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31 January 2004

2004.02.04 2:49

世田谷パブリックシアターで、フレデリック・フィスバック演出の『屏風』を観る。2回目。次兄とミエさん(「ミエさん」とか「ミエシカさん」とか書いているのは次兄の奥さんのことである)、それにPさんの4人で観た。
前回よりも舞台に近い席で、字幕(舞台の両脇にタテの電光掲示板がある)を見るにはかえって首をひねる角度が増してつらいが、同時にまっすぐ舞台を見ているぶんにはそれが視野から外れやすいので一方では字幕に気をとられないということも言え、やはり2回観たのは正解だったというか、1回目よりもだいぶ無邪気に観ることができた。見入り、見とれ、笑った。
やはり人形には独特の「軽み」と言えばいいか「無邪気さ」のようなものがあり、たとえば〈第二画〉と呼ばれる場面、売春宿の遊女ワルダが化粧をし、衣装(それは吉原の太夫ふうである)をまとってだんだんと身支度をととのえていくところで、最後にかんざしの刺さったまさしく遊女ふうの大仰なかつら(しかし人形用なので小さい)が宙空からゆっくりとワルダの頭までおろされるのは、それ、つまりまあ「遊び」だが、ゆっくりとおろされる小さなかつらにこちらの目はどうしても凝縮し、それがぴたっと頭におさまると同時にひどく劇的に鳴る三味線はなぜだか知らずひどく劇的で、その劇的さにただ感動しつつも、同時に(あるいはやや後れて)、なぜこれにこんなに目を凝らさなければならないのかというツッコミが自身に対しておこり、そのとたんふっと口元がゆるむ。肩の力が抜けて、すっと目の前に舞台が広がる。
巨大な手袋は笑った。「ついついでかく作ってしまった」というような「楽しさ」が人形の「軽み」とひとつづきにそこにあった。なぜ、でかいのか。
むろん、生身の役者たちはとても達者だ。達者にそのなかを生きている。
はじめ黒装束で、顔を隠し、完全に黒子として人形を操っていた結城座の面々がいつしか顔の覆いを外し、表情を見せていったことに予兆されたとおり、劇中の語り部はやがて語るのをやめ、人形遣いはついに人形を操るのをやめてそれでもなお進行する舞台をただ傍観するが、そこにひとり残された主人公「サイード」は、しかし彼こそは一番最初に、かぶっていたアフロのかつらをおもむろにぬいでしまったはずの者であったし、だからこそ、そのサイードがふたたびかつらをかぶって登場する〈第十三画〉、「夜間学校のサイード」のでたらめぶりは楽しい。
終演後、「後半ね、全然わからなかった!」と楽しげに言うミエさんに象徴されるとおり、まったくこれは面白かった。
演出のフィスバックを交えてのアフタートークがあり、それも聞いたが、フィスバックの発言を聞けば、驚くほどに宮沢章夫さん(休憩の折りにお見かけしたが、ちょうど私たちのやや後方の席だったようだ)の抱える問題意識と通底することをこの人は考えているのだと思え、たとえばフィスバックがジュネの劇言語を評して言う「詩人の言葉」は、宮沢さんの言う「強度な言葉」あるいは「過剰さ」と同じものを指しているだろう。あるいはまた、役者の「からだ」に規定される演劇という装置の特殊性とそれゆえの可能性、観客に意味を強制したくはないのだとする姿勢、わけても(私にとって)刺激的だったのは、そのようにしてひとりひとりが「ちがう劇」を観ているのだとも言える相互に隔たった観客たちが、しかし隔たったまま、「劇場」という空間においては隣り合わせ、ひとつのまとまりとしてあるという、そのことこそが「コミュニティ」というものにほかならないのだとするフィスバックの思想である。これは、ひどく刺激的だ。

