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1.15(水)

2003.1.16 23:14

こうして、いつしか遠いところまで歩いてきてしまったと気づくのは、ずいぶん忘れてしまっていることが多いからで、そういえば昔は、こんなものがあったな。

デスクトップ・エイリアス

 あったあった。File Buddy というシェアウェアで作るのだ。要はただのエイリアス(Windows のほうで言うショートカット)で、上で言うと、Photoshop、Illustrator、SimpleText、Compact Pro のそれぞれ別のアイコンが4つある(下のファイル名がごちゃごちゃしているのはそれらが重なっているため)。で、File Buddy ではエイリアスのアイコンを4分の1サイズにでき、さらに四隅のどこに表示させるかという指定ができて、そうやって作った4つを組み合わせて上のようにすると、それが通常のアイコン1個分のサイズである。つまり省スペースというやつだ。最後にこれをデスクトップの一番下にもっていき、下のファイル名の部分をモニタ外に隠す。まだ、「コントロールバー」も「ポップアップウィンドウ」も「コンテクストメニュー」もなかったころの話。機種で言えば LC575。あったあった。やっていた。というか兄の IIvx のデスクトップがそうなっていて、まねしていた。
忘れていることはずいぶんある。
真夜中過ぎのジョナサン(ファミレス)で禁煙席に通されると、となりの男女ふたりが、専門学校生というやつだろうか、出てくるソフト名は Illustrator、Photoshop、Form-Z などだが、「けっこう俺、Mac 使えるようになったよ」といった調子の会話で、例えば何をランチャーにしているか(よく使うソフトをどうやって「手の届くところ」に置いているか)といった Tips の解説をされ、ついついこちらまで前述の記憶など引っ張り出している。
忘れているな、ほんとに。そのふたりの会話を聞けば、しみじみとそう思わされるのであって、思えば私は、もう長いこと次のようなことを口にしていないのではないか。

「あ、それ今度やってみよう」

 まったくだめだ。「あ、それ今度やってみよう」を口にしなくなれば人間おしまいである。「やってみ」なければいけない。QuickTime の便利な機能など人から聞けば、「あ、それ今度やってみよう」と声を弾ませるのが人間てものであり、「へえ」ではだめなのだ。「へえ」はだめだ。意欲のかけらもない。そこにあるのは、なんというか、「喉元過ぎていった者ら」のだめさだ。

ノートンの「極度の断片化」を、われわれはなぜあんなにおそれていたのか。

 もう一度、そのことを見つめて、あのときの気分を取り返さなくてはいけない。

1.14(火)

2003.1.16 16:03

採録。[記事番号:26]

メモ

1.13(月)

2003.1.15 17:49

熱病が去ったというのは、「Yellow」のことではなく、牛鮭定食についてだ。
この熱病は長かったと言うほかないが、吉野家のメニューに牛鮭定食が登場して少したったころからずっと最近まで、吉野家に入ればかならず牛鮭定食を注文していた。牛丼の並盛りが280円になろうと、また朝食メニューの時間帯であろうと、かまうことなく口をついて出たのは「牛鮭定食」だったあの日々が、しかし気づけば遠い記憶のようになって、いままた「並、たまご、味噌汁」と口にしている。ちょっと牛鮭定食の気分ではない。どうしたことか熱病が去った。考えられるのは「飽きたのではないか」ということだが、それにしては飽きるまでがちょっと長かった。

「刮目して待て」というような言葉で、あらかじめ期待を煽るべきタイプのネタではおそらくないが、「和製ブラックジャック」のネタはなんとなく出来上がりつつある。恭子ちゃんに考えてもらった「10の質問」をそのまま永澤にメールで流して、とくに指示は加えずに素直に答えてもらう。その返事のメールはすでにもらっていて、それを眺め、「うーん」と考えて、結局、会話形式にすることにした。ところどころ書き足したり、質問を加えたりする作業。で、ほぼ出来上がりのところまでもっていき、あらためて永澤に空欄を埋めてもらうことにする。
いつのまにか気が変わっていたというのは、たしか最初はこれ「Red」に載せるネタを「Yellow」の側で準備するみたいな話だったと思うが、それはやめにし、「和製ブラックジャック」に関してはそのまま「Yellow」のなかの別ページにアップするつもり。これでいよいよ、「Red」と「Yellow」と、それぞれの守備範囲がよくわからなくなるが知ったことか。
できれば写真も使いたかったが、準備するのを忘れていた。いい写真があれば上山君とかに送ってもらいたいところだけれど、まあ、おそらく使わずにすます。例によってテキストのみだ。むずかしいといえばむずかしいが、楽しいといえば楽しく、楽といえば楽。
ネタのタイトルは「和製ブラックジャックさんへの10の質問」になる。ってそれ、恭子ちゃんに「質問考えて」というメールを出したときから「10の質問」ということを言っていて、べつに変哲はないが、あらためてそれをタイトルに決め、それでやっと思い至ったが、これ、去年ぐらいにどうも個人サイトで流行ったらしい「〜に100の質問」というやつ(例えば「テキストサイト管理人へ100の質問」などいくつかパターンがあり、フリーで出回っているその100の質問項目に回答したものを各自自分のサイトに載せたり、あるいは自分で別の「100の質問」を作って公開したりという、よく知らないがたぶんそういうムーブメント)の、とてつもなくかけはなれたところまで行ってしまったパロディ、として成立してるんじゃないのか。
元の「100の質問」のほうは当然質問と回答のそれぞれのテキストの一対一対応で、「和製ブラックジャックさんへの10の質問」のほうも最初はそのつもりだったというか、恭子ちゃんがテキストで質問を用意し、永澤が個々の回答をメールでよこすというそこまでは同じ形式だったわけだが、結局それを「会話」させてしまった。そこに出現するのはより生々しいインタビューというか、ふたりの声だが、その会話はひどくうつろだ。しかも質問はたったの10個しかない。一生懸命話すふたり。そもそも誰なんだよ「和製ブラックジャック」って。いったい何を話してるんだふたりとも。
刮目して待て。

