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ほんの親切

上山君の日記 新規ウィンドウ が更新されていて、そこには最近読んだらしい三島由紀夫の『金閣寺』について記述がある。

妄想と行為の垣根は何でできているのか。実際の犯罪者の心理はきっとそんなに論理的でもクリアでもないのだろうけど。オウムの人たちも、それを理解できないと拒絶する人たちも、もっとこんなふうに狂気に寄り添うといいと思う。最後の一文に涙。

「最後の一文に涙」とあり、そんなことを言われれば、さて、『金閣寺』の「最後の一文」はいったいどんな文章だったっけか、と日記を読む知人らの多くが記憶を辿り、まだ読んでいない者もいたずらに興味を誘われて、結局わからずにもどかしい気分にさせられるのがオチではないかと想像し、では、と書斎の本棚を探すがあいにくいま手元には『金閣寺』がないのだった。

かわりになるかわからないが、しかたがないので参考として、手元にある古井由吉『夜明けの家』の最後の一文を引いておく。

 しかしまもなく着いた駅で、「わたしはここで失礼します」と男は立ち上がって降りて行った。肩を左右に揺すって大股の足を運ぶ、またひたすら先へ急ぐことに憑かれたその横顔を、電車が追い抜いた頃になり、男が傘を手にしていなかったことに、私は気がついた。

いったい何の参考になるというのか。

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2005年7月12日 00:52