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2002/09/04 Issue

「○○の日」という言い方自体、たいていは言ったもん勝ちみたいなことになっていて、何の相談もなしに不意に押しつけられるその「○○の日」に対し、ついつい人が「いったい誰が決めたんだ」と口にしたくなるのはごく一般的なことだとしても、西荻窪の駅で目にしたこれが一般的なそれらと異なるというのはほかでもなく、なにやら異様にずうずうしいからであって、それは「栃木」だということのせいなのかもしれないが、それにしても「7分の1」もっていくことはないのではないかということだ。これは、だいぶ、ごそっともっていかれてしまった。
なにさまか。
「毎月9日・10日は牛丼の日」というのとはわけがちがうのであって、わけがちがうだけに、単純に「●●は○○の日」という言葉の使い方を間違っているんじゃないのかという気分にもさせられるが、しかしもう遅い。「土曜日は栃木の日」なのだった。ばかを言うなよ。

あの夏の太陽とともに覚えているのは、<p>タグを行末につけていたことだ。透過GIFを作ったり、色の16進数をはかったり、いくつかのユーティリティーの名前は、もう忘れてしまった。

「すずしい」と「ずうずうしい」は似ているようでもあるが、だいぶちがう。写真のポスターはずうずうしいが、ではすずしいかというとそんなことはない。
漢字で書けば「涼しい」と「図々しい」だが、漢字にしてみると、かえってどこか似ているふうでもあるように思えてくるのは不思議なことである。
「栃木の日は、土曜日」
かりに、そのようにポスターに書かれてあったとして、「で、いつ?」とわれわれは尋ねざるをえないわけだが、そのときこそ、ポスターはすずしい顔をして貼られてあるにちがいないのであって、その何のポスターだかわからないポスターを前にして、しかしわれわれはどこか腑に落ちたような気持ちになるだろう。「栃木の日」が土曜日だというのは、まったくあり得る話だからだ。