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Apr.
2010
Yellow

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/ 1 Apr. 2010 (Thu.) 「日記はつづく」

ロビン。

ポシュテ(手前)とピー(奥)。

ポシュテはよくドアの上に乗っている。

きのう31日は夜、横浜はBanART Syudio NYK(の3階ギャラリー)「地点」を観に行く。4月22日〜25日に京都で上演される地点上演実験 Vol.3『誰も、何も、どんなに巧みな物語も』の、「横浜版」と銘打たれたワークインプログレス公演(31日のワンステージのみ)ジャン・ジュネによる三編のエッセイ、「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」「……という奇妙な物語」「シャティーラの4時間」から構成されたテクスト(構成・翻訳/宇野邦一)を身体化=時間化=物語化するのは安部聡子さんと山田せつ子さんのふたりだ。立ち見の出る盛況。

ジャコメッティのアトリエを基点に展開される特異な美術論『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』
ジュネの残したほとんど唯一と言ってよい演劇論『……という奇妙な単語』
パレスチナ人の無数の死体。虐殺の現場へ数少ない目撃者として訪れたジュネによる記録『シャティーラの4時間』
公演チラシより

 言葉はときに美術論であり、演劇論であり、「誰も、何も、どんなに巧みな物語も」それを語ることができないだろう惨状の記録であって、再構成されたジュネのそれらの言葉を、「ただ聞く」以上に理解することなど無理な相談だし、ある全体/文脈/物語へと即座に統合しつつ把握することも不可能であって、かつ、会場であるギャラリーには大きな円柱が複数そびえていてそれが視界をはばむから、そもそもその場で起きていることを「満足に観る」ということができない。──というその状況を、中盤のあるセリフがつらぬいたように思われた。

大切なことは、非常に大勢の観客が利用(?)できるように上演回数を増やすことではなく、数回の試演──リハーサルと名付けられているもの──が、ただ一度の上演に到達するようにすることである。この上演の強度は、そしてその光芒はとても大きくなり、それが観客一人一人のなかに燃え上がらせたものによってこの上演に立ち会わなかった人々をも照射し、彼らのなかに混乱の種をまくほどになるだろう。
ジャン・ジュネ「……という奇妙な単語」『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』所収(現代企画室、鵜飼哲訳)

 「上演に立ち会わなかった人々をも照射し」とは、すごいことを言い出したよ、ジュネは。
「土台わからないもの」が山と積まれた舞台上から、しかし70分という時間をかけて、「何か」が立ち上がってくるのをわれわれは観る。それを可能にしているのは言葉の強度なのか役者/ダンサーの強度なのか、はたまたたんに演劇という制度のもつ強度なのか。
会場では関連書籍も売られていて、「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」と「……という奇妙な単語」が収められた『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』(現在企画室)と、宇野邦一さんのジュネ論『ジャン・ジュネ──身振りと内在平面』(以文社)をついつい買ってしまう。また、「シャティーラの4時間」にかんしては今年の初夏に、インスクリプトから鵜飼哲さんの訳で『シャティーラの四時間』が出版されるらしい。

 1982年9月、パレスチナ人の「人口学的解決」を企図するイスラエルは、レバノン戦争停戦を受け入れたPLOの撤退後もベイルートの包囲を続け、行き場を失った西ベイルートの難民キャンプ、シャティーラ、サブラ、ブルジ・バラジネのパレスチナ人に対して、レバノン人民兵による徹底的な殺戮が行われた。
 西欧の孤児にして20世紀文学を代表するフランス人作家、ジャン・ジュネ。9月12日に崩壊したベイルートに入った彼は、虐殺のまさに翌日シャティーラ・キャンプを訪れる。
 本書は、その凄惨な現場を見つめつつジュネが書き上げた事件告発のルポルタージュであると同時に、パレスチナの若い戦士たちをめぐってジュネが幻視した美と愛と死が三つながら屹立する豊穣な文学テクストでもある。
 晩年の文学的達成である『恋する虜』へと至るこの重要なテクスト(鵜飼哲訳)に、虐殺をめぐって証言するジュネへのインタビュー(梅木達郎訳)、鵜飼哲の論考を併せて収録。
 ジュネ生誕100年に贈る、必読の一冊!
『シャティーラの四時間』のチラシより

 インスクリプトのブログ記事によれば、公演タイトルの「誰も、何も、どんなに巧みな物語も」は、この「シャティーラの4時間」の冒頭の文章から取られたものだとのこと。

鵜飼訳(『インパクション』版ではなく小社版暫定訳稿です)から引きますと──

「誰も、何も、いかなる物語のテクニックも、フェダイーンが過ごしたヨルダンのジャラシュとアジュルーン山中での六カ月が、わけても最初の数週間がどのようなものだったか語ることはないだろう。」
INSCRIPT correspondence: ジュネ生誕100年:「地点」公演「誰も、何も、どんなに巧みな物語も」

松倉(如子)さんが観に来ていた。帰りの電車で、念のため、この日の折り込みチラシのなかから『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』のそれを示すと、出演者のひとりである山村(麻由美)さんの名前を指して、「あたし知ってるよ、山村さん。児玉君の」とすかさず言い出したのは松倉さんだが、その児玉(悟之)君も出るところの舞台『原始人みたい』(作・演出/今野裕一郎)のことはまったく知らなかったようで、iPhoneでその特設サイトを開いてみせつつ教えてあげる。──というわたしも今日やっと予約したところの『原始人みたい』は今週末、4月3日(14:00 / 19:00)、4日(14:00)の3ステージだ。いまさらだが。
松倉さんからは『如月の歌』というCDをもらった。
日記はつづく。あたりまえだが。

本日の参照画像
(2010年4月 2日 22:45)

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