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オリジナルスタイル 「不在日記」ふうスタイル

12.15(日)

2002.12.17 17:16

ここは西荻窪。午後1時ぐらい。アパートの前に立つ、池袋西武で買い物を済ませた女。手に提げた紙袋には猫用に買い求めた品々がつまっていて、それはおもちゃ、エサ、おやつ的なエサ、それに頼んでおいた「猫の食べる草キット」などだ。アパートの壁に沿って並ぶガスメーターの裏に手を伸ばしているのは、そこに鍵が、ガムテープで留められているからで、そうしたことに手軽な、いわゆる郵便ポストがこのアパートにはなく、ドアの新聞受けが口を開けているだけで、そういえば新聞受けには庇(ひさし)がついていたはずだと男は言い、鍵は、その庇の裏っかわに留めておくのがいいのではないかと提案して、その晩は女も賛成したが、その夜男が部屋に帰ってみると庇がついているのはドアの内側だった。男は「しまった」と思ったという。「やっぱりガスメーターの裏にした」と携帯電話で伝えながら、男は下北沢の駅へ急ぐ。それから一夜明け、ここは西荻窪。午後1時ぐらい。女はドアを開け、部屋の散らかりようにしばし驚いている。部屋の出入りの際に猫がまとわりつく面倒を避け、玄関を上がってすぐの狭いキッチンスペースと部屋とを隔てるガラス障子は閉められているから、すぐに部屋を一望はできないものの、すでにそのキッチンスペースが古新聞やら何やらで埋まっていてガラス障子の向こうを想像させる。しかし、女は比較的そうしたことに頓着がなかった。猫と過ごす、めくるめく時間。時間。存在。時間。

白状すれば、私の実家は浄土真宗本願寺派の寺だ。寺の三男坊。今日一周忌の法要を迎える父は先代の住職であり、現住職は兄(長男)。祖父である、先々代の住職が亡くなったのは私の生まれる前だが、その祖父は、当時子供で、境内の掃除や草むしりをしていた叔父に向かってこう言ったという。「門の前の道を通る人が振り返り、ああ、極楽浄土というのは、こういうところかなあ、と思うようにしろ」。それってどうすればいいんですかと聞き返す叔父に答える祖父、「自分で考えろ。考えて、努力すればいいんだ」。白状すれば、私の実家は浄土真宗本願寺派の寺だ。

ここは山梨。同時刻。ジャージの上下に身を包んだ男は、辞書を引き、「Excel」という単語の意味を調べていた。それは酔狂。ときおりの酔狂。不意の来客。ドアへ向かうそのゆっくりとした動作からは想像もおよばないが、男には異名があった。「和製ブラックジャック」。黄熱病を切除手術によって治したこともある[記事番号:7]と町では噂の、謎の男。客の顔はちょうど陰になって、こちらからは見えない。

いずれにしろ、さて、何回忌まで母とともにとりおこなえるのか。あと何匹の猫が、母のもとを通りすぎていくのか。まだ、当分大丈夫だ。「拾ってこー」と外野からは声。母の思い出す父がいて、私の思い出す父がいれば、父はいるも同然だ。というフレーズを思いつき、どこで使えばいいものかわからないからここに書く。

12.14(土)

2002.12.16 22:40

とても急いでいた。
新宿ミサイルという劇団の舞台を見ようと思い、今日の夜の部(19:00〜)のチケットを買ったのはまだ明日の一周忌法要の予定が決まる前で、明日15日が父の一周忌法要に決まったという電話はしばらく前にもらったが、そのとき「しまったな」とチケットを確認して思ったのは前夜のうちに実家に帰ったほうがいいだろうと考えたからで、以来、「たしか、新宿ミサイルの公演には行けなくなったはずだ」と思ううちにいつしか両者が同じ日だったような感覚ですごし、「新宿ミサイル」を示す意味で付けておいたカレンダーの丸を「一周忌法要の日」だと思い眺めていたのもうっかりした話だが、間際になり、いよいよ記憶があやふやになってきたので実家に確認し、「日曜(15日)だよ」と言われたことが急いでいた原因ではなかった。
ずっと同じ日だと思っていたところへもってきて「ちがう日だった」とわかれば、「なんだ、行けるじゃないか」と思うのはもっともだが、それでもその日のうちに帰ることを考えれば「19時開演」はきびしく、絶望的ではないものの、演劇だから2時間ぐらいはやるはずで、ぎりぎりだ。公演会場の最寄り駅は下北沢で、実家のある下館に辿り着くためには 21時半ぐらい発の新宿行きに乗らねばならない。

その公演会場に向かって、私は急いでいた。

上に書いたような具合だから、つまり昼の部のほうを見に行くのが無難であるわけで、それには当日券をもとめて列び直さねばならず、13時半開場の1時間前より配布と案内にはあるので、つまり12時前には部屋を出なければならない計算になる。
それだけでなく、部屋を出る前にいろいろやらなければならないことがあるというのは例えば片付けで、明日の遅くまで部屋を空けるにあたって猫の世話を山戸さんに頼んだのだったが、いま、ちょっとどうかと思うほど部屋は散らかっている。片づけたい思いは山々だ。12時前に部屋を出るとして、2時間ぐらいはゆっくり片づけたい。10時だ。10時だな。それでもって風呂は明日起きてから入ることにすれば、9時だ。9時である。