1.12(日)

2003.1.15 10:30

熱病が去ったというのは、「Yellow」についてではなく、じつは引っ越しを考えていた。
「中央線沿線好き」であることは以前にもどこかに書いたが、西荻窪もかなり気に入っていて、西荻窪(もしくはまあ吉祥寺近辺)から動く気は毛頭ないものの、この2月にいまの部屋が契約更新なんだよなということをふと思い出し、いや、それはもうちょっと前から思い出していたから直接のきっかけはなんだったか、いずれ無聊にまかせた気がするが、「西荻窪または吉祥寺」「9万円以下」「2K以上」「ペット可」「フローリング」と条件を入れ、ネットで物件検索をしたのだった。はなから場所の指定がはっきりしているのと、それとやはり「ペット可」でキュッと絞られるのか、(そのサイトでは)2件がヒットした。
「9万円以下」というのは、まあ払えなくはないだろうところでの予算アップで、なぜ予算アップかといえば、なにせ無聊にまかせているだけに「いっぺんそういういい値段で注文を言ってみたらどうなのか」ということがすべてだが、おそらく現状レベルの予算で探せば、なかなかいまの部屋から引っ越そうと考えるだけのところは出てこまいというのがあり、いや、だったらべつに引っ越さなければいいのではないかというのは熱病のさめた者の言いぐさで、「とりあえず予算アップ」というその高度成長的な盲目さの根拠は何なのかという冷静さを、熱病のなかにある者に求めてはいけない。
ちなみに「フローリング」という条件は、べつに「シティライフ」的なことを夢見ているのではなくて、スチール本棚を4、5本、壁にもたせかけるのではなく並べるには、(部屋の古さにもよるのだろうが)畳はやはりちょっと無理があるというのをいまの部屋に引っ越す際に学んだだけの話である。
で、2件ヒットしたうちの1件が気になり、とりあえずメールで不動産屋に打診。9万円という予算からいって自然そうなるんだろうがさすがに鉄筋で、2階建てのまあ「マンション」ということになり、その2階の部屋。これまた未知の分野だが「ロフト」というやつが付いていて、そのロフトが、建物のちょっと特殊な構造のために一般的なそれよりも広く、ほとんど「部屋」と言ってかまわないというふれこみで、それを「1」と数えての「2K」になる。駅の反対側になるが、距離はいまとほぼかわらない。
いま住んでいる人が1月末の退去で、いわゆる人気物件というやつのため退去前に次が決まるので実物は見れないが、不動産屋にある写真と、ロフト部分を除けば作りがまったく同じな1階の空き部屋はあり、それを見ることができるとのことで、「無聊にまかせて」云々書いているが平日の会社から検索していて、あるいは一日二日のあいだに先を越されるおそれも大だが、土曜(昨日)は京都に行かねばならず、この日曜を待って不動産屋へ足を運ぶ。
で、結局のところ、その1階の空き部屋を見て、ロフト部分の実物を見れないのがやはり不安というか、そこの不安に頭が行かないほどぐっとくるんじゃないかと思っていたほどにはぐっとこなかったということだが、今日に至るまでの数日のうちに「そうか、引っ越しか」という気分になってしまっていたのが厄介で、「うーん。」となってしまう。
「そうか、引っ越しか」という気分には困ったことになぜか勇ましくさせられ、要は「引っ越しの面倒」が起爆剤となるのだが、要らぬ本を整理しようとか、あれとこれを粗大ゴミに出そうとか、地上波を録りだめたような VHS のテープも捨てていいんじゃないかとか、いろいろやる気になるのであり、よく考えればそれ、引っ越さずともやりゃあいいことばっかりなのだが、「やっぱり引っ越さない」となるといっしょにそのへんのやる気も失せてくる。てんでだめである。
というわけで、「引っ越すかも」ということもあまり周りに言わないまま短期間ひとりで盛り上がっていただけなのであれだが、結局、引っ越しはしないことにしたというか、熱病が去ったわけだが、熱病だけにひょんなところから興ざめははじまるのであり、正直に言えば、最初に「ん?」となったのは不動産屋に見せられた写真に写る「流し」で、いまの部屋もそうだが、ほんとうに「流し部分」しかないタイプの小さいそれは、なんて言うんでしょうかあの「まな板載せられる部分」がない。てっきりあると思っていた。9万出すんだからさ、まな板ぐらい載せたいじゃないか。

1.11(土)