30 January 2004

2004.02.03 1:33

ミエシカさんが掲示板に報告したように[記事番号:63]、この日荒川のページが突然つながらなくなった。だからなんだという気がしないでもないものの、しかし見れないとなると見たくなるものだ。
荒川といえば、「iCab」(日本語版はこちら)という、いまはもう流行らなくなってしまった Mac 用のブラウザを使いネットサーフィンすることで有名だが、いまもまだ iCab で見ているのだろうか。久しく iCab を起動しておらず、知らないが、このページなどおそらく表示がひどいことになっているのではないかと心配だ。荒川は5色の iMac が出たときにそのブルーベリーのやつを買った男だが、去年、そのハードディスクが壊れたという。データがすべて飛んだ。永澤は、すっかり変わってしまったいまどきの iMac ってやつを買ったらどうだと誘惑したらしいが、結局ハードディスクを交換するにとどめた男、それが荒川である。ちなみに、荒川はこんな顔をしている。その荒川によれば、田村に彼女ができたらしい。
いや、『屏風』を観た感動について書いた直後に、ほんとうにそんなことはどうだっていいような気がするのはしかたがないが、しかし、とはいえ田村に彼女ができたのもまた事実だ。事実だといいと思う。

例の、永澤のページが更新されていた。その一部、

きききりん
>39年に俳優の岸田森と結婚。43年に離婚し ...
へえ.

 は、それ、「きききりん(樹木希林)」という説明のための記号と、どこやらの記事らしい引用をのぞけば、中身はただ「へえ.」なのであり、「へえ.」ってことはないじゃないかと思うものの、しかし書かれてあることにはたしかに私も「へえ」と言うしかなく、それ知らなかったが、折しも「怪奇大作戦」DVDシリーズが刊行中であることもあり、てっきり、「怪奇大作戦」好きの永澤のことだから「岸田森」の方面からネットサーフィンなどし、ふとその事実に辿り着いたんだろうと想像していたが、これを書いているいまになり、笠木泉さんの日記で知ったが、

キキキリンさんが左眼を失明したというニュース。
インタビュアー・「娘さんには何といわれましたか?」
キキキリン・「ああ、頭を少し休めたら?と言われました」
何故かこのやりとりが頭から離れない。

 と笠木さんが書くこのニュースの、永澤なりの取り上げ方が上記の「メモ」ということになるのか。

29 January 2004

2004.02.02 19:05

昨日(28日)、来月のテキスト・リーディング・ワークショップ(私は不参加)は日本の60年代の戯曲を読みたい、という話があり、そこで固有名が挙がっていた福田善之『真田風雲録』と、宮本研『美しきものの伝説』をネット上の古本屋でさがす。両者ともに絶版になっているものだ。
『真田風雲録』はわりとなんなく、EasySeek 経由で角川文庫版のそれを注文。『美しきものの伝説』のほうはちょっと挫折しかかったものの、「明治の柩」「美しきものの伝説」「阿Q外傳」「聖グレゴリーの殉教」の4作を収めた『革命伝説四部作』(河出書房新社)というやつを、沖縄に店舗をかまえるらしい「暁書房」という古本屋のサイト内に見つけ注文した。
と、いま、「暁書房」のトップページにリンクを張ったが、このトップページからたとえば件の『革命伝説四部作』が含まれる目録ページに移動するのはきわめてむずかしいということに、あらためてトップページからそこに辿り着こうとしてみて気がついた。注文時には Google の検索結果画面から直接目録ページに飛んだために気がつかなかったが、その『革命伝説四部作』を含んだ「河出書房新社」というカテゴリのページに移動するには、なんと、まずトップページで「コミック」というリンクをクリックしなければならないのだった。そして、その「コミック」部門のトップページにはおもむろに、次のように書かれている。

絶版コミックなどなどを扱っています
だいぶ、マンガ以外の本が増えました。

 「増えました」じゃないだろうと言いたい。
それから、新宿パークタワーホールで2月にある、ニブロールの公演のチケットをとる。これは@ぴあで。公演があること自体を知らなかったのだったが、テキスト・リーディング・ワークショップでご一緒だった稲毛さんという方から昨夜、自身が出演されるという公演のチラシをいただいたところ、それがニブロールだった。ニブロールじゃな、ちょっと、行こうじゃないか。

