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オリジナルスタイル 「不在日記」ふうスタイル

4.8(火)

2003.4.9 21:14

前回の日記、久しぶりの更新だというのにまたいきおいでばかなことを書いてしまったと私は反省しきりである。ひょっとして上山君には怒られるんじゃないかとも思ったが、電話をしたら笑っていたので何よりだ。で、「(背が高くて)電話の声が遠い、ってどういうことよ?(笑)」と上山君。まあ、考え方はふたつあると思うんだけど、ひとつは、一般的に遠距離の電話だと声が遠いというような意味で、声が遠くなるほどの上空に顔があるという可能性。もうひとつは、受話器(携帯電話)を持った手が顔まで届いていないという可能性だ。後者は、どういうことになっているんだか、よくわからないけれども。
で、私に「秘密の計画」があるというのはほんとうで、書いてしまえばたいしたことではないものの、まあ、秘密だ。何と言いましょうか、特訓ですね、秘密の。
というふうに書くと、並行して宮沢章夫さんの日記の読者でもあるような人にはかつて宮沢さんが日記で「秘密の修行」と書き、運転免許を取ったことが連想されるかもしれず、「ああ、取ってくれるのか」と実家の者らなどありがたがってしまうかもしれないものの、残念ながらそうではない。運転免許ではないです。で、くりかえせば、あんまりたいしたことではなく、ただ「秘密だ」というだけの話。いずれ書くかもしれないし。
で、これだけもったいぶっておいて申し訳ないが、特訓は5月の下旬ぐらいからスタートする予定。やけにのんびりした話である。

4.6(日)

2003.4.7 21:07

なにかひと段落した感があり、それはつまり第2回の句会をまとめた冊子を作っていたのが終わった(完成した)ということがあるわけだが、それでもまだ戦争は終わらない。
不思議なもので、作っている途中、後半のほうは「もう冊子は飽きた」とか思いながらやっていたのだが、出来上がってみればケロッとした気分で、「もう一冊ぐらい作ってもいい」などと考えているのであり、人はほんとうにでたらめに出来ている。
句会の報告もしていないまま冊子について書くのもなんだが、句会そのものの規模が若干でかくなった(4人→10人)その雰囲気に合わせ、冊子も前号より手が込んで、片手間に作るものとしてはかなり豪華なその仕上がりを楽しみにしてもらいたいというのは、使用するイラストをみえさんに、写真を本田さんに、それぞれ協力してもらったのだった。
イラストと写真をそれぞれふたりにというのは当初から考えていたことだが、恭子ちゃんにも何か手伝ってもらうっていうのはどうだ、と途中で思いつき、さらに思いついたのは「編集後記を書いてもらう」というもので、まあ、編集していない人の書く編集後記ってだけなわけですけど、趣旨説明(句会にまったく関係ない文章でかまわない、等)を付してメールでお願いした。
その編集後記の原稿がメールで土曜日に届く。で、それがこっちの予想をこえて「まとまった文章」で、予想をこえて「いい文章」だったので私はメールを読んで笑ってしまったわけですが、意図どおり、内容は(少なくともその外面は)まったく句会と関係がなく、例えばその冒頭にはこのようにある。

 京都に住んで3年になりますが、それまでずっと実家だったので一人暮しは初めてでした。

 あははは。いや、ほんとうに恭子ちゃんに頼んでよかった。全文掲載したその「編集後記」もお楽しみに、である。
恭子ちゃんといえば上山君で、上山君といえば、例の4月1日の日記にある「運命的な話」というのが気になり、その子細を私は電話で聞いて知っているのだったが、「これは内緒だから、とくにウェブ上とかでは書かないでね」と釘を刺されているのであって、むろん書くような私ではないが、ちょっとだけ書くとですね、つまり、上山君はいま、ものすごく背が伸びている。伸びてしまったと書くべきかもしれないが、とにかくすごい背の高さで、私は電話で話しただけだからわからないものの、実際、こころなしか電話の声も遠かったほどだ。
で、上山君にそうした「運命的な話」が持ちあがる一方、私は私で秘密の計画があるわけで、それはもうほんとうに秘密だから誰にも言わないが、言ってしまうと、私はものすごく太ることに決めた。みんなをあっと言わせてやるつもりだ。