2003.1.14 2:53

あらかじめいっしょに取っておいた切符で、私が東京から、上山君は新横浜から乗り合わせ、京都まで。新横浜に着くまでの車中で「ブラックジャック」を読む。いまコンビニで売っている廉価版のうちの「不思議な病気編」。「和製ブラックジャック先生」のネタの参考にと思うが、ちっとも参考にならないのは、面白くてふつうに読んでしまうからだ。
で、Yellow のこと、個人ホームページをめぐることなど上山君といろいろ話す。
上山君はオフ会のあと、ひととおり「コーナーの日記」を読み返してみたそうだ。「思ってたよりも全然日記だった」とは上山君の感想で、その際に対比されているのはいまのこの「Yellow」だが、そうか、そうだったかも知れないと思うのは、冷静になって思い出そうとすれば「コーナーの日記」がどんなだったかよく覚えていないということがあって、当人としてはつい「おんなじ調子でずっと書いて(しまって)いる」ような気分になるものの、気のせいでしかなく、歩いているうちにずいぶん遠くまで来てしまっているのかも知れない。いまはとにかく、これが面白いのであって、当時はあれが面白かったにちがいないというのがおそらく間違いのないところだけれども。
むろんこの「Yellow」にしても、さらに二、三年後の、その「振り返る眼差し」の前では十分に〈日記〉たりえているにちがいないのだし、そう考えるそばから、京都で落ち合った恭子ちゃんには「こないだ『Yellow』の最初のころのを読み返したんですけど、いまと全然ちがってて」と言われるありさまだ。育ちざかりか私は。
車中、上山君とは「お年玉クイズ」の話にもなり、結局話しているうちに、私が答えを教えたも同然のかたちで正解に辿りついたのだったが、その正解がわかる前、上山君が「じゃあ、これ?」と提出した答えには驚かされた。

「ひので大好き」

 恥ずかしい話だが、それ、思いつきもしなかった。すごいな、上山君。たしかに永澤はメールのなかで「初日の出飛行」という企画もあったかと「地団駄をふ」んでいるのであり、完全に1/1分の日記だけを典拠としてその答えは成立するわけで、思いつかなかった私はまったくテクストの読みがたりない。だめである。

そんなこんなで京都。すでに書いてしまったように、京都で恭子ちゃんと落ち合う。
昨日の日記ではつい「京都で桂米朝の一門会がある」と書いたが、それはまちがいで、会場は滋賀県の近江八幡市文化会館。京都からあらためて電車で30分ほど移動する。会場近くの喫茶店で食事をとり、午後2時の開演。

桂まん我「米揚げ笊」
桂米二「くっしゃみ講釈」
桂雀三郎「G & G」(新作)
桂米朝「抜け雀」
(中入り)
月亭八方「始末の極意」
桂ざこば「厩火事」

 文字や絵を題材にした小咄から入り、「この噺にも絵師が出てくるんですが」とつないだところで「ん?」と思ったら、案の定小田原の宿、男の風体のみすぼらしいところを描写しはじめたのでうれしくなった。「抜け雀」に会えるとは。
むろん米朝のそれははじめて聞くのだが、ちなみに宿屋の亭主の両目は「くりぬいて銀紙」ではなく、「くりぬいて陰干しにしておけ、煙草入れの緒締めになる」。どうしても一方に志ん朝のそれをおけば、全体的にさらっと流すような印象はあるものの、年齢のことはさておき、噺自体がもとは上方種(上方落語から東京へ移植されたネタ)であるらしいことを考えれば、まちがいなく米朝のこの演り方のほうがオリジナルで、むしろこれを「あそこまでの大ネタ」に仕立て上げたのが志ん朝なのだろう。いずれにしろ「出会えた」というそれだけで満足の、米朝の「抜け雀」。
この17日には京都の独演会もあるので(後先を考えずに取ってしまっておいたチケット2枚は、結局行けそうにないので恭子ちゃんに渡してある)、ひょっとすると独演会に掛けるネタを浚(さら)った可能性もあり、あるいは京都ではより完成度の高い「抜け雀」が聞けるのかも知れない。
ふたたび京都に移動し、食事をして、私は東京に戻る。

さて、恭子ちゃんからは「和製ブラックジャックさんへの10の質問」を提出してもらったのだった。昼食のときに、プリントアウトされたそれを受け取ったのだが、それ、ものすごく可笑しい。喫茶店で大笑いした。ものすごく可笑しい一方、裏ではものすごく練ってきたなという印象もあって、聞けばやはり相当構想に時間がかかっている。参考になっているかどうかは別にして、「ブラックジャック」も読んだそうだ。ずいぶん必死に考えた末の、聞きたいと願った10の質問である。
うーん、どうしようかな、これ。とりあえず永澤にメールで流し、それに答えてもらって、それからだ。時間をかけよう。
私自身がちょっとその「10の質問」にやられてしまっているところがあって、あらためて冷静にそれを再構成できるかどうかむずかしいが、どうせ、永澤の答えがまたこれをあらぬ方向にもっていくにちがいない。とりあえずやってみる。

1.10(金)