と、そうしたことをしていたところ、これもテキスト・リーディング・ワークショップで席を並べていた渡邉さんからメールがある。24日付けの日記に書いた、世田谷パブリックシアターで土曜の戯曲講座の受付をやっていた女性というのが渡邉さんで、「パブリックシアター関係の人だったか」と適当なことを書いたが聞いてみるとべつにそういうわけでもなく、土曜の受付は手伝いのバイト的なものらしいが、そうした手伝いの声がかかる程度にはパブリックシアターと縁があるようで、メールも、今夜の『屏風』の招待券が1枚余っているがどうだろうか、というものだった。
世田谷パブリックシアターで上演されるフレデリック・フィスバック演出の『屏風』は、結城座が出るということで、宮沢さんのワークショップでその『屏風』を扱うことになるとも知らぬ去年のうちに1月31日分のチケットをとってあったものだが、日本語字幕付きのフランス語上演だということもあり、しかも結城座の人形にも目を奪われないといけないとなると1回ですべてを見ようというのは無理で、ワークショップを通じて前もって戯曲を読めたというのはかなりのアドバンテージであるものの、しかし戯曲そのものが容易な理解を拒む種類の言葉で書かれているから、読んだとはいえまるで理解できていないと言っても過言ではなく、で、とても急なメールだったのだが、誘いにのることにしたのはひょっとしてものすごく面白いのではないかと踏んだのだった。
開演10分前に会場に着き、渡邉さんと、渡邉さんの舞台関係の知り合いだという建築家の方と3人で観る。
15分の途中休憩を含めて上演時間が4時間という長丁場なのだが、ワークショップで計7時間ほどかけてオリジナル戯曲を読んだ者としてはさもありなんという長さであり、実際、かなり戯曲に忠実に舞台が進行していく印象を受ける。「いっそ、字幕は見ない」という方針も考えはしたものの、やはりどうしても字幕には目がいき、あちこち視線を這わせるのが疲れて、前半途中とうとう眠気が来たかという状態になったものの、「あ、これ、眠いんじゃなくてたんに目が疲れてるだけか」と気づいた途端、やおら意識がはっきりしたのだった。目を閉じるのではなく、前方の客席の暗がりをしばらく見ていると目の疲れがすっと抜けることに気づく。しばらくして字幕を見る行為にも慣れが生じてくると、これはもう「ひょっとしてものすごく面白いのではないか」というただ中に私はいたのだった。たとえば操っていた人形をそこに置き、舞台からはけるためにそろそろと歩く結城座の人の、そのゆっくりとした動作を見るという、それだけのことにさえ気持ちよさがあった。
終演後、渡邉さんらと3人でラーメンを食べながら話す。『屏風』のこと、演劇のことなど。

28 January 2004

2004.02.02 0:50

今日は「テキスト・リーディング・ワークショップ」の日で、1月コースの最終日、4回目。応募が殺到したらしく、ひとり2ヶ月しか受けられないことになっていて、最初の10月コースも受けた私は今日が最後だ。
「外国の、どちらかというとあまり読まれない戯曲を読む」というのが今月の主旨だが、ソポクレスの『オイディプス王』、ジャン・ジュネの『屏風』(読むのに7時間ほどかかり2回にわたった)ときて、今夜はアルフレッド・ジャリの『ユビュ王』を読む。
そういえば結城座が以前、谷中の、元銭湯だったところを改装した劇場でこの『ユビュ王』を上演したことがあり、残念ながら私は観ていないのだが、ものすごくよかったらしい。戯曲を読めばわかるとおり主人公の「ユビュ親父」は「ばか」なのだが、観に行った上山君やミエシカさんらによれば、結城座はそれを「江戸っ子」として造形していたという。
2週にわたった『屏風』とは対照的に、『ユビュ王』は1時間半ほどで読み終えた。そのあと宮沢さんが30分ちかくしゃべったが、その内容が一見『ユビュ王』からはなれた、「笑い」をめぐるものだったのはひどく印象的で、「結局、それは面白いのかというそのことについて、きびしく眼差さなければならない」とするその発言にはただただ肯くしかないが、とにかく、そこに思いがけず「笑い」を問題化する宮沢さんが出現したことに私は興奮していた。
終わって打ち上げ。宮沢さんは早くも「東京の地下」について話したい様子で、説明するための地図がないことを残念がりつつも実際話していたが、会話のなかで、「地下」から派生して「富士日記」で扱われていた「つくば」について私が何度か矛先を向け、何度目かに「(地下問題にとって)『つくば万博』はどうなんでしょうね?」とどうでもいいことを述べると、宮沢さんは言うのだった。

