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オリジナルスタイル 「不在日記」ふうスタイル

11.30(日)

2003.12.1 17:25

午後から、宮沢章夫さんが審査員のひとりをされている「第3回 かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」の公開審査が横浜であり、それを聞きに行ってしまった。最終審査に残った戯曲の大半がPDF化され、公式サイトで閲覧できるようになっていて、宮沢さん目当てだとはいうものの公開審査というある種の緊張感が予想されるところに徒手で出向くというのも気が引け、それで候補作をあらかじめ読んで出掛けようというのは行くと決めた数日前から思っていたが結局3本しか読めなかった。1本は横浜へ向かう電車のなかで読む。
で、夜「Superman Red」を更新。前回の更新が3月だから、じつに9ヶ月ぶりに近い。本当にお待たせしました。
それでその「Red」を Mac OS X の環境で作っていて、とうとうその思いを強くしたのは「速いんだろうな、G5」ということで、なにせそれは「デュアル1.8GHz」である。なんだそりゃという数字であって、1.8GHz だけでも充分速いのではないかと思わせる上に、しかもデュアルである。脳みそがふたつ。ふたりで考えてくれるのだから頼もしいかぎりで、しかしこれが能力の異なるふたりとなれば、たとえば「1+1=」という計算に一方が「2」、もう一方が「5」と答えたりし厄介で、お前は考えなくいいと「5」と答えたほうには言いたくもなるものの、しかしなにせ「デュアル1.8GHz」はデュアルであるだけにふたりの能力はいっしょで、おそらく背も同じくらいなのじゃないかと考えるとだんだん可愛くさえ思えてくるのだった、って何を書いてるんでしょうか私は。
あと、単純な物欲で言えば、新しい iPod も欲しいのだった。とくに意味はないし、金だってないわけですけど。
木曜日の戯曲セミナーは先週につづきケラリーノ・サンドロヴィッチさんが講師で、終了後みんなで食事をということになったのだが、その席でケラさんと話し驚いたのは、うちの「ハーポがしゃべった!」の存在をケラさんが知っていたということで、というか、ケラさん自身は見たことがないものの「Harpo Speaks!」を翻訳したページがあるということは人づてに聞いていたという。そうかあ、まあそうだよなあ。ケラさん曰く「翻訳が出版されることはないよ、絶対」ということで(売れないからということ)、それを聞くとやっぱり社会的使命を果たすというか、翻訳再開というのもちょっと考えてしまったものの、ないよなあ時間が。あと、これも驚かされたが、ケラさんは「メニエール」および「プットオフシステム」についてかなりはっきりと覚えているのだった。話のタネにと思い「メニエール」(雑誌の名前です)の実物を持っていったのだが、見せるなり「あ、覚えてるよ」と言うのだった。

11.25(火)

2003.11.26 15:07

結局、休みのうちにコントを書くことができなかった。だめである。
土曜日(22日)は、予定どおり2回目のエノケン映画祭で、映画1作目の『青春酔虎傳』とその5年後に撮られた中川信夫監督の『がんばり戦術』の2本。それとゲストによるトーク。トークの冒頭、いとうせいこうさんが「空飛ぶ雲の上団五郎一座」の次回公演について先週の発言を撤回し、「エノケンさんに背中を押されたというか、先週楽屋でケラと話したが、やはりここは万難を排しても何らかのかたちで来年6月に公演を行うべきではないかと、そういう方向で考え直そうかと」といったようなことをおっしゃる。「まあ、そういうふうに二転三転してるわけですが」と。
映画は面白かったしトークも刺激的だったが、まず驚くべきは、私にも増して一緒に行ったPさんのほうにこそにわかなエノケン・ブームが起きているということで、先週「唄うエノケン大全集〜蘇る戦前録音編〜」を、今週「エノケンの大全集」と「エノケンの大全集〜完結篇」を買い(買ったのは私)、iPod からスピーカーにつないでキッチンで流すBGMが以来このかたエノケンばかりだというのに彼女はむしろうきうきしているのだった。
映画祭から帰ってきて家で食事をしたあと、ふたりで市川崑の『女王蜂』を見る。先週途中まで見ていて、途中から。Pさんはこれが1本目の市川=石坂・金田一シリーズであり、その前にまず同じ市川監督の『天河伝説殺人事件』を見せたのだったが、それは、ほとんど金田一シリーズであるところのそれが同シリーズの要素を祝祭的に詰め込んでいて「わかりやすい」のではないかという判断があったためで、Pさんが岸惠子のファンだということもあるが、正直なところ私が見たかった。
それで、好評につき金田一シリーズへとなだれこんだわけで、岸惠子ファンへのサービス精神としてはほんとうは『悪魔の手毬歌』を見せたかったところだったがあいにくそれはうちにビデオがないのだった。
ラピュタ阿佐ヶ谷アニメーション・フェスティバルや、ピカソ・クラシック展など、行こうかという話になっていたものはいくつかあったものの、結局日曜、月曜と無為にすごしてしまったというか、かなりの時間寝ていたのだった。それで日曜の夜には『犬神家の一族』を見てしまう。月曜の夜から朝まで仕事。
こらえていたわけですが、ええ、こうなったら注文してしまいましたよDVDボックス(「金田一耕助の事件匣」)。
そんなことをしていてコントを書かずにすごしてしまったというのはまったくだめで、だめですね、まったく。書きますよ。
Red」も更新したいし。
あと、Pさんが「上山君と恭子ちゃんに何か結婚祝いを送りたいんだけど」と言っていたが、そうだなあ、何がいいか。あるいは何がいけないのか。送ってはいけないものを考え、その逆を送ればいいことになるものの、たとえば「ネズミ50匹」など送ってはいけないのではないかというときに、いったいその逆とは何か。