2003.1.11 6:52

明日は京都で桂米朝の一門会がある。[記事番号:6]上山君といっしょに朝早くから新幹線に乗って行くのであって、何か面白いことを書いてやろうと夜なべしているような場合ではない。早く寝なければならない。
掲示板の書き込み[記事番号:25]を見るに、ひょっとして永澤は「赤ひげ」(年末だか年始だかにやっていたテレビ版の新作)を見たのだろうか。どうなのか。たまたま番組宣伝のコマーシャルを目にし、「やるのかよおい」とびっくりしたのは覚えているが、見てはいない。というか、気づけば最近ほとんどテレビを見ていない。
そういえば、『赤ひげ』は DVD(予約購入中の黒澤明ボックスの1枚)で去年見返したばかりだが、しかしそれにしても、あれをリメイクしようというのはいったいどういうこころなのか。ひょっとして「忠臣蔵」的な、定期的に再生産されるべき(あるいは再生産に堪える)〈古典〉として考え、そのように利用しようということなのかとも勘ぐれるが、あれが、どれだけの映画力と演技力と演出力と労力とによってはじめてその〈普遍性〉を獲得しているか、わかっているのか。せめて「西部劇におきかえる」とか、そのくらいしたらどうなのかと思う。
で、永澤の書き込みは早々に「市川金田一」という概念を導入してしまって、「豊悦金田一/石坂金田一」という述べようとするキャスト的な二項対立を自ら崩してしまっているのが興味深いが、「市川金田一」ということで言えば、なるほど『八つ墓村』は市川崑自身による「市川金田一」シリーズの〈セルフ・リメイク〉であるわけで、また、そもそもが物まね芸としてスタートし、自身「ずっと〈物まね〉をやるつもりです」というかたちで故・山田康夫へのリスペクトを語る「栗貫ルパン」が当然〈ものまね〉なのだとすれば、タイトルのうち、残るひとつの〈カバー〉を「赤ひげ」にあてはめてみたくもなり、すると、「なるほど〈カバー〉か」という気分になるのだった。「『赤ひげ』をリメイクしよう」という思いは単に不可解だが、しかし「『赤ひげ』をカバーしたい」という(よく知らないがバンド風の)情熱ならば、なんとなくわからないでもないじゃないか。
で、「メンボ中」という名前(「メンバー募集中」の意か)で書き込まれたレスはべつに私自身のものではないが、最近やけに親切な管理人としてはその解説も付しておこうじゃないか。
まあ、たぶんわかりにくい(文意が汲み取りにくい)のは

やはりルパンは長靴を履いていました

 の部分だと思うが、これはつまり東映動画の『長靴をはいた猫』('69年)のことを指し、若き日の宮崎駿が原画スタッフとして参加していることで有名なそれは、あきらかにのちの『カリオストロ〜』につながるクライマックスの時計塔でのおっかけっこが含まれるわけだが、そこで敵ボスの「魔王」の声をあてているのがほかならぬ「小池朝雄」だという、見事なまでの「符合っぷり」のことを言っている(んだと思う)。(さらに念のための注:小池朝雄は旧「コロンボ」の、石田太郎は(小池朝雄が亡くなったあとの)現「コロンボ」の声の人です。)
いや、だから明日は京都である。というか後半は起きてから書いていて、もう今日なのだが、そろそろ風呂が沸く。
いったい恭子ちゃんはどんな「和製ブラックジャックさんへの質問」(12/24分ほか参照)を用意してくれているのか、それやこれやも楽しみである。

1.9(木)

2003.1.10 20:16

当てにきたねえ、上山君。[記事番号:23]

ひ”翼大好き

しかしちがう。そしてそれ、「当てに行ってる」とみとめてくれるんでしょうか世間は。「あ、当てちゃった」と思ったのだろうが、しかしその答えはどうにも複雑だ。たしかにいいところを突いてもいるんだけど、正解はもっと単純。
というかそこまで思いついてるんならもう出てきてるでしょ正解は。「これじゃなくて、やっぱり『ひ”翼』かな」と思ったにちがいない、その「これ」のほうだよ。
で、この流れにのったボケをひとつつぶしておけば、正解は

ひ”ん大好き

 ではない。というか永澤はどうなんでしょうか、瓶は好き?

と、ここでまあ昨日のつづき、個人ホームページをめぐるクリティカルな文章に入ろうと思っていると yAs が掲示板に書き込んだ。[記事番号:24]「はじめまして」と言っているが、むろんこれが荒川である。
槇原敬之の歌詞の引用というのは、12/28分で「引用詩人」と書いてネタをふっておいたものに対応するだけだし、「ひろこ大好き」には「なにそれ?」と言うほかないが、しかし問題はその間にはさまれた7文字の伏せ字である。

* * * * * * *

 いったいこの7文字は何だったのか。もう全部伏せちゃうもんだから全然わからない。7文字だ。7文字の何か。

あ ら 川 や す ひ さ

 というのはわりと可能性が高いのではないか。「川」だけが漢字で書けるわけだからおそらく「小学1年生」であり、「ひどく頭の悪い小学5年生」というのも考えられなくはないものの、まあ「小学1年生」だろう。つまり、そこにいるのは「小学1年生の荒川」ということになる。その「小学1年生の荒川」を、彼は伏せた。
いったいなぜ、荒川は「小学1年生の自分」を封印しなければならなかったか。
きっと何かがあった。はじめての夏休みが明けて間もない2学期のその日、きっと何かが荒川少年をおそったにちがいないが、知らないよそんなこと。ひょっとすると、

あ ら か わ や す 久

 かも知れないが、それはいよいよわからない。というかくだらなく、物語を紡ぎ出すのも面倒だ。

おそらく、もっとも広い意味で言う「個人ホームページ」とは「(法人でない)個人が運営するホームページ」のことであり、ひとまずこれを「広義の個人ホームページ」と呼ぶとすれば、一見、法人か個人かを事務的に切り分けるだけのその「個人ホームページ」という言葉は価値判断をともなわないかのようだが、しかし次のような用例を見ればどうか。

