コーナーの日記

Diary

Title: Superman Red Diary


10月31日(水)「続々々・煙草入れ問題」

▼ネタ予告。「モカモボ」と題されたそれは、美味しいモカの入ったコーヒーカップを手にしたモダンボーイの、抜群にキュートなイラストである。
▼「お気に召すかどうか分かりませんが、これなら実際に使うのにいいんじゃないかというのがありました。値段はまだ確かめてないんですが、1万ちょっとぐらいだと思います」
▼そうですか。では、土曜日に伺います。「土曜日ですとねえ私、夕方ぐらいからしか居ないんですよ」
▼ではそのぐらいの時間に。と告げて、受話器を取った。
▼「もしもし。伊勢屋美術さんですか?」と電話の声がしてまた攻守逆転。いいえ、相馬ですが。
▼7回の裏である。はじめていいえと答えてみたが、転機となるのか。


10月30日(火)「続々・煙草入れ問題」


10月29日(月)「続・煙草入れ問題」

▼日曜日に数軒回ったと書いたアンティークショップでは、結局のところ煙草入れそれ自体に出会わなかった。「最近はたまにしか入らない」「そういうものはやはり専門に扱ってるところでないと」と言われ、また、「西荻で探すなら、一度電話でたしかめてから出掛けた方が時間の無駄にならないですよ」と諭されたものだった。
▼あれから5年である。
▼西荻で一番古いと案内にある古道具屋、書画や茶道具なんかを扱ってちゃんとしていそうな店で、日曜定休のため昨日は閉まっていたところへ朝、遅刻ついでに寄ったのだった。
▼入り口付近にあった透明ボックスを、やにわに店主が引き寄せ開けると、「これがみんなそう」という煙草入れたち。いともあっさり出てきたのは、仕入れてきたばかりのもので写真を撮ろうと別になっていたらしい。「これが『ひとつ提げ』というタイプのもの…」といった説明を懇切に言い立てながら、ひととおり取り出してみせ、「こんなかに入ってるのがだいたいみんな11万円ぐらい」と言う。とりあえず笑っておいた。「きざで言うんじゃないけれども」というのは若僧に説明するときの口癖みたようなものか、「そのぐらいのものでないと売れないんだよ、われわれは」。まあ察しはつく。
▼そうして立派なカタログを開いて、立派なカタログに載っているくらいのものだからそれは、こういうのは200万ぐらいしちゃいます、とにかく、江戸のひとのおしゃれ道具ですからね、きざで言うんじゃないけれども。贅を尽くしたものである。
▼こちらの予算的なところ、といって骨董的な価値で言ったらゼロに近いようなものだが、つまりそんなようなものでいいのですがということを伝えて、それっくらいの、1万ちょっとのものがうまいこと倉庫に転がっていれば持ってきておいてあげますよと、そういうことになって店を出た。


10月28日(日)「煙草入れ問題」

▼ややもすれば新宿へ、今日もまた『ピストルオペラ』を見に行ってしまうのではないのか私はというのが昨夜のワクワクドキドキ。蓋を開けてみての眠たさに任せて午後まで。
▼途中、本日は「小坂忠&Friends」のチケット発売日で、10時からまたぴあに電話をするものの、昨日とはうってかわって埒があかない。競合するメジャーな公演でもあったのか、結局12時すぎ、ほとぼりの冷めた頃につながった。
▼探しているのはキセル用の煙草入れだ。ちょっと専門的なたばこ屋で扱っている、実際の流通に乗っかっているそれというのがどうにもまったく粋の「イ」の字もないのであって、「イキ」は2文字しかないにせよ、どうしたものか。この、ビニールレザーだのプラスチックだのといったものよりマシであれば何でもいいから安いところで何かないのかね、という探し方をすれば、それはそれで骨董屋方面に存在する需要ともまたかぶらないのであった。
▼西荻のアンティークショップなところを数軒回る。
▼金ならないし、何も別に、この桂文楽が愛用していたという一品のようなものが欲しいと言ってるわけではないが、やはりいいものとなると抜群によいのですなこういうものは。


10月27日(土)「『ピストルオペラ』を見る」

▼早めに起きて洗濯など済ませ、10時、「米朝落語会」のチケットとりを電話で済ませてから部屋を出る。
▼下北沢のたばこ屋で、キセル関係の買い物。
▼渋谷へ。『ピストルオペラ』初日、1:45〜の回。は、ちょうど初日の舞台挨拶のある回で、それに一時間半前ぐらいから並ぼうというかたち。さすがに列は出来上がっていたが、それでも一階席の後方にありつく。
▼本編のあと、舞台挨拶。は、鈴木清順、木村威夫(美術監督)、江角マキ子(野良猫)、韓英恵(少女・小夜子)、永瀬正敏(黒い服の男)、ヤンB・ワウドストラ(無痛の外科医)の面々。
▼本当は、移動して、テアトル新宿のオールナイトイベント(『殺しの烙印』、『東京流れ者』、TV「大江戸捜査網」の鈴木清順演出の回、トークショーなどなど)の整理券配布に並ぼうという計画だったが、『ピストルオペラ』エンドマーク後の興奮、ドトールなんぞでは冷めやらず、何だか昔の作品なんてどうでもいいような気分なのであって、結局渋谷で時間を潰したまま、6:35〜の回をもう一度見る。
▼サウンドトラックをお買い上げ。


