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Sep.
2007
Yellow

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/ 30 Sep. 2007 (Sun.) 「『ニュータウン入口』楽日、『コンテナ』も楽日」

杉浦さん、ご覧になっていましたら、朝に伝えそこなった私のメールアドレスはhitoshi@web-conte.comです。
今日はあんまりむずかしい文章は書けない。というのも、あのあと(どのあとだよって話だけど)、私は会社に出てふつうに働いていたのであり、まあ今、かなりぼんやりしているからだ。
遊園地再生事業団『ニュータウン入口』の楽日だった。観るのは三回目になる。初日と三日目に観たときよりも舞台全体が一段エネルギッシュになっている印象をもったが、それは楽日ってことも影響した結果だろうか。「いたずら」に関しては「結局やらなかったのかな」と客席からは見え、何も起こらなかったのだが、あとで聞けば仕掛けはしたものの、標的とされた人が意外にもみせた事前準備の入念さにより、あえなく失敗に終わったのだという(本番前に、その仕掛けられたものを見てしまっていた)。そして、三回目にしてようやくその意味に気づいたシーンがひとつ。ポリュネイケスの敷いたピクニックシートに、ポリュネイケスと根本夫妻が座り「ダンスの講義」を聴くところで、三科(喜代)さん演じる妻の和子はピクニックシートの上にさらに自分のハンカチを広げてその上に座る。初日から気になってはいたけど深く考えず、「ある種の女性はそうしたものなのかな」ぐらいに思って処理していたのだが、これ、和子にはピクニックシートが(そしてポリュネイケスが)見えてないってことか。なるほどね。ピクニックシートが見えてないとすれば、その手前で和子が夫に向かい「座るの!?」とやけに驚いて反応するあの芝居もすとんと腑に落ちる。
終演後に外で煙草を喫っていると友人の吉沼に肩を叩かれた。夫婦で観に来ていた(たぶん二回目だと思う)。だんだん余裕のなくなってきた「句会」のことを少し相談する。
いったん三軒茶屋をあとにして阿佐ヶ谷へ。何年かぶりのラピュタ阿佐ヶ谷。というか、その地下にあるザムザ阿佐ヶ谷のほう。『トーキョー/不在/ハムレット』でいっしょだった三坂(知絵子)さんが女子高校生役で主演する映画『愛に飢えた獣たち』(監督:岩元 哲・越坂康史)の上映があり、さらに「コラボシアター」と銘打ち、その三坂さんが作・演出する三十分ほどの芝居『コンテナ』がつづけて上演される。『コンテナ』には片倉(裕介)さんも出ていて、キャスト紹介の文章によれば「今回三坂の要望により急遽出演が決定」とある。
映画は、「共通一次試験」がはじまった年である1978年を舞台としていて、チラシでもウェブでも「時代の空気」といったことがさかんに言われるが、やっぱりつきまとうのは映像で近過去を描くことのむずかしさである。冒頭すぐのところで、もうひとりの主人公である男子高校生が荷物から取り出す「大学ノート」がひっかかった。それ、あきらかに最近のノートだろう。表紙のデザインが淡くてやわらかい。あと、その男子高校生のセリフで二箇所、単語を尻上がりに発音するところがあって、なんて説明すればいいかな、ちょっと記憶があやふやだけど、たとえば「ぼくの参考書、貸してあげるよ」の「参考書」のところを尻上がりにする。文は肯定のかたちだが、その途中で疑問文のように語尾を上昇させる「半疑問形」で、はっきりとは言い切れないが、これ、1978年の高校生が使ったかなあと思ってしまう。あるいは根拠があり、「萌芽として当時から存在した」のだとしてわざと演出しているのかもしれないが。
その意味で、舞台は多少なりとも自由である。重要な装置として使われるテープレコーダーはたしかに当時を思わせる型のものだが、とにかく詰め込まれた「三坂っぽさ」の前で、時代の空気などもはやどうでもいい話である。ロウソクと懐中電灯のみの照明、歌と踊り、ロープで緊縛、血のり、赤い襦袢(?)、あと、やっぱり脱ぐし。三坂・片倉コンビのやりとりはなんだかうれしい。このさいこれは褒め言葉なんだけど、そりゃ、この人たちニュータウンにはいないよなという悲恋コンビである。上映/上演される空間の問題もあるけど、これはやっぱり生の舞台のほうに分があった。
三坂さん、片倉さんに挨拶していきたかったところだが、時間がなかった。急いで三軒茶屋に戻って『ニュータウン入口』の打ち上げに参加する。一次会は宮沢(章夫)さん、白水社のWさん、笠木(泉)さん、(鈴木)謙一さんらのテーブルにいて、二次会は岸(建太朗)さん、上村(聡)君らとしゃべり、三次会はまた宮沢さん、ムーンライダースの(ぼく的には「ビートニクスの」)鈴木慶一さん、岸さんらの話の輪に主に加わった。私はほとんど実のあることはしゃべらず、宮沢さんの前に出れば毎度そうであるように「ただのファン──にしてはわりあいしゃべる人)」なのだが、そういえば前に書いたITIに関する文章の添削[9月25日付「放り出しちゃった人」]について訊いたら、笑って「あれでいいと思うよ」と言っていた。
丸一年をかけてみっちりと付き合った『トーキョー/不在/ハムレット』に較べれば期間も短く、なにより制作の現場にはほとんど居合わせていないのだが、それでも、予想していなかったことだが散会後の電車のなかではかなりぼんやりしてしまった。虚脱感があった。うーん、終わったんだな。そしてはじまった。ニュータウンの出口はまた何かの入口へとつながる。
そしてほとんど寝ないまま、会社へ出て働き、いまに至る。今日は早く帰るとするか。

(2007年10月 1日 19:02)

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