「まるで個人ホームページだ。」

 よく知られているように、まるで個人ホームページかと見まがうような法人サイトが存在するのは事実で、それを目にした者らはつい「個人ホームページかよ」と口にするが、そこにおいては、「個人ホームページ」は「だめ」を象徴していることになる。
法人か個人かというその「出自」のみでそう呼ばれる広義の「個人ホームページ」に対して、おそらくその「内容」が問題となる狭義の「個人ホームページ」もまたあるわけだが、それは後述することにし、いまはその「だめ」をめぐる問題だ。
では、つまるところ、「個人ホームページ」とは「だめなホームページ」のことを言うのか。「個人ホームページっぽい」と感想を述べるとき、私はそのホームページを「だめだ」と言っているのか。あるいはそうなのかも知れないが、しかし、「もしそうでなかったら?」と問うところにこそ可能性はあるのであって、それは「だめ」とは何かを問うことだ。
私が「個人ホームページっぽい」と呼びたくなるものと、ホームページ上で「だめ」を感じさせるさまざまな要素とは実際のところかなり重なるのであり、それは例えば、

  • キリ番
  • (ページ全体への)背景画像の使用

 などだが、重なるからといって、性急に両者をイコールで結ぶのではなく、冷静になり、両者の間にまた別の言葉を置いてみることが必要だ。
質の問題や、実際の閲覧者数といったものはむろん括弧に入れたうえで、とにかく、いまや誰もが「メディア」をもつことができるんだというインターネットの原初の輝き(しばしばそれは「世界に向けて発信するんだ」という興奮のかたちをとる)を放ち、その 28.8Kbps 時代的で〈純〉なスローガンに疑いを抱くことのないサイト。おそらく「個人ホームページっぽい」という評価へとつながってくるだろうそうした〈サイトのあり方〉を指して、私はこれまた「個人ホームページ」という名前を使いたいのであり、それを、さしあたって「象徴としての個人ホームページ」と呼びたい。
例えば、「世界に向けて発信するんだ」という強い意識は、まったく逆のかたちをとって多くの個人ホームページ上に立ち現れる。つまり、「インターネットなんだから、世界に向けて発信しなければならないが、私にはそれができない」という思いであり、こうして「個人ホームページっぽい」もののひとつ、

  • Sorry! Japanese Only

 は生まれる。
また、「象徴としての個人ホームページ」という概念を導入することの利点は、

「まるで個人ホームページだ。」

 と言われてしまうような法人サイトをよりうまく扱うことができるということで、つまりそこにおいては、法人か個人かではなく、「かつてすでにメディアを手にしていた者」と「そうでない者」という図式こそが問題となる。「ちゃんとしてるなあ」と思わせられる「法人サイトらしい法人サイト」の多くは、メディアをもつことに慣れた企業、あるいは、インターネットというその新しいメディアそのもののなかから生まれてきた企業のものであり、その意味では、事実が示すとおり法人サイトのなかにも「個人ホームページ」は存在するのだと言える。
と、広義の「個人ホームページ」が指しうるのはこのように実に伸縮自在な概念だが、さて、では狭義の「個人ホームページ」とはいったい何を言うのか。

1.8(水)

2003.1.9 19:50

吉沼からメール。先日のオフ会についてなど。
そのメールのなかで、

帰ってから気になったのだけれど、部屋(引用者注:相馬の部屋。スナップ写真を撮ったあそこ)でかけていた音楽は、あれはコシミハル? なんだか、あの情景にすごく合っていたような。誰だろう。

 と吉沼が尋ねているのが、あれが、「29〜31日のこと」(12/31)で紹介した「Parlor」です。リンク先からメールで注文できる。3曲入り、500円。

で、同じく12/31分の日記になるが、

やはり体系的な言葉が必要だ。日記と個人ホームページをめぐる体系的な考察。それはまた来年の課題。きっと書く。

 と宣言したそれにそろそろ手をつけようかと思うのだったが、しかし一方で、日々のこまごましたことというのはどうしてもあり、それらもついここに書きたくなるのであって、例えば昨日使ったこれだが、

寿三朝

 もうどう考えても高峰三枝子が犯人だというのはいったいなぜなのか、といったこともそのひとつだ。(念のため注:実際には高峰三枝子は犯人ではありません。というか、『女王蜂』ではそもそも嫌疑のかかるような役どころではありません。)
あと、たまたま今日「多者の交換日記」のこのあたりなど読み返していたのだが、ものすごく面白いんでびっくりだ。よく書いてるね、俺。いまとはまたちょっとちがった文章のかたち、って「古井由吉かぶれ」の度合いが強いだけだけど。投稿者側が盛り上がってくれれば、また「交換」してもいいとさえ思った。
といったようなことをついつい書いていれば、なかなか「日記と個人ホームページをめぐる体系的な考察」それのみを、わかりやすいかたちで提示するというのもむずかしい。

これまでもそうだったように、私はおそらくこれからも、つい「個人ホームページっぽい」という言葉を使うだろう。しかし、その「個人ホームページっぽい」という言葉自体が、そこではごく私的な用いられ方をされているのであり、「個人ホームページ」という言葉が指しうるサイトが多種多様に存在するなかで、いったい私は何を「個人ホームページっぽい」と呼ぶのか。

と、おそらく、そのような問いをたてるところから私の考察ははじまるだろう。

1.7(火)

