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オリジナルスタイル 「不在日記」ふうスタイル

27 April 2004 (Tue.)

2004.04.28 15:46

ページ上部にある「オリジナルスタイル」と「『不在日記』ふうスタイル」というのをそれぞれクリックし、より読み易いほうを選んでいただくべくスタイルシートを切り替えられるようにしてみた。どちらが選ばれたかをクッキーに保存するので、次回以降は(およびトップページ以外も)選んだほうのスタイルシートがまず適用される。「おお」とか思っていただければ幸いだ。
宮沢さん自身は「不在日記」の初回に

デザインが「富士日記」とほぼ同じなのはいかがなものか。

 と書き、またこれまでに何度か「ウェブデザインというやつに飽きている」ことを日記のなかで表明しているが、それはそれとして、「京都その観光と生活」あたりからはじまるこのデザイン(元をただせば「コンピュータで書くということ」あたりから変わっていないが、「京都〜」の途中でフォントサイズ指定が「14px」になったのはわりと革命的だった)は、しかし単純にかなり読み易く、こうした(とくに長文の)日記ページのデザインとしてひとつ完成している感があって、いろいろそれに抗いつつデザインするものの、やっぱり「これもいいよなあ」と用意したのが「『不在日記』ふうスタイル」である。あと、宮沢さんが老眼であるということへの、非常にピンポイントな配慮もむろんある。「14px」は、Windowsではかなりちょうどいい「ふつう」のサイズだが、Mac(の、OS 9)では「ちょっとでかい」サイズにあたり、しかしそのでかさが、まとまった量の文章を読むときなどには読み易いと私も感じ、宮沢さんがネットサーフィンする環境というのが聞くところによると Mac OS 9 + IE 5 らしいので、と、「14px」というのはおそらく宮沢さん自身が読み易いと感じているサイズなのではないかと思われるのだった。
まあ、読み易い(見易い)ほうでどうぞ。内容は変わりません。いきなりうまい文章など書けません。

掲示板に「yN」さん(=永澤である)が「やるね」と書き込み[記事番号:77]、その制作発表の模様を伝えるニュースページにリンクを張っている舞台「空飛ぶ雲の上団五郎一座・キネマ作戦」は、むろん「やる」ということはすでに知っていて、さらに今回は申し訳ないことに、とくに声は掛けず、自分たちの分(2枚)だけイープラスの先行抽選予約で確保させていただいたと、友人のみなさんにはこの場で報告しておく。がんばって一般前売りでとってください。これは観たほうがいいと思う。きっと面白い。
前回の旗揚げ公演のさいには「前売りでのチケット確保がやたらむずかしいかわりに、行ってみたら当日券がやたらあった」(それで前売りと当日とで2回観た)ということがあり、「東京に喜劇の常打ち小屋を」という目標を掲げている団五郎一座であるだけに「当日券重視の思想」でもあるのだろうかと以前「Yellow」にも書いたが、前にケラさんと話す機会があったとき、聞いてみるとそれは「たまたま」だったということである。
下館の図書館にもあったということで話題沸騰[記事番号:78](←書き込んでいる「あ」さんは私の次兄で、そうま「あ」きら)の『関東平野の隠れキリシタン』だが、ここでレスをさせてもらえれば、一方、井上鋭夫『一向一揆の研究』(吉川弘文館)は杉並中央図書館にあった。
どうしようか、兄ちゃん。
あるいはここ(6,800円)やここ(9,000円)など、買う気ならば古本でも見つかったが。

Pさんが腰を痛めた。痛めたというか、前からたまに痛いと言っていた部位が悪化したらしく、きのうとりあえず行ってみた整体では「(本格的な)神経痛」ではないかと言われて帰ってきた。べつに歩けないほどではないが、何かと痛いらしい。せんだっての「文芸漫談」でのいとうせいこうさんも杖をついて登場していたが、腰といえばやはり宮沢さんだ。腰の権威。

