コーナーの日記

Diary

Title: Superman Red Diary


5月3日〜5日(祝〜祝)「今しばらくの、うわの空」

▼今は、帰りの新幹線の指定された座席(以下、「指定席」)でこれを書いている。「ひょっとしてもうこの時間て、車内販売とかやってなかったりするのかな」と思って自販機で買った、DyDoの「銘茶三選・茶ごころ」を手に書いているのはしかし、言っとくがお前、お前が冷たくて旨いんじゃないぞ、このGWが格別だったのだ。
▼どだい整理できやしないか、あるいは整理する気のないことを整理しようと慌てることは、折角の余韻を逃がしてしまうだけの実のない作業だが、余韻のほどけた頃にあらためてノートに向かえば、僕(以下、「私」)はどうせまたちがったふうに書くだけだ。だから今書く。いやまあ、ねむたくないので書く。長くなるよ。
▼5月3日。新幹線で新大阪まで。地下鉄に乗り換えて、なんばに着いたのが開演30分前ぐらい。駅から会場までは正味5分ぐらいであって、前日に上方入りしている上山君チームに席を取ってもらってもいるので順調この上なかったが、のんびり構えていたら道に迷った。野郎、のんびり構えてやがるな、というのが電話口からばれたのか、道を教える上山君は必死だ。結局開演ぎりぎりにすべりこむ。
▼申し遅れたが桂米朝の独演会で、私が相馬、彼が上山君で、あそこに座っているのが恭子ちゃんだ。前から数列目の、舞台向かって右端の方。桂団朝の「寄合酒」、桂米輔の「鮑のし」とあって、米朝の二席。団朝の「寄合酒」は何と言うか、ハキハキしていてなんぼといった前座っぷりで可もなく不可もなかったが、米輔の「鮑のし」(上方落語的には「祝いのし」というらしい)はハズレ。あれで知らないネタだったらよっぽど辛かったんじゃないかという感じで、リズムが完全に私と合わない。「あれは『鮑のし』っていう噺なんだけどね、本当はもっと面白い噺だからね」と、思わず恭子ちゃんにはあとでフォローした。って、大阪でナマの米朝を見てきた人間の口から聞きたいのはそんなことではないだろう。うん、いや、米朝なんだけどさ。
▼名人でした(笑)。ぜんっぜん違う。むろん前の二人とも、それから(むろん)ビデオの米朝とも。
▼かつて我々が「プロレス」だと思い、それゆえに「プロレスが好きです」と言ってきたものが、今となって実は「猪木」だったと分かるように――喩えて言えばそういうことなのだが――、ひょっとして我々が「上方落語」だと思っているものは「桂米朝」なのではないか。そう思ってしまうだけの名人が、目の前なのだった。「上下〈かみしも〉を切る」ことによって突如そこに構築される空間と時間が、ちがう。ちがうと言うか、なんだこりゃだ。問題は圧倒的に、「ナマだ」ということの方にあるだろう。「ナマだ」ということに比べれば、おそらく、「大阪だ」ということはちっちゃな要素にすぎない。(というのはしかし、「大阪で」「ナマで」見た人間の言い草でしょうか。)「東京で見る」ことのデメリットは実際、「大きいホールになってしまいがち」ということの方にあるんではないかね。トリイホールはまったく、こぢんまりしていてよかった。詰まるところのアドバイスはまあ、「急げ、急ぐんだ、みんな。」ということであって、それはもう変わりようがない。『米朝全集』等のパッケージで馴染みのある姿が早もう十年近く前のものであって、うん、そうだよなあというお歳なのだった。
▼ご満悦、ごちそうさまでしたの一行、「法善寺名物・夫婦善哉」で一服。上山君チームの、相馬に大阪っぽいところをというマップ片手の心遣いが有り難い。「くいだおれ人形といっしょに写真」等の案を却下しつつ、一行、夕飯を食う店を探して歩くが、その途中、「5月3〜5日特別出演、いとしこいし」の看板を見つけてしまう。演芸の浪花座。「あー!あー!」うるさい相馬に、「今日はもう終わっちゃってるよ」と上山君は冷静だ。結局、相馬が事前に調べて「ここで食いたい」と言っていたかやくご飯の店「大黒」は閉まっていて、気が付けば、ネットで調べてプリントアウトしたその「大黒」の情報に、他でもない「日祝休」とある。学ぶべきは、「人は、プリントアウトすると安心してしまう」ということか。
