コーナーの日記

Diary

Title: Superman Red Diary


8月30日(木)「充実ぶり」

▼またもや一週間ぶりであって、またまた、やっとこさ日記を交換した。
▼どうも勢いに乗りっぱなしであって、何なのだその急激な充実ぶりはと腹立たしく感じる向きもあるかと思うが、ADSL導入の運びとなったのだった。9月7日に切り替わる予定。
▼ちなみに現状、部屋の方は56Kbpsのモデムなのであり、途中から会社の専用線環境を味わったとはいうものの、結局、ISDNを知らぬままに過ごしてしまった。そりゃ、かなりびっくりするんじゃないだろうか。ADSLは、速いと聞く。
▼別に「気持ちのいい連中」がその布石だというわけではないが、知らず知らず、案外単純に重たいページを作るようになるかもしれない。その節はどうか叱るなり、ADSLを導入するなり、していただければ幸いである。


8月23日(木)「14MB」

▼普段チェックし、使っているメールアドレスが、接続プロバイダであるASAHIネットからもらってあるものと別のものであって、会員への定期的なお知らせが届くそちらもう一方のアドレスをごく稀に、思い出した際にしかチェックしないということもあり、引っ越しの折りの住所変更手続きをどこかまだやっていないところがあるような気がしていたらASAHIネットだったということもあるが、気がつけば、私が選択しているプランの無料ホームページ容量は100MBに増えていたのだった。100MBかあ。
▼ついでに調べてみると、現在使っている容量が14MB。これだけいろいろやってるように見えて、まだまだ全然である。と、こうして2バイトずつ、ちまちま増やしているのだから無理もないが。
▼何事かといえばつまりクーラーが来て、G4が来たこの上はいよいよ「残るはADSL」みたいな話になっているのだろうかとASAHIネットに事情をさぐりに行ったのだった。Absolute Disney Sea Land. 負けてねえぞって感じだな。


8月22日(水)「レス担当大臣」

▼昨日の日記、後藤明生の『吉野太夫』と書いていたが、『吉野大夫』の誤り。お詫びして訂正。
▼どうも私はレス向きの人間ではない。誰か、うちの掲示板の、レス担当大臣に任命されてみる者はいないか。
▼キングサイズのタバコと百円ライターと、ひょっとして同じ高さかと思ったが違っていた。タバコの方が少し長い。


8月21日(火)「スリープ」

▼いま日付を書いて、気がついたら一週間ぶりであった。
▼17日分、カトウさんからいただいた方の交換日記は、つまり17日にいただいていたもので、やっと交換できた。「さてはボツか?」と思わせてしまったかもしれず、そうではなく待ち侘びられていたにしろ、申し訳なかった。カトウさんはまた、通信欄に「このページ、大好きです。やめたりしないで下さいね。」と書いてくれていた。特に含意はないのかもしれないが、あるいはシマをめぐる日記と交換日記の流れの中にあって、15日の交換日記あたり何となく最終回ぽかったかもしれない。(むろん「▼次第に楽になってくる。」云々は『吾輩は猫である』のラストのパロディであり、前日の日記の最終段落、「▼シマの墓は下館の光徳寺にある。」は『坊ちゃん』の末文のパロディである。)
▼というわけで17日、G4が届いたのだった。驚かされるというか、今どきはそういうことになっていたのかというのは、スリープすると全くの無音になるのだった。
▼たんまりと買って棚に並んでいる古井を、すべて読了したわけでも毛頭ないのだが、今は後藤明生の『吉野大夫』を読んでいる。というか音羽館という古本屋に、いいように扱われているんじゃないのか。
▼新コーナーの「気持ちのいい連中(FinePixes)」は、いったいどうなることやらである。