起きて時計を確認すると16時半だった。夜の部だ。もう夜の部しかないじゃないか。まあいい、もともとチケットは夜の部だ。終電に間に合わなくなれば、実家には明日の朝帰ることにすればいい。ざっと見積もって、30分で風呂、1時間部屋の片づけをして18時だ。問題ない。行けば濱田さん[記事番号:10]と顔を合わせるだろうから、開演前に彼女との世間話を済ませるとして、部屋を18時ぐらいに出れば会場着が18:40ほどだろう。軽い会話ならできる。
だからといって「Yellow」を書き、タバコを喫っている場合ではなかった。もう17時半近いじゃないか。何やってんだよ。いや、風呂には入る。頭がかゆいからだ。この際、19時の開演に間に合えばいいとすれば、風呂に入る余裕はある。片づけはざっとだけやろう。ざっとでいい。あからさまなゴミをゴミ袋にまとめるのと、それと猫のエサの空き缶が流しに散乱しているのだけ何とかしよう。せいいっぱいのところだ。
思ったよりも長風呂。気持ちがよかった。しかし時間はない。片づけだ。片づけなければならない。しかし猫もかわいい。つい撫でてしまう。いよいよ切迫してきた。こうなってくると、いままで時間計算のなかで〈四捨五入〉してきていた「部屋から駅までの10分」も馬鹿にはできず、ちょっとこれ、間に合うのかよ。駄目なんじゃないのか。公演案内にある地図を見るに、劇場は下北沢駅から近くない。どちらかといえば遠く、行ったことがないのであれだが、しかし、走ろう、こうなったら。だめもとだ。とにかく会場まで行き、駄目だったら引き返す。そのまま実家に帰ろう。遅刻はいけない。失礼だ。おそらく小さな劇場にちがいなく、途中から入場したりすれば迷惑だろうし、どっちだ、あそこで曲がるんじゃなかったのか。

あきらめて見ないことにすればものすごく楽なのではないかと思いつつ、私は急いでいた。

12.13(金)

2002.12.16 15:55

朝、出掛けに郵便受けの新聞がどさっと内側に落ちる音がして、そうじゃないかと思ったが、やはり「成城国文学」だった。吉沼に送ってくれるよう頼んでおいたもので、こちらが指定したその最近の二冊が、吉沼の勤める会社の封筒に入れられ、折り畳まれて郵便受けにささっていた。
何が書きたいのかといえば、「届いた」ということで、つまり、ありがとう、ということだが、メールで伝えればいいんじゃないかというそのメッセージをことさらこの場に書いたとして、しかし吉沼はこれをメールを読むように読むにちがいなく、「読みたい論文があってね」とさらに吉沼に向けて私がつづければ、吉沼のことだ、「いや、だけどさ」と思い出すような目つきでちがう話をはじめるにちがいない。
とここまで書いて、「吉沼」が多いな今日の日記は。こうなると、今日は「吉沼」が多いぞ、とあらかじめ宣言してからはじめたほうがよかったかも知れないと思うほど「吉沼」を連発しているが、気づけば次の「吉沼」がもう今日最後の「吉沼」だ。
吉沼(呼びかけ)。

永澤の書くシネマ下北沢の記憶の断片[記事番号:8]を読んで驚かされるのは、その「忘れ具合」が私とほぼ同じだということで、言語化するのを面倒がって書かなかった私自身の記憶を、その文章は見事にまとめてくれてさえいるが、正直私が忘れていたのは「トイレの絵」だ。言われてはじめて、おぼろげながらその像が浮かんでくるように思え、それは、たしかに印象的だった。
「ぶたのようななにか」ではなかったか。
われわれは何だか腹が減っていて、そのとき、あるいは私だけだったかも知れないが、おにぎりのようなものも食べたのではなかったか。やがて永澤がトイレに立つ。そして、戻ってくるなり永澤は私に報告した。「トイレの絵が、印象的だよ。」

と書いていてわかるのは、私の記憶をつなぎとめているものとはその「印象的な絵」のイメージではなく、その絵を指して永澤が言った「印象的だ」という言葉そのもののほうではないかということで、だとすれば、「ぶたのようななにか」などむろんでたらめにちがいなく、どっから出てきたんだ「ぶたのようななにか」って。
Eudora かも知れない、と思うのは最近 Eudora をバージョン5.1にアップグレードし、それを使っているのだったが、新着メールのあることを報せるアラートウィンドウのイラストがまた変わって、新しいそれは「ぶた」なのだった。
ちなみに、いまあらためてスクリーンショットを撮ってみれば、それはこんな絵だ。



