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ハレプの ELLE

  • Posted by: SOMA Hitoshi
  • June 17, 2018 2:43 PM
  • tennis

 ルーマニア版『 ELLE』5月号の表紙はシモナ・ハレプだったそうな。

 でまあ、誌面でもいろいろモデル然とした写真を撮られているっぽいのだが、たとえば、

これ。「そうそう、これね」というこのポーズ、発祥がいつで誰かは知らないが、いまわりとみんなさせられるよね、という気がし、いや、わたしはさせられたことはないが、いっぺんさせられてみてもいいかなというか、いろんなひとのこのポーズの写真を撮ってみてもいいかもしれないとふと思った。肝心なのは「まわりに何もない」ってことだと思うのだが、そこだな、問題は。
 ってな話はさておき、以下はそのルーマニア版『 ELLE』5月号のハレプの記事(例によって、原文=ルーマニア語を Google翻訳や Reverso Contextなどネット頼みで英訳したものを訳しているので、誤訳してる可能性は大いにあります。太字強調は原文どおりです)

ELLE EXCLUSIVE: シモナはよく知っている

勝てば称賛し、負ければ非難をする無数の声にもかかわらず、シモナ・ハレプは世界 1位の座についた。彼女がそれを成し遂げたのは、その過程で、自分が何者なのかということを見つけたからだ。いまや、シモナはよく知っている。

「それだ!」、「拳を握れ!」、「だめかー……」。そしてふたたび、「そう、いい子だ!」じゃなければ「そのボールはどこで見つけたんだ?」 12月にシモナ・ハレプに会い、この素材に取り組みはじめてからずっと、わたしは数え切れないほどのそんな叫び声を耳にしてきた。ときに熱狂のなかで。ときに抑えられない彼女への怒りとして。それらにかんして、最初のミーティングのとき、というのは世界 1位になってまもないころだけれど、わたしは満足して言ったことがある。「彼らに見せつけてやりましたね!」。「自分自身に見せつけたの」と彼女はそう言った。その後、シモナはシングルスを 22試合戦い、失ったのは 3試合だった。深刻なケガを抱えながらも全豪オープンでは 3度目のグランドスラム決勝に立ち、そこで彼女はあこがれの世界 1位の座を明け渡して、そしてあれこれ言う人たちがまた戻ってきた。彼女はメインスポンサーを失い、またべつのところと契約した。

そののち、シモナは試合のように(とまではいかなかったが)集中して ELLEのモデルとしてポーズをとってくれ、イズボラニのスポーツ複合施設「シドニー 2000」で何時間か彼女を観察する機会を得た。そこでの彼女は、ダレン・ケーヒルやアンドレイ・パベルといったコーチ陣とボールを打ち合い、フィジカルトレーナーである Theo Cercelと集中的に、痛々しいほど激しく(とわたしには見えた)練習をして、そのあいだじゅう冗談を言っては、賭けをしたり、インスタグラムに写真をアップしたりしていた。わたしがその様子を見ていると、「彼女はいつもこうだよ。よくしゃべる」とケーヒルが愉快そうに話した。また彼女はよく笑った。そしてよく練習した。とても。わたしが尋ねると、ことさらたいへんなことではないというふうに、「 22年間これをやっているわ」と彼女は答えた。もっと詳しい話は土曜日に予定されているミーティングのときに話すわとも彼女は言った(「土曜日に仕事を入れさせちゃって大丈夫?」と、努力の何たるかを知っている人だけができることだが、他業種の人間にたいする敬意を込めて彼女はそう訊いてくれた)。

その土曜日、トレーニング中にちょっとしたケガがあった。そして彼女らはツアーに戻るため出発することになった。約束されていたインタビューは Eメールでのやりとりで代替されることになり、わたしは思いつくかぎりの質問を、シモナが本当はどんな人間なのかということについて人々が知ることができるようにと思い、ぎっしりとメールに詰め込んだ。

これからお読みになる、以下につづくインタビューはそのような経緯のもとにある。ここには、シモナ・ハレプというチャンピオンについてこれまでわれわれが知り、考えていたあらゆることを越えて、いまやっと聞くことができるようになった彼女のありのままの考え、その毅然とした声が集められている。これがシモナである。26歳の女性テニスプレーヤーの両肩に、国中がそのすべての希望や期待を投影させてあたりまえだと思うあまりに与えてきた憶測や、疑念、アドバイス、忠告といったものはもはやどうでもよい。シモナとは、これなのだ。そしてそのことをシモナはよく知っている。