8月14日(火)「甘ったれたことを言う」

▼たしかに鈴の揺れたのが聞こえて、目を凝らしてもただ闇と塀だが、おそらく猫がいたのだろう。見張った目の徒労に押されてふたたび歩き出すと、あの猫は一度も、鈴をつけずじまいだなとシマをまた思う。首輪というものを受け付けなかった、と自身で付けさせようとしたこともないくせに総括しかかって、しかし、蚤取り用の首輪だけは文句を言わなかったと記憶をつないだ。気持ちよかったにちがいない。
▼とこれは、「シマ、危篤」の報をメールで受けて8日に書き、そのままになっていたもの。
▼そのシマは、12日の未明に入院先の病院で息を引き取った。11年の生涯。
▼前日の午後に帰省し、見舞っていた。痙攣しっぱなしでもおかしくないと獣医の言う、もろもろの数値を検査結果で示しつつ、一度も痙攣することなくカゴの内に気丈に過ごした猫の、とどめをさしに行ったようなものだが、午後7時、カゴから出ると言い出したシマは、腰掛けた私の腿の上に安らいで、黒いTシャツによく映える最後の抜け毛を残していた。
▼G4が来ない。シマの事とともに報告し損ねていたが、新型のアレを、17インチの液晶モニタといっしょに注文したのだった。日数をかぞえ、もうそろそろ届く頃合いであるが届かないので、更新はG4が来てからにしようと甘ったれたことを言うつもりでいたら、交換日記の投稿があったのだった。
▼で、恭子ちゃん、投稿フォームに記載のあったあのメールって、どのぐらいの頻度でチェックしてるの?
▼買ったと書いたデジカメで、なにかにパシャパシャ撮っているのは撮っているのだが、実はまだ、一度もパソコンに取り込む作業をしていない。見舞った折りの、シマの最後の姿を写した写真もスマートメディアの中である。取り込んだりなんだりはG4が来てからだな。
▼シマの墓は下館の光徳寺にある。って実家なんだけどさ。家の者たちの納まった墓の脇、親鸞聖人像の後ろに小高く盛られた土を、残された二匹の犬たちはほじくらなかったという。法名「釋縞仙」。


8月6日(火)「これはQV-10ではない」

▼シマはまだ、屋根にいますか?
▼風呂から上がり、裸のままベッドに腰をかけて、耳かきを手に取って耳をほじり、手をのばしてティッシュを一枚抜いて、耳かきの先を拭き取ったのち、くずかごに、しまった、耳かきを放った。
▼有言実行が板につきつつある私としては、結局のところ、デジカメも買ってしまったのだった。となれば、個人ホームページャーとしては道すがら意味もなくパシャパシャ撮った画像などをサイトに載せて、ネットサーフィンの友として供さなければならないところだが、あいにく、これはQV-10ではなく、FinePix 50iというやつなのだ。
▼シマはまだ屋根にいますか?
▼QV-10が手のひらの内にもたらした、あの興奮こそが「デジカメ」であると今なお、厳格にそう述べようとするのであれば、FinePix 50iはすでにそこから遠く隔たった「デジタルなカメラ」でしかない、のでしょうか。せっかくこんなに軽いというのに。せっかくこんなにきれいだというのに。あたし、口惜しくって、口惜しくって。
▼シマは、まだ屋根にいますか?


8月1日(水)「ばかだこいつは」

▼平雅行『親鸞とその時代』(法蔵館、2001)を読んでいる。平雅行も要チェックだ。中世史のひと。親鸞=悪人正機説という世間的な常識は間違いであって(悪人正機を説く言説は親鸞以前も以降も、顕密仏教内に広く存在した)、親鸞が生涯をかけたものこそ「悪人正機説の克服」であった、等々の話で、要は旧著『日本中世の社会と仏教』(塙書房、1992、やたら刺激的だが、法然らの難解な教義にべったりと付き合ってとにかく難解。あとがきにあった「いい加減にしろ、法然!」の言葉に笑った)のエッセンスを、分かりやすい講演調で再度まとめたもの。
▼で、その中、「女人往生」「女人正機」といった思想の持つ、差別的救済論という性格(罪深い存在である女を、そうであるからこそ○○はまず救ってくださる=前提として女性蔑視があり、それを強調することで救済のドラマが強化される)を批判する箇所があるのだが、当時のそうした言説の例としてそこで引用されていたものが、直球で頭が悪く、ばかなんであって、笑ってしまった。浄土宗の聖聡というひとがそんなことを言ってるのだが、抜き出せばこうだ。

疎(うと)むべし、厭(いと)うべし、女人に賢人なし。胸に乳ありて心に智なきこと、げにげに女人なり。(『大経直談要註記』)

 あはははは。ばかだこいつは。