コーナーの日記

Diary

Title: Superman Red Diary


5月28日(月)「近況をまとめて」

▼帰ってみるとドアの郵便受けに日本信販からの投函があり、封を開けてみると、カードの利用限度額が50万に上がりましたといきなりなことを言う。なぜ、私をそんなに信用するのか。困るよ。
▼先週の月曜(21日)は池袋演芸場で「さきがき」落語会。八朝、文楽、志ん五という三人の会で、トリの志ん五は「宿屋の富」。
▼土曜(26日)、十八家に行って、占いマシーンを受け取ってくる。結局、ものの価値を度外視した、謝礼以外の何者でもない一万円を置いてきたのだった。しっかし汚い。それと、重い。重いというのは実際に客が入れた百円玉が詰まっているからで、だんだんと仕組みが分かってきたのだが、これ専用の、開けるための工具を業者が持ってるというわけなのだった。で、業者はこの2年ぐらい顔を見せておらず、百円玉はこんなに溜まっている。三千円ぐらいはあるんじゃないか。「物好きだねえ」とか何とか、ニッカニカな顔のご主人に言われつつ、店を出る。
▼西荻窪はどうも、まだまだいい街であるらしい。この古本屋に気づかなくてどうするという古本屋を見つけ、この店舗サイズでこの品揃えの良さは何なのだという本屋を見つける。古本屋の方は本当に、かなり気を引き締めてかからねばならぬ様子で、うっかりするとかなり散財するよこりゃ。
▼まくらは乾き、私の禁煙は続いている(いつから?)。


5月20日(日)「まくらは乾かない」

▼このたびの引っ越しを機会にとうとう二槽式のものから乗りかえたのだったが、全自動洗濯機の何が恐ろしいといって、ついつい、「洗えてしまえるのではないか」という気分にさせられることだ。「放り込んだ者勝ち」、あるいは「任せる気満々」と言い換えてもいいその気分は、どっからどうやってくるのかまったく根拠がない。この日は、まくらを入れて、スタートボタンを押してしまう。いったいどうやって乾かせばいいというのか。


5月17日(木)「箇条書き」

▼箇条書きには箇条書きの夢がある。平らに連なり折れ曲がりする、あのひとつづきの文章の長さを俺も持ちたいとは「あすなろ」めくが、長さにはやはり憧れて、箇条に生まれた身が甲羅を経、百年二百年するうちに躯を太らせくねらせ、これで元は三箇条かという大蛇が浜辺、ぎこちなく微笑むように見えるのも思えば哀れ。
▼蛇腹と見えたのは句読点、よく見れば文意も分からず、ただ闇雲に増えた「、」と「。」。「も」が多い。「焼き払え、焼き払え」と遠くの見物人。「勝手なことを言うな、まだ、息がある」と、これは近くの者。喘ぎ喘ぎする大蛇の喉元に一瞬、「一、」と見えれば、やはりお前か、箇条であったかと、あらためて頷くように目を覚ました。覚めてみれば、何のことやら、気持ちばかりがいい。


5月16日(水)「禁煙」

▼禁煙には禁煙の快楽がある。それゆえに人は喫煙と禁煙を繰り返すのだと、言葉を型に流せば、どうしてもそこには「永遠」という嫌な響きがこもるようで仕方ない。永遠は嫌だな。物事にはついつい、永遠の響きがこもってしまう。「久遠」というのは何だか、良さそうだけれども。
▼禁煙には禁煙の快楽がある。厳密には、禁煙に突入する瞬間々々の快楽。たいていは煙草を深々と吸った直後、肺いっぱいに煙を溜め、血液狭しとニコチンを駆けめぐらせた状態で、「これでもう、吸わないというのはどうか」と甘ったれたことを自分に問いかける。そしてそれを2時間おきぐらいに繰り返すとすれば、それはただの喫煙の快楽か。「間あけて吸うと旨いね」ってだけのことか。
▼禁煙には禁煙の快楽がある。と書けばさも、私が禁煙中であるかのようだがそうではない。そうでもない。そうかもしれないし、そうだとしたら? 「実はもう三ヶ月も前から禁煙中だ。だまされたな友人知人ども。吸っているとでも思ったか。」


5月15日(火)「独演会は8月8日、日暮里で」

▼定期的に、好きな言葉のいくつかを検索エンジンにかけてみる作業はやはり必要なものと見えて、いつの間にそういうことになっていたのかという公式ページは後を絶たない。以前で言えば宮沢章夫、最近だとえのきどいちろうの公式サイトが私にとってはそうだったが、今日は、古今亭志ん五のオフィシャルホームページを見つけてしまった。本人と、そのご内儀が作っているらしい。本人が作っているという、その一点のみで〈オフィシャル〉であるところの、まったく好ましい〈個人ホームページ〉。かつまた、「出演情報」等はやはり貴重だ。
▼十八家、占いマシーン続報。ご主人から電話がある。業者の人(個人でやっているらしい。占いマシーンは扱わなくなって久しいらしい)と交渉してくれている由。新品のものはむろん無いので、すでにお店にあるものを私が買い取るという方向。「いくらぐらいで買いたいって言ってる、って(業者の人に)言えばいい?」と聞かれる。よく分からないが、原価的なことを言うと「3万円ぐらいで買い取る」ものらしい。買い取ったものであれば値段の交渉はご主人と直接やればいいのではないかとも思うが、そこはまたシステムが違うのか。ご主人のご厚意的なものに対して、あるいは「話になんないよ」(業者の人)となるかも知れない値段も言い出せず、「1万円ぐらいだとありがたいのですが」と答えてしまう。いいのか、この期に及んで1万円も出費してて。


