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オリジナルスタイル 「不在日記」ふうスタイル

11.30(土)

2002.12.2 16:12

寝る一日。
とだけ書けば、土日の場合、ほかに細かに報告する必要もなくなって楽だということと同時に、非常に「日記らしさ」を獲得することもできるのは、一般に人は日記をそんな根をつめて書いたりしないということで、やはりちょっと、書きすぎているのではないかの念が頭をもたげないでもないが、再度言うようにこれは「練習」であり、日々これ練習なわけだが、といって、こうした日々の行いを指して日記に、

練習する一日。

 とだけ書けば、これは矛盾だ。そこでこれを「相馬のパラドクス」と呼ぶことにするが、かの「クレタ島人のパラドクス」が「ポッタニコスのパラドクス」とは呼ばれないように、ここはやはり「茨城県人のパラドクス」と呼ぶべきなのかも知れず、あるいは「嘘つきのパラドクス」という命名法にしたがうならば、ひとつ「恥ずかしがり屋のパラドクス」と呼んでいただきたいところだが、ところでみなさんはあのクレタ島人の名前が「ポッタニコス」だったと知っていただろうか。私もいま、書いていてはじめて知った。

いや、馬鹿なことを書いた。申し訳ない。
しかしまあ、寝る一日。というか、横になる一日で、横になったまま寝たり起きたりしていた。これまでだったらおそらく「寝る一日」なのだが、ピーのほうがなかなかおねむになってくれず、ずっとはしゃいでいて、はしゃぐのはいいが、横になっている私の手やら足やら、油断していると顔までも噛むのだった。顔はとても痛い。

11.29(金)

2002.12.1 14:56

いまちょっと耳かきを探しているのだが、ピーがどこかに持っていってしまったらしく見当たらない。元々が出来合いのおもちゃに馴れていないというか、例えばよくあるネズミのかたちをしたおもちゃよりも、私が鼻をかんでまるめたティッシュなどのほうにより興味を惹かれているのだが、耳かきはその頭に付いているフワフワした毛の部分にたいへん興奮する様子で、ちょっと注意をそらしておきたいときなどに投げ与えていたらどっかにいってしまったわけで、それ、俺がなくしたようなものか。
それとやはり、猫がいるとキーボードが打ちづらいのだった。じゃまである。そして、可愛い。

上山君におかれましてはいつのまにか、別サイト(というか、友人のサーバスペースに間借りした仮住まいだけど)をスタートさせており、括弧書きしたような状況だからあんまり更新もままならないんだろうけれど、日記をアップしていく予定らしい。楽しみである。
というか、上山君の今回の〈日記欲〉みたいなものにどの程度この「Superman Yellow」が関係しているのか知らないが、もし多少なりとも影響を与えているというのであればそれは逆であり、上山君や吉沼君、あるいは永澤の書く日記にこそ私は嫉妬し、面白いなと思うのであって、ああ書いてみたいというのが積年の思いなのだったがそれが無理なのは見てのとおりだ。あと、付け足すように書いて申し訳ないが、荒川の書くやつもである。あたりまえじゃないか。

金子修介監督の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総進撃』をレンタルで見る。いや、そんなものを借りて見ている自分にこそ「『百年の孤独』のほうが面白いと思うよ」と言ってやりたいわけだが、まあうちにはピー(男の子)がいるわけで、銀河高原ビールなど飲みながら子供といっしょに見る気分というか、「ほら、モスラだよー、ピー」とか言いながら見ていたと言えばつまり「やっぱり駄目だった」ということだが、つい借りてしまった。
むろん善戦していると言えば言えるし、「ちゃんとしようとする意志」みたいなものは感じるわけで、話自体も、オープニングから暴れてて全編戦っているというような近年の作品から比べればずいぶん地味なものだが、そうはいっても脚本と特撮が駄目となればそりゃ駄目で、「平成ガメラ」でやったことをそのまま「ゴジラ」にもってきてそこに第1作の話をからめてみましたという印象が残るあたり、あれやこれや中途半端というか、要は面白くない。
で、ゴジラの場合、やはりどうしても昭和29年の第1作は無視できないというか、「ちゃんとしようとする」場合は余計にみな第1作と話をつなげようとしがちで、今作も、第1作のあのゴジラだけを「歴史上あったこと」にしているわけだが、しかし、第1作の東京を焼くあのゴジラが「戦争の記憶」以外のなにものでもないのだとすれば(例えばゴジラは、東京を焦土と化しつつ巧妙に「皇居」を回避して海へと帰る)、いまやってくるべきゴジラは「あのゴジラ」ではなく、よりリアルな「いまの何か」でなければならないのではないか。というか、そこのところを押し進めれば「第1作もないことにする」という手もあるのではないかとさえ思え、しかし「それだったらゴジラじゃなくていい」ことになるのだとすれば、それは結局第1作がワン・アンド・オンリーなのだということか。
いっそ「第1作だけないことにする」というのはどうでしょうか。