「ごめん、つくば、そんなに興味ないんだ」

 あはははは。そうだったのか。
ほか、カラーコピー機の話、「こないだフグを食ったんだけど、うまかった」という話、飼っていた猫の話、などなど。

27 January 2004

2004.01.30 19:11

ひょんなことから携帯電話を買い換えたのは何もいまさら書くような話題でもない去年の暮れのことで、買ったのは、例の「INFOBAR」というやつだ。3タイプのカラーがあるうちの「ICHIMATSU(市松)」を選んだが、かかりつけの獣医さんなど行く先々で、「あ、ソレ買ったんですか、かっこいいやつ」みたいなことを言われるのはたいへん面映ゆい。何というか「そんな、言うほどかっこよくもないですよ」とでも言い訳したい感覚を覚えるのだし、この「かっこよさ」がどこかまだ「ほかに比べたら、そりゃ、コレだけど」という領域内での話を超えていないと思えるのは、たとえばこの INFOBAR を生み出した au の「au design project」でいえば、この「apollo 02」(製品化はされてません)というやつのほうがおそらく私の好みだ。
でですね、書こうと思っていたのはそんなことではなかったのだった。
どこに話を持っていきたかったかといえば INFOBAR にはカメラが付いているということで、だから何だって話ですけど、この、リニューアル後に1日1個載せている写真はつまり、携帯で撮った写真でも大丈夫なように画像サイズを携帯でとった場合のそれ(INFOBAR の画面サイズ)に合わせてあるという話だ。ほんとうに、だから何だって話ですが。
で、ただ、やはりちょっときたないんですね、携帯で撮ると。あと、撮り方がまずいのか発色がよくなく、どれも似たような色味になってしまうのがあれで、だからふつうのデジカメで撮ったものも使っている次第。24日や25日のものなどきれいなものはデジカメである。

26日付けの宮沢さんの「富士日記」のなかで、『諸橋大漢和辞典』のことが言及されていた。と、そのことに食いついてみせたところでこれまた、だからどうしたというほどのことでもないのだったが、世間一般の方よりかは、私が『諸橋大漢和』に馴染みがあるだろうというのは実家にその全巻セットがあったからだ。
あと、『ブリタニカ国際大百科事典』も揃っていた。ここに『OED (Oxford English Dictionary) 』が加わればもう敵なしだが、それはそれとして、『諸橋大漢和』と『ブリタニカ』が手元にある環境をかつて私たち兄弟はこう呼んだものだった。

「インターネットいらず」

 どうでもいいことである。

『諸橋大漢和』で、子供心にわくわくさせられたのはとにかく「画数の多い漢字」だ。さすがにいま手元に『諸橋大漢和』がないので確認できず、このへんすごくあやふやな記憶で書くからきっと嘘を書いてしまうと思うが、たとえば「木」が三つで「森」が作られるのと同じ調子で、「馬」が三つ組み合わさった字があり、たしか、その字の意味は「馬が多くいるさま」ではなかったか。あと「龍」が三つとか、さらには四つ組み合わさったものもあったはずだ。
また、その読みごたえという点で忘れてはならないのが、編纂者・諸橋轍次博士の書くその「序」だ。大修館書店のサイト内にその全文があるので是非読んでもらいたいと思うが、これは泣く。初版第1巻刊行時に博士がそれまでの歩みを振り返ったもので、そこに述べられるのはなにしろ波瀾万丈、壮大な物語だ。ほんの一例でしかないが、たとえば「編纂・刊行小史」にある、