 かわいいじゃないか。「かわいい」と「印象的」はちがうのであり、おそらくあのときトイレに飾ってあったのはこんな絵ではなかったと思うが、どうか?
むろん、いま問題になっているのは「トイレの絵」などではなく「何の映画を見たか」だったはずで、それに関して言えば、永澤が「時代劇だったか」と言っている部分がおそらく正解で、時代物の、古い東宝の喜劇だったような気がするのだった。

12.12(木)

2002.12.14 17:58

私のなかでいよいよ懸案となってきているのは、「Yellow」のアドレスを一般に公開しようかどうかということだ(する場合はおそらく、「コーナーの日記」からここにリンクを張るということになるだろう)。
私が「実験の場」だと思い、個人ホームページというメディアと、そのメディアを成り立たせているシステムそれ自体をひとつの「芸」にできないかと考え書いているこの文章は、しかし「まったき他者」の眼差しに堪えるのだろうか。
「せっかく相馬の知り合いなら、これを読まない手はない」というレベルには達していると、それは声を大にしたいものの、はたして、相馬を知らぬ者らにはどうか。彼らはこの文章につきあってくれるのだろうか。
「Red」が客を呼んでいるところの「笑い」は、「Yellow」において、かなり個人的な日記のなかに、かなりわかりにくいかたちで、隠すように配置されているにすぎない。「Red」の愛読者であり、「コーナーの日記」の更新を心待ちにしているような訪問者にさえ、このサイトが満足を与えられるかどうか、自信がないというのが正直なところだ。
しかし、態勢はととのいつつある。ここに至ってようやく、文章勘が元に戻りつつあるという自覚が出てきた。むろんごく個人的な評価にすぎないので、「たんに、どんどん読みにくくなっているだけだ」という声があればどんどんつっこんでもらいたいところだが、いま、ものすごく面白いことが書けそうな気がしているというのはほんとうだ。
あるいは、その「ものすごく面白いこと」というのは世間一般にいう「日記」そのものなのかも知れないが。

12.11(水)

2002.12.14 0:11

土曜日の国文学会からはじまって、スケッチ・ショウ、スケッチ・ショウ、宮沢章夫の舞台と、今週は文化活動週間だ。その刺激的な日々のラストを飾るのが今度の日曜日、父の一周忌法要ということになる。
で、今日はBOX東中野のレイトショーへ。よくは知らないというか、まったく知らないが、ニューシネマワークショップという養成所の者らが撮ったという短編映画の特集をやっている。
今日はそのBプログラム(計4本)で、うち1本の『奉行の恋』という作品(17分)を知り合いの女の子が撮ったんですよ、と、すっかり馴染みになった「亜細庵」の店員に言われたのが月曜日だ。それで見に行く。打てば響くとはこのことだとばかりに見に行く。見に行ったね俺は。
むろん昨日があれで、おとといがあれなのだから落差は激しいのであり、もう馴れたかと思うが、「むろん」と書きだした場合には反射的に、「〜だが」とか「〜ものの」とか逆接でつないで文章を引き延ばしたがるのが私の癖なのだったが、しかし、落差は激しいのだった。

夏なのに寄せ鍋を食べようというマキ。しかし、恋人のジュンと食べかたをめぐって口論になり、マキは部屋を飛び出すが身近な題材で描くハートウォーミングラブコメディ。

 というのが『奉行の恋』の梗概(チラシより引用)になるが、マキを演じる、主演の女の子がかわいい。
行を改めるほどのことでもないが、タイプだ。うっかりしたことは言えないが、タイプなんじゃないかと思う。おそらくタイプだと思われるその笑顔に救われる一方、彼氏のほうの演出に説得力がないのはどうにかならなかったかという気分だと書けば、いい加減この上ない感じで申し訳ないものの、脚本をもうちょっと緻密に組み立てることができたのではないかというのはまじめな話で、つまりそれは「もっと笑わせられるはずだ」ということだが、「ハートウォーミングラブコメディ」に対してそんな助言もないものか。

しかし、つい、見に行ったのだった。よりアクチュアルな問題はそこにこそある。
名もなく、実際のところ手放しで面白いわけではない短編映画を、知り合いの知り合いが撮ったというそれだけのつながりで見に行くというこの行動の根底にあるものこそが、個人ホームページとその訪問者の関係を支えているものに他ならないのだとすれば、なぜ、私は見に行ってしまうのか。
その不思議さ、実際には不思議でもなんでもないのだろうその不思議さこそがいま面白いのであって、私に「Yellow」を書かせているのもまた、その問いに他ならない。

12.10(火)

