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オリジナルスタイル 「不在日記」ふうスタイル

07 March 2004

2004.03.09 11:47

江古田駅近くの区民施設へ行く。「自主リーディング」の会である。
宮沢章夫さんの「テキスト・リーディング・ワークショップ」(以下、「ワークショップ」)を契機にして「音読すること」の面白さに味をしめてしまった者らが、だったら自分たちで集まって同じような作業をしてもいいのではないか、すればいいのではないか、その「同じような作業」のなかからも何かしら受ける刺激がありはしないか、「いや、なんだか俺、読みたくなっちゃってさあ」と口々に言っては集い、ただテキスト(戯曲)を読むという企画である。その第1回。
テキストに選んだのは宮沢さんの『14歳の国』。予想される参加人数に対して登場人物の数がほどよいのではないかということで高森さん・丸瀬君が候補に挙げ、あとの者はみな「じゃ、それで」ということになって決まった。
参加者は結局、高森さん、丸瀬君、山口さん、私(以上、「ワークショップ」参加経験者)、それに藤原さんの5人となり、ついでに記録しておけば、

  • 教師1サイトウ(丸瀬)
  • 教師2サタケ(高森)
  • 教師3アキツ(山口)
  • 教師4モリシマ(相馬)
  • 教師5サカイ(藤原)

 という配役である。「ワークショップ」だとト書きを担当してくれるお手伝いさん(宮沢さん関係の役者さん)がいるが、人数がちょうどなので、直前のせりふの人がト書きもつづけて読むという方式をとる。
『14歳の国』は大きく1場と2場にわかれているが、あいだに一度休憩をはさみながら、それぞれを50分ずつほどかけて読む。そもそも戯曲は、1場・2場それぞれが中学校の授業1時間分の出来事として設定され書かれているわけだが、まあ何気に読んだところが、実際にそういう数字になったのだった。
「ワークショップ」であれば、ここで宮沢さんが解説というか、思ったことをしゃべるわけだが、むろんいないのでぽつぽつと参加者自身が終わって感想など口にしだすことになる。何度も言うとおり、場所を確保したり全員への連絡役を担ったりの実際的なところはすべて高森さんが動いてくれたわけだが、それでいていつしか、私もまたどちらかというと「主催者」寄りな足場に立っているような感覚でいるのは不思議といえば不思議で、とくにふたりの女性陣には「楽しんでいただけてますでしょうか?」的に気をつかっている私がいて面白いが、まあ、あれこれ関連する話を引っ張ってきてはしゃべっていた気がする。あと、丸瀬君はほっといてもしゃべるので、適当なところでそれに〈つっこみ〉を入れるような役。
戯曲はラスト、「教師3アキツ」が「教師2サタケ」をナイフで刺すという事態が発生して劇的な転換をみせるわけだが、それが表面上ひどくフラットに推移していくところが興味深いと、これは藤原さんの発言。なにしろその「事件」のあと、しばしばおとずれる沈黙に支配されつつ、「アキツ」は「サカイ」によって劇中にたびたび繰り返されたつぎの会話へと引き戻され、そして今度もまたつい同じ言葉を口にしてしまうのだった。

教師5 (ポケットから煙草を出し)……アキツ君。
教師3 え?
教師5 火、ある?
教師3 ……だからだめですよ、ここは教室なんですから。

 もうこりゃ「だめだなー」としか言いようのない「アキツ」がここにいるのだが、しかしだからといって「アキツ」がここで態度を変え「あ、どうぞ」と火を差し出して答えればいいかというとそれはもちろん全然だめなわけで、「……だからだめですよ、ここは教室なんですから。」というその言葉はむろん、ここでも「正しい」言葉としてありつづけるのであり、だからこそ「教師5」は、「火、ある?」と問いかけて「教師3」からその「正しい」返事を引き出そうとし、全編をとおしてそうであったようにここでもまた、「正しい」ことのもつ「だめ」ぶりをあぶり出す役として機能している。
とかね、そんな話など(って、半分以上はいま書きながら考えたけど)。
途中で会場からほどちかい高森さんの部屋に移動し、ひきつづき雑談。当初の予定だと高森さんが録画してもっているテレビ版の「14歳の国」(フジテレビの「演技者。」という番組でやっていたやつ)を見ながら話でもするということだったが、結局それを見ることもなく、ただただ話しつづける。私はまたここで「個人ホームページについて」の話をしてしまった。いろいろな話。なかなか考えをうまく話せない。丸瀬君はほっといてもしゃべるし。
まあ、あれこれと話し、会話がきたす齟齬のようなものも引き受けながら、「もういいよ、とにかくこりゃ面白れえやってものを書くよおれは」と、なんだかそんな気分になったのだった。

2004年2月分はこちら