2003.1.8 14:22

十九年まえの惨劇を回想せよ。あれは果たして過失であったか。何人(なんびと)かによって殺されたのではなかったか。彼は殿様バッタである。

永(改行)澤悦伸

再び警告。月琴島からあの男をよびよせることをやめよ。

ところで「お年玉クイズ」だが、応募締め切りのことを何も言っていなかった。というか考えていなかった。
しかし「お年玉クイズ」と名付けられる以上、やはりおのずと締め切り期限は決まってくるであり、それはつまり、

大人になるまで

 だ。
まだ「汚れつちまつ」ていないあなた、あるいはかろうじて「汚れつちまつた悲しみに耐えかねている」あなたに、応募資格は与えられるにちがいない。[記事番号:13]
というわけでプロトさん、ご応募ありがとうございます。[記事番号:21]
「ひろしま好き」は、私も、「1/1分の日記をヒントに素直に答える」としてそういう答えもあるよなあと懸念していたところのもので、懸念するくらいだから「正解」じゃないんですが、

ボケとしては面白くないですが、

 とコメントされれば、かえって恐縮するのはこっちのほうで、こちらが用意している「正解」自体が別に面白くはなく、発表されたところでああそうですかとしか言いようのないものだ。

三が日あたりに企画を思いついたときの答えをそのまま正解とさせていただくつもりなので、

 と昨日ことわり書きをしたように、いまあらためて正解を用意しなおすとすればきっとちがう答えにするのだし、その場合、正解はおそらく

「ひこ*き好き」[記事番号:19]

 になったのではないかと思う。
というわけであまりもったいぶったところで甲斐のない正解だが、正解者が出ないまま終わる(=みんな大人になる)というのもちょっと寂しく、さらに問題を簡単にしておけば、

「ひ大好き」

 である。にあてはまる2文字を答えてもらえればそれでいい。

まったくいつものことで申し訳ないが、

僕はとりあえず,羽田に行ってみました.そこで,寿三朝という男に会ってきたのです.[記事番号:22]

 と永澤が書くのは、市川崑監督の金田一シリーズ『女王蜂』のパロディ。ラス前にいったん金田一がいなくなり、戻ってきて「じつはへ行ってきました、そこでに会いました」と謎解きをはじめるあれで、『女王蜂』で金田一が会ってくるのは、三木のり平演じる元旅役者の「嵐三朝」である。

寿三朝

って、その写真は思いっきり「社長シリーズ」の三木のり平だが。

1.6(月)

2003.1.7 17:01

うちのリピーターにもし街で会ったら、「お年玉クイズ」(1/3)にちっとも応募がないのを管理人が寂しがっていると伝えてくれ。

「永澤は、ひ好き」

 あるいはこれを「お題」として捉え、「面白いボケをよこせ」と言っていると受けとめる向きもあるかも知れないが、それはそれでかまわない。そうした場合例えば、

「永澤は、ひなたが好き」

 と答えることも可能だろうし、あるいは、

「永澤は、ひげが大好き」

 だとか、

「永澤は、ひどく物好き」

 だの、私がどんどん書いてしまってボケる選択肢をつぶすのは大人げないじゃないか。
で、むろん「正解」はある。あるにきまっている。なにせ「素敵なプレゼント」が当たるのだ。三が日あたりに企画を思いついたときの答えをそのまま正解とさせていただくつもりなので、1/1分の日記をヒントに素直に答えてもらえればありがたい。
ただ、私これ、「素敵なプレゼント」の中身のことはまったく考えずに言っている。何にしたものか。何がいい? トヨタ・カローラとかだったら笑うだろうな。

アメリカという国をめぐる状況がいま、いよいよあぶなくなってきているというのはおそらくそのとおりで、「冗談」でもなんでもない状況がいまそこにあるわけだが、ふと気づくと、会社のマシンのデスクトップが何やら不吉なことになっている。
「慣れ親しんだ図像」との違和、というのが生命線になる話だから、慣れ親しんでいない人たちへ向けて文章でくだくだ説明してもあまり意味はなく、だからざっとだけ説明するが、Macintosh(Mac OS)の画面の一番上にはメニューバーというのがあって、その右端のほうには現在選択されている入力プログラムを示すマークがある。つまり「日本語入力」か「半角英字入力」かを示し、後者の場合、それが星条旗マークになるわけだ。

メニューバーのUSマーク

 かすれているのだった。いったい、何を暗示するというのか。

で、(全然「で、」じゃないけど、)「ドラゴン」こと田村が掲示板に初登場しているのでそのことに触れれば、

まだまだそんなモンじゃないでしょ。あなたは、[記事番号:20]

 というのは、「句点」と「読点」が逆じゃないのか。
それともあれか、「あなたは、」と文章を入力している途中で誤って送信してしまったかたちか。だとすればしかし、「幼なじみ」といってかまわないような相手に向かった

あなたは、

 というそのあらたまった語り出しが想像させるのは、どうにも長いひとり語りであって、永澤のあんなことやこんなことを遠い目をしてポツリポツリと話す、その相当手前のところで送信してしまったのではないかと危惧されてならない。
急な話だ。なぜ田村はそんな急に語り出す気になったのか。「永澤のあんなことやこんなこと」とはいったい何なのか。知りたい。とても知りたいのだ。

1.5(日)

