コーナーの日記

Diary

Title: Superman Red Diary


9月28日(木)

「太郎こおろぎ」についての情報がさっそく寄せられたのには驚いた。前にも登場した「しゃみ」さんからである。

早速ですが太郎コウロギです。
私も教科書で読んだ覚えがありますが、内容はよく覚えていません。
確か、古い木造校舎が出てきたような。
床に穴があいていて、消しゴムのカスをそこに捨ててる子がいたような。
そんな感じに私もうっすらとしか覚えてないのですが...。

メールにはさらに国際子ども図書館というサイトで検索したという書誌情報まで載せられ、それによると作者は今西佑行だそうだ。「確か、今西さんの全集が出てたと思いますので、そういうところを探せば、読むことができるのではないでしょうか。」という「しゃみ」さんの指摘どおり、めざす「太郎こおろぎ」は『今西佑行全集 第2巻』(偕成社、1,800円)で読むことができるらしい。というのは例の紀伊国屋 Book Webで調べたのだが、ついでに注文までしてしまった。在庫があるらしいので来週中には手元に来るだろう。まもなく全貌が明らかとなる。刮目して待て。というか、これ、私が出会ってないか忘れてしまっているかするだけで、けっこう有名な教科書教材だったりするのではないか。紀伊国屋で検索した際、一緒に『文学教材の読み方指導〈12〉/「太郎こおろぎ」の授業』という本がひっかかってきたし。


9月27日(水)

いま募集しているのは「太郎こおろぎ」についての情報だ。いや、実際に知りたがっているのは私ではなくN氏なのだが、N氏に「この話,結末は,悲しかったよね?」と聞かれて私は困っているのだった。そんな話は知らない。N氏は遠い昔に、学校の図書室だったか教室の後ろの本棚だったか、あるいは教科書だったかで「太郎こおろぎ」に出会っているらしい。むろんこおろぎが出てくる話だが、思い出されるのは「消しゴムのかすと古い校舎とガキ大将的な少年」といった断片だという。物語は少年の視点で語られるが、ラストで(こおろぎにではなく)その少年に不幸が見舞い、「甘酸っぱい」読後感がN氏に残ったのだった。N氏はいったい何を言っているのか。そのあたりも含めて、情報を募集中だ。


9月26日(火)

ご無沙汰。日記の更新がぴたっと止んだまま九月も終わりかけているという事態に、さぞかし「飽きてしまったんだろうな」と思われているだろうことは想像に難くなく、こんなことではいけないと私が思っているというのも本当の話だが、それよりも今は爪切りだ。爪はこんなに伸びているというのにどこにいったんだ爪切りは。マシン環境やらウィンドウサイズやら、とかく見る側の状況にコンテンツが左右されるメディアにあって、「日々ページが更新される」「更新されるので日々見に行く」という相互関係の利用こそはコンテンツに意図的な「間」を作り出す際のひとつの有効な方法なのではないか。そうした思いつきもあって本当はもっとコンスタントに書きたい(あるいは、書いて「おきたい」)のだったが、なかなかそうもいかないのだった。まったく爪切りってやつは。無いなほんとに。以下、無沙汰の間のあれこれをまとめて書き留めておく。
いまごろでなんなのだが大滝詠一の「幸せな結末」を買った。とてもいい。とてもNiagaraである。当たり前だが。
テレビでオリンピックの開会式を見る。途中いろいろチャンネルを回していたら肝心の「南北同時行進」を見逃してしまったが、感動したのは最終聖火ランナーのキャシー・フリーマンをめぐってアナウンサーが紹介したエピソードで、そこに出てくるオーストラリア・オリンピック委員会の大岡裁きである。とっくに話のニュアンスしか覚えていない状態で書くが、それはだいたいこんなエピソードだ。オリンピックの予選大会とかその手の競技会でフリーマンが優勝した際、アボリジニの血を引く彼女は「アボリジニの旗」をかかげてウィニングランを行った。この行為に対し、「大会の中で政治的活動を行ってはならない」とするオリンピック憲章に反するのではないかという批判がなされて問題となったが、オーストラリア・オリンピック委員会は検討の末、次のような判断を下して批判をしりぞけた。「アボリジニの旗は国旗ではない」。
全曲作詞松本隆(プロデュースも)プラス豪華作曲陣で話題のアルバム、クミコ『AURA』を買う。いやはやトップバッターの人がいきなり飛ばす。と、息つく暇もなくもうひとりの人。まあいつだってそうだが作詞と作曲が互いに「これでもか」とやりあっている。そういった意味の総合ポイントからいくとやはり2曲目「ちょうちょ」あたりか。松本隆が飛ばし気味で楽しいのは「蜜柑水」。「かみかくし」は知らずに聴いて歌詞カードを見たのだが、「そうかあんたか!」と笑った。買いなさいね、上山君。
池袋の文芸座が復活するそうで、12月12日のオープニングは『七人の侍』だという。兄がメールで教えてくれたのだった。やはり持つべきものは兄だ。兄を二人、だ。