夜、Pさんが腰が痛くて作ってもらえず。荻窪「花月」のラーメン。

26 April 2004 (Mon.)

2004.04.28 13:13

夜の献立。とりの唐揚げ、茄子としめじとあといろいろの炒め物、味噌汁(油揚げ、玉葱)、キムチ、納豆、らっきょう、じゃがいものカレー炒め(先日の残り)。

25 April 2004 (Sun.)

2004.04.27 15:10

午前中、起きて「Yellow」を書いたり。
1時すぎに家を出、新宿オデヲン座、2時からの回の『イノセンス』を観る。とりあえず「面白い」ということはわかった。参考書(=パンフレット)を読み、もう何遍か劇場に足を運ばないことにはあとはわからない。そうやって観に行ってまた、「面白い」ということだけ確認して帰ってくるような気もする。劇中に登場する「祭り」のシーン(役割的にはただの情景描写)が圧巻。
終始観念的に進行する物語が、そのラスト、ひどく現実的な(その意味で「些細」ですらある)犯罪(=発端)に辿り着くところでカタルシスを覚えた。そして、そこに辿り着く手前には「活劇」――主人公と、そしてもうひとりの不在の主人公(いずれも文字どおり超人的に強い)がチームを組み、「ああ、もう大丈夫なんだな(笑)」と思わせる、古風な、確固とした、どうにもかっこいい、エンターテイメント活劇。そして祭りのシーンは圧巻。
セリフに古典(たとえば孔子など)からの引用が多い、という話は事前に聞いていて、じっさいそのとおりだったが、「なぜ、この人たちはこんなに引用したがるのか」という劇中の設定にかかわる説明が途中にあり、「あ、そうか」と思うとともに笑ってしまった。

その後、べつの用事で東京に来ていた荒川と新宿で落ち合う。次回「自主リーディング」の戯曲のコピーと、こちらでとってあった荒川たちの分のシティボーイズのチケット(5/4分の4枚)を渡す。
天王洲アイルへ。シティボーイズミックスPRESENTS『だめな人の前をメザシを持って移動中』、初日。
ゴールデンウィークに入ると『トーキョー/不在/ハムレット』の稽古があり、それで自動的に初日になったが、シティボーイズライブは『ゴム脳市場』以来かなり観ているもののそういえば初日を観るのははじめてで――楽日手前、まあ事前にはわからないものの要は「WOWOWのカメラが入る日」が狙い目、と一番最初に長兄の入れ知恵があった――、じっさいこの日は、ああ、これがいわゆる「初日」というやつなのかと、そうした雰囲気がただよう舞台だった。わからないが、5月4日に荒川たちが観る舞台はかなり異なったものになっているのではないかという予感。
唐突でアレだけれども、しかしうまいなあ、きたろうさんは。

このあと会社に行き、仕事しながら泊まることを考えていたが、これ、会社に行ってもただ寝てしまうのではないかという危惧があり、やめにして帰宅。寝る。
ところで、『イノセンス』に関連してこんなページを見つけた。インターネットもいろいろである。

夜、西荻窪「ティーヌン」。ガイカップラーカオ、トムヤムクンラーメン(トッピング・ネギ)、タイ風サラダ。

24 April 2004 (Sat.)

2004.04.25 12:37

アマゾンからきのう届いた『DVD 怪奇大作戦 Vol.6』の4作品を朝、Pさんとふたり一気に見る。私は、「円谷プロの最高傑作としての『怪奇大作戦』」という見方に与する者のひとりだが、それにしても驚いているのはPさんがこのシリーズにご執心だということで、DVDシリーズの刊行開始を機に毎回、各巻が出るごとにいっしょに見て(2巻目以降は「見せて」ではなく「見て」)いるが、最終巻を今日見終わって、「私のいちばん(よかったの)はねー、……『かまいたち』」と言うPさんは、かなり正しく『怪奇大作戦』を受容しているのだった。
実相寺昭雄監督作品はふつう(『ウルトラマン』でも『ウルトラセブン』でも)「傍系」「異色作」として扱われるが、『怪奇大作戦』におけるその4作品は、(むろんものすごく「実相寺っぽい」ものの)しかしよく考えると、ストーリーとしてはどれも「きちんと事件が解決している」ことに気づかされるのであり、となると、やはりこのシリーズの「直系」としてあるのは「事件が解決される、されないはどうでもいい」あるいは「すっきりする、しないはどうでもいい」というスタンスに立った脚本、演出なのであり、そうした意味での「かまいたち」はやはり代表作だろう。