2003.1.6 22:25

まあ吉沼にならって書けば新年会なわけだが、上山君・恭子ちゃん・荒川・田村・吉沼・私の6人が西荻窪に集結したこれは、やはり「Yellow」のオフ会ということになるだろう。
残念ながら、永澤は前日から熱を出している由にて欠席。インフルエンザだとは本人の診断。
午後1時、西荻窪駅待ち合わせ。まあ5分くらいだが、地理的にいって思いっきり「呼びつけた」かたちの私がひとり遅刻したのは、まったくいつものことですまない。いや、別に遅刻するつもりはなかったんだけど、みんな、ちょっと余裕をもって来るというのは卑怯だ。あわてるじゃないか。
で、「亜細庵」に移動し、食事と歓談。あらかじめ店主に6、7人で押し掛ける旨伝えておいたので、座敷部分を貸し切るようなかたちになる。といって基本はただの「昼ごはん」で、銘々に好きなものを注文し、それがてんでんばらばらなのでふたりしかいない厨房は大忙しとなり、出てくるのも時間がかかるが、もとより長居もしたいのでこちらはかまわない。別に飲むつもりでもなかったのだが、荒川が注文したのにつられ、エスニックビールを頼む。暮れに「禁酒した」と言っていた吉沼はいきなり生紹興酒を注文し、「お正月はいいんだよ」とか、「いや、晩酌だけやめたんだ」とか「マクラに出てくる人」みたいなことを言っている。
「やめた」といえば、去年の夏にみんなで京都に行ったおり、ほんやら洞という喫茶店で田村が「次の歯医者の診療がすんだらタバコやめるから、俺」となにげに宣言したのであり、それ以来直接会っておらず、そのことが話題にのぼることもなくて、ひょっとしてまんまとあれ以来タバコを喫っていなかったりするのかな田村、と思っていたら、喫っていた。すぱすぱ喫っている。

しかし問題はやはり、オフ会の「作法」がわからないということで、そのへん、唯一ほんとうの〈いわゆるオフ会〉に参加経験のある荒川に事情を聞きながら手探りである。
「ハンドルネームで呼び合うんじゃないか」という吉沼の指摘は鋭いものだったが、しかし、みんなハンドルネームを持っていない。荒川の「YAS」というのは一応それにあたるが、しかし「やす」と声に出してしまえば、それまったくふつうの友達同士なのだった(注:荒川は下の名前が「やすひさ」。もっとも私は「YAS's Rainbow」を含意させない場合に「やす」と呼ぶことはないけど)。
田村は「ドラゴン」というハンドルネームっぽいハンドルネームを使っているが、しかしひとりだけなので、並べた場合に突出してしまう感は否めない。

相馬、上山、恭子、吉沼、荒川、ドラゴン

 「誰だそいつは」という話だが、しかし順番かも知れないとも思え、並べ直してもみよう。

ドラゴン、相馬、上山、恭子、吉沼、荒川

 誰だそいつは。

といった、わかりやすい「軽め」のやつがいいな俺は、と田村は言う。いままでの「Yellow」で一番好きなのはどれか、という「管理人さんから質問コーナー」の質問に答えて。
同じ質問に上山君は、「急いでいた」(12/14)はあれは面白かったと言い、そして「あれはどこまで嘘なの?」と聞く。聞き方がおかしいだろ。「どこまでほんとうなの?」がふつうではないか。
恭子ちゃんは、以前掲示板に書いてくれてもいたが[記事番号:16]、やはり「音楽」(12/19)は面白かったと言い、そして「いま、個人ホームページが生まれた」(12/18)の文章には感動したと言う。そうだろう。なんて感動的なことを書くんだと俺も思っていた。
で、「みんなで褒めてれば、たぶん『Yellow』はつづくと思うよ」と吉沼。

あとは何をしゃべっていたのだったか。「Red」のネタになるようなアイデアもいくつか出たはずだ。「和製ブラックジャック先生」のネタ会議は、永澤の不在もあって後日に持ち越し。
「管理人さんに質問コーナー」では、「そもそも、なんで『Yellow』作ったの?」という質問が出、それ誰の質問だったか忘れたが、結局私もちゃんと答えなかったというか、答えようとしてなんでだったかと思い出そうとしたらよくわからなくなってしまった。まあ「こういうことがやりたかったんだ」としか言いようがないよ。

一応、オフ会の模様を写したスナップも用意したのでご覧いただければ幸いだ(写真の場所は私の部屋)。
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1.3(金)

2003.1.6 11:25

実家に PowerBook を持っていっておきながらそれほどリアルタイムに更新するでもなく、結局こうして東京に戻ってからアップしていて、頻繁にアクセスいただいていた方々には申し訳ないかぎりだが、お詫びの印に、素敵なプレゼントの当たる「お年玉クイズ」を用意したので挑戦してみていただきたい。
問題。

「永澤は、ひ好き」

 にあてはまる3文字を答えてください。答えのわかった人は、メールか、掲示板でどうぞ。
わからない方は、1/1分の日記がヒントとなりますのでお読みください。
ご応募お待ちしています。

1.2(木)

2003.1.6 9:04

「Yellow」の2003年からの新機軸は、「VOW」的な写真でごまかすのもアリ、だ。たまにはいいじゃないか。正月だし。

貼り紙

貼り紙(拡大)

1.1(水)

2003.1.6 7:34

元旦早々、話題を提供してくれるのはやはり永澤だ。以前にも告知したとおりだが、ANA の「一日乗り放題」キャンペーンを使い、

栃木(永澤の実家)→羽田→大阪→羽田→広島→羽田→札幌→羽田→栃木

 という「日本・行って帰っての旅」に出る永澤の目的は、むろん飛行機である。永澤をそこまで駆り立てるものとはいったい何か。尾翼か。尾翼なのか。それとも北ウィングか。よくわからないが、とにかく今回はその永澤の一日を追ってお茶をにごす。