昭和8年(1933):本辞典の組版のため、東京市神田区錦町3丁目24番地に大修館書店付属特設組版工場(120坪)を新設。

 というのがそもそもすごいじゃないか。

26 January 2004

2004.01.28 18:11

「個人ホームページ」という現象を愛する私としてはむろんそれを面白いと感じているものの、それに言及し、他者を意識しつつその内容を紹介するのが厄介なものとして永澤のホームページは存在する。
上のリンクにも加えてあるので、あるいは未知の方のなかにもクリックしてみた方があるかもしれないが、それはたまさか訪れてみた者を戸惑わせるにちがいないタイプのページで、ひとことで言えば「ひどく不親切なページ」である。かぎりなく無欲なHTMLで記述されたそのドキュメントはトップページのみが存在し、ほかに何のコンテンツがあるわけでもない。HTMLのタイトルには「Scribbling block」とあって、つまり「雑記帳」と名付けられたそこに書かれるのは個人ホームページのコンテンツにありがちなメモ書きふうのテキストだが、それはえてしてひどく私的な言語で書かれ、いったい何を言っているのか、友人知人たちでさえわからないことがしばしばだ。更新がひどく不定期だし、ときには予告もなく「Not Found」の状態がつづくこともあってそれも厄介だが、それよりも何よりも厄介なのはその更新スタイルで、永澤はたとえば「新しいメモ書きだけが書かれたトップページを1枚そっくり上書き」するのだった。「バックナンバー」というか、「アーカイブ」というか、そうした考えが永澤にはない。更新されたが最後、過去のメモ書きたちはもう見れないのであって、おそらくは永澤のローカルのマシンにさえ、その過去のHTMLたちのバックアップファイルは存在しないと考えるのが妥当だろう。
むろん、こうして知った顔で説明する私でさえも見逃している更新があったはずだというのは、なにしろ、かなり長いこと「Not Found」だった時期があったからで、そうなればこっちだって日々チェックする行為を怠るのは当然だし、いつしか私はそのURLをチェックしないようになっていたのであって、そんな折り、また別の知人のひとりがある席でこう言うのを聞いたのは去年の暮れだった。

「永澤君のページ、更新されてるね」

 って、いつのまにか私が劇的に語り出しているのはいったいなぜなのか、よくわからないし、べつに見逃したからといって口惜しがるほどのことがメモとして書かれるわけではないことは未知の読者のためにはっきり付け加えておかなければならないが、とにかくそのようにして、永澤のページは存在する。

そうした調子で、これもまたいつのまに更新されていたものかわからないが、何日かぶりに行ってみると永澤のページが更新されていた。前述のように「あとに残らない」素性のものであるから、いっそここに全文引用させてもらってしまえばそれは次のとおりである。(わかりづらいので色を変えさせてもらったが、灰色の部分は引用文、黒がそれに対する永澤の記述である。)

>まずは思考停止の状態を作り出す第一歩として
「ボールのみに集中する」訓練から始まって(これがかなり長い)
(この段階ではみんな犬猫のようにボールを追っかける。試合中でも。)
「ボールを忘却する」訓練を経て、
(前段階でボール以外のものは空ぜられたので、ここでボールをも空じることで
何にも集中しないと同時にすべてに集中することを可能にします。)
ついには「誰も試合場に来ない」状態を目指しているのではないでしょうか。

「ボールに集中する」段階から「ボールを忘却する」段階に行くまでには,もう一段階として,「ボールにさわらないでシュートを決める」という課程が必要だと思う.