見終わって食事をしたあと、杉並区の下井草図書館へ行ったのは『関東平野の隠れキリシタン』を借りるためだ。ネットの蔵書検索でここにあることを確認していたのですぐに請求し、書庫から出してもらったが、図書館員が手に持ってあらわれたそれは、ほんとうに分厚く、宮沢さんの話を「話半分」に聞いてしまっていた私は少しのけぞった。
これがそれ。

『関東平野の隠れキリシタン』

在野の研究家(本業は眼科医らしい)の手になるこの本は、宮沢さんも「研究書としてはこれ、アカデミックな世界では認められないんじゃないかなあ」と口にしていたように、私はまだぜんぜん読んでいないものの、かなり「だめ」な雰囲気の伝わってくる装幀(カバーとか)であり、この分厚さも単純に「抑制のきいていない」印象を与えて、(いや、文意つながってないかもしれないが)わくわくする。ほんとうに分厚い。通勤通学で読むのは無理だ。

図書館からいったん家に戻り、美容院へ行くPさんといっしょにふたたび出て、私は休日の会社へ。予定されていた『トーキョー/不在/ハムレット』の稽古がなくなったので、仕事。
会社ちかくの本屋で園田義明『最新アメリカの政治地図』(講談社現代新書)を買う。先日、高森さんがその日記で紹介していた「ふたつの日本/イラク日本人人質事件編」の著者の手になる本。ところでこの園田さんのページのタイトル「萬晩報」というのは、国文学科卒の血を騒がしてべつにどうでもいい注を付ければ、明治期の有名な大衆向け新聞「萬朝報(よろずちょうほう)」のもじり。
10時半ごろ帰宅。これまたPさんがご執心の刑事コロンボ「自縛の紐」を見て寝る。テレビで再放送をやっていた柄本明、小泉今日子主演、久世光彦演出の「先生の鞄」は録画。

昼、チャーハン。夜、ほうれん草とベーコンのソテー、じゃがいものカレー炒め、ししゃも、味噌汁(油揚げ、ねぎ)、納豆、キムチ、らっきょう。

23 April 2004 (Fri.)

2004.04.24 20:07

宮沢さんの iBook は無事だったらしいが(24日未明の時点の情報)、その一方で私の次兄の PowerBook は瀕死の状態にある。だめなのは液晶モニタらしく、「(液晶を)手でひねってないと画面が固まり、そのまま放置すると、だんだん表示が上下に伸びながら薄くなり」、そしていまにも「デイジーデイジー」と歌い出しそうだ()という。かなりまずい。兄は「歌った」とさえ言い、まずいのは PowerBook なのか兄なのかわからないことになっているが、とりあえず新発表されたばかりの PowerBook を発注したとのこと。
「自主リーディング」参加者の利用する連絡用掲示板に、次回『天才バカボンのパパなのだ』の配役を書き込む。あと、テキストを手に入れられない参加者のためにコピーを用意し、郵送。ここまで下準備をするのは3回目にしてはじめてである。まあ、みんなまだテキストを手に入れていなかったりして読んでいないということもあるが、配役にとくに異論は出ず、ほっとする。それであらためて戯曲を再読しつつ、しかし面白いなあこれ、『天才バカボンのパパなのだ』。
「自主リーディング」に関してたわむれに思いついた企画のひとつは、それ自体はありふれた発想かとも思うが「シェークスピアをさまざまな人の訳で読む」というもので、しかしそれを(最低)数回にわたってやる時間はないし、またそこまで時間をかけてそれだけをやることにみんなの同意を得られるかは疑問で、そこで、それを「いっぺんにやる」のはどうかと考え、つまり『ハムレット』ならばたとえばハムレットのセリフは福田恒存訳、クローディアスは小田島雄志訳、オフィーリアは松岡和子訳、といったふうにセリフを発し合うのである。問題は、誰のセリフを坪内逍遙訳にするかということで、そこには神経を使わねばならず、また、役のひとつは「その役を割り振られた人が訳してきた訳」というのはどうか。いや、「どうか」じゃないけど。まあ、しかしそれ、そういうふうになったテキストを用意するのがたいへんだよ。あるいは各人がそれぞれちがう訳本をもってやるという手もあるが。
アマゾンから『DVD 怪奇大作戦 Vol.6』が届く。「呪いの壺」「京都買います」(いずれも監督・実相寺昭雄)を含む最終巻。