(4:58 AM)
朝2時出発。高速はすいていた。雪なんざーふってない。不整脈が胸をはずませる。4時羽田着。予想以上の人で、驚く。と、思ったが、どうやら初日の出飛行があるようで、その搭乗者のようだ。そうか、そういう企画もあったんだ。地団駄をふむ。

で、これはかつて荒川がその個人ページに旅行記を載せる際に用いた手法だが、旅の行動メモを逐次メールで携帯から送信し、あとでまとめるときに利用するというもので(荒川の場合は自分宛に送信し、結局そのメールをそのまま羅列して旅行記とした)、どうせそんなわけのわからない旅をしたところで自分のサイトのネタにすることなどひとつも考えていない永澤に、細かいスケジュールなりなんなり、素材をくれれば「Yellow」のほうでネタにするよと言ったのだったが、こういうふうにメールでその報告をよこすとは思わなかった。これをどうまとめろというのか。とにかく、永澤はそのころ地団駄を踏んでいた。

(5:01 AM)
不整脈がひどい

大丈夫か、永澤。それだけ書かれたメール。前のメールから3分だ。急いで伝えたかった何か。あるいは「異変」は、前のメールを打っている最中に永澤をおそったのかも知れない。永澤がそれほど携帯電話の親指タイピングに慣れているとも思えず、「不整脈がひどい」こともあわせて考えれば、前のメールを送信したすぐあとに永澤はこれを書いたのではないか。そこまでして永澤が伝えたかったこととはいったい何だったのか。メールを見れば一目瞭然だ。

不整脈がひどい

 死ぬんじゃないのか、こいつ。事態はおそらく切迫していた。午前5時、喧噪に包まれるが、しかし知った顔のひとつもない孤独な羽田空港。伝えたい何か。手元には携帯電話があるだけだ。そこで永澤はメールを打つ。

不整脈がひどい

 電話したらどうなんだと思う。

(5:10 AM)
いま、席とりにたった。前には4人。

大丈夫だった。永澤は大丈夫だった。心配させやがって。

(5:43 AM)
甲斐があった。窓側確保。乗り放題を象徴する写真をとる。俺の胸も象徴しているのがなんとも意外だ。

で、私が「素材」として永澤に頼んでおいたのはもうひとつ、デジカメ写真で、各滞在時間も短いことだろうから大阪、広島、札幌で各一枚ずつ、何か撮ってきてくれとお願いしたのだった。上で「写真をとる」と書いているのがその一枚目で、永澤、その一枚目は羽田で撮っている。話を聞いているのか。

胸躍る新春

 これがその一枚目。めでたい写真だ。これでもかとばかりに正月。正月に出くわす、とはこれのことか。ANA の人も作った甲斐があった。こうして写真に撮るやつがいる。撮るかふつう、これ。

(9:07 AM)
大阪着。富士は足のしただった。相変わらず胸は弾みっぱなしだ。

(11:03 AM)
大阪にたこやきはなかった。東京は雪雲。広島ゆきはユニバーサルスタジオジャパン。火薬の量が心配だ。

「火薬の量が心配だ」と風刺を織り交ぜる永澤だが、もう大阪行って帰ってきている。早いよ。

(1:07 PM)
広島着。やっぱり火薬がたりず、ハードランディング。よった。お好み焼きは現存したようだ。

現存するお好み焼き

(2:22 PM)
法隆寺を存分に味わった。うまかった。次は晴れると好いのだが。とりあえずいまははれている。

「現存するお好み焼き」というのがまずわからない。何を言っているのか。あるいは(写真に撮られた)このお好み焼きが「現存」するということで、要は「食べ残した」ということなのかとも思うが、それだと「〜したようだ」がわからない。
法隆寺云々は、おそらく「機内から見た」ということだと思うが、「うまかった」というのは何を言っているのか。「(法隆寺を)味わった」に係るのか、それともまったく別の話なのか。並べると一見お好み焼きに係るかのようだが、メールの時間は1時間以上経っていてそれもちょっと考えにくい。とにかくメールはどんどん投げやりになっていくのであり、察するに永澤は飛行機に夢中だ。飛行機に夢中なやつには、もう何を言っても無駄である。

(3:51 PM)
羽田着。みんなはしっている。がなっている

「がなっている」はさすがに全然わからなかったのであとで電話で聞いたが、「便をご利用のお客様、××ゲートへお急ぎください」とかの場内アナウンスのことだそうだ。「がなっている」という表現はないんじゃないかと思うが、あるいは元旦の羽田はそうしたものなのかも知れない。魚河岸的な雰囲気に包まれる元旦の羽田。

(7:51 PM)
千歳に到着。暗くてわからんが銀世界。関係ない話、ANAは着陸時、室内照明を消さないようだ。外が見にくい。食べる予定だったラーメンは、イクラ丼にのっとられた。これから東京へもどる。いいわすれたが、北海道はさむいねー。

飛行機叔父馬鹿(甥へ)

いや、付け足すことは別にない。

(翌 1:11 AM)
帰宅。ふろはいった。本懐をとげた。としがあけた。最初の写真の気分だ。まだ、胸ははずんでいる。