コーナーの日記
Diary
■あらためて、声を大にしたいのは、富山太佳夫『ダーウィンの世紀末』が面白いということだ。と書いている今は、8月29日で、日付替わって30日なのだが、ここは8月26日の欄なので、8月26日に私が何をしたかについて書くのがこの欄だ。私が何をしたかについて書くのは、日記だからであるが、とりわけそれが8月26日のことでなければならないのは、ここが8月26日の欄だからだと思う。と書いている今が、すでに9月1日であり、富山太佳夫『ダーウィンの世紀末』も読了してしまったのであり、ここは8月26日の欄でして、もちろん、ニワトリが先だ。
■阿佐ヶ谷の東京オプチカルへ。デンマーク製でチタン製の、例のメガネを買う。こんな感じ。その東京オプチカルだが、WEB上でページを見つけた。HOYAのサイト内に「優良店紹介」というかたちで1枚あるだけのページなので、いわゆるホームページとは違うのだが、まあ、それはここである。聞くと見るとでは大違いで、実際の東京オプチカルはもっとずっとちゃんとしている。安心されたい。しかし、何故その「お店からのお知らせ」はJPEGなのか。
■「永澤ですが、たびたび失礼します。私はウッドストックに行ったこともありませんし、ウッドストックという土地に特別な思い入れがあるわけでもありません。冗談を解さないやつだと思われるかも知れませんが、前二つの『お便り』というのは相馬のでっちあげで、私が書いたものではありません。今書いているのが私です。相馬のデタラメに惑わされずに、生の永澤が見たいという方がもしおられましたら、今度下北沢ロフトでライブがありますので足を運んでいただければと思います。チケットは2000円。『ドリンクのみ』です。」
■そうじゃないかとは思っていたが、富山太佳夫『ダーウィンの世紀末』が面白い。面白いのだった。
■ふたたびお便りを紹介する。「相馬君の友人で、実在する永澤です。私は、ラジオ深夜便は聞きません。細かいことかも知れませんが、読者の方に誤ったイメージを持たれるのは得策ではないと考え、メールしました。ではまた、ウッドストックでお会いしましょう。」
■「しゃみ」さんからメールをいただく。メールには、「日記とホームページ問題」に関して、「しゃみ」さん自身が日頃抱いていたという問題意識のありようが書かれていた。かなりの部分、合意できる内容であり、さしあたって発せられるべき問いがよく整理されているという印象である。永澤がどうのこうの書いていた身としては、叱られた気分でいっぱいだ。「しゃみ」さんからのメールを引用しつつ、この問題をいよいよ扱っていかなくてはならないところだが、時間がないのだった。それと、「しゃみ」って何ですか?
■お便りが届いているので紹介する。「NHKラジオ深夜便、いつも楽しく聞いています。ところで、私は相馬君の高校時代からの友人ですが、決して大男ではありませんし、レガッタの名手でもありません。また、実在しないというのも何かの間違いではないかと思い筆を執りました。」山梨県の永澤悦伸さんからである。
■19日、20日と、しっかりとした日記を書いてしまった。いけないな、こんなことでは。もっと手を抜かなくては。「しゃみ」さんも期待していることだし。期待されているのは「相馬さんの文章」だ。だとすれば、それは一体何だ。ここはひとつ「相馬さんの文章」というやつを確立しなければならない。それは一体どんなものか。「体言止めが多い」というのはどうか腕。駄目か猫。
■中野、阿佐ヶ谷、高円寺と回った。しかしあれだな、引っ越すなら中央線沿いだな、やはり。新宿があって、お茶の水があって、秋葉原があって、吉祥寺があって、中野、高円寺、阿佐ヶ谷があるのだった。他に何がいるというのだ。豪徳寺か? 経堂なんかいるもんか。
■阿佐ヶ谷には、東京オプチカルというメガネ屋にメガネを物色しに行ったのだった。元はと言えば目が悪いのだが、とはいえ、メガネというアイテムに関してはそれ自体が好きな人である、相馬は。ただし度がきついので上等な薄いレンズを使わねばならず、ちゃんとあつらえるとレンズ代だけで4万ちょっとは持っていかれてしまうというのが、こないだまではネックだったのである。そこで、コンタクトレンズを新調するという手に出てみたのがこないだなのだった。要は、コンタクトをした上で伊達眼鏡をかけるという作戦である。度なしのレンズであればいっちゃんお買い得なやつで問題ないので、メガネ一本の値段がぐっと安くなる。メガネはと言えば、実はその作戦ですでに一本新調したばかりなのだった。にもかかわらずまた(店は違うのだが)物色しに行ってしまった。
