コーナーの日記

Diary

Title: Superman Red Diary


11月19日(日)

部屋を片付けて、こたつを出したぜ。


11月13日(月)

あるいはよくある話か、バーチャルリアリティーってやつに今日会った。噂に聞いていたのはお前だったかと、どこか腑に落ちるようでもあった。順を追えばAmazon.co.jpに注文しておいた古井由吉の『夜明けの家』が、すんなりと届いたのだった。先に紀伊國屋BookWebの方に注文し、「品切れにつき入手できませんでした」と言われたものだけに、「やるな、Amazon」の思いがあって、あるいはすでに点が甘くなっていたのかもしれない。出来のいい孫をもって幸せだというふうに、ウンウンうなずきながらボール紙の包装をやぶいた。現れた本は、Amazon.co.jpのブックカバーをまとっていた。紀伊國屋で買えば紀伊國屋のやつを、近所の本屋で買えばその本屋のやつを掛けてくれる、あのブックカバーで、「カバーお掛けいたしましょうか」と聞かれ「お願いします」と答える、あのブックカバーだ。電車の中で知ったカバーに出会えば、住まいが近いのか勤め先から利便なのかは分からないが、そうかあの本屋を使う人なのかと、思うことなしに思う。そうした現実の眼差しの構図の中に、実際には店構えなどないAmazon.co.jpの、ブックカバーが収まった。紙であるブックカバーはこれ以上なくリアルで、その光景に違和感などあろうはずもなかった。けれどそのブックカバーの、そこから伸びてあるはずのレジの風景はと言えば、記憶のほかである。いや、だから思い出せるわけもないのに、それは像を結びかけた。オンライン書店というリアルなシステムと、紙でできたブックカバーのあいだで、どこにもないはずのバーチャルが振れた。


11月9日(木)

遅ればせながらのタイミングで、友人の作る「YAS's Rainbow」というページをリンクページに追加したのはしかしもうだいぶ前になるが、それはそこが籍を置く、MTCIというプロバイダが突然のサービス停止をアナウンスした直後のことで、あるいはサイト移転に伴ってリニューアルなどしてしまい現在の姿が失われてしまうこともあろうかと慌ててのことだった。芸風を思えば、もとより杞憂であったのかもしれない。「アルファインターネット」という、懲りもせず「聞いたことないよなあ」というプロバイダとの契約を済ませた友人だが、サイトの移行作業には手をつけていない気配で、それとの兼ね合いか「移転先はこちらです」等の告知を掲げることもないままに、「YAS's Rainbow」はMTCIのサービス提供終了となる10月末を迎えてしまった。11月にも慣れたこのごろ、そろそろ「Not Found」なり、「サーバを見つけられません」なり言われるかと思って見に行くものの、そこは通例どおりに、サーバ上のデータはもう少し残ることになるようだ。今は10月8日から変わっていないトップ画面が出迎えてくれる。

 お客様の受信メールおよびホームページURLについては2001年1月末までご利用いただける予定ですが、出来るだけお早めにデータをお手元に保管いただきますようお願い申し上げます。

とはMTCIのトップページに現在書かれてある案内だが、「出来るだけお早めにデータをお手元に保管いただきますよう」ということは、1月末まではFTPも、つまりしようと思えば更新も、できるということだろうか。って何が分析したいんだかまとまりもないが、要はひょっとして管理人、もう少しぬくぬくしていようという気になっているかもしれないなということで、あるいは「どうなの?」とメールすればいいところをここに書いたまでのことである。


11月7日(火)

夜半にかかった。そのときは「思えぬ」と、打とうとしていた。「おもえむ」と叩いてしまい、「主笑む」と変換されたところで手許の狂いに気がついた。どの一字を間違えたか頭が回らぬままに取り消しのキーを四回叩けば、皺を寄せ、好々爺然として微笑む口元が、像を結びかけた。微笑むのはどこかの家のアルジであろうか。それよりも、シュなる神へとつながるニュアンスを響かせてきはしまいか。この世を微笑むというような、何か大きな笑みのことで、だとすれば、しかしながら「シュ」は硬い。「おも」と読ませて柔らかいのは上手いものだ、いずれどこぞの死語かもしれないと、すでに画面にない文字を見遣った。


11月6日(月)

「チャーン」と「ケシャーン」のあいだを音が走った。かなり離れて先を行く男の足元を、赤ボールペンが転がっていた。耳に届いたのは蹴飛ばされた赤ボールペンの音と見えた。赤ボールペンは、このくらい離れていても赤ボールペンと分かるものだな。透明のような濁ったような棒状の、両端だけが赤く、一方の赤がやや長い。となれば、それはほぼ間違いなく赤ボールペンか、あるいは赤ボールペン型の何かであって、そうなってみると本当のところ何だったのか、ひとつも分からないままに通り過ぎたことになる。

月初めの一発目だというのに、一体何のコーナーなのか、いよいよ正体がない。そんな馬鹿な、日記のコーナーだ。エッセイ風の文章に転がることもあればJavaScriptでお茶を濁しもするぜ、日記のコーナーさ。「日記とホームページ問題」がどうのと、コーナーを立ち上げた当初言っていたような気がするが、あれはどうなったのか。困ったものだ。日々の文章はそうした問題を見据えているようで見据えていないようで、つまりあれだ、見据えていない。取りかかるには、いつの間にか、コーナーが違う方角を向きすぎていた。油断した。

11月3日の話。文化の日。成城大学は文化祭で、久しぶりに会う大学時代の友人を誘ってそれへ足を運んだかたちになるが実はそうではなく、同日開催されていた受験生相手の進学相談会の中で、富山太佳夫のミニ講義が聞けるというのがお目当てであった。ホームページで情報を得、申し込み不要、出入り自由ということだったので行ってみた。何より富山によるミニ講義のタイトルというのが、「信じられないくらい英語がラクに読める」なのであって、冗談かと思ったら、本当に「英語のラクな読み方」を教わってしまった。教わってしまったも何も一時間ぽっきりなのだが、存外「ハーポがしゃべった!」の翻訳が進むようなことがあれば七割方そのせいだと思っていただきたい。