2002.12.13 17:50

宮沢章夫作・演出の「トーキョー・ボディ」のリーディング公演が下北沢のスズナリであり、それを見に行く。「下北沢のスズナリであり」などと気安い感じだが、はじめてで、こういう、まさしく「小屋」といった感じのところは緊張させられ、どういう顔をして入ったらいいのかわからない。あるいはニコニコしていたかも知れない。
階段をのぼってすぐのあたりで物品の販売を行っていて、遊園地再生事業団の過去の作品の上演台本、パンフレット、劇中に使用した音楽のサントラCD、それに宮沢章夫の新刊『牛乳の作法』などが並べられていて、緊張のあまりどうしていいかわからない私はそれらを片端から1冊ずつとり、「豪快ですいませんが」と渡せば売り子の女性は笑っていたが、申し訳ないくらいに代金の計算に時間がかかっている。1万3千いくら。ボーナスで何を買っているのか。
「袋がないんですけどいいですか」と言われ、リュックに入れればパンパンだ。開場する前に、ちょっと時間があったので、手前にあったディスク・ユニオンに入り、あがた森魚の『日本少年』とキセルの『近未来』を買ってもいた。それもあって、パンパン。
思い出したのは、スズナリのとなりにある、たしか3年前ぐらいにできたシネマ下北沢のほうには一度来たことがあるということで、たしか永澤といっしょに来た。あれは何を見にきたのだったか。
下北沢自体がずいぶん久しぶりなのだった。変わっていないとか、あるいは変わったとか、そういうことが言えるほど、そもそも学生時代からそれほど利用した街ではなかった。って話がどんどんリーディング公演から離れていくけど、それもたぶん緊張のせいだ。パンパンにふくらんだリュックを預け、トイレに行き、タバコは喫わず、席に戻る。

簡素な舞台装置。ってリーディング(朗読劇)なのだからあたりまえだが、一番手前に「イス」になるんだろうグレーの立方体が3つ。その奥、両サイドに向かい合わせに人数分のパイプ椅子が並べられ、さらに一番奥の正面には長机と、その上におもちゃのようなターンテーブルがふたつ。ターンテーブルには小さなスピーカーがつながれていて、開演前から男性がひとり、ターンテーブルを使って音楽を流している。
つまりはそれだけで「演出」の匂いのぷんぷんする、簡素な舞台装置。
登場してきた役者たちはいったん所定のパイプ椅子に座り、それからシーンごとに、何人かずつ立ち上がり、手前に出てきてグレーの立方体に座ったり、立っていたり、寝ころんだり、歩き回ったりする。手にはそれぞれ台本のコピーを持っていて、それを見、めくるが、セリフはいわゆる「朗読」のそれではなく、たぶんに「演出」を経、稽古された言葉たちだ。演劇のことについては詳しくないし、それほど数を見ているのでもないのであれだが、「リーディング」と通常呼ばれるそれよりも「演出」の度合いはおそらく大きいのではないか。といって、本公演になればもっと全然ちがう演出になるのだろうし、「これはこれ」として作られているにちがいない。実験の場。台本の言葉たちも、ずいぶん書き換えられてくるのではないか。

ところで私は、「トーキョー・ボディ」の本公演へと向かう日々を綴った宮沢章夫さんの日記の読者だが、日記によればリーディング公演初日の数日前に書き上がったというその台本には、同時進行で書かれていたウェブ上の日記に登場するものやことが、次から次へとセリフとして立ち現れてくるのであり、日記の読者からすれば「安易」という印象を抱くことさえ可能であるようなその相互交通性に、しかし私はわくわくしていた。日記を読むこれまでの日々の時間が一気につながって参照される、その「ドラクエ」的な興奮に、あるいは、すべて計算尽くなのではないかとさえ疑ったほどである。

「なんか、プロイセンがどうとか言ってたけど」と、そのいまふうの若者ふたりの、うちひとりがたしかにそう言って連れに話しかけ、下北沢駅南口の階段をのぼりかけていた私の横を降りていった。仮に「プロイセンがどうとか言って」いたのを「今野教授」だとし、さらに「今野教授」が彼らふたりのゼミ担で、通りすぎていったふたりの服装はあまり大学生然としたそれではなかったと記憶は辿れるものの、ふたりが、今日の授業での先生の話について会話をしていたと考えるならば、「なんか、プロイセンがどうとか言ってたけど」は、話を聞いていなさすぎだ。
そうではなく、ここでは仮に、「プロイセン」が「プロテイン」の間違いだったとして話を進めよう。

12.9(月)

2002.12.12 20:44

いつの間にかまた、ノートの更新がリアルタイム性を失っていて、あまりいいことではないなこれは。「俺は文章がうまいんだ」と誇示するのはもういいから、ちゃかちゃか書こうじゃないか、ちゃかちゃか。
みじかく書く。みじかいのはいい。吉沼の、例えばこうした日記に私は嫉妬するのだ。

12/11(水)
年末という感じがあまり無い。寒いことは寒い。明けた感じもある。

 やっぱり面白いなこの人は。「明けた感じもある。」と書くその視線はやけに冷静だ。冷静な人だ。

思い出したが、荒川には「雪の降る夜はみじかめに。」という名言がある。なかったかも知れないが、あったっていいだろう。

昨夜にひきつづき、「SKETCH SHOW」のライブ、2回目。ライブ自体は最終日となる。昨日のは「ぴあ」のスーパーリザーブシートで当たった立ち見2枚で、今日のは吉祥寺のぴあ店頭に朝5時から並んだ2F指定席4枚だ。
昨夜のスペシャルゲスト坂本龍一は、ほんとうにスペシャルゲストだったらしく、今日は出てこない。
やはり、新曲がいい。とてもいい。

