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Jan.
2005
Yellow

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/ 15 Jan. 2005 (Sat.) 「休演日は健康診断だった」

テンピュール。

プレビュー公演のときから毎回ずっとそうだったというのは、本番を迎え、調光室に入るととたんにのどをやられることだ。概して調光室なるものは乾燥しているということなのか、今回もまたやられている。風邪ともどこかちがうように思えるのは鼻水も出ず、熱の上がりそうな気配もなくて、ただのどばかりが痛い。咳が止まらない。
14日は休演日だったが、私は会社の健康診断をその日に入れていた。前夜の公演後、明日は休みだということで役者さんらはみんなで焼き肉など食べに行く様子だったが、あいにく私は明日のため、夜8時以降何も食べてはいけないことになっている。9時すぎ、公演中の調光室でうっかり咳止めのためののど飴を口にしている自分に気がついて以降、きっぱり食べず、煙草も吸わなかった。診断は昼すぎから3時間ほどかかる。総合診断結果は「B」だった。「コレステロール値は低いのに尿酸値が高い」というところに首をひねられ、「お酒はほどほどに」とアドバイスされたものの、あんまり飲まないしなあ。1年前の結果と比べて妻が驚いていたのは体重がほとんど変わっていないということで、妻としてはもう少し「新婚生活」というやつが体重の数値になって現れるかと予想していたようだがそうはならなかった。体脂肪率が少し増え、身長が若干減った。
健康診断を終え、新宿の東急ハンズに向かったのはテンピュールの枕を買うためだ。妻の分だけを買い、プレゼントするつもりでいたのだったがやはり欲しくなってしまった。売り場で妻と合流し、それぞれ何種類かの枕(高さ・形状などがちがう)を試して「これぞ」というものを選ぶ。が、妻は一番低いタイプのものを選び「これぞ」というものを掴んだ顔をしていたのだったが、一方私は、試すたびになんだかどれも気持ちいいような思いがしてくるのだったし、売り場に置いてあるマットレスに実際に寝て枕を試すのだが、横になるという時点ですでに身体はほぐれてくるようでもあってどうにも判断は締まらない。だいたい横になってしまった者に的確な判断など無理というものだろう。で、妻のものよりも1段階(高さが)高い、男性用にもっとも一般的だというタイプを買う。翌朝、寝起きの首の具合がたしかに軽いのには少し驚かされた。妻は枕とはまた別の要因──猫2匹が上に乗って寝るので重く、寝返りが打てない等──があってリラックスした体勢をとれなかったのか、効果はまだよくわからないという。
15日の昼の回には知り合いが多く観に来てくれた。永澤とその友人、荒川、田村、長谷川君、吉沼夫妻、それに妻の母親とその親戚のおばさん2人も来てくれた。のちの報告によるとその回、やけにゲラゲラと受けていた客のうちのひとりはその親戚のおばさんだったという。永澤がはるばる山梨から連れてきてくれた連れの友人はプレ公演を観ておらず、今回の本公演が初見になるそうだが、だいぶ堪能していた様子だったとのことでなにより。その永澤はプレ公演をすべて観ているがそのつど人物関係の把握に苦労し、で今回はというと「思いのほか、これまでで一番わかりやすかった」と言い、「全5回で完結した気分」だという。田村もまたこれが初見。こちらも面白がってくれたようで、荒川によれば「そうかあ、京都かあ」となぜか京都公演に食指をのばす様子だったという。まあ、来ればいいじゃないか、京都に。
15日の夜の回には妻が観に来、曰く、「やっぱり加藤だね」とのこと。

本日の参照画像
(2005年1月15日 23:59)

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/ 9 Jan. 2005 (Sun.) 「そして初日まで」

そうしてわれわれは稽古場Bをあとにした。

1/5(水)
 シアタートラムの地下にある「稽古場B」を使うのも、いよいよ今日と明日だけとなる。明日には劇場の「仕込み」がはじまり、照明作りのために大道具のうちのいくつかがそっちに運ばれてしまうため、明日の通し稽古ではそれらが使えない。それらを使い、劇場入りする前段階として完全な(?)状態で「通し」をできるのが今日までということで、宮沢さんのほうから「今日は2回通したい」という意向があり、それで強行スケジュールながら2回「通し」を行う。