11.21(金)

2003.11.22 13:46

あらためて説明すると、この、最新の日記ととなりの掲示板の下のところをスクロールしているメッセージは訪問者がその内容を勝手に書き換えることができる仕組みになっていて、メッセージ欄の左にある「ノートに鉛筆」のアイコンをクリックすると書き換えるためのページに移動するわけですが、いま流れている「真演劇人」というよくわからない言葉に書き換えたのは、ウェブマスターとして説明するとその投稿した際のIPアドレスから推察しておそらく永澤である。
なんだよ、「真演劇人」て。
よくわからないものの、似た言葉で探せば「有尾人」という言葉があり、「真演劇人」というのもひとつの「有尾人」的な何かなのかもしれない。なぜいまそんなことを思い出すのか、またはそれを覚えているのかわからないが、「有尾人」はその尻尾の数で身分の高低が決まる人たちである。

訂正をひとつ。昨日、18日の誕生日プレゼントについて

Pさんからは UNITED ARROWS の手袋をいただく。黒い。

 と書いたことについて、「黒じゃないよ」とPさんに叱られたのだった。茶色である。何でもリズムで書けばいいというものではないということで、あと、買った店は UNITED ARROWS だが、UNITED ARROWS の手袋ではない、とも。

「風邪の共時性の不思議」について掲示板にみえしかさん(義姉です)が書いているわけだが[記事番号:59]、どうも私もつい昨日あたりから鼻風邪といったような具合で、それ、だから、「冬だね」って話でしょうよ。
たまたま本屋に立ち寄ったら広告があり知ったのだが、いま売られている「東京人」12月号の特集は「志ん生・馬生・志ん朝」だ。大丈夫なんでしょうかそれで売り上げはという特集だが、とりあえず書店に走られたい。

11.20(木)

2003.11.21 18:08

まとめて。

11/14(金)
 Bフレッツ導入に向け、無線LAN にPowerBook G4をつなぐためのカードを買う。PowerBook G4が AirMac Extreme に対応していないやつなので、Aria extreme というサードパーティー製のカード。すでにブロードバンドルーターは用意済み(corega のこれ)。で、カードはほとんど差すだけというか、やけに設定が簡単なのだった。

11/15(土)
 江戸東京博物館へ。エノケン生誕100周年の映画祭で、いとうせいこうさん、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんらの出るトーク・セッション付き。トーク→『エノケンの千萬長者』→トーク→『續・エノケンの千萬長者』という構成で、たっぷり4時間ほど。映画祭のパンフには「空飛ぶ雲の上団五郎一座」の情報として来年6月に次回公演を予定と書かれてあり、興奮するも、トーク開始ほどなくして、「それ、また流れました」といとうさんは言う。で、この映画祭は来週も行く。

11/16(日)
 家の片付けがだいぶはかどる一日。

11/17(月)
 Bフレッツ開通。開通直後に工事の人が持参したノートパソコンを直結して速度測定をしていたが、何度か繰り返し、その結果がだいたい50〜60Mbps。「順当な感じですか」と聞けば「いや速いです。このへんで最近こんなに出ないです」と言う。それでルータを経由させ、実際にブラウザでよくある速度測定ページをためすと、有線でつないだデスクトップの G4 のほうが 25Mbs ぐらい、無線でつないだ PowerBook G4 が16Mbpsほど。まあ、そんなものなのでしょう。体感で言えばむろん充分に速い。

11/18(火)
 誕生日。28歳になりました。Pさんからは UNITED ARROWS の手袋をいただく。黒い。夜、ピナ・バウシュ公演を観、そのあと西荻窪に移動して「亜細庵」で食事。