夜、外食。「花月」のラーメン。

22 April 2004 (Thu.)

2004.04.23 23:12

荒川からメールがあり、9時半開始の「自主リーディング」に間に合うためには栃木にある最寄り駅を6:36発だとのこと。そんな無茶をして大丈夫なのか、荒川。
と、その一方で心配なのは私が遅刻しやしないかということで、おそらく荒川は万難を排し、見事に9時半に会場に姿を見せるとみたが、そのさい、いちばん近所に住んでいる私が遅刻しようものならいったいどうなるかと考えればおそろしく、まずまちがいなく、荒川は怒る。怒るとみた。「ふだんはあんなにやさしい」と評判の荒川の表情がみるみると変わっていくのであり、それに対して関係者一同おどろきの色を隠せない様子なのは、皆が皆「おとなしい生徒でした」と口を揃えるほどの怒りようだからだ。何を書いているのかよくわからないのでいまから謝っておくが、すまなかった、荒川。
ちなみに、荒川はこんな顔をしている

携帯電話のメールを使う機会がふえた。いちばん大きいのは同居人であるPさんとの連絡をそれで取ることが多いからだが、しかし「親指タイピング」というやつにはまったく慣れないのだった。「携帯メール」の前で、かつてなく私はだめな気分に襲われるのであり、「リズムのいい、うまい文章を書いてやろう」という意欲がまずその面倒臭さのために削がれるのは言うまでもないが、かりにそうした向上心をもってメールを打ったとして、しかしそれにはやたら膨大な時間がかかり、いや、向上心など捨てたとしても時間がかかるのであって、そのときまさに、自分が「まぬけなからだの状態」になっているのではないかと感じるのは、だってどうしたって「ちまちま」しているからだ。「ちまちま」って、ところで何だよ?と問いたいほどに「ちまちま」はいけない。
言い換えれば、携帯電話のあのキーたちはつまるところ0〜9の数字なのであり、「ずっと携帯メールを入力している人」というのは、「ずっと番号を押し間違えて電話をかけられずにいる人」と原理的に区別がつかないのである。
いや、言い換えになっていなかったかもしれない。
携帯から送られてくるメールにはしばしばタイトルがなく、これもインターネットのメールからスタートした者にとっては「だめ」を感じさせてあまりあるが、しかしやはり、丁寧にタイトルなど付ける気にならないのが携帯メールというやつだということもまた、いざ自分が使ってみるとよくわかるのだった。

最近ある小説を読み、そこには、思いを寄せる男性に向けて若い女性が打った携帯のメールというのが本文の一部として使われるのだったが、これ、あり得るのだろうかと単純に思ったのは、その文章がやたら長かったからだ。しかもかなり丁寧な文章。「携帯で打つかな、これ」と自分に引き寄せて考えたものの、しかし若い世代のなかに「親指タイピングのやたらうまいやつ」というのが存在する(しかも「ふつうに」存在する)のだろうことは想像に難くなく、小説中のその女性が「そうした人」だともまた思えないものの、しかし携帯メールしか連絡手段がない者にとっての「切実さ」がそのメールの長さに現れているのだとすれば、そうか、そうした日常もまたあり得るのかもしれないと思うのだった。

次回の「自主リーディング」に使う『天才バカボンのパパなのだ』を読み、配役を考える夜。

夜の献立。親子丼、味噌汁(きのうの)、納豆、キムチ。

21 April 2004 (Wed.)

2004.04.22 17:26

「不在日記」は京都滞在期間中、見事に更新されない。大丈夫だろうかと少し心配にもなり、あるいは戯曲の執筆のほうがノリノリなのかもしれないとも考えるものの、いずれにしろ多忙というか、根をつめているにちがいなく、大丈夫でしょうかと心配していることをここに書いてもしょうがないものの。
更新されていないとわかっていつつも、ついついリロードボタンを何度も押せば、そこに表示されるのは変わらぬ4月18日分の日記だ。何度か読み返したそれをもう一度読み、やはりちょっとわからないと思うのはこの箇所である。