12.8(日)

2002.12.12 15:16

むろん意図的なものだと、書き終わったいまとなっては言うほかないが、12/7分のノートはかなり登場人物紹介的だ。やたら説明している。相馬と吉沼をめぐる、バランスの悪い基礎知識。長いのだった。
まずつっこまなければならないのは、それ、いったい誰に向けられた義務感かということで、ひとつにはどうしても、「事情を知らぬ読者」を意識するということがあり、現状でいえばそれは吉沼以外の、高校時代の友人たちに向けた説明ということになるが、ひょっとすると、後続するかも知れないほんとうの「見知らぬ読者」に対する意識があるのかも知れない。
あと、「説明」すると自然分量が多くなり、「書いた気」になりやすいというのはそうだが。

後続するかも知れない、といって、ワールドワイドウェッブにアップしている以上、本来はそれおかしな(または甘ったれた)物言いなんだけど、現在、「Yellow」に関しては「Red」からリンクを張っていないだけでなく、一応「ロボット拒否」(サーチエンジンが巡回させているデータ収集ロボットを拒否する設定)を行ってもいて、だから実際的なレベルではいま、ほんとうに〈みなさん〉しか見に来ていない。
厳密に可能性を考えるならばもっと細かくいろいろ(例えば、Yellow のページ内にあるリンクから飛んだ先のページがアクセス解析等のツールを使っていて、そこに足跡が残る、など)考えられるが、まあ「いわゆるリンク」を Yellow に張ってるのはどうやらいまのところ上山君のところと、「blue」の「引っ越しました」ページだけである。
あ、蔵本君(注:吉沼同級。現、院生)には一応ここを教えておいた。あと、「顔を合わせたことのある友人・知人」というそもそもの原則からは外れるけど、是非、大竹君には教えたいなと前から思っていて、すっかり連絡しそびれているのだけど、よかったら教えといてもらってもかまわない。
で、ひとつ質問させてもらえば、大竹君て誰?
会ったことがないというのもあるが、大竹君に関しては、そのサイトにリンクを張る以外、いわゆる「人物紹介」を私はできないのだった。誰?(あるいは何?)

むろん、何かの拍子にここを見つけたという(例えば「Red」読者の)「見知らぬ読者」の方、もしいらっしゃいましたら掲示板に書き込む等、好きにお願いします。こそこそ見なくちゃいけないという決まりはないし、「参加」しなければならないという決まりもないが、よろしければステージ(掲示板)に上がってください。

と、思わずそんなことを長々書いてしまったが、ほんとうは上山君と「SKETCH SHOW(細野晴臣+高橋幸宏)」のライブを見に行ったというのが今日だ。
よかった。
報告すればスペシャルゲストとして坂本龍一も登場したのであり、いや、「だから」よかったと、意味をそこに集中させてしまえるほど SKETCH SHOW はやわなバンドではないものの、恭子ちゃんらをうらやましがらせる意味でさらに書けば(注:恭子ちゃんは YMO ファンらしい)、そのなんなく勢揃いしてしまった面子によって「CUE」、「中国女」、「はらいそ」等が演奏されたのだった。
これは昔「CUE」と呼ばれた曲。これは昔「中国女」と呼ばれた曲。
細野さんはほぼ終始ベースを弾き、幸宏はドラムセットに座って、前半は「生っぽい編成」で進行。後半、ふたりだけになり、ちょっと高いところにのぼって、なんて言うんでしょうかあれは、DJ風のスタイル(NHK の「ミュージック・カクテル」で演奏したときのような感じ。あるいはギャグなんじゃないかと思うほど、ふたりはやたら何かをいじっている)で、「Turn Turn」など。新曲はしめて4つほどか。
DJ風スタイルの最後に、いわば「YMOメドレー」的なリミックスをやるのだが、ふたり、「いじくる作業」を終えるとヘッドフォンを外し、曲のエンディング部分のまだ少し流れているなか、そそくさと階段を降りてくる。それが、何だか知らずかっこよかった。

12.7(土)

2002.12.10 17:53

吉沼に誘われ、というか、卒業時から住所が変わっている私の側にはお知らせのハガキが届かないということだけだが、ハガキが来ているとメールで教えられて、じゃあ行こうと出掛けたのは「成城国文学会・冬季大会」だ。なにせわれわれ、会員である。
卒業時に強制的に会費を払わせられるかたちで自動的に会員(学部卒業生というカテゴリ)になるのであり、そのままふつうに無沙汰をつづければどこかの時点で名簿から削除されるわけだが、まだ卒業時に払った2千円で首がつながっていることになる。何しろ吉沼にはハガキが来ているのだし、吉沼が会員ならば俺が会員じゃないって法はないだろう。
で、何も知らずに出掛けたのだったが、聞けば石原先生(石原千秋、われわれのゼミ担)は来年早稲田の教育学部に移るのだという。知った顔からは「それで来たんじゃないの?」と聞かれる。「それで来たんじゃないの?」と聞かれるといって、ただの学部卒業生で来ているのはわれわれだけだけど。
しかし、いなくなるねえ人が、成城は。もうほとんど誰もいない。面白どころで残るは小田亮、有田英也ぐらいじゃないか。「どうせならみんなで同じところへ移ってくれればいいのに」と吉沼。