11.28(木)

2002.11.29 19:48

トーキョー・ボディ」のチケットが届く。去年「月の教室」を見に行った宮沢章夫さんが「遊園地再生事業団」として活動を再開する舞台で、来年1月末からの本公演と、それに先立つ12月のリーディング公演とがあり、両方をセットで買った。
今福龍太が編集をつとめて話題の『山口昌男著作集』を読もうかという気分になり、とりあえず Amazon へ行く。Amazon で本を検索すると、「この本を買った人はこんな本も買っています」として、過去にその本を買ったユーザーらの購買動向から自動的に抽出された(んだろう)本たちがリストアップされ紹介されるが、『山口昌男著作集』のそれには『文化人類学最新術語100』、『異常者たち ミシェル・フーコー講義集成』などと並んで『ハリー・ポッターと炎のゴブレット 上下巻2冊セット』があって驚かされる。「そうだったのか」としか言いようがないが、これは両者の読者層が実際に重なっているということなのか、それとも、何の本を検索しようがたいがい出てくるほど『ハリーポッター』が売れているということなのか、どっちだった場合により驚くべきなのかさえよくわからないが、やはり『ハリーポッター』はたいへんなことになっているらしく、この現象を前にしては『百年の孤独』のほうが面白いと思うよなどという言葉は無意味なのだろう。ってそもそも比較の仕方がおかしいけど。

と、28日の出来事を書いていくはずなのがこの欄で、タイトルの日付がそうなのだから当たり前だけど、となりで永澤がはしゃいでいる[記事番号:3]のに言及しないでもいられない。永澤、すごい乗っている。というか誰なんだかわからなくなっている。
永澤に「おれっち」と言わせ、音符を多用させ、あまつさえ「たまんないっす!」と叫ばせる「ホワイトマウス」とはいったい何なのか、是非ひと目見てみたいものだが、だからそれマウスで、だから俺持ってるんだけど、そうかそんなにいいのかそれ。
で、口ぶりからすると永澤、知らぬ間に X(テン)がメインOSになっているようなふうだがそうなのか。そんなことは当たり前で、ひょっとしてジャガーだったりするのか。「テン」、「ジャガー」とカタカナで並記することに困難が伴うのは、途端に動物の話っぽくなるからで、マックユーザー以外に説明しておけば「テン」はむろん「貂」ではなく、「OS X(オーエス・テン)」と呼ばれる新しい Mac OS を意味し、その新しいOSのさらに最新のバージョンとなる「Mac OS X v10.2」の愛称(元は開発コードネーム)が「Jaguar」なのだった。だから、「ジャガー」もまた「テン」の一種だと言え、「ジャガー的要素も兼ね備えたテン」なのだとひとくちに言えば、それはいったいどんな動物なのか。「テン」なんだろうけど。

まあ、「セッション」といって、掲示板の発言に対するレスをこっち側に書くというだけであればそれはいたって面白みを欠き、別にそういうことを企図していたわけではないと言い訳じみたくもなるものの、しかし、吉沼君の言う[記事番号:1]

「混むから」ってことでしょ?

 はまったく正しい。そう言ってしまえばまったくそのとおりで、なぜその説明の仕方を思いつかなかったかと口惜しくなるほどに永澤の発言が途端に理路整然として映るが、それでもなお粘り強く永澤の発言に付き合おうとすればそこにはやはりレベルの錯綜が見られるはずだという事実にもかかわらず、いまはただ、

「混むから」ってことでしょ?

 という言葉の説得力に驚いている。
「(大阪万博における)太陽の塔」が「渋谷のハチ公」にあたり、しかしそこは混むだろうから別の場所で、と提案する場合、引き合いに出すべきは「渋谷の別のどこか」であるのが正しいはずで、にもかかわらず永澤においては「渋谷のハチ公」と「新宿の和幸」が、それぞれひとかたまりのまま同一レベルで比較されているのであって、そこに立ち上がってくる「永澤が認識し、体感する〈東京〉というマップ」の不自然さを垣間見つつ、いや、そうした不自然さは私自身もまた持っているのであって、おそらく誰もがそのように世界を不自然に認識しているのだと一方では強く同意を促されつつ、やはり、「よくわからない」のだったが、それにしても

「混むから」ってことでしょ?