イラクの人質事件については様々な論調が出ているが、いくつの論調には、「蟹は自分の甲羅にあわせて穴を掘る」という言葉を差し上げたい。

 「蟹は自分の甲羅にあわせて穴を掘る」という言葉(ことわざ)のニュアンスがもうひとつ掴めないのだった。
「うまいもんだよ、蟹は」と、そういうことだろうかと考える。そこに浮かぶのは、「こうやってさあ、上手に自分の甲羅にあわせてさあ、掘るんだよ」と、いままさに自分が目撃してきた蟹の手柄を熱心に、身振りを加えつつ語る男の姿だ。「あの手で?」などと相づちを打つ者が現れようものなら話はとまらない。「そうだよ、あの手でだよ。えらいよなー、蟹」。
よくわからないが、しかし、そういうこととはちがうのではないかと思うのは、それ、ことわざでもなんでもないからだ。
あと、私が登場させられているこの箇所、

そういえばS君が古河の駅前で待ち合わせをしているヤンキーの会話は笑う。

 は、あきらかに文章がおかしく、そのまま意味をとろうとすれば私がヤンキーと待ち合わせをしていたかのようにも読めるが、そうではない。「S君」側から訂正させてもらえばこれは、

そういえばS君が録ってきた、古河の駅前で待ち合わせをしているヤンキーの会話は笑う。

 である。

「自主リーディング」の第3回は、5月16日(日)の午前9:30〜ということで一応決まった。早朝リーディングである。早朝になったのは参加者のひとり渡邉さんの都合(出演される舞台の稽古が5月なかば以降いよいよ本格化するため土日はなかなか時間がとれない)に合わせたところが大きいが、しかし意外にも「9:30集合」に異論は出ず、あまつさえ「いいですね、健康的で」などと言い出す者まで出る始末なのであり、そもそも渡邉さん自体、そんな状況ならこんな「自主リーディング」の集まりなどどうでもいいじゃないか、寝て、稽古の疲れをとったらどうなんだと言いたくもなるものの、しかし、

今、稽古真っ最中で、いろいろと考えるところがあったのですが、皆とリーディングをやって、ただ単に演劇は楽しいものだなということを改めて感じられたのが、今の自分にとってとても良かったことでした。

 と、連絡用の掲示板には泣かせることを書く渡邉さんだ。
さらに今回初参加を予定している荒川は私の高校の同級で、つまり4月10日に北川辺町に行った際に車の運転をたのんだ男だが、栃木から駆けつけるのだった。場所は杉並の区民施設である。はたして9:30に間に合うのか。そして何時起きだというのか。
渡邉さんの出る公演は都合がつけばぜひ観に行きたいところだが、6月といえば上山君夫妻の「結婚披露合宿」もあるのだった。いま思い出した。あぶないところだった。さらに渡邉さんだけでなく、ある方もまた舞台に出るのだと言い、それは7月だそうだが、それも気になるとすればこうして土日はどんどんと埋まっていく。会期が長いことで油断しがちな「遊園地再生事業団と宮沢章夫展」もまだ足を運んでいないし、南波さんの日記で知ったが、ぴあフィルムフェスティバルにノミネートされたという浅野晋康さんの映画『新しい予感』も観たいところだ。
南波さんの日記を読んでいて笑ってしまったのは、南波さんがある方からこう言われたらしいことだ。

「高山(玲子)さんが自分自身を8出しているとしたら、南波さんは2ぐらいしか出していない」

 あはは。「2」は少ないな、「2」は。うらやましいくらい出ていない。で、「2」って、いったいどこから出てきた数字なのかと思うが、ちょっと気になるのは「8」と「2」で「10」だということだ。まさかとは思うが。
家に帰ると注文した『天才バカボンのパパなのだ』が届いていた。宮沢さんの『Mac Power』誌の連載を読む。