11/19(水)
 一夜明けて上山君のページを確認すると、18日付けの日記に

ベランダに住む鳩に『家族が一人増えたんだよ』と報告する。

 とあり、まったく、なにを言ってやがんでいという話だ。夜、新宿駅の南口付近で松倉如子さんの路上ライブ。写真を撮ったので以下に。

路上ライブの模様

 宮沢さんをはじめ、顔のわかる範囲で言うと桜井圭介さんなどの姿もあって、なんだか「みんないるな」という感じ。テキスト・リーディング・ワークショップでいっしょだったTさんは裏方として立ち働いていたし。ライブ終了後、宮沢さんと少し話す。終わって11時すぎで、そのあと、また西荻の「亜細庵」に行ったというのはボージョレー・ヌーボーを飲むため。

で、今日の夜は戯曲セミナー。講師は今週、来週とケラリーノ・サンドロヴィッチさん(と、この「ケラリーノ〜」という名前について「意図としてはこれで笑ってもらいたかったわけで」とケラさんは話し、それが名前としてふつうに流通しているこの状態を恥ずかしがるようにするわけですが)。
前半、「常識の笑い」「反常識の笑い」「非常識の笑い」というオリジナルタームによる分類についての話などがあり、それで課題が出され、取り調べ室コントをふたつ、「反常識の笑い」を使ったものと「非常識の笑い」を使ったものの二通り書いてくるというもの。一週間後がもう授業なのでこの三連休で書かないといけない。後半は質疑応答のかたちで、雑多な話題をケラさんがしゃべる。
ここのところ夜は外食がつづき、みたび西荻窪に出て、今夜は「ティーヌン」というタイ料理屋で食べる。

11.13(木)

2003.11.16 23:49

個人サイトを作る環境を Mac OS X に移そうとし、移したという話はこのあいだ書いたが、環境といってそれはテキストエディタと、画像処理ソフトたち、FTPぐらいなわけで、なかでも問題はつまりテキストエディタなのであり、「mi」を使っているのでこの際「mi 問題」と呼ばせてもらうが、それが大きく解決をみたというのは報告したくなるほどのうれしさだ。
というのはアンチエイリアスに関する話で、それ以外にもまあ「OS 9 + YooEdit と比べたらどうしたって遅い」といったことなどあるにはあるが、それは比べるのが悪いというか、YooEdit の OS X 版がないのだからしょうがない。
で、「YooEdit の代替としての mi」としては、つまり YooEdit と同じ環境が作れればいいわけで、前述のとおり動作速度に関してはあきらめるとして次に問題なのが文字のアンチエイリアスを切りたいということなのだった。これも最終的には慣れの問題なのだろうし、単に文章を打つ場合であればアンチがかかっていてもいいかなと思う程度に OS X のアンチエイリアスには慣れてきたが、しかしですね、こと HTML などのソースが入り込んでくると、そりゃもうやっぱり「ノンアンチの Osaka-等幅」とか見やすいわけですよ。
思いつく方法のひとつとしては「システム環境設定」の「アピアランス」を使い、そのなかにある「滑らかな文字を使用しないフォントサイズ」(デフォルトが「8」以下になっている)を「10」以下に設定して、mi で 10 以下の表示フォントサイズを使用するというのがあるが、この場合、mi 以外にもこの設定が適用されてしまうのが欠点で、OS X からの新しいシステムフォントであるヒラギノはノンアンチでの表示があまりきれいではなく、それで妥協点というか無難な線としての 10 以下(システム上ではそれほど頻出せず、mi を使うのに不都合のないサイズ)ということになっているわけだが、欲を言えばしかしながら、私は mi を「Osaka-等幅の12ポイント」で使いたいのだった。
というわけで、まとめれば「mi だけでアンチエイリアスを切る」ということで、これが解決したのだった。というかネット上でその解決策が書かれたページを見つけた。
「ターミナル」を使い、mi の設定ファイルみたいなものを書き換えるというもので、具体的にはターミナルを起ち上げてそこに次のように打つ(打ってリターンキーを押す)だけである。

defaults write mi AppleAntiAliasingThreshold 12

 これで「mi において、12ポイント以下の文字はアンチエイリアスをかけない」という設定に変わるのであり、むろん「12」の部分には好きな値を与えればいい。そうして mi の「モードの設定」で表示フォントサイズを 12 にすればもう、ほら、ご覧のとおりなのであって、しごく簡単なことだったというか、ネット上の情報はすごいのだった。
ちなみに、それとは関係ありませんが、メールは、ついに Eudora をやめ、Apple 純正の Mail に乗り換えました。

11.12(水)