10月25日(木)「あれか俺は」

▼帰りの駅のホーム、携帯電話で話す男、調子がどこか耳につくと思えば、そうか「のいるこいる」に似ているのだと気づいたはいいが、いったい「のいる」なのか「こいる」なのか。
▼作るのが面倒であるのと、また、はたしてそれが面白いのかどうか判然としないという理由で作らずにいるが、口で説明するとこういうものである。適当なポーズをとった「目玉の親父」の画像を調達して、それにセリフをつけるというもので、はじめは、「おい、悟空!」としゃべらせれば面白いのではないかと考えたが、作らずにいるうちに、「のびろ、悟空!」だとより面白いのではないかと考えて、しかしそれでは口で説明しないと何のことだか分からないだろうとこうして書いている。
▼なぜ「月間」と銘打ってしまったかというのは「Seven Stars見直し月間」のことで、一ヶ月たってしまったのだった。ので、終了せざるを得ず、今はまた気が向いて、キセルを吸っている。


10月17日(水)「筒井か俺は」

発売当日の店頭配布に並んで手に入れていたのでさしあたりどうということでもないがUp-To-Dateプログラムでもって申し込んでおいたOS Xが届く昨日は結局テープを停めてしまってからこれは日記になるぞとノートに向かいだしたりするうちに寝てしまってそのまま帰宅後あらためて再生2時間40分はつまり落語特選会×3榎本滋民は出てこない1本目が愛宕山すでに書いた芸術選奨文部科学大臣賞受賞口演の2000年3月のものでひきつづき1997年11月の文七元結落語研究会最後の口演となった今年4月の刀屋が3本目下谷山崎町を出てという黄金餅の言い立ての部分が流れみんなずいぶんくたびれたでストップモーション安らかにの文字が出て終わるどう上山君と今は君のあとに?をつけるべきところだが、と。を廃するとなれば?も!も「も」もないむろん▼も改行もないのが道理だろう


10月16日(火)「ああ、ああ、という気分」

▼BS-i(TBS系のBSデジタル)で5日の深夜に放送された志ん朝の追悼特別番組を、ツテのツテを頼って録画してもらい、そのテープがようやく手元に来た。
▼さすがだ、と呆れた。一億二千万による、地上波でもってやらないとは何事だの大合唱の輪からすっと抜かれるような心持ち。「謹んでご冥福をお祈りします――第五次落語研究会 スタッフ一同」の文字が出て消え、あとは何事もなく、あの、いつもの屏風とめくりと客席の暗がり、「東京・三宅坂 国立劇場」。
▼「愛宕山」「古今亭志ん朝」。右端には小さく、「芸術選奨文部科学大臣賞受賞口演」。
▼分からないが、「ああ、ああ、」といった気分にさせられ、「老松」の聞こえてくる前に慌てていったんテープを停めてしまった。


10月13日・14日(土・日)「落語三昧である」

▼会社の研修で東京に出てきていた友人がそのまま金・土とうちに泊まっていく。日曜夜の紀伊國屋寄席をトリに据えるようなかたちで、それへ向け、手持ちのCDとビデオで二日間の落語三昧。友人は高校からのつきあいだが、大学が北海道であったため、シティボーイズだの志ん五だの、世の中の「面白いもの」に誘うようになったのは最近のこと。つまり、志ん朝に連れていけなかったひとり。
▼金曜の夜中に私が帰宅後、志ん朝の「居残り佐平次」(CD) を布団で聞き、就寝。翌朝は9時起きで、NHKラジオ第一の志ん朝追悼番組をこれも布団で聞く。司会者を交え、志ん五と小朝が思い出を話す。ほか、ラジオドラマに出演した折りの音、インタビューなど。
▼ひきつづいて先代馬生「目黒のさんま」(ビデオ) 、先代馬生「笠碁」(ビデオ) 、志ん朝「崇徳院」(CD) 、志ん朝「御慶」(CD) 、志ん生「富久」(CD) 、談志「富久」(ビデオ) と聞いて、吉祥寺へ。兄宅で鍋をごちそうになる。
▼吉祥寺から戻り、「パンダコパンダ」を見て、志ん朝「芝浜」(CD) を聞きながら就寝。
▼日曜も早起きをし、ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショーへ。『幕末太陽傳』。
▼部屋に戻り、小さん「蒟蒻問答」(ビデオ) 、談志「野晒し」(ビデオ) 、志ん朝「井戸の茶碗」(ビデオ) 、志ん朝「百年目」(ビデオ) を見て、新宿へ向かう。