1/6(木)
 「稽古場B」での最後の「通し」を終えてから、映像関係の機材を劇場の調光室に運び入れた。舞台上にある生中継カメラから調光室までのケーブル配線だの、本番用のプロジェクターの基本的なセッティングなどはプロの業者さんにお願いしてあり、機材を運んで劇場に行くとすでにそれらのセッティングは完了していた。調光室内部のセッティングや配線は明日、自分たちで。

1/7(金)
 朝、「映像出し」用のDVDを家で焼いているところに演出補の小浜さんから電話がある。13時から照明作りがあり、映像が必要になるのでそれに間に合うように劇場入りしてくれとのこと。前日の連絡ではもう少し遅い入りでも大丈夫というような話だったが、すると2枚焼いていく予定だったうちの1枚は焼いている時間がなく、それはあきらめて劇場で焼くことにする。「2枚」というのは、舞台上のスクリーンに投射する分と、舞台全体(スリット部分)に投射する分の2枚。ニブロールの高橋さんの映像はまだ全部揃っておらず、そもそも舞台全体に投射するほうはこれから「場当たり」ではじめて実際に投射してみる次第で、それを経ての微調整もあるだろうから最終的にはまた前夜に焼き直さなければならないが、ひとまず仮のものでも焼いておきたいと考えたのは、「場当たり」「ゲネプロ」でなるべく本番同様にDVDデッキから素材を出し、その操作に慣れておこうと思ったからだ。
 それで照明作りに付き合いつつ、調光室でもう1枚のDVDを焼き終えたころ、高橋さんが新しいムービーデータをもって登場。ハードディスクからハードディスクにコピーし、追加・差し替えとなるそれらはひとまず、スクリーン用にパソコンから、スリット用にDVテープから、それぞれ出せるように準備する。
 18時から「場当たり」。冒頭から流していき、適宜止めて、おもに「きっかけ」となる箇所を確認する作業。稽古場ではセットの実寸が取れなかったため、役者さんたちも実際の「広さ」のなかで動くのははじめてで、そのへんの動線の確認もある。やはりたいへんなのが照明で、照明ばっかりは機材の都合上ということなのだろうが稽古場では何も稽古しようがなく、劇場入りしてから一気に、それ以外の音響、映像、そして芝居といったものたちに追いつかなくてならないといった印象である。厄介なのは、舞台奥での芝居をカメラで中継しスクリーンに映すという「生中継」がこの舞台では多用されるのだが、舞台上を直視した場合に美しいと感じる「舞台上の明かり」を優先したときに、しかしカメラで撮ると光量が足らず、スクリーンの映りとしてはだいぶ暗くなってしまうのだった。カメラ側の露出を上げたり、どうしてもという場合は照明を足してなんとか調整。「場当たり」そのものは至極順調に進む感じで、今日のノルマ(全体の約半分)を達成して終了する。

1/8(土)
 13時から「場当たり」で、きのうのつづき。その後、17時から「ゲネプロ」(本番同様にして行う通し稽古)。ところでわれわれのいる調光室は客席の後方、2階部分にあって、客席からはだいぶ見上げるかたちになるスクリーンが目の高さにあり、また舞台全体を正面から望められもして、かなり「いい席」になっているのだった。稽古場でも2階にいたが、舞台のツラ(最前面)は真下に近い位置にあって、手前のほうの芝居を見るには手すりを越えてのぞき込まねばならず、まあそうした余裕もなかなかなかったので舞台手前で行われる芝居をとくに稽古後半からはほとんど見ていなかった。途中で演出が加えられた部分など、「そんなことをしていたのか」とはじめて見る箇所がいくつかあった。
 今日も高橋さんからは新しい素材。さらに「やっぱりあそこ直す」と言って、われわれのうしろの席でPowerBookをひろげ、修正作業をはじめた。ゲネプロ中にレンダリング。それでやっと全部──明日の通し稽古で撮影したものを素材に使う部分があるので、厳密には全部ではないが──揃った。今夜は家でこれをDVD4枚(バックアップを考え、スクリーン用とスリット用をそれぞれ同じものを2枚ずつ)に焼き、さらにバックアップ用にDVテープ(1本ずつ)に書き出して明日に臨む。寝るものかこのやろう。