▼地下鉄で梅田に移動、そこでもあれやこれや探した挙げ句、別に大阪っぽいところでなくてもいいのではないかと頷きあい、落ち着けそうなオムライス屋に入る。しばしの反省会と、明日・明後日どうするかという話。明日は、これまた相馬が事前に調べて「ここで食いたい」と申し出た「ほんやら洞」という店で昼に落ち合い、寺巡り。明後日は完全な単独行動ということにして、ここはやっぱり演芸の浪花座。いとしこいしだけ見て静岡へ、ということに落ち着く。
▼梅田の駅で別れ、別々に京都へ。京都第一ホテルは思いのほか近かった。京都駅の売店で急遽買ったガイドマップ2冊と、持参した「るるぶ」とで明日の計画をひねり出し、就寝。
▼ってこんなペースでいいのかね。(むろんすでに、新幹線の中ではない。)と一息入れて、まだまだ順を追うよ。
▼5月2日。旅先の朝は早い。ということなのかどうなのか、8時半を回ったぐらいにホテルを出る。明日の朝はあそこで食っちまおうかと思っていたホテル近くの吉野屋が、昨夜ホテルに入りがけに見た記憶よりも少し離れたところに建っていて気を削がれる。そのまま駅前へ。下見を兼ね、昨夜ひねり出したコースを逆に辿って待ち合わせ場所まで行こうという腹づもりだったのだが、しかし歩いた。

(と、掲げたメモ書きは縮尺がでたらめで、まったく何の参考にもならず申し訳ない。)
▼駅から一番手前、思えばたいした距離でもない三十三間堂までバスで行き、そこから何を思ったか、百万遍まで歩く。途中、東山三条のバス停までで30分。禅林寺行きの出るバス停の位置を確認し、さらに東大路通を北に、もう30分。ようやく百万遍。知恩寺をやりすごしつつ、京大前にある「進々堂」という喫茶店へ。「カフェ(フレッシュ入り)」で一服。角砂糖が2個、スプーンに載って添えられていて、これは入れなければならないのではないかという気にさせられるのが厄介だ。入れればむろん甘々になるのだが、見合うだけの距離を歩いてしまっていて、「疲れたときは甘いもの」という考えしか浮かばない。甘々。だが旨い。何より店の雰囲気がいいのだった。あらためて、待ち合わせ場所の「ほんやら洞」へ向かう。
▼ほんやら洞。前日食べれなかった「大黒」もそうだが、宮沢章夫の日記に出てくる店。とっかかりはそれだけであって、事前に調べたも何もネットから地図を引っ張り出しただけのことである。何か足掛かりがないといくらなんでも観光の計画が立たないよという、その足掛かり。ここから、ぶらぶら京都駅あたりまで戻っていくようなかたちで、「知恩寺→禅林寺→三十三間堂」というルートをゆうべひねり出した。ほどなく上山君チームが現れて、食事。
▼しかし天気がいい。
▼知恩寺。浄土宗七大本山のひとつで、法然上人の弟子源智が建立。通称、百万遍〈ひゃくまんべん〉。後醍醐天皇の御代、京都に疫病が流行った際に七日間の百万遍念仏を厳修してこれを鎮め、天皇から「百万遍」の寺号を賜わったというが、あだ名か、寺号は。百万遍念仏という行いを捉えて「百万遍」の方に目がいってしまうあだ名の力学と、百万遍そのものが持つ響きのダイナミズムを前に寺側も断るタイミングを外したか。「まあ、表向きはそういうことにして」と、苦々しく思う胸の内を納めた僧もいたにちがいない。「あ、百万遍だ!」と指差して前を通る子供を、彼は殴ったのではないか。
▼時間をはずしたのか日をはずしたのか、境内は人影もまばら。本堂をぐるっと回り、トイレに寄った。京都をぼんやり歩くというのが言わば今回の趣旨なので、順調な滑り出しと言えたが、一行すでにお疲れ気味。気候がよすぎる。
