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続報・『金閣寺』

先日のエントリー「ほんの親切」に書いたように、上山君の日記 新規ウィンドウ にある『金閣寺』への言及、

最後の一文に涙。

は、かつて一度読んだことのある『金閣寺』の、その「最後の一文」への興味を掻き立ててやまない。いったい三島由紀夫の『金閣寺』はどのようにして結ばれていたのだったか。

会社帰りに、道すがらにある本屋へ立ち寄り、新潮文庫に収められているそれを立ち読んでたしかめてくればよかったのではないかと、身体を洗い終え、鼻の先にあるシャンプーに手を伸ばしながら思ったのだったが、もう手遅れである。私はなにしろ我が家で、風呂に入っている。

風呂から上がり、さっぱりしたところで、かわりになるかわからないが、今日は参考までにモーリス・ブランショ『私についてこなかった男』の最後の一文を引いておこう。

日の力のすべてはこの終わりのほうへと向かっていき、そこへと高まっていかねばならなかった。たぶん日はただちに応えたのだ。だが、数秒間の散乱ののち、やっと終わりが到来したときには、すでにすべてが消え失せていた。日とともに消え失せていた。

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