>「Murray氏によると、発売直前、Macintoshを満載したトラックが警察に停車させられたことがあるそうだ。発売前だったので、「積荷はコンピュータです」としか答えられない。だが、荷台を一瞥した警察官が一言、「IBMをやっつけてやれ!!」と言って送り出してくれたという。」

Macには,こんなwitに富んだ「逸話」がよく似合う.
吉沼君や上山君がこの警官だった場合,どんな言の葉が飛び出すのだろう.

前段の引用は、中沢新一の「カイエソバージュ」シリーズにご執心らしいミエシカさん上山君のところの掲示板に書き込んだ文章の一部で、そこでは、上山君が日記のなかで「思考停止」状態だとして批判したジーコ・ジャパンのサッカーについて、中沢先生の使う〈思考停止〉の概念をあてはめてみせることによってその価値を転倒するという、まあ冗談なわけですけど、それに対してここで永澤がきっぱりと書く「『ボールにさわらないでシュートを決める』という課程が必要だと思う」というのがよくわからず、急に何事を断言しだすのだこの人はと思っていたが、これアレだ、典拠は例の(永澤の大好きな)中島敦の『名人伝』だとようやくわかった。
『名人伝』では、修行を結果すでに弓の超絶技巧を身につけた主人公が、さらにある老名人に出会い修行を積むことで、最終的に「弓を射らない」という境地に達するわけだが、その途中、老名人が主人公に対してやってみせた技というのが、次のように描写されるのだった。

見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。

 で、だからまあ、まとめれば、

弓矢を使った一般的な超絶技巧=ボールに集中する

弓も矢も使わず射る=ボールにさわらないでシュートを決める

射らない=ボールを忘却する

 永澤の言いたかったのはこういうことなのではないか、って何を解説してるんでしょうか私は。

いや、このへんでもう終わりにしておこうと思うのは、はじめに自分がいったい何を書こうとしていたのか、そろそろそれを見失いかけているところだからだが、たぶん、書こうとしていたことにひとつは、「それ、レスなんだから上山君のところの掲示板に書いたらどうなんだ」ということではなかっただろうか。

25 January 2004

2004.01.27 22:28

ほんとうはもうどうでもよくなっているのだが、問題は『本陣殺人事件』(以下、『本陣』)だ。西荻の古本屋を数軒、道すがらに回ってみたが『本陣』はなかった。『本陣』こそなかったものの、しかしながら驚くべきは、以前の角川文庫版・横溝正史シリーズの、その背表紙の探しやすさである。すぐ見つかる。なぜだが知らないが、例の「黒に緑色」は向こうから目に飛び込んできて、ものすごく探しやすいのであり、これはいったい何事かと思うほどだ。そういえば引っ越す以前、西荻のある古本屋には角川文庫版・横溝正史の全巻セット(40巻ぐらいある)が6万円ぐらいで売られていたが、そのセットが店に見当たらなかった。売れたのだろうか。
話は変わるが未知の方からメールがあり、それはなんと「多者の交換日記」への投稿なのだった。投稿時の「通信欄」にその人は次のように書いてくれている。

はじめまして。都内の大学生です。突然で失礼かと思いますが、このコーナー、一番面白いと思います。色々と事情があることとは思いますが、できれば過去のネタから助け出してあげてください。

 うん。そうなのだ。「一番面白い」のではないかというのは、じつのところ私もそうなのではないかとにらんでいたところである。「Red」のコンテンツのひとつだが、2002年の7月以来更新されておらず、現在は「過去のネタ」というカテゴリに分けられてトップページから2クリックぐらいのところにあるこのネタは、だから知らない人も多いことと思うが、説明すれば「署名を交換する〈交換日記〉」であり、別の言葉で言えば、「誰か、私の日記を書いてみないか?」という主旨のコーナーなのだった(コーナーの開設時に書いた説明文はこちら)。
これはさっそく〈交換〉し、「多者の交換日記」を更新しなければならない。という思いはやまやまなのですが、なかなか手が付けられず、こうして「Yellow」など書いていて申し訳ない。「色々と事情があることとは思いますが」とこの方は書いてくれているが、その「事情」のひとつに、来た投稿(=日記)に対してなかなか私が素早くリアクションできなかったことがあったのは事実だ。間があいてしまう。メールボックスにたまっていく「私の日記」たち。って、それほど多くの投稿があったわけではないし、後半は何人かの常連さんがくり返しポツポツと書いてくれる程度だったが、私の側の作業が遅れがちになるうちにその常連さんたちの足も遠のいてしまったかたちだ。
で、今回のこの日記はぜひとも〈交換〉したい。するね、私は。