▼進々堂で一服。「入れなければならないのではないかという気にさせられる」としゃべる相馬の口車に乗った恭子ちゃん、スプーンに載った角砂糖を2個、カフェに入れる。甘々。
▼続いて禅林寺。移動は途中までバス。乗り換えてふたたびバスで行くつもりだったが、やってきたバスがたいへんな混みようで、歩いても大した距離ではないのではないかと目測をあやまる。禅林寺(別名・永観堂)に行くことにしたのはひとえに、その本尊である「見返り阿弥陀」に因る。首を左後方に振り返っている阿弥陀如来立像で、そのエピソードというのが惚れ惚れさせられるのだった。「昔、念仏行道をしていた永観が、前方に阿弥陀仏を見つけ驚いていると「永観遅し」と振り返ったという」(「るるぶ」より)。これは行かねばなるまいよ。
▼着いてみれば、「いいから秋に来い」とばかりの紅葉が一面の緑。きれい。拝観は結構なボリュームで、なおかつ、なかなかくつろがせる。お待ちかねの「見返り阿弥陀」は堂の馬鹿でかさも手伝ってか思ったよりも小さい。いわゆる正面をそのまま正面として置かれているので、ふつうに相対するとそっぽを向かれているふうになる。辿り着いた途端に「遅し」の叱責を受けるのではないかとワクワクしていた身としては、これは見当が外れた。如来、むこう向いてる。俺ではないのか。
▼まあそこは親切に、ちゃんと両脇からも拝めるようになっていてたっぷり見惚れる。その本堂(御影堂だっけか?)でしばし、戻ってきて入り口付近でもうしばし、お茶を啜ったりしてくつろいで、「一日居てもいいね」と上山君が総括した禅林寺を切り上げる。
▼切り上げたはいいが、刻々と近づいているのは三十三間堂の入館締め切り時間だ。何しろ三十三間堂、ただでさえ「1001対3」である。果たして見る時間が充分とれるのか。バス停まで戻り、少し待って、「そもそも間に合わないんじゃないか」の念が頭をもたげる。結局作戦を変更、最寄りの「蹴上」駅まで歩き、電車。三十三間堂よりも30分閉館の遅い、西本願寺をめざす。
▼最寄り駅と思われた「五条」駅から、これまた歩く。へとへと気味で辿り着いた西本願寺は、しかし、でかい。しかも構造としては、まあ「馴れ」もあるんだろうけど(※相馬は、浄土真宗西本願寺派の寺の三男坊である)、「現役として機能する寺が、単純にでかい」という有り様で、何というか参りやすいのだった。「トランプとか持ってきて、ずっとやってたいね」とこれまた上山君の総括する本堂で、これまたぼんやりする。御影堂だか何だか、何だかってこともないが、となりの建物はすっぽりとドームに覆われて工事中。「全天候型のドームに改造してるんじゃないか」「屋根はあったろう、今までだって」「競技場とクラブチーム作って、J2 に殴り込むのでは」「『本願寺ナマンダブツ』!!」など、どうでもいい話で盛り上がる。
▼いよいよ夕飯。上山君チームのチョイスで「やすい」というお好み焼き屋にする。オレンジジュース(上山君)、ビール(恭子ちゃん)、アカ(相馬)と、お好み焼きとで歓談。注文の際「アカっていうのは何ですか?」と上山君が聞き、「赤ワインを何と何で割って…」と店員が答えて、「ジュースでいいです」と上山君が即答した「アカ」で、何と何で割ったんだかは聞きそびれた。アルコールの入った、気の抜けたサイダーのような味。
▼食後、ふたたび歩く。京都駅まで。駅近くのビルで、御用達のシャンプーを買いたいという恭子ちゃんの希望に付き合うかたち。お好み焼き屋から駅前まで、たいした距離ではないはずだとふたたび恭子ちゃんが目測を誤る。道半ば、地図を確認した上山君に「遠いよ」と指摘され、「遠いね」と恭子ちゃん。歩く。