「冬季大会」のほうはというと、

<研究発表>
菊岡沾凉の俳諧活動 真島望氏
教養派の起源―小宮豊隆「寒き影」「淡雪」 宮島昌治氏

<講演>
漱石のロンドン 小倉脩三先生

 といった内容。「歳をとったせいか、日々の暮らしに飽きているのか。わりと、どんな発表(講演)でも面白く聞けるという気がする。」というのはまったく笑ってしまう吉沼の発言だが、どこまで本気で言っているのか。
2番目の「教養派の起源」と題された発表では「描写」をめぐる当時の論争が引用されるのだが、やはり、明治末から大正期にかけての自然主義文壇的な言説というのはたまらなく楽しいのであって、発表そのものとはまったく関係ないものの、例えば吉沼とも意見が一致したのは次のような発言の楽しさで、それは小宮豊隆が「哀れ」という語を使って褒めた『朝顔』という小説作品を評しての中村星湖の言葉だ。

(『朝顔』は)筆がなだらかと言ふだけで、用意の至らぬ作である。物哀れに書いてあるから好いと言ふような評を聞くと、今年は一体明治何年だと問ひたくなる。
――中村星湖「六月の文壇概観」(『早稲田文学』明治44・7)

 あははははは。

ところで、あらためてそうだったと思い出せば「ああそうか」といった気分になるのだったが、吉沼はふつうに4年で卒業しているのだった。
ついでなので細かに説明しておけば、吉沼のほうが1年あとに入学し、追い越して1年先に卒業した。年齢そのものは同い年。卒論は吉沼と同じ年に書いて、それは優をもらったのだったが、単位不足でもう一年すごしたのだった。
同じ時期に卒論を書き、いっしょに「3年、4年」と呼ばれたのであるから、やはり一番「同窓」感があるのは吉沼のいたクラス(の石原ゼミの方々)ということになるが、しかし、吉沼の4年を包摂するかたちで6年もいれば、ちょっとあきれるくらいに(例えば院生として残っている顔など)幅広い世代を知っているのであって、「ファンか、俺は」といった気分にすらなる。
年齢的にはぐっと上になるはずだが、大学院の石原ゼミOBということになる(のかな?の)面々にもいつの間にか顔が知れているのだし、「単位不足でもう一年」であるだけに6年のときに演習の授業(石原先生のもの)など履修していて、下は、その当時2年生だった人(現・修士課程前期)に「お久しぶり、ですよね?」と言われる始末だ。何を見守っているのか俺は。

学会は、つづけて懇親会、その二次会とあって、そこまで参加したが、だからただの学部卒業生なのだ俺は。誰なんだろうと思われていた方面もあるだろうな。聞かれれば「ファンだ」と答えるよりほかない。
で、いるとは思わないから、院生になっていて驚いたのは角田さんで、これはひときわ「お久しぶり」感が強かった。その角田さんが会話中、「あと、宮沢章夫の舞台は、出ていたあの人が面白かった。あの人」と「モロ師岡」の名前を思い出せず、「針すなお」と口にした話や、その他吉沼と交わした雑談など、書くべきことはまだあるのだったが、書きすぎている。それやこれやはまた今度だ。

12.6(金)

2002.12.9 16:52

12月に入った途端に油断したというか、ついつい書きそびれる日々が続いた。人はついつい書きそびれるものだし、あたりまえだが日付は日々あらたまる。
更新する気のあるところを見せるつもりで、とりあえず日付だけ書いたものをアップしておいたのを見たのが上山君の発言[記事番号:6]になるのだが、これ、「12月分の日記が読めません。」と言っているのを、私はてっきり確信犯的に言っているのだと思っていたが、上山君はほんとうに(日付だけが表示されている状態を)「何かの不具合だろう」と思っていたらしい。さすがにそこまでシステマティックには作っていない。
で、ノートの日付を現在時に追いつかせるべく、12/1〜12/5分を昨日今日でまとめて書き、アップする。いや、がんばった。
一応、書かれてある出来事は各日付に対応しており、書き込みへのレスポンスにあたるものや、ポッタニコスがどうしたこうしたといった「アドリブ」部分もそれぞれ、基本的には日々頭に浮かんだところをその順に、時系列に処理してある。

やはり、日記はまとめて書くものではないというのは、まとめ書きをすれば乱暴になるという意識がどうしてもあり、それが曲者で、逆にやたら書いてしまうのだった。やけに筆が進む。いや、だったらいいんだけど、それでいて、どこまで行っても「書こうと思っていた何か」があるように思えてくるのであって、思い出せないくらいだからどうせくだらないことにちがいないとも思うし、そんな「何か」などそもそもなかったように疑えさえするのだが、消化不良だ。
そんなことを言い出せば、たとえ毎日定期的に書いたにしても、「書こうと思っていた何か」はつねに生まれてくるにちがいないが、まあ、そうしたものに手こずることを含めて「練習」だ、何度も言うけど。書く日々である。何度も言うけど。

12.5(木)

2002.12.6 22:24

「Yellow 効果」と言うべきか、永澤のページが更新され、日記がアップされているのだった。

12月5日 心臓の細胞は,多核のものが存在するらしい.もちろん,核が一個のものも存在するが,多いものでは,8個の核を持つ細胞もあるらしい.さしずめ,複数の人格を持つ多重人格者のようなものなのか.誰の心臓でもそういう多核の細胞が存在するならば,この世界,多重人格者は,当然の存在なのかもしれない.

