足熱図鑑

エッセイ

それは楽しげな作業である

 あらゆるものが、ネットにつながろうとしている。電子レンジだ、冷蔵庫だ、電気ポットだ、あれやこれやひっくるめて「インターネット家電」というやつだ。「何でもつなげりゃいいってもんじゃない」という当初のツッコミをかいくぐって、それらはどうも、何かしらの潮流を作り始めているふうでもある。パソコンの普及が限界めいたところまで達して、パソコン景気ももはやこれまでかといった空気が漂いだしたアメリカでは、「パソコンはもう終わり」とみた者たちによる「じゃあ次はインターネット家電(IA)だ」という盛り上がりや期待が過剰であるとも聞く。それとは次元の違う話だが、例えば「一般の家庭で一年中電源が入っているものといえば冷蔵庫ぐらい。だからアレ(冷蔵庫)はサーバ役にはぴったりなんですよ」みたいな話を聞けば、ああなるほどとも思ってしまう。
 うん、なるほど。ではあれだな、「インターネットこたつ」は相当駄目だということになるな。冬しか使ってもらえない。「インターネット蛍光灯」。もってのほかだ。
 いや、馬鹿な連想でもって勢い書きつないでしまったが、けっこうあれなんじゃないか、その「アメリカでの過剰な期待」というのも、根っこにあるのはこうした無邪気で無責任で無尽蔵な連想なのではないか。「無邪気で無責任で無尽蔵な連想」を言い換えればそれはこういうことだ。
 「思い付く限りの家電製品のアタマに『インターネット』と付けてみる」
 何やら楽しげな作業である。「もはや、お題は与えられたのだ」と、シーザーよろしく叫びたくもなろうというものじゃないか。

 インターネットカセットテープ。いや、それは家電なのか。
 インターネットかき氷機。いや、たしかに電気屋で売っているが、なぜ電気屋のチラシというと思い出すのはかき氷機か。

 こうして人は学ぶのだった。インターネット家電の前で人は無邪気になるということ。そして、「思い付く限りの家電製品」といっても、たいしてないということを。

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