3.19(水)

2003.3.20 22:06

「日記やその他のコラボレーション、随時更新の Superman Yelow はこちら」と、「Red」のほうにボタンを設けたのはまたここも日々書くペースに戻そうと、そのときはほんとうにそう思っていたからだがままならなかったわけで、そういうことかと期待して日々クリックしてくれた方面には申し訳ないかぎりだが、今後も懲りずにクリックしてくれれば幸いだ。
で、とりあえず「今更気付いた」という書き込み[記事番号:41]についてだが、まず、「Nggasawa」とは誰なのか。「ながさわ」は知り合いにひとりいるものの、「んっがさわ」という厄介な友人はもったことがない。「Nagasawa」の打ち間違いなのではないかと考えるのは至極妥当であり、文章も「ながさわ」のそれに近いものを感じるからひょっとすると「ながさわ」なのではないかという可能性は捨てきれないが、なにしろ「んっがさわ」なのであり、正直な話、ちょっと「んっがさわ」と文字にして書いてみたかった。くだらないことに付き合わせた。
田村が先にレスをつけてくれているが、「RedとVacationのバナーのリンクが,MacだとみれてWinだと表示されない」というのはなぜ永澤の環境でそうなっているかすぐに見当はつかないものの、少なくとも、「そういう設定」にしてあるわけではない。だいたい、

自宅でWinでみてると,YellowからRedに飛べなくて,不便だなあと思ってたんだけど,そういうことだったんだ.

 と永澤は納得する様子だが、「そういうこと」というのはどういうことなのか。

いよいよ迫ってきたのは第2回の句会(この土曜日)で、「Red」にも書いたが今回は台場区民センターの和室を借りたのであり、その手続きを進めてくれた大竹君がどういった施設かという参照URL(前掲)など教えてくれていたわけだが、じつをいえば今日やっとそのページを見に行ったのであり、そこには使用予定の和室の写真などもちょっと載っていて、いまさらだが、ちょっとどうなのかという広さである。いや、われわれのやることに対して、という意味ですが、しかしまさしくその意味で「大丈夫なのか」と少し不安にもなる。
前回は吉沼のアパートで4人、こたつを囲んでというスタイルだったわけで、今回は人数がだいたい2倍、スペースはこれは6倍ぐらいでしょうか。そのだだっぴろい空間に身を置くことですんなりと「あたらしい楽しさ」を手にすることができれば言うことはないものの、ある程度「前回のような楽しさ」をその空間で生む必要があるとすれば、これはちょっと初動メンバー4人の腕の見せどころということになるのではないかということで、大丈夫か、おれたち。
ところで、前回の句会の成果(俳句と、それを合評する4人の会話)を「活字で手にしてみたいんだよ」ということを言いだしたのは吉沼で、そういえば吉沼がそれについての発言を私宛のメールでしかしていないことを考えると、あるいは「みんなには当日まで隠しておく」ということを吉沼はねらっているのかも知れないとも考えられるが、言ってしまうとですね、つまり冊子を作ったのだった。前回提出された句と、それに対する4人の会話が読めるような体裁で、吉沼がビデオの音声から文字おこしをし、そのテキストデータを私がもらって冊子にした。それを参加者への「おみやげ」として句会当日に配る手筈である。
どういった感じに仕上がっているかは当日のお楽しみ。
最初に1冊作ったものはすでに吉沼に送ったのだったが、その後、何冊か私の判断で配ったものもあり、例えば1冊は「亜細庵」で流通している。店主に見せたところ読みふけり、お手伝いの女性も「読みたい」というので1冊あげたのだったが、やはりというか、今日行ってみると常連客たちに出回っていた。驚くのは、概して好評だということで、みな口々に「面白い」ということを言うのだった。で、店主は「人がふえてきたら、会場にうち提供しますよ」と言う。そうか、それもありかと思うのはちょうどあのぐらいの空間(とあそこに入れる人数)が手頃なところなのではないかと思えるからで、またいろいろごちゃごちゃしていて「だだっぴろさ」がないのも手っ取り早く、「誰かの部屋でやる」的なだらだらした方向で行くとしたら、わりと有効なセンなのではないか。まあ、途中でのどが渇けば飲み物を注文できる、ということもあるし。