 という言葉のこのストレートな力は何か。ひょっとして吉沼君、頭いいんじゃないかとさえ思えてくる。

11.27(水)

2002.11.28 21:02

というわけで日々書く。
こうしてまた日々書いているのは、いずれ例の熱病めいたあれにちがいないが、「日々の記録」というよりかは「書く練習」に近く、しかし「練習」としたら圧倒的に分量が少ない。もっと、大量に、だらだらと、しかし時間的には30分ぐらいで、それ思いつきでしか書いていないだろうというようなことを思いつくままのスピードでキータイプできたらと思うのだ。そのための練習ではなく、おそらくそれ自体が「練習」なわけだが。
「練習」といっても、むろん、それで自信がついたら「コーナーの日記」のほうを書くといったような序列のことを考えているわけではないし、ここはここで「コーナーの日記」とは別の何かをやるために作ったはずだとして、「同じじゃないか」と言われれば「やっぱりそう思いますか」としか答えようがないのは困ったことだ。やっぱりいっそ、「コーナーの日記」のところからでもリンクを張って、「こっちに引っ越しました」と宣言してしまうか。
分量のことを言えば、こうしたレイアウトにしてしまったためにテキスト表示部分の幅が狭く、あんまり大量に書いてちょっとどうかと思う長さをスクロールしてもらうのも気が引けるというか、はたしてスクロールしてくれるのかという問題があり、ただでさえ「活字離れ」が叫ばれて久しいいま、いまだ活字離れられないでいることには忸怩たる思いでいっぱいだが、いまこそ活字離れなければならないのであって、そこはやっぱり、断固とした姿勢で臨まなければならないだろう。
じゃなくて「分量」の話だった。
ちなみに、気づかれているかどうかわからないが、この下にあるふたつの虫眼鏡ボタン(+と−)で、フォントサイズの拡大・縮小ができるようになっている(NOTE と BBS、それと OLD NOTE のフォントが一括で拡大・縮小される)。Cookie にフォントサイズを記憶させもするので、次回にページを開いたときも変更後のその大きさで表示されるようになっている。おそらく人それぞれに「自然なフォントサイズ」があるだろうから、好みのサイズで見ていただければと思う。

11.26(火)

2002.11.28 21:02

朝、ご飯を炊く。少なくとも西荻窪に引っ越してからは部屋でスパゲッティぐらいしか茹でておらず、そうなると丸二年ぶりぐらいにはなるはずだが、炊いたのだった。というのはさんまの開きを焼くためで、むろん猫に食わそうという酔狂だ。
夜、いったん会社を抜け、秋葉原、というか秋葉館で買い物。ひとつは640MBのMOドライブで、部屋にはずっと230MBのものしかなかったのだったが、いよいよ買うことにしたのは「Superman Red」と「Superman blue」、それにこの「Superman Yellow」の、HTMLデータ、およびそれぞれの素材データ(さしあたって更新に必要な分)をあわせると、いよいよ 230MB1枚で収まりきらなくなったからで、それはちょっと面倒なのだった。で、秋葉館のサイトで 19,980円とごく安いそれを目にし、そうか世の中はそんなことになっていたか、そうだよな 640MB だものなと考えていたが、いざ買うことにしてあらためて同サイトでほかのラインナップなど確かめてみるとそうでもなく、いろいろあるが、だいたいみんな 3、4万ぐらいし、途端に 19,980円という安値がたよりないものに思えたりもしたものの、まあ、いまさら640MBの「いいもの」を買うのも甲斐のない話にちがいなく、結局一番安いそれにした。USB タイプの、I-O DATA のもので、案の定、使用感には何の不満もない。ふつうである。
で、もうひとつはセンチュリーの「ホワイトライト角マウス」。出ていることなどまったく知らなかったのだった。ふたつ買う。
そういえば前のブルーライト角マウス(部屋のG4はずっとこれを使っていた)も発売直後に秋葉館でもとめたのだったが、あれっきり店頭で見かけなくなり、例の、「ブルーライトが災いしてマウスパッドの柄にかなり気をつけないとうまく動いてくれない」問題のせいで早々に生産中止にしたのだろうと、いやほんとうにそうなのかどうかは知らないけど、そう思っていたりした。で、今回は「ホワイト」であり、もの自体も白いが、LEDの発光体も白色で、一般的な光学式マウスと同じく黒のマウスパッドで調子よく動いてくれる案配だ。ちょうど秋葉館が「エアーパッドプロ」の黒と組み合わせて展示していて、部屋でも同じ組み合わせで使うことにする。