この日曜は吉祥寺へ出た。パルコブックセンターに寄り、買うつもりのなかったものなどちょっとどかどかと買ってしまったが、そのひとつが「季刊 d/SIGN デザイン」(no.6)という雑誌だ。表紙には「事態とメディア、生命の現在を透析するグラフィックデザイン批評誌」と説明があり、丹生谷貴志・大澤真幸・祖父江慎といった執筆陣に惹かれるものがあったわけだが、いったい私はこれを読んで何をしようと言うのでしょうか。責任編集のひとりが鈴木一誌という人だが、そういえばこの人の『画面の誕生』(みすず書房)という本を買ってもっていたはずだと急に思い出したのであり、いま思い出したくらいだからまだ全然読んでいないわけで、そう言い出しておいてなんだがひょっとしたら買ってなかったかもしれないとなれば、もうとめどもなく記憶はあやふやだ。まあ、とにかく読もうと思うのだった。

24 January 2004

2004.01.27 16:48

前回書いた Mac IE での表示不具合の件は、試行錯誤するうちになんとかバグの発生を回避することができたようだ。直っているのではないかと思います。
いま、私の本棚にある横溝正史をPさんが読んでいて、しかし気がつけば『本陣殺人事件』がないのだった。『犬神家の一族』や『獄門島』などの主だった作品は高校のときに読み、だからそのときに買って実家にあるものと、また読むために東京でも買い重複して持っているもの、東京で新たに読んだものでこっちにしかないものの3種類があるが、となると『本陣殺人事件』は高校のときに読んだきり読んでいなかったのだったか。むろん『本陣殺人事件』は代表作のひとつだから本屋に行けばこれもまたすぐに手元に揃えられるが、それをしたくないのは、いまちょっと角川文庫の装幀が駄目なことになっているからで、黒に緑色の文字という例の背表紙でないことが残念だと言えば単なるノスタルジーめいてあれだが、それだけではなく、中の文字組みというか活字というか、具体的に言葉にするのはむずかしいが、なんだかとても駄目だ。以前のもののほうがずっといい。

午後2時から、世田谷のパブリックシアターで戯曲セミナーの特別講義。久しくこの土曜の特別講義に顔を出すのを怠っていた私だが、今日はなんとしても行かなければならないというのは講師が宮沢章夫さんだからだ。
受付で「あ、」となったのは受付をしている女性のひとりがテキスト・リーディング・ワークショップの1月コースでいっしょの人だったからで、おそらくは役者をやっているのだろうかという読み方をワークショップではする人だが、パブリックシアター関係の人だったか。中に入るとヨミヒトシラズの高森さんもいる。あと、トーキョー・ボディに出ていた笠木泉さんや、「大きな文字のウクレレニュース」でおなじみの永井さんも。
はじまってまもなく、「うまく書くには」といった生産主義的な「劇作法」への異和をいきなり表明してみせた宮沢さんは、その対極にあるものとしてのジュネやハイナー・ミュラーの名を挙げ、ここらへんはテキスト・リーディング・ワークショップでの読みをとおした問題意識と重なるわけですけど、つまり「過剰」という、最近宮沢さんがしばしば口にするキーワードをここでもまた提示する。で、前半は「聖にして狂なるもの」としての「地図」の話。そこから「トポス〈場所〉」という言葉をつたって「〈路地〉はどこにでもある」のだとする中上健次の発言、その発言への見事な応答としてある阿部和重の『シンセミア』を紹介し、そうなればもう「最近おすすめの本つながり」ということでしかないのでないかとばかりにつづけて紙袋から取り出したのはスガ秀実『革命的なあまりに革命的な』であり、そして中沢新一『人類最古の哲学―カイエ・ソバージュ〈1〉』だとすればすごくでたらめだが、言うまでもなく今日のこの講義自体が、「結構ということで言えば非常によくない」「過剰さ」をまとったものとしてすでに立ち現れていることにこそ事の重要性はあり、となればそろそろか、そろそろ出てくるのかと思っているといよいよ取り出したのは秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』だ。宮沢さんは言う。

