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『映像作家100人 2009』

  • Posted by: SOMA Hitoshi
  • April 27, 2009 11:40 PM
  • book days news

 というわけで、そうまあきら(相馬彰)が『映像作家100人 2009』に載ったようだ。兄(次兄)である。七つ上の兄だ。七つ上である。兄なのだった。兄なんじゃないかな。七つ上である。兄だっけか。七つ上だからかなあ、兄なのは。わたしはあとで生まれたからよく知らないのだ。

 ひょっとすると日本に映像作家は100人しかいないのかもしれないが、ま、だとしてもいいじゃないか。去年おととしと『不思議の国とアリス』という自主制作CGアニメーション映画に専念していたため、兄はかなり貧しいことになっているようだ。兄に仕事をたのむならいまである。なかなかいい仕事をするともっぱらの評判だす。

 そのむかし高校生の兄が彼女を家に連れてきたとき、小学生だったかのわたしがお茶菓子を兄の部屋に運べと親に言われたかしてその用を足しに部屋に行くと、兄は彼女とベッドから顔だけ出してわたしを迎え、じゃ、そこ置いといてかなんか言ったのだったが、なぜ、いまそんなことを思い出したのかわからない。そして、なぜそのことを思い出すままにキーボードで打っているのかもわからない。

 そんな兄もいまや映像作家である。わたしは来年高校だ。

 というわけで、兄をどうぞよろしく。

小田亮さんのブログがすごいのだ

  • Posted by: SOMA Hitoshi
  • August 2, 2007 2:04 PM
  • book net

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 ひっさしぶりに「小田亮の研究ホームページ」へ行ってみると、「とびとびの日記ときどき読書ノート」というブログ(はてなダイアリー)ができていた。これがすごい。

 小田亮(おだ・まこと)さんというのは文化人類学者で、現在、成城大学文芸学部文化史学科教授。私が在学していたころから成城にいて、学科がちがったから特段親しかったというわけでもないが、その研究内容/講義内容のおもしろさ・たしかさから一目置かざるをえない七人衆(って、いま思い出しながら頭数揃えるんだけど、えーとね、有田英也、石原千秋、小田亮、黒崎宏、竹村牧男、冨山太佳夫、兵藤裕巳=五十音順・敬称略)のひとりとして注目していた。左に掲げた本はこれもそのサイトで知った近刊で、単著ではないが小田さんも執筆している論文集『呪術化するモダニティ—現代アフリカの宗教的実践から』(風響社)だ。本の構成と「まえがき」が小田さんのサイトで読める。小田さんの論文は「呪術・憑依・ブリコラージュ:真正性の水準とアイデンティティ」というもの。アマゾンだと「通常3〜5週間以内に発送」と言われてがっかりするが、たとえばセブンアンドワイなら「当日〜2日で発送」とある。って、6,300円かよ。わりとするなあ。ま、買っちゃいますけどね。

 さて、それよりもいまはブログだ。

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『アンチ・オイディプス』が文庫(上下巻)に

  • Posted by: SOMA Hitoshi
  • November 2, 2006 10:18 PM
  • book

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出たのはもう1ヶ月ぐらい前のことだからすでにご存じの方も多いと思うが、タイトルのとおりで、ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリの『アンチ・オイディプス—資本主義と分裂症』が河出文庫から上下巻で出ている。「文庫になった」ということ自体がニュースなわけだが──単行本のあの重厚長大さ!──、それだけでなく、宇野邦一氏による新訳ときた。

「ウラゲツ☆ブログ」の記事、「今週の注目新刊(第69回:06年10月1日)」がその文化的興奮を伝えてわかりやすいが、そこに寄せられたコメントのひとつに丹生谷貴志さんの発言が引かれていて、それがなんとも楽しい。

『ミル・プラトー』の翻訳が出た時、丹生谷貴志さんは的確にも「この本は寝っ転がって読まれる必要があったのに・・・」と述べていました。

あと、別の人のコメントにあるこれもいいなあ。

思い切ってタクシー止める時なんかにかざしたいです。

ところで、これを買うときは上下巻をまとめて買いましょう。というのは、註が全部まとめて下巻に収まっているから。文庫として、それはいかがなものか。

上野千鶴子『生き延びるための思想』

  • Posted by: SOMA Hitoshi
  • April 21, 2006 7:35 PM
  • book

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一気呵成に読むとはこのことだ。上野千鶴子『生き延びるための思想』(岩波書店)

フェミニズムのゴールがもし、「女が、男なみに強くなる」ことだとするならば、「あらゆる分野への男女共同参画」の果てにやってくるのは「軍隊への男女共同参画」という事態である。ハイテク戦争時代の到来が、すでにその物理的な条件を整えてもいる。「湾岸戦争に参戦した女性兵士は四万人。全体の12%にあたる」(p.47)。フェミニズムが望んだものとははたしてこうしたものだったのだろうか。アメリカの主流派フェミニズム団体(NWO)は「イエス」と答えた。上野は決然と「ノー」を言う。そこに、「生き延びるための思想」が呼び出される。

 わたしは「いのちより大切な価値がある」と思っていない。フェミニズムは「生き延びるための思想」だと思っているし、そのフェミニズムにとって、ヒロイズムはマイナスにこそなれ、利益になることなどない、と思っている。そして対抗暴力(「やられたらやりかえせ」)は、しょせんはその暴力を行使する能力のある者にしか許されない手段だと思う。対抗してみるといい、無力なあなたはもっと徹底的な反撃に遭い、前よりももっと手ひどく叩きのめされるだろう。暴力の圧倒的な非対称とは、このような状況をいう。