1/9(日)
 12時から、2回目の通し稽古。「いい席」だということも手伝ってか、「映像出し」の作業をしつつもときおり、こちらの手がしばらく空くシーンなどついふつうに芝居を観てしまっていた。そして思う。面白いよ、これ。複雑に錯綜し、難解かとも思われたストーリーがしかしこうしてすべてが出揃ってみるとわかりやすくさえ感じらもし、まあこちとら1年近く付き合ってきた台本だから一般のお客さんとはまた理解のアドバンテージ(?)がちがうとはいえ、しかしシーンとシーンとが有機的に結びついていく構成の妙をいまさらながら感じて、そして「ああ、長かったな」と、もはや克明には思い出せもしない日々のことをただ「厚み」として感じていた。

 そして19時。定刻から3分ほど押して初日の幕は開いた。

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(2005年1月 9日 23:59)

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/ 4 Jan. 2005 (Tue.) 「稽古再開」

これもみえさんから結婚祝いとしてもらった猫用の家は、すっかりピーのものとなった。いないと思えばここにいる、というような案配。

私がどうやら『トーキョー/不在/ハムレット』という舞台に参加しているらしいということはわかってもらえているとして、ではいったい何をしているのかというのがあまり伝わっていないのではないかというのは、つまりこれまで稽古期間中にほとんど日記を更新しなかったからで、いまさらながら説明すると、宮沢章夫さんの主宰する遊園地再生事業団の第15回公演がその『トーキョー/不在/ハムレット』で、それは目前にせまった本公演(1/9〜23:東京、1/28・29:京都)のほかにすでに終了した4回のプレビュー公演からなる1年がかりのプロジェクトだった(「だった」と過去形で書くのはむろんまだ憚れるが、「いまさら」の説明なので過去形にさせていただく)。そのプロジェクトに私は演出助手という立場で参加させていただいているのだった。
4回のプレビュー公演というのは「リーディング公演」(2004年5月)、「映像公演」(7月)、「実験公演」(9月)、「準備公演」(10月)で、「リーディング公演」のときにはひょんな流れから「ト書き」役を務めることにもなって舞台に立つことになり、「映像公演」(というか、5話オムニバス形式の自主制作映画)ではエンドロールなどを After Effects で作ったり、編集作業に軽く係わったりしていた。そのあたりから、まあその「Macが使える」ということで映像に関わる技術スタッフ的な立場にも立つようになり、「実験公演」では本番中「調光」と呼ばれるところに入り、Final Cutを使って PowerBook から映像素材を出していた(なお「実験公演」ではスタッフをすべて演出助手が担当し、村田さんが照明を、三浦さんが音響を、谷川君がスウィッチャーをやっていた)。「準備公演」でもひきつづき演出助手兼「映像出し」を担当。
去年の11月にはじまった本公演の稽古から、演出助手は私と村田さんの2人だけとなり、三浦さんは「稽古場助手」というポジションに変わって残った。思えば一番はじめの顔合わせのとき、演出助手は7人(!)もいたのであって、その1回目にしか来なかった人が1人、「リーディング公演」「映像公演」を経て1人減って、「実験公演」からは5人体制がつづいたが、その「演出助手が多い」という事態はずっと私を悩ませていたことのひとつで、つまり役者さんたちはみな基本的にオーディションを経て選ばれた人たちである──前回の公演である『トーキョー・ボディ』からひきつづきの人たちも、その『トーキョー・ボディ』の際にオーディションを通っている──のに対し、演出助手はとくに選別があったわけではなく、応募者全員がそのまま演出助手という肩書きを与えられていて、それでつまり、本公演に臨むにあたって私と村田さんの2人が「選抜」されたことには、「ああ、ここにいていいんだな」というふうにひどく気持ちを楽にさせられたのだった。
プレビュー公演のときからずっと世田谷区や杉並区の公共施設(「ナニナニ区民集会所」といったたぐいのところ)に稽古場をもとめ、日々転々としてきたわれわれだったが、11月の下旬からついにシアタートラムの地下にある稽古場に入った。地下2階にあるその「稽古場B」は広いように見えて狭く、むろんこれまでの区民施設に比べればずっとめぐまれた環境だが、それでも劇場のセットの実寸を取るには足らないのだった。2階部分にギャラリーがあって、そこにプロジェクターを置き、天井から吊った仮のスクリーンに映像を出す。トラムの稽古場に入って以降いよいよ「映像チーム」の一員としての仕事ばかりをするようになった私は、もっぱらその2階にいて作業をしている。

