足熱図鑑

エッセイ

ある決定的な断絶

 今回は少し真面目な話だ。話題は勿論「ハヤタ隊員」のことである。

 別途「スーパーマンレッセブン」というコーナーで、ウルトラシリーズのパロディ(シナリオ形式)をやっているのだが、そこではやはり(それがやりたいということもあって)、アラシっぽい人とか、イデっぽい人、はたまた北斗っぽい人といったキャラクター設定をする事になる。

 当然「ハヤタっぽい人」も登場することになり(実際アラシやイデだけでは話が進まない)、ストーリーの要請によって「少しモロボシ・ダン的要素も持たせて」等のアレンジをほどこしながら、他の隊員との「やりとり具合」を考えていくわけだ。

 隊員たちのキャラクターを動かし、話させ、話しかけられさせ、という作業をしているうちに、その構造も含めて見えてくるのは、何といっても「ハヤタの頼もしさ」である。「イデやアラシに比べて」という意味ではない。そうではなくて、彼以降の、ウルトラマンに変身する隊員たちと比べたときの「頼もしさ」である。

  • モロボシ・ダン(ウルトラセブン)
  • 郷秀樹(帰ってきたウルトラマン)
  • 北斗星司(ウルトラマンエース)
  • 東光太郎(ウルトラマンタロウ)
  • おおとりゲン(ウルトラマンレオ)

 ハヤタ以降、主役の隊員たちは着実に「頼もしくない」方向へと進んでいく(一旦事実確認をしておきたいのでこういう言い方になるが、勿論ダメだと言っているわけではない)。こうした言い方をしたときに一番首肯いてもらえるのは、北斗、東あたりだろうか。そしてまた、ハヤタの頼もしさを際立たせている事実として注意しておきたいのは、モロボシ・ダンにおいてすでに、ハヤタ的な頼もしさからのズレが生じているということだ。

 先に一旦、「イデやアラシに比べて」という意味ではない、という言い方をしたが、ここでもう一度訂正させてもらう。「イデやアラシに比べて」という要素は、ハヤタ的な頼もしさを形成する上で、実に大きなウェイトを占めるものであるからだ。どういうことか。ハヤタ的な頼もしさは、ハヤタ個人のキャラクター設定に起因するものではなくて(勿論それもあるが、それ以上に)、隊全体の構造的な設定に起因するものなのだ。

 「第一話において、すでに隊に所属していた」のは、ハヤタだけなのである。

 他の主役たちは皆、「第一話で入隊する」ことになる。つまり彼らは、演出的に、所与として「後輩」であり「新入り」なのである。この違いは、主役をして、「心配をかけさせるやつ」「トラブルに足を突っ込むやつ」という性格を帯びさせることになる。

 モロボシは「おい、ダン!」と呼ばれ、郷は「おい、ゴウ!」と呼ばれ、北斗は「たるんどるぞホクト!」と言われたりする。しかし、イデは時に、「ねえ、ハヤタ隊員」と声をかけるのである。

 こう言うと、「それはイデだからだよ」という指摘があるかもしれない。そう、そのとおりなのだ。忘れてはならないことだが、アラシとイデが「見事にしっかりとダメに描かれている」こと、これもまた、ハヤタ的な頼もしさを生む「所与の構造」のひとつなのだ。

 最後にもうひとつ付け足しておけば(と言うほど言い尽くしては全然いないのであるが)、最終回において「実は僕が」という正体ばらしをしないのもまた、ハヤタだけである。

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