11.25(月)

2002.11.26 19:16

かつて永澤のページが頻繁に更新されていたころに、上山君が言ったのだったか、みえさんだったか、「やっぱり日記は食べたもの(献立)を書かないとね」みたいなことを言っていたが、どうも私は、食べたものについて書くのが下手だ。書いているうちにどんどんふつうになっていくというか、リズムが生まれない。
例えば永澤だが、2001年9月15日の日記にはこのように書く彼がいる。

朝:ジェットでGo!,電車でGo!.昼:ちゅらさん.

 むろんこの場合にリズムを生んでいるのは、箇条書きという形式であり、また「ジェットでGo!」と「電車でGo!」という韻を踏まずにいられない項目そのものであって、そもそも献立でも何でもないことに気づけば腹立たしくさえなるものの、あらためて引用することによって気づかされるのはそんなことではなく、永澤の日記が止まったのはもう1年前かということで、更新しないのかと聞きたい。むしろ君の日記をこそわれわれは楽しみにしているのだ。忙しいの?
それはそうと、そんなことが書きたかったのではなかったのだったが。

11.24(日)

2002.11.25 21:15

写真

いましがた解決したのだが、Win + IE5.0(いまここに確認環境がないのでわからないが、ひょっとすると IE5.5 も)で不具合があったことに気づいた。この「NOTE」部分のスクロールバーが表示されず、文章が長いと下のほうが読めないというもので、それ駄目じゃないか。で、直した。もう大丈夫なはずだ。なので、例えば昨日の日記など「るるぶ赤羽」の話で終わっていたという人があれば、つづきがあるので下の「OLD NOTE」で読んでください。
言葉にしてしまうと何だか見え透いた感じもし、途端に陳腐に響くのがいやだが、見ればすぐわかるとおり「NOTE SIDE」と「BBS SIDE」とのセッションによって何か生まれればというのがこのページのコンセプトだというのはそのとおりだ。なのでもうちょっと気軽に書き込んでよというか、別に無理して書けとは言わないものの、掲示板の側に動きがなく、きっかけのようなものが与えられないと途端にこっちの「NOTE」がただの日記になるというのは昨日の回を見ればわかるとおりだ。
で、遅くなったが以下、日曜日の話。

3人、昼過ぎにやっと起き出す感じで、昼は西荻窪の「ティーヌン」。ラピュタ阿佐ヶ谷のアニメーション・フェスティバル、16:50〜の『雪の女王』を見ようと出掛けたのだったが、すでに満席で見れず。
帰り際、私の部屋を出るときに兄夫婦が、「え?『けだもの組合』見てない?」「見てないよ」みたいな話をしたというのはそこにあった VHS のテープが目に入ったからだが、それに引きずられ、2人の帰ったあとで見てしまった。ずいぶん久しぶりに見たな。

11.23(土)

2002.11.25 2:01

金曜のうちに実家に帰ったのだが、日帰りで東京に出てきていた兄2が小山まで車で来ていたため小山まで辿り着けさえすれば帰れるという仕組みになり、前回の「NOTE」をアップしたあと会社を出た。四ツ谷から新宿に出、10時半近くの埼京線で赤羽まで出たのだが、終点の赤羽で降りる人の数は半端ではなく、察するにいま、赤羽人気はたいへんなものではないかと思われ、まったく新宿の比ではない。などと馬鹿なことを考えながらホームの階段を降りる。「るるぶ赤羽」はどうか。

