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2003/03/10 Issue

Title: Superman Red FOR FREE Vol.16

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毎週水曜日更新

カータン

ぜんぜん守れないのだった。これまではっきりとそう書いたことがなかったからあれだが、じつをいえばトップページは私の中で「毎週水曜日更新」ということになっていて、それがぜひ実現させたいところのペースだとはいうものの、それは無理。まあ、無理にそのペースを守ろうとしてもおそらくつまらないページが出来上がるだけだし、それはいやだが、といって、じゃあ現状のこれが面白いのかと問われれば返事に困り、暗い思いになるのであって、そんな憂鬱な気分でお送りする最新号がこれだ。

今週の中井貴恵かもしれないひと

シリーズ「2冊もっている文庫本」

もう2冊ふえた

シリーズの新たな方向性を探るとはいえ、やはりふやしてしまったのは「ばか」だったのではないかと、真新しい2冊の『三四郎』を前にして思うのだった。それにしても、『三四郎』の偉大さは本屋に何冊も置いてあるということで、「一度に2冊ふやす」ことが可能だ。まさかこういうことのためだとは思わないだろうが、しかし「一度に『三四郎』を2冊買う者」の事情は何かしら想像が可能であるような気がし、レジの光景としてさほど変ではないように思えるものの、店員の女性がどこか腑に落ちない表情だったように思い出されるのもまた事実だ。

第27期囲碁名人戦挑戦決定リーグ戦 第32局
棋譜

パブロフの犬

パブロフははじめ、必ずベルを鳴らしてから犬にエサをやるようにしていたが、そのうちにやめてしまった。

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。この書生の掌の裏でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無暗に眼が廻る。胸が悪くなる。到底助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が一疋も見えぬ。肝心の母親さえ姿を隠してしまった。その上今までの所とは違って無暗に明るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でも容子がおかしいと、のそのそ這い出して見ると非常に痛い。吾輩は藁の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別も出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもよいから食物のある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這って行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへ這入ったら、どうにかなると思って竹垣の崩れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍に餓死したかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云ったものだ。この垣根の穴は今日に至るまで吾輩が隣家の三毛を訪問する時の通路になっている。さて邸へは忍び込んだもののこれから先どうして善いか分らない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予が出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考えるとその時はすでに家の内に這入っておったのだ。ここで吾輩は彼の書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇したのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋をつかんで表へ抛り出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。吾輩は再びおさんの隙を見て台所へ這い上った。すると間もなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんと云う者はつくづくいやになった。この間おさんの三馬を偸んでこの返報をしてやってから、やっと胸の痞が下りた。吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この家の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿なしの小猫がいくら出しても出しても御台所へ上って来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛を撚りながら吾輩の顔をしばらく眺めておったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ這入ってしまった。主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜しそうに吾輩を台所へ抛り出した。かくして吾輩はついにこの家を自分の住家と極める事にしたのである。

今週の高菜社「ボールペンがでない一句忘れ果つ」(相馬称)

正解はドストエフスキー『地下室の手記』

『地下室の手記』

さて、ちっとも盛り上がらなかった前号のクイズだが、正解はドストエフスキー『地下室の手記』(新潮文庫)だ。Amazon には『地下室の手記』自体の画像がないものの、同じ装幀の、例えば『カラマーゾフの兄弟(上)』の画像など見ていただければ、このクイズがいかに簡単だったかわかっていただけるのではないか。致命的なドストエフスキーの顔こそ隠れているものの、基本的にはバレバレである。

紙ナプキンが多い

「お持ち帰り」でコーヒーなどを注文すれば品物を入れた紙袋のなかには紙ナプキンが数枚添えられるのが常だ。たいていは実際に必要な分よりも多めに入っていることが多いが、しかし今日出会ったのはコーヒーとサンドに紙ナプキン20枚という取り合わせで、それは多すぎやしないか。相撲でいえば、名物力士としてよく「塩を大量にまく力士」というのがいるが、同じようにしてコーヒーショップにも「つかめるだけの紙ナプキンをつかみ、袋に入れる店員」がいて、「まあ、あいつのトレードマークだからな」みたいなことになっているのだろうか。だとすれば、迷惑な話だが。

今週の色の出典=『セクシーボイスアンドロボ』

パソコンはいま
あるパソコン教室の広告が謳うのは「脱・自己流」だ。いったい「パーソナル・コンピュータ」という思想はどうなってしまったのか。

電話料金を払ったあとの爽快感(結びにかえて)

結局、電話料金のほうも払い込み用紙が見つからず(電気料金については「Yellow」の3月2日分を参照)、NTT荻窪営業所の窓口で2ヶ月分をまとめて払った。電話料金を窓口で払うのはこれが2度目になるが、それはじつに爽快であり、正直なところ電話がつながるのは非常にうれしい話は変わるが、「今週の高菜社」として毎号一句ずつ紹介している「高菜社」の句会がふたたび開催される。第1回は友人のアパートでこたつを囲んでのスタイルだったが、第2回は装いもあらたに、台場区民センターの一室を借りることが決定。なぜ、お台場か句会へ向けたオープンな打ち合わせは大竹君のサイトの掲示板で行われている。参加したいという方があれば、気軽に声をかけてもらってかまわないのではないかそんな感じで、今週はこれまで。このへんで勘弁していただきたい。次週はいよいよ「解決編」で、ついに金田一耕助の登場だが、だとしたら登場していきなり解決しなければならず大変だろう。屋敷の一室に関係者全員を集め、金田一は言う。「はじめまして」。いったい関係者は集まってくれるのか。次号、すべてがあきらかになる予定


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埴谷雄高『死霊(1)』(講談社文芸文庫)。

しょう油と記念撮影のコーナー(バンホーテン)