足熱図鑑

エッセイ

自画自賛ともうひとつ

 過去のネタの目次を1ページの中に一望できるよう、サイト構成を変更したことも手伝って、今しがた、ひさしぶりに、これまでにアップしたネタのほぼ端から端までを見返してみたのである。予想はしていたのだが、その予想と概ねがっぷり四つに組むかたちで、「ほぼ満足」だった。
 まあそもそも、「まだまだ物足りないぜ!」といった態度をとるという選択肢を価値観の中に持ち合わせていないのだから仕方ないが、それにしても、「ほぼ満足」だった。やはり驚かされるのは、(ネタ的にも、HTML的にもであるが)その「完成度の高さ」である。とりわけ画像素材への気配り具合、文章の練り具合には、さすがガッコ行ってなかっただけのことはあると感心させられる。
 さらに言ってしまえば、方法的に「けっこう出尽くしてしまったんじゃないか感」までもが、見返したのちの作者には残った。
 (勿論「笑いの方法なんてとっくに出尽くしてる」という指摘もあるだろうが、そもそもの狙いが、そのとっくに出尽くしてる方法を、今度はWebページというメディアで使う、その方法を探ることにあったのだから、その指摘自体はあまり的を射ているとは言えないだろう)
 最近のネタでその多くを占める、あからさまに「個人的」なネタ(例えば、映画『2001年・宇宙の旅』を知らないと、しかもその記憶がかなり鮮明に残っている状態でないと、てんで何のことだか分からないといった感じの一連のネタ)も、そこらへんの「出尽くした感」が単純に影響したものなのかも知れない、と思ってみたりもする、のだ。

 ところで、「大江戸八百八町」という言葉が実際の正確な町の数を指したものではないように、「東京二十三区」という言葉もまた「語呂の良さ」のみで成り立っているとしたらどうだろうか。「ほんとは23じゃない」のである。それより多いのか少ないのか、少ないとすれば今漠然と「ある」と思っている「ナニ区」が「無い」のか、それは例えば「墨田区」なのか何なのか、そもそもそれはいったいどういう事態なのか、日本国民は「圧倒的に語呂に弱い」のか、さっぱり分からないのだが、そうだとしたら、そりゃびっくりだ。

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