ELLE:あなたはコンスタンツァで生まれ育って、5歳のときにテニスをはじめました。それがあなたの経歴として知られていることですが、子ども時代はどんなだったのですか? テニスへの興味──他の、ふつうにスポーツをやっている子どもたちよりも深い興味──というのはどこからやってきたのでしょうか?
シモナ・ハレプ:ええ、コンスタンツァはとてもきれいな都市です。たとえもう十年以上そこを離れていたとしても、わたしのなかには心のよりどころとなる都市として存在していますし、今後もそうでしょう。わたしの兄やいとこたちがこのスポーツを練習していました。はじめてテニスコートに行ったのは 4歳ぐらいのときです。練習後の兄を迎えに行く両親と一緒に行き、あるときラケットを手に取って、遊びはじめました。その瞬間から、ラケットはわたしの手を離れなくなりました。このスポーツへの興味はひとりでにやってきたもので、わたしはテニスが好きなのです。本当に好きなのです。だから、きっかけをもたらしてくれた兄には感謝しています。

ELLE:ルーマニアでスポーツをはじめる子どもたちのトレーニングというのはどうですか? 写真撮影のとき、教室を放り出されたという 11歳のときのエピソードを聞かせてくれましたよね? 笑ったからだったとか。他のアスリートからも似たような話を聞きます。
S.H.:最初の練習というのは遊びのようにしてはじまるものですし、また、そのやり方は教わる先生次第です。みんなそれぞれで、わたしはキャリアを通じて、ずっとベストなコーチたちと巡り会ってきました。10歳から 14歳のときのコーチがとても厳しいコーチで、プロフェッショナルであるということがどういうことなのかを彼はまさしく示してくれました。14歳のとき、いちばん高いレベルでプレーをするために、わたしはプロテニスプレヤーになりたいのだと自分に言って聞かせました。コーチたちはそれぞれに、ある種のモチベーションを与えてくれました。彼らはみな、わたしのキャリアのなかで重要な役割を果たしています。

ELLE:子どものころのエピソードを聞かせてもらえますか? テニスにかんするものでも、それ以外でも。つまり、あなたがどんな種類の子どもだったのかについて。
S.H.:子ども時代のエピソードで、テニスに関連しないものというのは本当にないのです。全部、トーナメントの会場での思い出ばかりです。正確には何歳ぐらいだったかわかりませんが( 8歳〜 10歳ぐらいだと思いますが)、トーナメントに行って、試合前にウォーミングアップをするのが恥ずかしかった記憶があります。物陰に隠れたり、隅のほうに行ったりしてウォーミングアップしてました。とてもシャイな子どもだったのです。

ELLE:あなたはアルーマニア人のコミュニティに所属していますね。そのことがあなたのパーソナリティにはっきりと影響を与えていると思いますが、アルーマニア人のコミュニティというものについてはあまり知られていないと思います。あなたが伝統を重んじて、家ではその言葉を話していると読んだことがあります。そのコミュニティに属しているということについて、どのように感じているか教えてもらえますか? あなたとどのようなつながりがあるかについて。
S.H.:はい、わたしはアルーマニア人コミュニティの一員であり、そのことを誇りに思っています。アルーマニア人は勤勉で、野心的で、勇敢な民族です。家族ですごすときは、アルーマニア語でだけ会話します。いつもそんな感じです。わたしはわれわれの伝統が好きで、できるかぎりそれを尊重しようと思っていますが、でもそれは簡単ではなくて、というのはわたしがテニスのためにブカレストに引っ越したりして、それからはちょっと物事が変化したりしているからです。でも、家に帰ればいつでも、ここがわたしの家なのだと感じます。

ELLE:そのコミュニティについてはどのように説明されますか? どのように感じていますか?
S.H.:説明するのはむずかしいですね。われわれが緊密な関係を築いているということを、わたしは本当に好ましく思っています。というか、わたしは 10人以上もいるいとこたちと一緒に育ったんです。わたしたちは大家族で、それってとてもいいことです。わたしの両親や、兄、それから兄の家族とは特別な関係です。

ELLE:テニスをプレーしはじめたのはいつで、なぜですか?
S.H.:はじめてラケットを手にしたそのときから、わたしはテニスをプレーすることが好きでした。なぜか? はっきりとしたことはわかりませんが、ただただプレーするのが楽しかったんです。その楽しい気持ちというのはだんだん大きくなっていて、いまがいちばん楽しいです。

この続きは『 ELLE』2018年5月号で!
ELLE EXCLUSIV: Simona știe mai bine - Elle.ro

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