本日の参照画像
(2005年1月 4日 23:59)

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/ 3 Jan. 2005 (Mon.) 「年賀状」

スピーカーの上にあごをのせて寝る猫。

短い正月休みも今日までで、明日からはまた稽古がはじまる。「何かして遊ぼーよー」と妻が言うので、では正月らしく(?)テレビゲームでもしようかという気分になった経緯はよくわからないが、うちにあるのは NINTENDO 64 ──ソフトは「ゼルダの伝説 時のオカリナ」のみ──と、バーチャルボーイだけだ。妻が会社の同僚から買い取ったプレステ2は受け取ったまま会社に置きっぱなしになっているという。それで、中古の「マリオカート64」を手に入れようと街へ出た。対戦用にコントローラーももう一個調達。
もらった年賀状に返事を出すのに、何か出来合いのそれを買うと妻が言うので、じゃあ、また簡単なものでよければプリンターで作るよとつい約束してしまった。
あれは何と言うのだったか、正式名称がいま浮かばないが、十字ボタンのかわりにグリグリやるスティックの扱いに妻はひどく手こずっている。まったく慣れないらしい。
そうして夜は更けていくが、私がなかなか年賀状を作ろうとしないので妻は焦れる。「明日じゃだめ?」とまったく何の考えもない言葉を口にしてみるが、今日を逃して私に作る時間はないと妻は知悉していて、「じゃあやっぱり明日買ってくるよ」と取り合う様子もないので重い腰を上げた。デジカメで猫を撮り、それを全面に配置して文字を添えただけの「やっつけ」だが、1時間ほどで作ったそれはこうしたものになった。

 私から年賀状が届いていない方々、この場を使い、いまさらながらあけましておめでとうございます。

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(2005年1月 3日 23:59)

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/ 2 Jan. 2005 (Sun.) 「あっさり風邪は治った」

ところでみえさん(義姉)からは元旦に「結婚祝い」と称して何点ものプレゼントをもらった。
佐川悟さんの絵(1枚目の写真)とこのALESSIのトイレブラシはさっそくトイレに飾られた。

目が覚めると昼の12時だった。あれは警察なのだろうか、地元の行方不明者に関する情報提供を求めて走る車の、スピーカーの声に起こされた。夕べ飲んだ薬が案外効いたのか、それともやはり「ひきはじめに飲んでこその風邪薬」ということの証明か、起きてみるとだいぶ風邪の具合がいい。居間の掘りゴタツでごはんをいただく。うまいうまいとまた食べる。そうしてぐずぐずした時間が訪れる。テレビには「北の国から」の再放送が点いていて、何とはなしにそれを見ている。義母が持ち出したのはナンバークロスワードパズルの専門雑誌で、母の解けなかった問題に娘が挑戦し、やはり解けずに、ならばちょっと貸してみろと娘の夫が手を出して時間の過ぎるままにしている。
妻が地元の同級生ら数人と会う約束をしていて、午後6時すぎ、その同級生の運転する車でいっしょに出掛ける。通り沿いにある「珈琲館」という名のだだっぴろい店。いまあらためて思い出そうとすれば「よくある」程度の、さして広い店内でもなかったように思えるが、正月だということも手伝うのかなぜかだだっぴろさを感じ、そのだだっぴろさにどこか〈北関東〉──というのはつまりこの場合、私のなかでイメージされる〈田舎〉ということだが──を感じていた。
1時間ほどしてまた妻の実家に戻り、夕飯をいただく。手巻き寿司。10時すぎの電車で帰った。
ぐずぐずとした時間は荻窪に持ち越され、年末に借りてあった「刑事コロンボ」のDVDを観て寝る。