 短いので全文引用になってしまうのが申し訳ないが、しかしこの、医学部博士課程とも思えない、当てずっぽうな感じは何なのか。
何が「さしずめ」なのか。

「ピーちゃんかわいーいー」[記事番号:6]と書く上山君だが、これたぶん、カバー写真がはじめてピーのそれになったのではないか。
Netscape 4.x で見ている人には関係ない話だが、説明すれば、推奨環境で見た場合にはページの一番上にカバー写真的なわりと大きい画像スペースがあって、そのなかに入力フォームが収まっているレイアウトなのだが、そのカバー写真は現在4種類あり、アクセスのたびごとにランダムに表示されるようにしているのだった。
ちなみに、「こたつの上のモニタとキーボード(最初から使ってる画像)」「ピー」「G4の上の640MB MOドライブ」「本棚の古井由吉たち」の4つで、これらは気分で増やしたり、差し替えたりする予定。

12.4(水)

2002.12.6 17:04

いよいよ目前に迫っているのはスケッチショウ(細野晴臣+高橋幸宏)のライブだが、私は12/8、9の両日行く予定だ。
で、8日のほう(立ち見2枚)は、当初永澤を誘っていてその予定だったが、急に忙しくなってしまったと連絡がある。念のため吉沼にも声を掛けたが、「SKETCH SHOW、僕はコンサートの方はあまりそそられないんだよね。」と、そうだよな、インストア・イベントに行ったときも同じことを言っていたよなという返事で、結局、上山君に白羽の矢が立つ。

それはそれとして、いったい、ポッタニコスはいつぐらいの人なのか。書くのはいいが、そうしたことすら知らないというのは問題で、きちんと調べなければならない。
最近の人ではないはずだ。
名前が昔っぽいというだけでなく、私が物心つく頃すでに「嘘つきのパラドクス」が存在していたことをみればそれは明らかで、少なくとも、「嘘つき発言」は昭和50年よりもさかのぼることになるわけだが、すると次には、兄たちが生まれた頃にも「嘘つきのパラドクス」はあったのか、ということになる。
聞いてみないとわからないが、ひょっとするともっと時代を限定することができるかも知れない。今度兄たちに聞いてみよう。

上山君の日記が更新された。上山君、案外書いている。
その新しくなった上山君のページを見て、永澤が「相馬さんに似てるよね」というのはデジカメ写真のことで、「ふたりとも、ふつうに撮らない」と永澤は言うのだったが、まあ、誕生日が同じなのだからしょうがないだろう。

12.3(火)

2002.12.6 14:37

うるさいよ、お前ら(笑)。[記事番号:2]

で、12月なのであり、11月分のノートをバックナンバー化して別ページに収める仕組みを考えなければならないが、バックナンバーページにまで掲示板を表示させるのはさすがにうっとうしく、といって、掲示板が参照できないと何を言っているのかわからない文章もあるからむずかしいが、それで結局、上に使ったような仕組みを用意した。
[記事番号:#]と書かれた部分のリンクをクリックするとサブウィンドウが開き、本文が参照している該当記事のみが出てくるようになっている。サブウィンドウ内には入力フォームもあるが、そこから書き込んだものはその記事に対するレスになる(むろん、トップページではその記事が一番上にくる)。
ただ、サブウィンドウ内では記事の削除ができないので、もしレスを書き直す場合にはトップページに戻ってやっていただきたい。

いまさらだけれども、あるいは理解していない人もいるかも知れないので書けば、「不書之書」と永澤が書いたあれは、中島敦の短編小説「名人伝」に出てくる「不射之射」が下敷きになっている。
「名人伝」は、天下第一の弓の名人になろうと志した男が、次々とその技術や極意を習得していき、ついに「射らない」という境地に達するまでの話で、その境地(究極の技術)を指すのが「不射之射」という言葉だが、永澤はこの話がひどく好きだ。
ちなみに、弓矢を使うふつうの弓の技芸はそれに対して「射之射」と呼ばれて、下位にランクされるのであり、例えば、主人公の男に「不射之射」を伝授する老人は次のように言うのだった。