2003.11.14 19:39

宮沢さんの日記で知ったピナ・バウシュの公演「過去と現在と未来の子どもたちのために」のチケットをとる。とってしまう。もう目前であるのでとれるかどうかと思ったものの、とれたのだった。さすがに土日分は残っておらず、それで11月18日(火)にした。席種もいい席の高いやつしか残ってなかったのでいい席、というか高い席だ。関係ないが18日は私の誕生日で、同時に上山君の誕生日でもあるが、上山君といえばこのあいだの3連休の折りに上京し、恭子ちゃんとふたりうちに1泊した際にうれしい報告(というかお知らせ)があったのであり、それがまた18日にするかもしれないという話だったと書いてもなんだかわからないんじゃないかと思うが、「誕生日入籍」ですね、つまり。って、ほんとうに「誕生日入籍」ということになるかはまだわからないし、その後どうなったという話は聞いていないというか、そもそも人の命ははかないものだが、とにかくその日うちで婚姻届の用紙に記入していたふたりである。
で、シンクロニシティということで気になるのは、吉沼の日記に、

11/ 3(月) 午後、ふたりでいろいろ相談をする。

 とあることで、これもなんでしょうか、そういう話でしょうか。って知らないけど。

今週と来週の土曜、江戸東京博物館の『エノケン生誕100年記念映画祭』という催しでいとうせいこう氏、ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏らの出るトーク・セッションがあり、そのチケットも、これこそ目前で駄目だろうと思っていたがとれた。行ってきます。

11.11(火)

2003.11.12 18:21

ご無沙汰です。
10月29日はテキスト・リーディング・ワークショップの10月コースの最終日で、終了後に打ち上げがあり、その席で宮沢さんに「リンク張る?」と聞かれ「お願いします」と答えたのだったが、それで「""リングス」に「Superman Red」が加えられることになった。帰宅後だったか翌朝だったか、宮沢さんのサイトに行くとすでに「Superman Red」へのリンクがそこにあって、そのあと午後に日記が更新されていたところをみると「寝る前にそれだけ更新」したのではないかと思われ、その早さというかよくわからない情熱のようなものに頭を垂れた。
で、以降、「富士日記」にはなにかと「S君」が登場し「Red」へのリンクが張られるのであり、そこでは「ウェブデザインのプロ」みたいな取り扱われ方をされて恐縮なばかりか、肝心の「Red」は基本的に今年の3月の時点で更新がとまったままで、なんとかしなくてはいけないと思いつつまた今日まで日が経ってしまった。
なんとかしよう。
で、自分でも久しぶりに「Red」のサイトを訪れたりして、そして驚いたのは「真・リレー俳句」のコーナー(1人1文字ずつ投稿し、17文字集まった時点で1句できあがり。できあがった句に対して批評を書き込むこともできる)であり、白状すればほんとうにその3月以来見に行ってさえいなかったのだったが、リピーターの方々によってコーナーは続けられ、句はコンスタントにできあがっているのだった。CGIの仕組みにしておいてほんとうによかった。

この際「Red」やこの「Yellow」を更新する作業環境をいよいよ OS X に移行しようと思うのは Panther (Mac OS X 10.3) をインストールしたからで、いきおいまた OS X ブーム的なるものが自分のなかに起こり、自宅のマシンに OS 9 と 10.3 の両方を再インストールしたのは 10.3 のアップデート・インストールに失敗したせいもあるが、ハードディスクのパーティションを切り直すためで、10.1 が出た当時にパーティションを切ったそのマシンは「OS 9 用」「OS X 用」「OS X の Classic 専用に使うための OS 9」と3つのパーティションに分けてあり、それはいいが、実質的に3つ目のそれが必要なさそうなのと、そもそも「OS X 用」に5GBしか用意していなかったのでそれがちょっとだめである。10.3 は OS だけで3GBほどあり、主なアプリケーションをインストールしたら空きが1GBを切ってしまう始末で、それで「OS 9 用」と「OS X 用」に半々にパーティションを切り直した。その他いろいろ。
Panther に関しては、発売直前までとくに気にかけていたわけではなく、iChat AV が正式版になるからそれで買うには買うだろうと思っていた程度だったが、発売前日になって山梨在住の永澤からメールがあり、

体調次第なところもありますが,明日,上京しようと思っています.目的は,パンサーのお祭り騒ぎを秋葉原で体感しようということと,自作PCの物色.

 と書くこの医学部博士課程の男はいったい何がしたいのかと思ったものの、「パンサー買って来てなどのご要望も受けたまわります」というのでお願いし、5ライセンス版のパッケージを当日買ってきてもらった。
当日、秋葉原だけでなく、オペラシティでのアップルの公式イベントにも行ったらしい永澤については、ぜひその名前のところにリンクを張ってそのサイトなど紹介したいのはやまやまだが、残念ながらいま彼は個人ホームページをもっておらず(ウェブスペースはあるが、データを置いていない)、しかしながら、かつてたとえばこのような伝説的なページを作った男が永澤だと思っていただければ幸いだ。

と、久しぶりに書いていたら長くなってしまった。書き足りないことも含め、つづきはまた明日。あたりまえだけど。