3.3(月)

2003.3.4 16:12

日付に釣られついつい「ひなまつり」と書いてしまったものの、べつに私自身がそれを行事として執り行ったわけではないし、それはつまり「くもり」とか「雨」とか、日記についてまわるそうしたたぐいのもので、ただくもりがくもりとして、雨が雨として不可避的に体験をともうなうのに比べ「ひなまつり」はどうかといえば、空腹につい、透明なプラスチックのパッケージに「祝・ひなまつり」とシールの貼られた6個入りのエクレアを買い、それを食べたが、そうか「ひなまつりを祝う」とはたしかに言うものの、「祝・ひなまつり」という響きにはどこか違和があり、「それではぁ、ひなまつりを祝しましてぇ」と音頭を取る男はいったい音頭を取り何をしようというのか、想像が湧かないのだった。
結局、未明のうちに送電の止まる気配はなく、それでいったん寝てはやく起き、起きてもまだ電気は止まっていなかったが、8時40分から営業している東京電力の荻窪支社で早朝、払いをすませる。
「それではひなまつりを祝しまして、これから出発いたします」と男は小旗を持ち、先頭を歩きはじめるかも知れず、ぞろぞろとそれについていく5人の男女はいったいどこへ向かうのか。それぞれにタイプの異なる5人の男女はそれぞれの思いを胸に秘め、はたして、このなかから無事カップルは生まれるのか。

吉沼からメール。「競争で読まないか」と標題にあり、なんのことかと思えば、昨日最後に少し書いた埴谷雄高の『死霊』のことだった。
「久々に更新された日記で、突然『死霊』のことが出てきて驚いた。」と書く吉沼もまた、箱入りのハードカバーのそれを10年来所有していて、いまだに読んでいないらしい。「手許にはあったので、これをきっかけに読もうかと思う」と言う吉沼はそして、「まだ、存命なんだっけ」と埴谷雄高のことを訊く。
いや、97年に亡くなっています。だから『死霊』は未完。
ところでその『死霊』だが、私の買った講談社文芸文庫の帯の背には「日本文学大賞!」と書かれてあり、いやまあ、たぐいまれな「偉業」としてそれはそうなのかも知れないが、しかし「日本文学大賞」というのもなんだか大味な名前の賞であり、なにかもっとこうシュッとした賞をあげられなかったものかと思うが、しかし考えてみれば「受賞」と謳われているいるわけではなくそこにはただ「日本文学大賞!」と書かれてあるのであり、あるいは思いのたけを抑えることのできなかった編集者が叫んだ、つまり、「よっ、大将!」みたいなことなのかも知れない、と、無責任なことを書いている場合ではなく、読むよ、私は。

