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May.
2009
Yellow

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/ 31 May. 2009 (Sun.) 「面会とピーの健康診断、そして『ラストソングスの脱出』」

これは家でリラックスしきるピーだが、まあぱっと見、何がなんだかわからないかもしれない。

まずはきょう31日の出来事から。すでに記したとおりできのう、飼い猫のロビンが急性腎不全のため緊急入院した。退院は火曜以降の予定。診療時間内なら面会はいつでもOKとのことで、午後、ふたたび国立のダクタリ動物病院へ妻と、きょうはピーを連れて。
「猫は病気をがまんしてしまいがちで、気づいたときには重症化しているということが起こりやすいため、年に一、二度は健康診断を受けさせましょう」という貼り紙が病院の待合いにあるのをきのう読み、まあ、ロビンがロビンだっただけにここは真に受けて、ピーを連れてきたのだった。ワクチンも数年前に打って以来だから、診てもらって、問題なければついでにワクチンを打ってもらおうという肚。きのうポシュテを運んだカゴが、2002年11月にピーを茨城の実家から東京まで運んだそれなのだが(ピーはポシュテ同様、実家で拾われた)、いまやそれへ入れようものなら──入るには入るが──微塵も動きがとれないだろう大きさのピーであり、また、4kgのポシュテでさえ片手に提げるかたちで長く持ち歩くのはたいへんだということがきのう知れ、ロビン用の、肩に提げられるかたちのバッグにはじめて入れたはいいが、しかしそれにしても重い。
ついでに説明すれば、ピーはひどく気が小さいのだった。来客があって玄関チャイムが鳴ろうものなら当然大慌てだが、外で車のエンジン音がするだけでそのつど怯え、たいていはベッドの下に隠れる。朝のゴミ収集車や、昼は宅配便のトラックなど、通りに面していないので聞こえて来るのはそれぐらいのものだが、かえってそのために慣れないのか、一階にいれば二階に駆け上がって身を隠している。でまあ、バッグに入れられ、外を歩けばもちろんひっきりなしに車が脇を通るのであり、なるべく裏道から裏道へと辿るも、なかなかに出くわすのが車だ。そのたびにバッグのなかで身をよじり、往生際というものを知らずにもぞもぞとやっている。
そんなピーは6.45kgだった。健康面での懸念としては──いちばん量を食べていないと思われる(ほかの二匹が近づくやすぐに食事をゆずってしまう)のに、そのくせやけにでかくて重いということのほかには──、たまに、毛を吐こうとするのとはまた異なる、へんな咳のようなものをすることがあり、それ、あるいはぜんそくかもしれない──猫にはぜんそくが多い──という先生の見立てだが、しかし症状の頻度からいって少なくとも重度のそれではなく、また、喉のあたりを入念に触診するかぎりではとくに何がどうということもなくて、その他、まずまず健康体であるという診断。
さてロビンはといえば、面会の甲斐もなく(なく、ってこともないけど)、向こう側の壁のほうをむいたまま腹這いに寝そべっている状態で、首にカラーを巻いているからまったく顔が見られず、起きてはいるらしいものの、上体をこちらに向けて反応するだけの元気はいまだなく、なので背中のあたりを撫で、声を掛けただけで、とくに何の進展も期待できないので引き下がることになる。まあ、養生してもらうよりほかないのだった。
ところでロビンだが、本名(?)が「ロビン」であることには依然変わりがなく、きのう連れてきたときも名前の欄にそう記入したからカルテ上も「相馬ロビン」ということになっているのだったが、しかしこの一、二年、妻とわたしからはもっぱら「よしお」、あるいは「よしちゃん」の愛称で呼ばれている。「相馬ロビン」と名札のかかった檻のなかの猫に、面会に来た家族が繰り返しはっきりと、「よしお」「がんばってね、よしお」と声を掛けるのを──そしてその者らが、担当医との会話ではあくまで患者名を「ロビン」として対応しているのを──、いったい病院側はいぶかっていないだろうかということが心配である。
夜は、DVDで『真夜中のサバナ』(クリント・イーストウッド監督、1997年)。いったい全体、なぜこれがこんなに面白いのか皆目わからない、そんな2時間35分である。