夜の献立。豚の生姜焼き、小松菜の塩炒め、味噌汁(豆腐、玉葱)、納豆、キムチ、はすのきんぴら(きのうの残り)。

20 April 2004 (Tue.)

2004.04.21 18:34

敗猫さんが、その日記ページに先日の「自主リーディング」の模様を書いている。なにより一文がくねくねと長くなく、私が書くレポートなどよりも俄然読みやすいのでそちらも参照していただきたいが、その日記中では敗猫さんが気をつかい、きのうの時点では参加者の名前を出さずに書いてあったのだったが、当「Yellow」が何の配慮もなく名前を出していることもあり、あらためて参加者についての部分が書き加えられ、更新されていた。そしてそこでもまた、私を紹介するにあたって「サイトの多さ」は扱いづらい問題だったようだ。

サイト『ヨミヒトシラズ』を運営する高森さんと『Superman Yellow』等の相馬さんは宮沢章夫さんともゆかりの深い方、そして『敗猫の遠鳴』でもリンクさせて頂いている『ko-trip』の藤原さん、「テキスト・リーディング・ワークショップ」に参加経験のある佐藤さん・渡邊さん、そして僕――といった面々である。(下線引用者)

 あはは。「等」か、「等」と来たかとちょっと笑ってしまった。

「自主リーディング」は月イチ開催というのが(まだ2回しかやっていないものの)どうやらペースになりそうで、次回5月開催分もすでに日程決めなど徐々に話が進んでいる。「幹事持ち回り制」により、次回は私が幹事である。
何を読むかについては、案のひとつに佐藤さんが提案した別役実さんの『天才バカボンのパパなのだ』があり、基本的にそれで行こうと考えている。きのう、それをネット上から古本屋に注文した。

19 April 2004 (Mon.)

2004.04.20 18:33

いま読んでいるもののひとつが坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)だ。戦前の二大危機(=転換点)と著者がみる「昭和6-7年」と「昭和11-12年」のうち、二・二六事件、日中戦争とつづく後者の時代をあつかう内容で、どうやら「昭和史」を扱った本があいついで出版されているらしい状況のなか、とくにこの書名は陳腐に響くが、しかしここで著者が「決定的瞬間」という言葉を使い指しているのは、おそらく、「宇垣内閣の不成立」というひどくマイナーな事件のことである。
著者は、同時代の雑誌論文の分析などをとおして、いわゆる「戦後の常識」の虚構性を丁寧に指摘していく。

報道の自由、批判的言論の自由を奪われ、軍部の無謀な戦争計画を知らされていなかったから、日本国民はあの戦争に反対できなかったという「戦後神話」は、全くの虚構なのである。

 という指摘もそのひとつだし、そこからさらに著者が崩してみせるのは、「国内でファシズムや軍国主義が圧勝したから戦争が起きた」という常識的すぎる常識だ。

一方の極に「戦争とファシズム」があり、他方の極に「平和と民主主義」があるという単純な図式も、また前者が後者を追いつめて日中戦争に突入したという図式も、筆者が調べてきた史実と一致しない。

奇妙に聞こえるかも知れないが、昭和一二年七月の日中戦争直前の日本では、軍ファシズムも自由主義も社会民主主義も、すべて数年前とはくらべようもなく、力を増していた。政治が活性化していたのである。問題は、これらの三勢力が単純な三者関係を作ってくれないことにあった。

 おどろくべきことに(そして、何だかいやな予感を覚えることに)、どうやら戦争は「民主化の頂点」で起こった(そしてその戦争が民主化を圧殺した)らしいのだ。
資料を扱い、論を運ぶ著者の手つきはじつに丁寧ながら、しかしその言葉たちはじつに痛烈であり、どこか苛立っているふうでもある。いや、引用ばっかりで申し訳ないが、本書の末尾に著者が書き付けるのはこうした言葉だ。

 昭和二〇年八月一五日の敗戦で、昭和一二年七月までの軍部と自由主義者と社会民主主義者の三つ巴の対立図式から「軍部」が無くなれば、残るのは自由主義者と社会民主主義者だけで、両者合わせればそのまま戦後民主主義になるのである。唯一の相違は、獄中から出てきた共産主義者が加わったことだけである。
 総力戦中の八年間だけから、日本精神や日本人の心を引き出してくる保守派も、この八年間だけを反面教師として、戦後の自分たちだけが真の民主主義の理解者だと誤解してきた進歩派も、自分の頭の中で作り上げた勝手な日本近代史像に依拠してきた点では、共通の地盤に立っていたのである。ましてや、戦後日本の民主主義を、占領軍による民主主義の移植の数少ない成功例だなどと思い込んでいるアメリカ人がいるとしたら、それこそとんでもない歴史音痴であろう。