で、「疝気の虫」だが、まず昨日の文章をいくつか訂正しなければならない。ひとつは「ぼくらの知っている、倒れる前の志ん生」という書き方で、こう書けばあたかも「風呂敷」のほうは再起後の映像であるかのようだが、そんなことはないのであって、NHKの「風呂敷」の映像は昭和30年の録画、志ん生が高輪プリンスホテルで倒れるのは昭和36年の暮れである。そして『銀座カンカン娘』は昭和24年のお盆映画。当時59歳、帰国して2年後の志ん生はやせていて、やたら精悍である。
以上、こまかい年次は雑誌「一冊の本」に連載された小林信彦さんの「志ん生、そして志ん朝」を再読して確認したものだが、それでさらに読み直してみれば、べつに小林さんは「風呂敷」の映像と『銀座カンカン娘』のなかの志ん生とを比べて「断然こっち」といった言い方をしているわけではなかった。『銀座カンカン娘』を紹介したのち、「風呂敷」のビデオが出ていることにも触れ、「あまり面白くない。志ん朝の解説付きで、今となっては、解説の方が貴重である。」という書き方をしている。大差はないかも知れないが、ちょっとニュアンスがちがうかと思い、これも訂正。(ちなみに件の連載はごくあっさりした短いものですでに終了しており、これにその他の文章を足して一冊にまとめたものは『名人―志ん生、そして志ん朝』として朝日選書からすでに出ている。)
それで、問題の「疝気の虫」にもどるが、やはり時間がなく、早送りにしながらそれを見つけた。だいたい開始30分後ぐらいのシーンである。「替り目」のように「いまから落語を一席やります」というあからさまな枠設定があるわけではなく(ちなみにラストの「替り目」は登場人物が勢揃いした茶の間で、これから新婚旅行に出る主人公カップルの門出を祝して一席、という設定である)、「疝気の虫」のほうは完全な断片で、奥でメインのストーリー(家のなかの動き)が進行するなか、手前の縁側で、「引退した落語家」という役柄だから噺を唆(さら)っているというのも少しおかしいが、とにかく勝手にしゃべっている。
で、それがですね、めちゃくちゃ面白いのですね。めったに使うべき言葉ではないがこれは「爆笑」。少なくとも初見なら爆笑まちがいなしとみたね(むろん「疝気の虫」を知っていることが前提ですが)。はじめ、「まずあなたが蕎麦を食べて」とおかみさんに疝気の虫撃退の手順を説明するシーンを演じていて、カットが替わり、その後またカメラが縁側にもどってくると「あっち引っぱったりこっち引っぱったり楽しげな疝気の虫」のところに変わっていて、縁側でひとり志ん生がエスカレートしている。ああ、さてはこれがリアルタイムを知り、「志ん生、志ん生」と言っているひとたちの「志ん生」かという躍動感。そして前者、おかみさんに説明するくだりのごくごく断片的なやりとりでそれは伝わってくるが、やはり、このひと「めちゃめちゃ上手い」んですね、落語が。これ、まちがっちゃいけません。志ん生はものすごく「上手い」のです。

3.2(日)

2003.3.3 1:33

いま、ぎりぎりのところでこれを書いている。ほんとうにぎりぎりだ。むろん何日も前から舞い込んでいたわけだが、東京電力からのその通知は未納であるところの14年12月分の電気料金を3月2日までに払え、さもないと3日以降ご不在でも送電をお断りすることになりますと至極当然のことを告げていて、私は不在でもなんでもなく、こうして部屋にいてパソコンも起ち上げているが、気が気ではないのは結局まだ払っていないからで、もっとはやくその可能性を考慮に入れておくべきだったが、払込用紙が見つからないのだった。
というわけで明けて3日となったいま、いつ送電が止められ、目の前のモニタがぷつんと消えて、G4のハードディスクの回転が止まるかわからない状態なのであり、だとしたらあらかじめシステムを落としておくのが筋だとはいうものの、もう何もかもがおそい。てっきりガスのほうだと思っていた。

2月はほんとうにだめだったというのは「Yellow」のことで、ちっとも日記が書けなかった。かわりに「Red」のほうをがんばったということで納得していただきたいところだが、むろんほんとうは両方を充実させたい。私が更新しなかった間、スクロールメッセージのほうは何回か誰かが書き換えてくれたが、やはり本体の日記が更新されないとメッセージの流し甲斐がうすいかも知れない。
一方掲示板はといえば、留守中ここぞとばかりに yAs(荒川)とドラゴン(田村)が闊歩し、腹立たしいほど語彙のない会話をしている。[記事番号:35]
それはそれとして、ぜひレスをつけたかったのはその前に書き込まれた永澤の質問で、「先生教えて」というタイトルで永澤は次のように書く。[記事番号:37]

Holon Linux4.0でPowerMacintosh7600/200の内蔵Ethernetポートが認識できないんだけど,どこをどうすりゃいいんでしょう.