猫というのは1ヶ月半ほど前に実家で拾われた仔猫で、みえさんが10/11付の絵日記で言及していたのがそれだが、いよいよその去就が決まって、うち(西荻窪)で飼うことになったのだった。名前は「ピー」(本名:相馬ピトシ、命名みえさん)。
正午過ぎに起き出し、なんやかやで時間が過ぎて、5時ぐらいに下館を出発。カゴに入れ、兄2の運転で車で西荻窪まで運ぶ。ときおりニャーニャー言うくらいで大過なく、カゴに入ったまま部屋まで行った。友人宅に泊まって金曜から東京に居残っていたみえさんと合流、兄夫婦もうちで一泊していくことになって、夕食は例の「亜細庵」。
まったくうっかりしていたというのは今年、年末の談志のチケットを取りはぐってしまったということで、「芝浜」が聞けず、これじゃ今年は年が暮れないじゃないかということだが、その多少のなぐさめに志ん朝と談志の「芝浜」をそれぞれCDとビデオで聞いて床についた。
ピーは元気にやっている。

11.22(金)

2002.11.22 22:35

たしか前にもどこかに書いたと思うが、東京に出てきた永澤と新宿で食事となると、ふたりとも馬鹿になったかのようにいつも駅ビルの「和幸」に入ってしまうのだった。ふたりとももう学生ではなく、って永澤は学生だけど、そうは言ってもだいぶ大人で、ごはん・キャベツ・みそ汁お代わり自由的なものをありがたがる年齢ではないし、まあうまいんだけれど、なぜそうあきらめたように毎度「和幸」かということになるとよくわからない。って、ほかに選択肢を思いつかないという点では圧倒的に東京に長くいる私のほうがより責任は重いんだけど、だからまあ、わるかった。今度「亜細庵」に食べに行こう。
といったようなわけで、永澤が「わかりやすい新宿の和幸」と言うとき[記事番号:1]、以上のようなコノテーション(共示的意味)がその言葉の裏には付帯されているわけだが、それにしても何を言ってるんだ永澤は。よくわからない。

で、私はこれから下館に帰る。それで、おそらく土曜に、猫を連れて西荻窪に戻ってくる。

11.21(木)

2002.11.22 4:29

作っている最中にはずいぶんといろいろ書くことがあるような気がし、こういうふうに書こうという具体的な文章にまでなってそれらが頭の中にあったような気さえするものの、いざデザインができあがって、中身を書く段になってみると途端にぼんやりとしか思い出せないというのはたいへん歯がゆいが、ひとつは「つくば万博」のことだったと思う。
「つくば万博ツアー」はどうか。大阪の前に、まずはつくばなのではないか。後でもいいけど。ついでにつくばの近くにあるという「吉沼神社」を訪ねるのもいいし、一石二鳥だが、両者に共通するものはひょっとして「陳腐なルーツ探し」なのではないかと考えるのも、この際楽しい。
と書いたものの、いま、つくばにどの程度「万博」のなごりというか、手掛かりのようなものが存在するのか私は知らない。「記念公園」とかそういうものがあるんでしょうか。

「Superman Yellow」へようこそ。まだいろいろ手を入れていくとは思うけど、とりあえずできあがり。
例によって XHTML1.0 & CSS2 準拠で、Best Viewed with Mozilla 1.0 or later だが、別に IE でもかまわない。Netscape 4.x だとスタイルシートが無視され、ほとんどの画像が表示されないがテキストの閲覧には支障ないというのは「Superman Red」と同じ。
「Superman blue」にあった「巡回マシーン」システムは、あっさり削ってしまったが、ひょっとしてあれを活用していたという人がいないとも限らず、もしいれば対応を考えないわけではない。というか、私はよくあれを使っていた。「巡回マシーン」を削りはしたものの、ページの主旨というか、「ターミナル的なもの」を欲望する姿勢は変わっておらず、まあコンテンツとしても「リンク」はほしいところだけれど、そのへんをどういうかたちで加えるか。

夜、「亜細庵(あじあん)」で食事は四日連続。ここ最近ですっかり馴染み客になってしまったが、うまいんだからしょうがないじゃないか。兄2 とみえさん、荒川、私の四人で一度はいったことのある近所のあそこで、名前のとおり「アジアなごはんどころ」だが、メニュー的には手広く、季節の焼き魚や、その日あるきのこで作ってくれるきのこうどんなど、しかしこれがいちいちちゃんとしたものが出てくるんであって、別に「スローフード」を謳っているわけじゃ全然ない店だけど、なんというか自然体でスローフードなんである。「うまい酒どころ」でもあり、平日、私が顔を出すような時間帯にはそっちのほうを楽しむ常連さんたちが主になって、店主じたいにも酒が入るなか、だらだらと2時ぐらいまで営業している。
野菜などの具はその日あるものを使うタイカレーに、ヨーグルトを使った「ライタ」というサラダと、生ビールでごちそうさま。