 わたしの念頭にあるのは、女だけではなく、子ども、高齢者、障害者など無力な人々である。無力な人々の集団から、女だけ、いちぬけする選択肢もないわけではない。だが、無力な者とよりそったときに、「女の問題」と言われるもののほとんどが噴出したのだ。(p.85-86)

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古井由吉『辻』

  • Posted by: SOMA Hitoshi
  • April 20, 2006 12:48 PM
  • book

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古井由吉『辻』(新潮社)は著者の最新刊。

『新潮』の2006年3月号に掲載されていた古井由吉と蓮實重彦との対談が面白かった。笑ってしまったのはこの箇所。

古井「すんなりと通る話を書くことが、長年の小説家としての悲願なんですけどね」

蓮實「本当ですか(笑)」古井由吉×蓮實重彦「特別対談 終わらない世界へ」(『新潮』2006年3月号)

ほんのさわりだけだが、対談の冒頭部分は新潮社のサイトでも読むことができる。

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『資本論も読む』刊行記念サイン会開催【今週末は大阪へ急げ】

  • Posted by: SOMA Hitoshi
  • January 12, 2006 5:44 PM
  • book news

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宮沢章夫さんの新刊『『資本論』も読む』の担当編集者である竹村さんは「自主リーディングの会」をつうじた知り合いなのだが、その竹村さんからは今週末に大阪・京都で行われるサイン会に関して重ねてメールをもらっており、「もし関西在住で宮沢さんのファンの方などいらっしゃれば、ぜひお声をかけていただけますでしょうか」とのことなのだったが、思いつく唯一の関西在住者・上山君はすでに京都のほうの整理券を手に入れているらしいから、するともうほかに関西在住の知り合いはおらず、私にできるのはここで告知するぐらいのことだ。

去年の暮れに京都の大垣書店で本を買い、整理券をもとめた上山君が、

発売から一週間以上も経っているのに整理券は残っているのかという私の心配をよそに、配られた番号はまだ11番だった。京都の皆さん、遅いですよ。4−2−3−1(2005年12月25日付の日記)

とそのときの日記に書いていたのが思い起こされるが、まあとにかく、整理券にはまだまだ余裕があるらしい。いかがでしょうか、関西在住の宮沢章夫ファンのみなさん、いまからでも間に合うようですよ(とくに大阪、なのかな?)。

で、サイン会の概要は以下のとおり。

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続報・『金閣寺』

先日のエントリー「ほんの親切」に書いたように、上山君の日記 新規ウィンドウ にある『金閣寺』への言及、

最後の一文に涙。

は、かつて一度読んだことのある『金閣寺』の、その「最後の一文」への興味を掻き立ててやまない。いったい三島由紀夫の『金閣寺』はどのようにして結ばれていたのだったか。

会社帰りに、道すがらにある本屋へ立ち寄り、新潮文庫に収められているそれを立ち読んでたしかめてくればよかったのではないかと、身体を洗い終え、鼻の先にあるシャンプーに手を伸ばしながら思ったのだったが、もう手遅れである。私はなにしろ我が家で、風呂に入っている。

風呂から上がり、さっぱりしたところで、かわりになるかわからないが、今日は参考までにモーリス・ブランショ『私についてこなかった男』の最後の一文を引いておこう。

日の力のすべてはこの終わりのほうへと向かっていき、そこへと高まっていかねばならなかった。たぶん日はただちに応えたのだ。だが、数秒間の散乱ののち、やっと終わりが到来したときには、すでにすべてが消え失せていた。日とともに消え失せていた。

ほんの親切

上山君の日記 新規ウィンドウ が更新されていて、そこには最近読んだらしい三島由紀夫の『金閣寺』について記述がある。

妄想と行為の垣根は何でできているのか。実際の犯罪者の心理はきっとそんなに論理的でもクリアでもないのだろうけど。オウムの人たちも、それを理解できないと拒絶する人たちも、もっとこんなふうに狂気に寄り添うといいと思う。最後の一文に涙。

「最後の一文に涙」とあり、そんなことを言われれば、さて、『金閣寺』の「最後の一文」はいったいどんな文章だったっけか、と日記を読む知人らの多くが記憶を辿り、まだ読んでいない者もいたずらに興味を誘われて、結局わからずにもどかしい気分にさせられるのがオチではないかと想像し、では、と書斎の本棚を探すがあいにくいま手元には『金閣寺』がないのだった。

かわりになるかわからないが、しかたがないので参考として、手元にある古井由吉『夜明けの家』の最後の一文を引いておく。

 しかしまもなく着いた駅で、「わたしはここで失礼します」と男は立ち上がって降りて行った。肩を左右に揺すって大股の足を運ぶ、またひたすら先へ急ぐことに憑かれたその横顔を、電車が追い抜いた頃になり、男が傘を手にしていなかったことに、私は気がついた。

いったい何の参考になるというのか。

古井由吉『仮往生伝試文』(新装新版)

  • Posted by: SOMA Hitoshi
  • February 20, 2005 6:44 AM
  • book

古井由吉『仮往生伝試文』(河出書房新社)

古井由吉『仮往生伝試文』(河出書房新社)がなんと復刊。ながらく絶版になっていたそれを私は2001年当時にネットの古本屋で見つけ、29,800円も出して買って持っているというのはこれはそのつまり自慢だ(当時の日記はここ)。なにせ29,800円だ。出しましたね、私は。その希少本がこのたび「新装新版」として復刊され、3,675円であわてず騒がず手に入るという寸法である。もうこれは「文庫を買う」ようなつもりでひとつ3,675円を出していただければと思う。