5月14日(月)「シャンプーでさっぱり」

▼だいたい、二晩頭を洗わないでいるとかゆくなる。頭がかゆければ仕事の能率が落ちる。あるいはその仕事は、頭がかゆいくらいで能率が落ちるような興味しかお前に与えていない仕事なのだと、魯迅よろしく言うことができるだろうか。それとも、頭を洗えと、歴史上の人物が声を揃えるだろうか(壮観だね)。
▼何書いてるんだか分からないようなことを書いているときはたいてい、書くことが無いときだ。有りすぎれば、ただの日記になる。その間のちょうどいいところに収まればいいという、ものでもないだろう。
▼え?
▼「モンティ・パイソン・アンソロジー」のDVDを途中まで(これから)見て、寝る。モンティと言えばスケッチの和訳をほっぽり出して久しい。始めた頃に顔を出した大手ファンサイトの管理人の方から、いまだにDVDソフトのリリース等、不定期の情報メールが届いてどこか心苦しい。「ハーポがしゃべった!」も止まってしばらく経つし、広川太一郎データベースに至ってはどうしたものか。一人歩きして、管理人不在のまま盛り上がっているらしい掲示板をここ一年ほど、見てもいない。(メールの返事も書いていない。ここに書いても伝わらないだろうが、本当にごめんなさい。)それやこれや、再びいじくってみようと思うには本を買いすぎている昨今だし、それ以外にもしなければならないことはまだまだあるはずだ。


5月13日(日)「ライターコント」

▼ひきつづきお葬式にも参列して東京に戻った。電話して待ち合わせ、吉祥寺のドトールで兄(?)と会う。
▼ライターコント。と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。小道具にライターを使ったコントだろうか。それともライターの恰好をした二人が出てきて、「シュッシュッ」とか「シュボッ、シュボッ」とか言うコントだろうか(その際のオチは、どちらかに火がつくことだろうか)。どちらを思い浮かべるかによって、その人の星座が分かるとしたら?
▼西荻窪にある、前から気になっていた、どうやらコーヒーも飲ませるらしい古本屋にはじめて入る。コーヒーは飲まず、これといって収穫があったわけではないが、そんなことを言いつつ、J・バース『キマイラ』を買って帰る。


5月12日(土)「改めておいてよかった」

▼「御霊前」の袋に新幹線の座席で「相馬」と書き上げると、そうだ、こうしたものを人は、上着の内側にすべり込ませるのではなかったかと像が浮かんだ。たしかめてみればポケットがあり、袋を入れてみると、ちょうどよい深さに収まる。何て便利なんだスーツは。
▼朝、目覚ましのかわりに鳴った携帯電話に、田村の声がして、永澤のお母さんが亡くなったことを言う。急な話。ってまあ、私にとってそうであるのは当たり前だが、永澤家にとっても急な話だったらしい。「話」ってこともないけど。それで今夜が通夜。
▼これだけはどうしてもこの土日のノルマであるところの洗濯だけ済ませ、駅前で「御霊前」の袋を買い、新宿の紀伊國屋でベケットを2冊購入。いやいやそこで「。」じゃいけない、会社に寄ってスーツに着替え、東京駅から新幹線で小山。両毛線に乗り換えて栃木。駅近くの葬儀場。
▼ちょうど土曜の通夜、日曜の葬式となったこと以上に決め手はないが、とはいえ、GWから引きずって、フットワークの軽さが残っていたこともあるのだろう。「山梨から西荻窪」と、「西荻窪から栃木」とで、〈距離の贈与〉を行いたかったのかも知れない――よく分からないが、友達として。いやまあそれはそれ、永澤の「喪の仕事」を増やすことができたのかどうか、自信もないのだけれど。


5月11日(金)「長すぎた」

▼ゴールデンウィークの長っ話をスクロールしてみれば、やはり相当な長さで、画像を使って重たくもなったのでページを改める。まだお読みでない方はこちらへどうぞ(長いですよ)。
▼長っ話に関して言えば、いくつかの箇所もう少し推敲を重ねたい部分もあるのだが、そういつまでリアルタイム性を無視しても始まらないので、まああんな感じだったということである。
▼夜の電話で上山君からは、「ほぼ俺たち二人だけのためとも言えるサービス精神をありがとう」と言われる。