▼シャンプーは無事にお買い上げ。引き続き、同じビルの階上、書籍フロアに移動する。宮沢章夫を2冊と、えのきどいちろうを1冊、文庫になってるものを棚から取り出して二人に差し出す。宮沢章夫の『牛への道』に目を通し、可っ笑しくってどうしようもない様子の恭子ちゃん。同じく『わからなくなってきました』をパラパラめくっていた上山君からは、「アンタ、切り口がおんなじじゃないか」と叱られる。恭子ちゃん、『牛への道』をお買い上げ。
▼最後は、恭子ちゃんの部屋の最寄り駅「桂」まで。というのもこのたび、いよいよテレビデオを買う計画が現実味を帯びて、レンタルビデオの見れる環境を整えそうな予感の恭子ちゃんのため、一緒に最寄りのTSUTAYAへ行って「コレとコレとコレと…」と指さして回ろうじゃないかという作業のためで、要はこっちの時間潰しだが、向こうも喜んでくれているのでまあそういうことだ。元はといえば私が、ダビングしたノルシュテインのビデオをあげたばっかりのテレビデオ購入計画であって、責任の一端というか、そもそもノルシュテインを紹介した行為から含めれば全責任があるのだった。申し訳ない。黒澤だのルパンだの、サボテンブラザーズだのジャズ大名だの、我がカモだの世界中がアイラブユーだの、「モンティは駄目?」とか上山君と相談しつつ基本アイテムを紹介したのだった。
▼いよいよ5月2日終了。そのままTSUTAYAで別れ、ホテルに戻る。
▼いいかげん順を追い過ぎですか? でももうあとには引けません。いとしこいしと「月の教室」が待っています。

とは言っても、ここで一息入れて。

▼5月3日、9時半頃、ホテル出発。一路新大阪へ。3日と同じく地下鉄に乗り換えて、なんば。10時40分頃、演芸の浪花座前に着く。
▼興行の方は10時半スタートの3回公演で、終日入れ替えなし。見たところから見たところまでというシステムで3000円。入り口前のタイムテーブルを見ると、いとしこいしの出演はそのうちの2回で、1回目が12時40分〜55分頃とある。ちょうど2時間後ぐらい。いとしこいしの他に見るべき顔はなく(ちなみに浪花座は松竹の小屋)、唯一気になる「敏江・玲児」は本日休演。いくらなんでも(と断るまでもなく)2時間は我慢できないだろうと判断、そもそもが「いとしこいしの15分に3000円で可」という思いで来たことでもあり、いったんやり過ごして喫茶店へ入る。サンドウィッチとコーヒーのセットで朝食。
▼なんやかやで1時間ほど潰し、いよいよ浪花座へ入る。少しだけ後悔したのは席がほぼ埋まってしまっていたことで、何組かの芸人が触れていたが、やはりGWならではの入りということだろう。もっと遠く行け遠くへとも思うが、やはりちょっとGWをなめていた。「いとしこいし効果」もあるにちがいない。舞台向かって右寄り、けっこう上の方に座る。
▼客質はまあ、浅草演芸ホールを引き合いに出せばいいか、いたって悪い。ネタに含まれた生活密着型の情報にうなずいてみせるおばさんをはじめ、だいたい同じようなもので、そんなこんなの中、ひたすら、いとしこいしを待つ。
▼めくり(と言えばいいのか、クルッと回すパネル式だが)が変わり、「夢路いとし喜味こいし」。すかさず身を乗り出して、袖から出てくるところを注視する。贅沢に、身を乗り出さずに聞きもしたいもんだが、んなこたあ言っていられないのは仕方がない。会場の拍手はむろん最大。二人、マイクの前に立つ。
▼いやはや。ひたすら心地がいい。居心地がいい。笑かそうという欲がないと言えば枯れきってしまっているかのようだが決してそうではなく、そうしたものが舞台に露われるスキが、寸分もない。ただ出てきて、兄弟でしゃべって帰っていく(他にどう言い様がある?)。「爆笑」など、弾みと拍子でいつ立ち現れるか分からないと心得て、ひたすらにリズムの波を織っていく。いやはや。笑った。
▼話は替わって15時10分京都発の新幹線。向かうは名古屋、乗り換えて浜松。東海道本線で締め括って「袋井」は磐田のとなり。静岡県袋井市。
▼会場は出来たてほやほやの、というか今回の「月の教室」がオープニング公演の、月見の里遊学館。うさぎホール。駅前からバスに揺られること20分、「山梨郵便局前」で降り、今しばらく歩くと、ある。