18 April 2004 (Sun.)

2004.04.20 0:04

午後、「自主リーディング」の集まりが第1回と同じ江古田の区民施設である。第1回にひきつづきの参加が高森さん藤原さん・私で、今回はじめての佐藤さん・渡邉さんは「テキスト・リーディング・ワークショップ」参加経験者、それと藤原さんの紹介で参加の「敗猫」さんの計6人。
しかし、6人で『ヒネミ』を読むというのはかなり無理な話である。無茶をした。みんな、よくがんばったと、労をねぎらいたくなる春の日だ。
今回も各自が手持ちの『ヒネミ』や、図書館で借りてきたそれを持ち寄ったが、それが2種類あり、「岸田戯曲賞ライブラリー」として柳美里の『魚の祭』とともに収録されたものと、その後に単体で出た『ヒネミ』[新版]だが、それがそれぞれ初演時と再演時の戯曲であって、登場人物(の数)を含めかなり異なったテキストだと気づいたのは、「じゃ、はじめましょうか」となって最初のト書きを読み終わった直後だ。下準備なさすぎである。(そもそも最初のト書きも若干ちがうが)初演と再演とで最初のセリフを言う役が異なっており、それでようやく「あれ?」となった。
で、ふたりで1冊ずつ見ることにし、再演時のテキストのほうで読むことになったが、初演に比べ、ぐっと登場人物が増えているのが再演だ。多いだけでなく、複数の役をひとりの役者が演じることで多重化・多層化が演出される仕組みで、しかし、この役とこの役は同じ人が読んで、というそのルールを6人で守りとおすのは無理。それをやろうとすると(そのルールにのっとって配分した役のほかにそれ以外の役もやらなければならないので)ひとりで会話しなくちゃならない場面が続出するのだった。
結局、ある程度は役を固定しつつも、困難にぶち当たるたびにそのつど「じゃ、ここの『西川』、俺読みます」的にスクラムを組んでのリーディングとなる。しかし、そんなふうではあるものの、それでもやはり複数の人間が声に出すことによって立体的に見えてくるものはあるのだった。
1時半の集合で、読みはじめたのは2時近かったかと思うが、無事、4時すぎに読み終わる。ほっと一息つき、しばしそのまま歓談。渡邉さんは6月にある山崎哲さんの舞台に出演するということで、このあとその稽古があるため4時半に帰っていき、その後、残りのメンバーはちかくのデニーズに場所を移して6時までおしゃべり。
ところで、「敗猫」さんはシナリオライターをめざし勉強中という方で今回はじめて会うのだが、藤原さんをつうじて最近つながりができるはるか以前に、私の「Superman Red」をネットサーフィン中に見つけ、私のことを知っていたのだそうだ。これは1998年にアップしたものだが「特集『きれる!』」というネタがあり、「敗猫」さんは当時「キレる」という現象についてネットで調べるうち、検索サイトからこのネタに辿り着いたのだという。まったく、その節は無駄足を踏ませて申し訳なかった。反省している。

17 April 2004 (Sat.)

2004.04.18 1:33

先週の土曜日(10日)に北川辺町周辺に行き土地の若者の会話を録音したその音源に、文字に書き起こしたテキストを添え、ようやく金曜日(16日)の夜に宮沢さんにメールで送る。MP3に変換し、それを圧縮したものを添付したのだが、それでも14MBちかいファイル。ふつうならばどこかウェブ上にアップし、URLを教えてダウンロードしてもらうサイズだが、宮沢さんのところは光だし、大丈夫だろうと送ってしまった。あとで聞くと、しかし受信に数分かかったという。これ、宮沢さんが京都にいる間に送っていたら(京都のホテルでの回線環境は知らないが)あぶなかったと送ったあとに考えが至った。
その先週の土曜日付けの「不在日記」に――つまり更新時からいえば私がすでに北川辺から帰ってきたあと――、宮沢さんが、