9月11日(月)

やっと手に入りましたというのは富山太佳夫訳のシャーロック・ホームズのことで、紀伊國屋から届いたのだった。英宝社から出ているそれは、いわゆるふつうの訳書ではなくて、英文読解の学習用に原文と注釈と全訳(全訳は別冊)がセットになっているタイプのものである。「まだらの紐」と「赤髪連盟」が収められていて1600円。うすくて軽いし、きっと電車で読むことになるだろう。しかしあれだ。「富山太佳夫」をキーワードにインターネット書店を介してコアな買い物をしたつもりが、ふと気づけば、いつの間にか事態は「通勤電車で推理小説」ということになっている。何だかふつうじゃないか。そういや「まだらの紐」って旅情ミステリーの佳品だったよなあといった、どっから来るんだか分からない感慨さえ生まれてくるのだった。それにしても、たった今浮かんできた「小京都ロンドン」という言葉は何だ。


9月10日(日)

シンクロニシティーってやつだ。申し合わせたように、あらゆるものが「大阪万博」を志向している。上山君の言うがままに中村一義のニューアルバムを買ったのだったが、ジャケットというか、ブックレットの表紙が太陽の塔なのだった。私の兄というのがしばらく前に引っ越しをした際、新しいアパートにどういったカーテンを貼るかという問題をめぐって、兄の彼女が提出してみせたコンセプトもまた「大阪万博っぽいの」だった。うん。ふたつだけじゃないか。
告知。Webサイト紹介専門誌『Webガイド』3号(アスキー、10月13日発売)に、「Superman Red」が載るとのこと。「広川太一郎データベース」ではなく「Superman Red」本体が雑誌に載るのは久しぶりだ。


9月6日(水)

書きたいことは山ほどあって、書きたい「書き方」もゴマンとあるのだが、負けずおとらず時も過ぎていくので、いざ目の前の「何月何日」分に向かえばそれら溜まったいろいろがおさまり悪く、おさめてしまえば、例えば8月26日の回のようになるのだった。反省すればそういったことなのだが、しかし、一体何のコーナーなんだここは。「日記」に近づけるためにはまず、推敲などしないというルールが必要なのかも知れないが、できると思ってるのかそんなことが。
向かいのテーブルでは黄みどり色を着たかわいい女の子が、iモードか何かで「ドラえもんの最終回」を読んで涙ぐむワンシーンだ。レポート用紙に細い水性ボールペンで下書き中の私は、今(あるいはそのとき)、駅近くのファミリーレストランでどうにも遅い夕食である(あるいは、あった)のだった。彼女はタバコを喫うらしい。
永澤からはよたび「お便り」である。「相馬さん,こんにちは.いきなりのお手紙で恐縮です.本当の永澤は,ムシ笛も使いこなせないのに,こちらの日記で,下北沢でライブをやるなんて告知され,止むに止まれずお便りを書きました.これまでのお便りで書いてある通り,これまでの手紙は相馬さんのでっち上げです.この手紙を見て,私に治す仕事を頼みたいという方は,5000万円出していただきましょう.当方は,名実ともに無免許です.」
「ドラえもんの最終回」と言えばあれだ。ドラえもんが大きくなるやつだ。どうにも大きくなってしまって困るというあの話だ。
「日記問題」の方だが、さしあたりフィリップ・ルジュンヌの『自伝契約』を再読するところからはじめてみたのだった。『自伝契約』はたいへん示唆的だが、それにしても分厚い本だなこれは。重い。通勤電車などで吊り革片手に読む本では決してないのだった。