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(2005年1月 2日 23:59)

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/ 1 Jan. 2005 (Sat.) 「風邪からはじまる一年もある」

大晦日は雪。実家の寺の釣鐘堂からその向こうの墓場を撮った。
元旦の境内である。

旧年を振り返れば──といってじつはろくに振り返ってもいないのだが──、宮沢さんがそうであるのと同時に私もまた『トーキョー/不在/ハムレット』というひとつの舞台に明け暮れた一年で、振り返ろうにも──いや、だからろくに振り返っていないのだが──それしかなかったかのような印象であり、しかしそう書いて、しまった、これは叱られるぞと気がつくのは去年の6月に「入籍」を行っていることだ。「結婚」していた。世間一般の習いからいけば挙式の写真の1、2枚も載せて「結婚しました」と報告するような年賀状のひとつも出していておかしくないのだったと、妻のところに届いた妻の友人のそれを見ながら気づかされるのだったが、結局、今年はまだ一枚の年賀状も出していない。もともとまめに賀状をしたためるような私ではないが、去年はちょうどその前年の暮れに新しいカラープリンターを購入し、「ふちなし印刷」だの「写真画質」だのというやつにすっかり無邪気にさせられて年賀状を作ったのだったと思い出す。元旦に届いた妻の友人からのその年賀状を見ながら妻に、ではここはひとつ、われわれもこういう年賀状を作って出すかと提案すると、「こういうの」を作ろうにも式がまだだから「こういう(挙式の)写真」がないじゃないの、と思わぬ指摘だ。そう、か。そうだった。去年の6月に籍だけを入れ、挙式はまだ。今年の4月に予定しているのだが、しかし式場をおさえたほかはほんとうに何もしておらず、そろそろちょっと動き出さないとまずいのではないかと少し焦燥感に駆られる。
31日に茨城にある私の実家に帰り、年を越し、明けて元旦の午後にいったん荻窪の家に戻ったのは猫に餌をあげるためで、それからその日のうちに今度は埼玉の妻の実家に行く。朝からどうも鼻が出ると思い、「どうも鼻が出る」もなにもそれはあきらかに「風邪」だが、「風邪だ」ということになれば「風邪かよ」というショックは大きなものがあって、無意識にそのショックをさけるかのようにしてかたくなに「どうも鼻が出る」と私はそう思っていたが、荻窪の家を出る間際に妻は言ったのだった。「風邪ひいた?」 ああ、風邪だ。そうだ風邪だよ。ひくまいと思っていたのになんて簡単にひいてしまったことか。
妻の実家には夜着いた。夕飯をもてなされる。すき焼きをメインに、その他いろいろ。ひっきりなしに鼻をかみ、くしゃみをしている私にお義父さんは食後「こないだ買ってきたんだよ」という市販の風邪薬を出してくれ、お義母さんも「疲れが出たってやつよ」と労ってくれる。出された薬を飲もうか飲むまいか少し逡巡したのは聞いたことのないメーカーのそれだったからではべつになく、返す言葉もないほどに「疲れが出たってやつ」であるところのこの風邪に一般感冒薬が吉と出るかわからず、あまり柄ではないが「気合いで治す」といいますか、そうした気概を保つことのほうに重点を置くべきかとも思われたからで、とはいうものの身体のほうはいとも正直に緊張の糸をといて風邪をひいたのだし、おとなしく言うなりに薬を飲んで寝ることにしたのだったが、それはそれとして食べ過ぎた。ふだんはあまりないことだが胃が痛くなり、胃薬(これは名の知れた、しかし私自身はこれまでほとんど飲んだ記憶のない「キャベジン」)ももらって飲む。

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(2005年1月 1日 23:59)

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