「稿をあらためて書くことにしよう」と言って、けっきょくまたこんなに猫のことを書いてしまったのだったが、というわけで、30日に観た、『ラストソングスの脱出』のことを書くとしよう。よかったのだ。
ラストソングスというとこれまで、演し物のなかにいわゆる「完コピ(完全コピー)」と呼ばれるところの「ドラマの引用」を織り込む手法──たとえばごく初期では、テレビドラマ「北の国から」の熱烈なファンであると設定されたふたりがそらでセリフを言い合い、あまつさえ熱演してその名場面を再現、大いに満足しあうといった風景が描かれる、など──が、そのライブを目にしてきた数少ない観客たちのあいだにはよく知られるところであり、今回もまたその意味で、全体がそうした引用(ゴドーを待ちながら、山田太一モノ、濱マイク、などなど)から織り上げられていた(らしい)ことには変わりがないのだったが、けれど今回、その「引用作法」は圧倒的に洗練され、ある意味過剰になって、過剰になることでかえってその「織り目」がほとんどわからなくなる──いっさいのテクストはいま、鈴木謙一によって(あるいはラストソングスによって)書かれたのだ!──という稀有な事態が、舞台上には発生していたのだった。そのさまをどう表現したらいいのかと考えていて、ふと浮かんだのが、再生YMOのアルバム『TECHNODON』に収められた坂本龍一の曲、「CHANCE」だということには多少の説明が要り、つまりこの「CHANCE」は過去のさまざまなYMOナンバーの(ほとんど原形をとどめないような)セルフ・リミックスなわけだが、レコーディングにあたっては最終的に、そこまで組み立てるのに使ったサンプリング音源を用いず、全編を坂本がそれ用に打ち込み直したという代物なのである。譬えがうまくはまっているかはわからないものの、それに似た何かが──そしておそらくもっとすごい何かが──『ラストソングスの脱出』にはあったのであり、つまり、「すべては引用である」とは言われつつもけっきょく「そこ止まり」であることが多い〈インターテクスチュアル〉なる概念を、これほど闊達に体現した舞台はないのではないかと思うのだ。
いや、言い過ぎたな。おそらく言い過ぎた。それほどのこたあないのかもしれない。ないのかもしれないが、そうであるかもしれないというほどの〈脱出への希望〉を──ことによったら将来、俺はこの人たち(こんな人たち!)に泣かされてしまうんじゃないかというほどの畏れを──、わたしは舞台上のふたりから受け取ったのだった。

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(2009年6月 1日 21:25)

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/ 30 May. 2009 (Sat.) 「ロビンが緊急入院」

急性腎不全。異変に気づいたのはおととい(28日)の夜だった。
その少し前、リビングの、雑然とダンボールなどの置かれた一角にポシュテが背筋を伸ばして座るのを、どうも〈そんな〉恰好だなあと見ていると、やっぱりマーキングで、どいたあとに少量のおしっこが見つかる。とうとうやった。となればいよいよ去勢だけれど、その前に、これもうやむやに延ばしていた2回目のワクチン接種(本来は去年の暮れに済ませる予定だったもの)が順序として先にあって、だから、この週末はまずワクチン接種のためにポシュテを病院に連れて行き、去勢はその一週間後の運びだなと算段を立てていた。ともあれ、その瞬間までは、週末の動物病院行きはあくまでポシュテについての話で、だから、はじめにロビンが自身のちんちんを嘗めているのを見たとき、わたしはポシュテのサカリとの関連ばかりを思っていたのだが、いっぽう妻はよりはやく、悪い予感のほうを的確に感じ取っていた。というのもその直前、トイレに入ったロビンが大も小もしないまま出てきたのを妻は目撃していたからで、その直後の、ちんちんを嘗める仕草だったからだ。
ロビンはこれまでに二度、尿道結石を患っている。二度目のそれが2004年で、そのときにほぼ完治して以降は病もすっかり影を潜め、つい数日前まではそれこそジョージョー音を立てていたのだったが、まあ、それは急にやってきた。
きのう(29日)一日、ついにロビンは一滴もおしっこをしなかった。何度もトイレに行き、また、トイレでない場所でもその体勢に入るのを、もう好きなところですればいいさとわれわれもただ見守るが、まったく出ず、そうしてちんちんの先を嘗めている。朝にはまだ缶詰を催促する元気があり、じっさいに食べたし、またその後、大のほうを一度して妻を安堵させかけたものの、やっぱり小が出ず、そのうち、液状のものを繰り返し吐くようになってしまう。
その夜、ロビンは寝室のベッドの下にぐったり寝そべっていたが、そのロビンになぜだかピーがちょっかいを出しはじめる。まさか「励まし」とも思われないが、しつこく尻尾に噛みついては気の立ってそれどころではないロビンに唸られていて、その無神経ぶりに妻はもうかんかんである。叱ってもまったく効果がないため、捕獲され、ポシュテ用に以前買ったケージに閉じこめられて一夜を明かすピーだ(というのも、ピーは「ドアを開けられる」ため、部屋の外に出すだけでは意味がないのだった)。いっぽう、おそらくロビンはロビンで、一睡もできずに夜を明かしたと思われる。
明けて土曜(30日)の朝、ロビンを入れたバッグを妻が肩に掛け、わたしがポシュテの入ったカゴをもって、国立にあるダクタリ動物病院へ。いよいよぐったり気味のロビンは、何の抵抗もなくバッグに収まった。
ロビンから診察。下腹部を触るや、「うわ、パンパンだ。こりゃカテーテルを通さないとだめですね」と先生。さっそく処置にかかるあいだ、待合いに出て、ポシュテと三人で待つ。やはり体質のようで、積年、膀胱に「砂」(こまかな結石)は溜まっていたらしい。少量が底のほうに溜まっている程度では直接の影響はないものの、許容量を超したか、何らかの拍子でそれが尿道に入り、入ってしまうと、尿道というのがものすごく細いものであるため(たしかオスの場合。メスは尿道が広い)、「砂」程度のもので詰まってしまうのだった。処置後の説明では、三箇所で詰まっていたという。そうして尿の排泄ができないため、老廃物が腎臓へ逆流を起こして負担をかけ、急性腎不全ということになるのだった。
尿道に通したカテーテルから尿(血尿だった)を出し、ひとまず尿道にあった詰まりはだいたい取れたものの、ひきつづきカテーテルを通したまま、尿とともに膀胱にある砂がうまいこと流れ出るのを待つ。尿が出ないという気持ち悪さからは解放されたと想像したいが、しかし腎不全のためだろう、ぐったりした様子に変わりはない。腎臓の数値がかなり上がってしまっているのだった。点滴も続けなければならず、というわけでまあ、入院である。順調に行って、退院は火曜の夕方だろうとのこと。
ワクチン接種のために連れて行ったポシュテは基本健康なのだったが、ロビンといっしょだったためにかなりカゴのなかで待たせることになり、わるいことをした。4kgだそうですよ、ポシュテ。去勢手術を一週間後に予約する。そうしてロビンを残し、三人で、ピーがひとり寂しく留守番する──「ぼくだけ置いて、みんなで『とんでん』に食いに行った」と思っているのではないかと、道々ピーの心中を想像しつつ──家へ戻る。