だが、それは所詮射之射というもの、好漢いまだ不射之射を知らぬと見える。

そういえば、上山君の日記の「オフラインの日々をおさらう」にも中島敦の「山月記」が挙げられていたし、そのシンクロぶりが楽しいけれど、中島敦は、やはり面白いのであって、何ていうんでしょうかあれは。大陸的なマジック・リアリズム、ってそれいま思いついた言葉だけど、そう呼びたくなるほど透明で強靱で、しかもでたらめなテキストである。

老人のもとでの九年間の修行ののち山を降りた男は、「木偶(でく)のごとく愚者のごとき容貌に変」って、そののち四十年、死ぬまで「射を口にすることが無」い。そして、ラストに挿入されるのが有名なエピソードであり、そのなかで男は、招待された知人の家に置いてあった弓を見て、あれは何かと尋ねるのだったが、家の主人は冗談だろうととる。

三度紀昌(=男の名)が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎(じっ)と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
「ああ、夫子が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」
 その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。

あはははははははは。

12.2(月)

2002.12.5 18:19

「病床より」のみえさんの書き込み[記事番号:5]で、「気持ち悪い」云々の部分に永澤が反応し、そっと、「もしかして,子供でもできた?」とメールで聞いてきた。
知らない。

いや、「知らない」と返事を出したのだけれど、永澤のメールには「直接聞けないので,間接的に聞くけど」と前置きがあって、よく考えれば、それは俺に「直接聞け」と言っているようにもとれ、であれば「知らない」という返事は返事になっていない。
で、あらためて書くけれども、知らない。

11/30分の日記、

ところでみなさんはあのクレタ島人の名前が「ポッタニコス」だったと知っていただろうか。私もいま、書いていてはじめて知った。

 と書いた部分は、ちょっとオチとしてまぎらわしかったかも知れないと思うのだが、つまり、「いま、自分の書い(てい)たものを読んではじめて知った」という意味で、むろん「ポッタニコス」という名前はでたらめなものだが、その、うっかり「すべてのクレタ島人は嘘つきである」と発言して歴史に名を残すことになった実在のクレタ島人、ポッタニコスについての物語、というのはネタになるかも知れないと思ったのだった。
職業、人となり、家族構成についてなどの記述があり、むろん、なぜその発言をするに至ったのかというのもポイントのひとつになるが、それよりも物語は、もっぱら「嘘つき発言」後の彼、その老後の日々を追うだろう。
いや、書けばの話だけど、これは、面白くなるのではないか。

12.1(日)

2002.12.5 18:19

状況が許せばほんとうは早くから出掛けて、いろいろ買い物などすませるつもりだったが、ようやく遊びつかれ、いよいよ眠たくなったピーがそばへ寄るばかりか、丸くなったりもし、ついつい添い寝をしつつ部屋にいた。それでパソコンを起ち上げ、11/29分の、ゴジラがどうしたこうしたという文章を書く。
あまりよく書けず、推敲するうちに論点がよくわからなくなってきたので、途中、思い出して中沢新一の『女は存在しない』を引っぱりだし「ゴジラ対GODZILLA」の章を拾い読む。といって、もとより論じている事柄がちがうので参考にはならない。ただの読書である。

夕方から買い物に出る。吉祥寺、新宿と回り、本とDVDなど。
本のうち一冊は、「Red」のほうで紹介した岩波講座『文学』シリーズの第3回配本「身体と性」で、そういえば、「Red」でそれを紹介したすぐあとに永澤からメールをもらっていた。

> redのページにある「文学」シリーズですが,
> (岩波の)
> 昔,大橋何某氏の書いた文学の本を借りたときのような,
> 純理系の私がわくわくしてしまうようなシリーズだったりします?

 というメールで、別に面倒くさがるような質問でもないが、まだ返事をしていなかった。すまない。
永澤が言っているのは大橋洋一の『新文学入門』(岩波セミナーブックス)だが、もしあのとっつきやすさのことを指して言っているのだったら、残念ながら、岩波講座のほうはああではなく、載っているのはどれもふつうに「論文」で、「わくわく」するしないは別にしてああいうふうに「講座」であるわけではない。いや、絶対面白がってくれるとは思うけれども、念のために説明しておくとそういう本である。

で、全然関係ないが、ふと、自分が『ハリーポッター』を読むかも知れない可能性について思い当たったのは、例えば、「永井豪による漫画化」だ。そんなものが出ていることなど少しも知らないまま、ある日、ふと立ち寄った町の本屋にそれは平積みされている。
買うのではないかと思う。

たぶん、私は買うと思うのだが、引き続き適当なことを書かせてもらえれば書き下ろしのそれは全5巻だ。
一挙刊行なのか、気がつかなかいうちにすでに5巻目までの刊行が終わっていただけか、わからないが、並んで平積みにされているそのそれぞれ一番上の1冊ずつを手に取って、まとめてレジへ持っていくだろう。
原作と峻別する意図をこめ「永井版」と呼ばれることになるそれは、ラストが原作と異なることで物議をかもし、「読み比べてみるとより楽しいでしょう」と比較的寛容な者らはそう口にするが、原作の厳格なファンにとって許せないのは主人公の少年が学ランを着ていることだ。
買わなければよかったと思うのではないか。