▼新宿・紀伊國屋ホール、紀伊國屋寄席。お目当ては小さんと志ん輔だが、小さんがお休みで小三治が代演。
▼小三治は、小さん休演の事情説明(三日前に会い、暗がりでむこうずねを打ったとかで「なんだいこのぐらい」とも言っているが「痛ェ」とも言っているので休ませた。「みなさんによろしくって言ってました。」)、小さんが演る予定だった「猫久」のあらすじの説明、小さんの近況(「駄目だよ最近は俺も。座ってるところから両手付いて、ピョンて飛び上がれねえんだヨ」と小さんは言う、云々。)、小さんの落語は今が聞きどきだという話(本当に無欲ンなっちゃって、出てきて軽い話をボソボソしゃべって、しゃべってるうちにそこに世界が浮かんでくる。聞き取りにくいのは何も今にはじまった話じゃない、云々。)、今日は浅草で弟子の真打披露興行に出ていたという話から自身の真打披露のときの師匠連の口上(物真似入り)、「小さん」を継ぐ名前だろうという濡れ衣を着せられている「小三治」という名前について、等々、40分にも及ぼうというマクラ噺をして、最後に「小言念仏」を10分ほど。噂に聞く「最近の小三治の高座」そのまま。
▼と、小三治はそんな内容であるから、概略を報告し、何行と書いてその至福を自慢すればいいが、志ん輔は「穴どろ」以外の何ものでもない。すっきり20分ほど、細々たっぷりの所作と華の匂うようなリズムの兆し。前回見たのが今年8月の「たがや」、その前がかれこれ2年前ぐらいの「片棒」か。2年前と違っていると言えば当たり前だし、今年8月とも違うと言えば、こちらの目が曇っている今現在を認めなければならないが、やっぱりどうも、「志ん朝」の芽はここにあるらしい。
▼電車の都合で、友人はここでお帰り。トリは桂文治「高尾」。

▼TSUTAYAで、『鈴木清順・浪漫三部作DVDボックス』を買って帰る。


10月11日(木)「MOS」

▼いただいた交換日記が、5、6通たまっている。どうしたものでしょうか?
▼話は替わるけれどもモスバーガーの「MOS」は、「Mother Of a Son(一児の母)」でないかと俺は見るね。「Man Of Sunday(日曜日の男)」かもしれないが、そうだとして「Mask Of Somewhere(どこかの仮面)」でないとも言い切れず、「Mageneto Optical Star(売れっ子MO)」でもあるまいが、「Matter Of Solt(塩の問題)」とはいったいどんな問題だと言うのか。モスめ。ちっきしょう。


10月8日(月)「初七日あけて」

▼上野・鈴本演芸場、昼の部。

古今亭菊朗道具屋
大空遊平・かほり漫才
古今亭志ん馬時そば
柳家小せん饅頭怖い
桂文楽漫談
翁家和楽・小楽・和助曲芸
古今亭八朝漫談
むかし家今松質屋庫
古今亭志ん橋居酒屋
仲入り
太田家元九郎津軽三味線
桂文朝初天神
林家こぶ平(志ん輔の代演)漫談
アサダ二世奇術
古今亭志ん五付き馬

10月6日(土)「『バカ顔と申しましてね。夏ンなると咲いたりなんかするんでございますよ』(三代目古今亭志ん朝「火焔太鼓」)」

▼護国寺へ。葬儀に参列。
▼並んでいて気が付いたが、その、となりにいるのは小林信彦ではないか。ちがったか。いや、たぶんそうじゃなかったかあれは。


10月5日(金)「『ちがうよゥ。元気ならぶつよモォ』(三代目古今亭志ん朝「崇徳院」)」

▼駄目だよ、書かなきゃア、ェエ、ウ。更新しなきゃいけませんですよフントーにィ。

▼知ったのは枕元まで運んだ夕刊。10月1日。古今亭志ん朝師がこの世を去る。
▼前日には、キャンセル待ちして取ったチケットを手に千葉まで行き、「圓歌・談志二人会」を聴いていた。お目当ては、志ん朝倒れて代演・談志、という歴史だった。
▼二日前には三省堂で『トランスクリティーク』を買っていた。柄谷行人に「戦後に備えろ」と言われた、その矢先。
▼この「戦後」には、志ん生がいない。

▼思いつきでしか筆が進まないのは、まったく申し訳ないよ。
▼もっと的を射たことを書きたいのは山々だが、しかし明らかに、胸の内を手探ってみて失ったのは、「六代目古今亭志ん生」という物語。言い換えれば「未練」。たらたらの未練。断ち切るには、逆に、「志ん朝」それ自体を胸に刻み、反芻することか。そうすればほら、泣けてくる。

▼「柳田格之進」「あくび指南」「富久」「風呂敷」「宿屋の富」「そば清」「羽織の遊び」「搗屋幸兵衛」「寝床」「船徳」「鮑のし」。生で聴けたもの。充分か。充分かもね。