▼なんばの喫茶店でサンドウィッチを食ったっきりなので、施設内にある喫茶ルームで食事。なかなかにいい施設であって、玉に瑕な「全館禁煙」がそもそも瑕ではないような設計理念なので手も足も出ない。食事を終え、受付で当日券を買ってうさぎホールの中へ。今回の舞台、立つ人たちは全員袋井の市民であって、うち大人が2人、残りをほぼ高校生が占めるのだが、その高校生の友達、有志の方々とおぼしい女の子たちが開場前の何やかやを手伝っている。
▼トイレに行き、あらためてホール設計の入念さに驚く。段違いの丸い鏡。
▼開場が6時半で、7時の開演。係りの人に尋ねると、公演は2時間弱を予定していて終演は9時前だという。行きで使ったバスの、「山梨郵便局前」の最終が8時20分なので話にならず、取ってしまってある新幹線の指定券を使ってその日のうちに東京に帰るには袋井駅9時33分発に乗らねばならないが、そうなるとタクシーである。通りに立ってタクシーを拾えそうな眺めでもないので係りの人に頼み、タクシー会社にあらかじめ電話しておいてもらう。
▼ロビーには続々と来場者。むろんほとんどは袋井の人たちで、多くは出演者の知り合い、親類とおぼしい雰囲気だが、それらに混ざって遠方からの客もちらほらある気配。ただ、大仰な旅行バッグを提げ、見るからに遠来、あからさまに通りすがりであるのは私ぐらいか。気が付けば、小さな紙袋を提げた宮沢章夫の姿もあって、様子を伺うふうにしている。
▼開場。
▼「タクシー呼んでおきましたんで。8時50分に、そこの入り口のところに来るそうです」「事務局の電話を使いましたんで、すいませんが10円、よろしいでしょうか?」「あ、やっぱり10円、結構だそうですので、これ」等のやりとりを済ませ、準備万端、席に落ち着く。2列目、舞台向かって左側の、この際「死角」も適度な好ポジション。いや、このホールのこと、どっからでも見やすいんだろうが。
▼開場してほどなく、舞台上には役者(/女子高生)が制服で現れてつくえに座り、何かを読み、会話して、スナックを食べ、何となくはじまっていく。そうして開演の7時を、何となくむかえたときにはすでに、はじまっていた。
▼思えば新幹線の指定席でこの日記を始めたとき、「余韻」とは他のどれでもなく、この「月の教室」の、高校生たちの、袋井の、余韻だった。むろん袋井市民だけの手になるわけではない、返す刀で宮沢章夫ひとりの手柄でもあり得ない、矢鱈しっかりしていて、無闇に生き生きとした、舞台の何か。きっと明日はまたちがう。途中ピアニカか何かでプープー聞こえてくるライディーンのメロディが、うならされるほど巧く、同時に意味などない、ただ笑わそうとしているのだと響く。あのコがかわいいとか、もうそういった感想でかまわない。ちっきしょうめ、この舞台が明日はどうなるのか、そこが山場じゃないか。



  1. 朝、ホテルから京都駅へ歩く道すがら。
  2. 養源院(三十三間堂の東、俵屋宗達の象の絵とか)。門を入って左手の方の鳥居。
  3. 法住寺(養源院となり)。寺務所前の段々に座り、門を写す。門の向こう、左に小さく写っているのは煙草を喫っている寺務所のおじさん。
  4. 養源院。井戸だか祠だか、そんな感じ。
  5. 禅林寺からバス停までの道すがら。塀に描かれているかのように見えるが、もっと近づくと別に手前に置いてあるものだと気づく。
  6. 禅林寺。手前が恭子ちゃん。その奥、ファインダーを覗いているのが上山君。
  7. 袋井市月見の里遊学館の建物(一部)。
  8. 同じくそこにあった「月の教室」のポスター。
  9. 月見の里遊学館近く。道路標識にフラッシュが当たり、月のようになったもの。
  10. 禅林寺。高みにある多宝塔から京都市街を撮った際の、両脇の紅葉の一部。