 知るかよ。

で、志ん生のこと。
と書けば何か生前親交があったかのようだけどそうではなくて、上山君が昔私に借りた(貸し付けられた)「風呂敷」のビデオの記憶など持ち出しつつ「いまやっと、志ん生が面白いとわかった」と日記に書いているわけだけど、今日私が買ったのは2月に発売されたばかりの『銀座カンカン娘』のDVDで、つまり、目当ては劇中に挿入される志ん生の落語である。志ん生は、主演の高峰三枝子が下宿している先の大家で、引退した落語家という設定。「動く志ん生」としては「風呂敷」よりもこっちのほうが断然いいと書かかれた文章を読んで記憶にあったもので、むろんそんな文章を書くのは小林信彦さんなわけだが、それで手を伸ばした。
通して見ている時間がなく、大団円のラストにいささか奇妙なかたちで一席入る「替り目」だけ確認する。奇妙なかたちだというのは一席ほぼそのままを志ん生がしゃべるからで、若干の余計な映画的処理(他の登場人物が噺にリアクションするカットが差し挟まれたり)はあるものの、どうにも劇とは非連続な空間が出現するわけで、サゲまでしゃべった志ん生が「へい、ご退屈さま」とおじぎしたところで暗転、「終」の字が出るにいたっては、当時の志ん生人気のすごさを思いやればいいのか、監督の趣味なのか、両方なのだろうがよくわからないことになっているのだった。
で、志ん生は「風呂敷」の映像に比べれば若々しく、元気な感じで、たぶん小林さんが「断然こっちだ」というのはつまり「ぼくらの知っている、倒れる前の志ん生」が見られるということが大きいんだと思うが、ただ笑える・笑えないということで言えば、それはやはり「客前」である「風呂敷」のほうが面白いというのが正直なところで、というか、私は「客入れをしていない落語(のCDなりビデオなり)」がだめだ。関係ないが、去年の暮れぐらいに出た柳家小さんの「古典落語特選集」とかいうやつも1巻だけ買ったが、これも客なしで収録したものだった。あれはよくない。聞くのに身が入らないというか。
『銀座カンカン娘』では他に「疝気の虫」の一部も挿入されているといい、ただそれはどこの箇所かわからず、通しで見ればいいんだけどその時間がなくてまだ確認していない。「替り目」よりも演題的に惹かれるのはやはり「疝気の虫」のほうだ。かつて「疝気の虫」を教わりに行った柳家権太郎に志ん朝が渋い顔を作り、「『火焔太鼓』って言われてるけどね、ほんとは『疝気の虫』なんだよ、親父は」と言ったというのを、もうかなり前になるが権太郎がマクラでしゃべっていた。

いや、思ったよりも長々書いてしまったが、ほんとうは今日のメインは新宿のパークタワーホールに、ニブロールのダンス公演を観に行ったことなのであり、それはほんとうによかった。公演後にトークショーがあり、そのゲストが宮沢章夫だと書けば、ああ、そういうことですかと思われるだろうし、そのトークショーはほんとうに楽しかったが、しかしはじめて観るニブロールのダンスがものすごくよかった。
開演前にホールで煙草を吸っていたら、「いや、近所なんですよ、うちが」という雰囲気を漂わせて開演10分前ぐらいにふらっと入ってきたのが宮沢さんで、目で追っていると、宮沢さんも煙草を吸うのでこっちのほうにやって来、私が目を合わすような逸らすような具合でまたただのファンになっていると、顔を覚えていたらしい宮沢さんが「あ、君。」と口にした。で、「追っかけ、第3弾です」と応えると、「困っちゃったなあ」と小さく、困ったように言うので笑ってしまった。
いや、だからまあそうしたこともあったわけですが、なにせ面白かったのはニブロールである。

そのあと、紀伊国屋で黒田硫黄「セクシーボイス・アンド・ロボ」第2巻を買う。あと、講談社文芸文庫で出た埴谷雄高「死霊 I」も買ってしまった。講談社文芸文庫にはいつも油断させられ、レジで驚かされるが、「死霊 I」は1,400円だ。それは文庫の値段なのか。そして、はたして読むのか、俺。