ふと気がついたのは、「病院」である。気がついたときにはすでに夕方だった。大きな病院だったら人が集まるはずで、しかし北川辺町にはそんなものはない。隣接している栗橋町に「埼玉県済生会栗橋病院」がある。地域的にもあまり変化はないし、おそらく、北川辺町の人たちもそこに来るはずだ。もっと早く気がつけばよかった。

 と書いていたその「埼玉県済生会栗橋病院」に、今日(17日)の午前中に行ってみることにしたのはまた急な思いつきで、さしたる考えもなかったが、こっちにはあのあとに買った指向性のある外部マイク(これ)があり、これさえあればというか、これを試してみたかった。病院のサイトを参照すると、土曜の診察時間は8:20〜12:00とあり、東武日光線の「南栗橋」駅から徒歩5分なので、今回はひとりで電車を使い行くことにし、午前9時すぎごろ家を出る。
10時すぎ、例によって何もない「南栗橋」の駅に着いたが、その駅前にある自動販売機で朝ご飯がわりの缶コーヒーを買えば、その自販機には、私ははじめて出会う「ポイントカードシステム」が搭載されていた。商品を買い、「ポイントカードを作る」というボタンを押すとテレフォンカードのような磁気カードが出てくるのであり、これ以降は購入時にそのカードを挿入し、その自販機で飲み物を買うたびにカードにポイントを貯めることができるらしい。思わずポイントカードを作ってしまったものの、しかし、はたして次にこの南栗橋駅を訪れるのはいつなのだろうか。もう二度と来ないかもしれない。

済生会栗橋病院外観

写真などべつにどうでもいいものの、ちなみにこれが済生会栗橋病院だ。
病院にはたしかに人がいた。しかし、病院で人は静かだ。みな、声をひそめてしゃべっている。だめじゃないか。1階のフロア、さまざまな待合い室をひととおり見て回ったが、ややあたりをはばからない調子の若いお母さんふたりが1組いただけだった。しかも、そこでは泣き騒ぐ子どものほうがうるさい。
あきらめて、11時すぎごろ、栗橋をあとにして古河へ。また、古河のサティへいく。しかし、わりと方向音痴な私は古河駅から歩きだしてしばらくするまで勘違いしていたのだが、古河のサティはべつに「駅ちかく」にあるわけではなかった。国道4号線沿いにある古河のサティは遠かった。
さらに時間帯がちがったためか、古河のサティには先週ほど高校生グループがいない。食事をとれる休憩スペースには年輩の人たち、家族連れが多い。自分も食事をとりつつ、1時ぐらいまでサティにいたが好機は訪れず、それでサティもあとにしてまた移動。何の考えもないまま歩き出したが、だいぶ歩き、なんとかイトーヨーカドーに辿り着く。しかしイトーヨーカドーも同じような感じ。イトーヨーカドーのとなりにマクドナルドがあり、そこにわりと大きめの声で会話に夢中になっている女子高校生ふたり組がいた。となりの席でコーヒーを飲みつつ、録音したが、どう考えても私の存在はかなり怪しく、ふたりが会話に夢中になってくれていることが唯一のたのみだ。だいいち、外部マイクをはっきりとテーブルの上に置いていたし。わりとクリアに、長めに録音することができたものの、訛りの採集という点では成果なし。つまりまったく訛っていなかった。会話は面白かったけど。

ほとんど成果のないまま北関東をあとにし、東京に戻る。会社に寄り、今日録った分の音をCD-ROMに焼く。それからいったん渋谷へ。Pさんと待ち合わせ、かるく食事。古河から来てみれば、言うまでもなく渋谷はただごとでない人の多さである。
6時から、池尻で「トーキョー/不在/ハムレット」の稽古。ひきつづき小説版「トーキョー/不在/ハムレット」(その第1稿)を使って本読み。前回のつづきから読んで、8時すぎに読み終わった。そのあと宮沢さんから今後の構想について、いま現在思いついているところまでの説明がある。全員ではないもののほとんどメンバーが揃ったこともあり、早々に稽古場は引きあげて三軒茶屋のお店へ移動、「親睦会」ということになる。