■いやあ、東京オプチカルなんかに行くんじゃなかった。うん。行くんじゃなったなあ。とニタニタしているのだった。いやまあこっちとしては、作戦からいっても、変わりどころというか、バリエーションとしてもう一本といった感じで物色しに行ったんであるが、単純に、ひたすら単純に、かっこいいメガネにぶつかってしまったのだった。3万4000円もしやがるのだった、フレームだけで。札には「デンマーク、チタン」と書いてあって、まあよくは分からないが、とにかく「デンマーク、チタン」なのだろう。かっこいいのだった。とりあえず取り置いてもらう。
■「紀伊國屋書店インターネット仮想書店 BookWeb」だが、こりゃかなり便利なのではないか。会員登録をし、「富山太佳夫」で検索したら、検索結果の中に『シャーロック・ホームズの冒険』(英文名作双書、英光社、1983/03)というのがあった。富山太佳夫訳のホームズである。そんなものがあったのか。早く言ってくれたらどうなんだ。それから、5月に『性のアナーキー』という翻訳を出していたことも知る。読まねばなるまい。何が便利と言って、新宿本店の在庫のあるなしを教えてくれることだ。上記の二冊に加え、『シャーロック・ホームズの世紀末』と『ダーウィンの世紀末』も新宿にあると言うではないか。あるんなら買いに行こうと思い、結局ネット上での注文はせず。というのが、昨日までのあらすじ。
■午後の5時過ぎぐらいに田村君から電話があり、それで目が覚める。「結局、『カリオストロの城』が見れる土日は今日と明日なんだよね」ということを伝えた。で、田村君としてはカリオストロをあきらめ、26日のオールナイトに的を絞った様子。いよいよ、永澤はもう一度上京する羽目になるのか。「近いみたいだからいいんじゃない?」と田村が言ったのには笑ったが。
■うん。説明が足りなくてとても日記っぽいじゃないか。カリオストロがどうたらというのは阿佐ヶ谷でやってる「アニメーション・フェスティバル」のこと。26日のオールナイトに行くと、東映初期の作品群とユーリー・ノルシュテインの作品集が見れる。田村君は友達である。永澤の方は今さっきでっちあげたので実在はしない(高校時代からの友人で大男、レガッタの名手という設定)。
■で、新宿の紀伊國屋に向かう。前述の富山太佳夫訳ホームズというのは、原文と対訳になっている英語の参考書的なものらしい。が、あっちこっち探し回っていた売り場のおねえさんからは「只今在庫を切らしているみたいです」との答え。まさかこっちのねらいが「富山訳」にあるとは思わないから、「ルビ訳的なものであればございますが」と薦められてしまう。「BookWeb はあると言っていたのだが」と食い下がる手もあったが、閉店間際だったのでやめる。結局、『性のアナーキー』、『シャーロック・ホームズの世紀末』、『ダーウィンの世紀末』の三冊をお買い上げ。そんなに買って読む時間があるのかと言いたいが、今に始まったことではないのでしょうがない。ついでにTSUTAYAに寄る。ついでに寄ったわりには、鈴木茂の『TELESCOPE』と『COSMOS '51』、遠藤賢司『niyago』、ザ・ナンバーワン・バンド『もも』と、四枚も買ってしまう。『もも』は勢いで買ってしまった。CDになってるとは思わないじゃないか。
■帰ってきて、『シャーロック・ホームズの冒険』だけあらためてネット上で注文したのでした。
■今日から書く。むろん毎日書くし、書かない日もあるだろう。書かなければならない。
■日記なのだった。そういうことに手を出さないというのが、Superman Red としては方向性だったのではないか。という思いはそちらもお持ちだろうし、こっちだって持っているのだが、今私が目指すものこそは「安易な更新」である。時間などかけてはいられない。スピードだ。四人組で女の子だ。いや、そういうことではない。歌って踊りたいのだ。かわいくなってもいいぞ。
■それにしても、日記という形式を手にした途端に個人ホームページの作者たちが獲得してしまうあの「自由さ」は一体何なのか。興味はそこだ。問題は、「とりあえず日記でも載せようかと思います」と人が言う瞬間にこそひそんでいる。何故、「とりあえず」と「日記」はこうも相性がいいのか。「とりあえず=日記」という図式が持ってしまう説得力――その説得力を成立させているものにこそ注目しなければならない。
■ほんと言うと、この第1日分は16日(じゅうろくんち)に書き始めてて、こまかく書き直したり書き足したりして今もう18日(じゅうはちんち)なのです。全然日記じゃないじゃないか。そうは思わないか?
■このコーナーは、「YAS's Rainbow」と「Hide's Note」という、いずれも私の友人の手になるふたつのホームページからインスパイアされています。私は、この両者を(ひいては「個人ホームページ」というものを)語るための方法論を手に入れたいのです、本当はね。