出社。だるい上に、熱を下げる薬が飲むと眠くなることもあって、仕事はまったくはかどらない。夜になってコンビニで「熱さまシート」を買い、それをおでこに貼って仕事。ちょっとどうかと思うほどの気持ちよさで、さてはあまり熱が下がっていない。だるい。「熱さまシート」を買いに外に出たさい本屋に寄り、だるさに支配されたからだのまま、こんなことをしている場合ではなく仕事を片づけなければと思いつつも棚を見て回り、ついレジまで持っていってしまったのが中上健次『岬』(文春文庫)と、稲葉振一郎『経済学という教養』(東洋経済新報社)。ひょっとすると『岬』は家にあったかも知れないが、熱でよく思い出せない。
夜11時ごろ会社を出る。家で食事。基本的に昼間はろくなものを(質、量ともに)食べないということもあるが、食欲はさほど衰えていなかった。風呂には入らず、薬を飲み、「熱さまシート」をおでこに貼って就寝。
11日夜。鶏肉とにんにくの芽と長ネギの黒胡椒炒め、イカリング(お惣菜)とサラダ菜、味噌汁(ニラ、卵)、納豆、らっきょう。

9 May 2004 (Sun.)

2004.05.10 17:20

ご無沙汰です。
これを書いているいまはむろん会社の仕事場で、朝、10時半ごろ出社しメールをチェックすると笠木さんからメールが届いていた。「今家についたので」と書き出され、「おやすみなさい!」と括られるそのメールは朝の9時ごろに送信されていて、それはもうとてもうれしかった。おやすみなさい。
『トーキョー/不在/ハムレット』リーディング公演、楽日。私は演出助手のひとりとして参加していて、つまり更新の途絶えていたこの期間が佳境を迎えた直前の稽古と本番の日々だったわけだが、さらには「ト書き」を読む役として舞台に出演してもいた次第で、当初、私は「ト書き」を読む予定ではなく、また別の演出助手の人が読むことになっていたのだが急遽それが変更になり、私が読むことに決定したのは本番前日の朝だ。
岩崎さんをはじめ役者さん方から何度か、「じつは相馬さんがいちばん大変なんじゃないですか」といったねぎらいの言葉をもらい、気遣っていただいたが、つい「そうなんですよ」と答えそうになるのは(というか答えてたけど)、出演者陣でただひとり座りっぱなしなのが「ト書き」で、座面がプラスティックでできたパイプ椅子ははじめ座り心地がいいのだが、30分もするとお尻が痛くなってきて、さらに最前列のお客さんのほんとうに目と鼻の先にやや客席側を向くかたちで座らなければならず、まあじっさいにはこちらが意識するほど注目されてはいないのだろうが、目立ってはいけないという意識からどうしてもこまかくしか体を動かせない。3日目ぐらいからはお尻の痛みが取れにくくなっており、座りはじめから少し痛い状態になってしまう。なかなか気楽な態度をとれないということに「おしっこ」問題も加わり、舞台上にひとり1本用意されているミネラルウォーターは、結局1回も口にしなかった。
そしてそこから推し量れるのは、お客さんもまた座りっぱなしだということで、こちら側はまだ「読む悦び」のようなものに支えられていて楽だが、2時間半、ただ聞いてくれているお客さんの集中力にはただただ感謝するばかりだ。
終わって打ち上げは夜の10時から。新宿。明日(月曜日)のことがあるので終電で帰ることを考えていたが、結局朝までいた。途中から宮沢さんを中心とする話の輪に加わる。「実験公演」という名称で9月に予定されている公演でどういったことをするのかについてさまざまな案が出され、たとえばそのひとつは「実験をする」というもので、舞台上では白衣を着た者らが延々理科の実験をつづけ、さまざまな気体や液体を発生させたりするなか、客席から「オイッ!」という声(つっこみ)の掛かったところで暗転する。2日目あたりで声が掛かるかもしれないし、思いのほか早く言われてしまうかもしれないが、また、「ちょっと!」といった言葉が掛かれば軽く舞台が暗くなり、「あ、何か正しい言葉を言うと終わるらしい」と気づいたお客さんたちが何を言ったらいいのか考えはじめる。
また、「ヒゲ公演」の案も出、それは女優陣が皆、チョビヒゲ、ドロボウヒゲ、ふつうのヒゲなど、当日のくじ引きで決まったヒゲを付け演じるというもので、それ以外は今回のリーディング公演とまったく同じ内容。「『実験』だなあ」と言っては笑う宮沢さん。また同じような発想で、リーディング公演とまったく同じ内容なのだが、ただ「小道具の携帯電話が微妙にでかい」のはどうか、さらに「劇が進行するにつれ携帯電話がだんだんでかくなる」のはどうかなど、さまざまでたらめなアイデアが出た。いずれも「オイッ!」と言われた時点で暗転するのは共通。
始発で帰り、3時間寝て、会社へ。朝帰りになるという連絡をPさんに入れそこなったままの帰宅で、あるいは怒っているだろうかと心配したが、どうやらだいじょうぶだった。
期間中ケアといえるケアをほとんどしていなかったこともあり、気づけばすっかりのどをやられていて、会社へ向かう途中の薬局で「浅田飴のどクールスプレー」と「龍角散のど飴」を買う。