「後半はこの本を使って、『東京の地下』について1時間、お話をしたいと思います」

 後半はほんとうに1時間、「東京の地下」についての話だった。東京の地下(おもに地下鉄)にまつわる「謎」について、嬉々として話をする宮沢さん。備え付けのプロジェクタ装置を使い、本にある図版を写して説明するが、やがて写したいところを拡大できることに気づいて、言うのだった。

「あ、こうするとわかりやすいな」

 なかば「〈フレーム〉におさめることの不可能な〈子供〉」と化した宮沢さんの講義は当然のように時間枠にもおさまることなく、地下について1時間しゃべったところで予定の4時になったが、そこからあらかじめ紙に書かせてあった質問をもとにした質疑応答の時間になり、4時半近くに終了。私は「構造」にまつわる質問を出したが、「構造」については稿をあらためてまた今度。講義後、ロビーの喫煙所で宮沢さんといっしょにタバコを吸っているとまた「地下」の話になり、コント講座の他のふたりとともに30分ほど「東京の地下」に思いを馳せたのだった。

23 January 2004

2004.01.23 17:38/ 01.25 04:44

こんなことになってしまった。こんなことをしている場合では決してないというのに、ついついまたコツコツと作ってしまって恥ずかしいかぎりだが、見ればわかるようにデザインを変えたのだった。正直に言いたいと思うが、私はもう「ブラウザチェック」というやつに飽きている。ほんとうに申し訳ないことだけれども、「Mac IEのことなんか知ったことか」と言いたいのだった。いま、現状でこのページを Mac IE 5(OS 9、Xともに)で見ると、ちょっと致命的な箇所でこちらの意図とはちがう表示になってしまっているのであり、つまりこんなふうに表示されているはずだが、ほんとうに意図しているのはこういった表示である。スタイルシートで回り込みを指定しているわけですが、これがなあ、なんでこうなるかなあ。
で、ついつい「Mac IEのことなんか知ったことか」という気分になるのはつまるところ自分がほとんど Mac IE を利用しないからで、あらためてそう言葉にしてみると、それ、ものすごく駄目な部類の理由だと気づくし、駄目だなあとは思うものの、とりあえずこのまま見切り発車させていただくことにするのはほんとうに Mac IE のことなどどうでもいいからだ。
まあ、OS X ユーザーには Safari という選択肢があり、実際もう OS X 環境においては「無自覚にIEを使う層」というのは「無自覚に Safari を使う層」へとかなり移行が進んでいるのではないかと予想されるが、問題は OS 9 ユーザーであり、そこではまだ Mac IE は厄介なことに現役にちがいない。提案なんですけど、ここはひとつ Mozillla を使ってみるというのはどうですかね。いいと思いますが。
Mozilla でも、すでに最新のものは OS X 版しか作られないようになっているが、OS 9 版のある最後のバージョン(1.2.1)はここでダウンロードできる(OS 8.5 か 8.6 なら、この 1.0.2)。標準で付いてくるボタンデザインはもっさりとしていいものではないが、そこはこの「Lo-Fi for Moz」でカスタマイズしてもらえれば幸いだ。「タブブラウジング」の便利さなど、馴れてしまうとちょっと IE には戻れなくなるのではないかと想像するがどうだろうか。
Win では、基本的に IE6 でしかチェックしていない。IE5 などではかなり駄目なことになっているのではないか。まあ、何かあったら言ってください。