そんななか、夜はラストソングスの初ワンマンライブ、『ラストソングスの脱出』を観に横浜は日ノ出町まで。うん、そうです、とてもよかったわけですが、それはまた、稿をあらためて書くことにしよう。

(2009年6月 1日 14:03)

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/ 28 May. 2009 (Thu.) 「その川面に」

『ミスティック・リバー』

DVDで『ミスティック・リバー』(クリント・イーストウッド監督、2003年)。仰ぎ見られた曇天の白と、見おろされた舗道の鼠色とが印象深い。
終盤、ジミー(ショーン・ペン)とショーン(ケヴィン・ベーコン)のふたりのシーンで、「遅かったがな」とジミーが言い、その意を汲み取るような表情をショーンが見せる。ふたしかな記憶だが、そこには白い曇天があった。カタルシスは、この作品において白の側にある。「あ、ここで終わるのかな」と、わたしは甘えたことを思ったのだった。むろんああしてはじまった以上、〈枠〉として、舗装コンクリートに残された署名──それは鼠色である──へと戻らないことにはその円環が閉じないだろうことがじゅうぶん予想されるわけだが、とはいえ、ここで終わればどうにか、なにがしかのカタルシスを手にできるだろうとわたしはすがるように曇天の白を見ていた。
けれど映画は終わらず、まだか、まだあるのかというほどにカットを重ねて、死のカタルシスではなく、──「この話はこれでいいの?」という妻の素朴な感想が示すとおりの──すっきりしない生を語りつづける。そうして署名のカットを経たさきに辿り着くのが、鼠色の上に白が反射する、あの川面である。そのことに思い至ったとき、阿部和重さんがあの川面を指して「映画としての自己言及的な試み」と呼んだ、その意味がわかるような気がしたのだった。

阿部
(略) 最後に俯角で澱んだ川を撮っていて、そこに日光が反映してキラッと光る。この川は映画のフィルムそのものなんだと思いついて、それが先ほどの俯角と仰角の画の関係性みたいなところに行き着くわけです。フィルムというのは、映画にとっての肉体であって、それが光を受け止めることで成立するわけです。

鼎談「クリント・イーストウッド、あるいはTシャツに口紅」蓮實重彦 × 青山真治 × 阿部和重(『文學界』5月号、p.181)

本日の参照画像
(2009年5月31日 22:47)

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/ 27 May. 2009 (Wed.) 「『グラン・トリノ』二回目/CLUB DICTIONARY#3」

『ユリイカ』2009年5月号(特集=クリント・イーストウッド)
『文學界』2009年5月号

有給を使い、きょうは会社を休む。昼間、『グラン・トリノ』二回目。
多少冷静さを取り戻しはしたものの、やっぱり泣いてしまった。そういえば一回目のときは開映まもなくの、隣家で開かれている出産祝いの場面、赤子の未来を予祝する占いのようなところでもう泣きそうになってしまった。あれはなんだったのだろう。きょうは字幕もあまり気にせず(気になるが)、ただ出てくるものを出てくる順番に目にしようと努めたのだったけれど、けっきょくはウォルト(イーストウッド)の佇まいにはっとさせられるばかりで、「はい次、はい次」と、ついにエンドロールまで運ばれてしまった。
このあいだは売り切れていて買えなかったパンフレットを購入。5月号の『ユリイカ』に収められた対談で黒沢清さんが、

ちなみに『グラン・トリノ』のパンフレットのフィルモグラフィーでは、整理ではなくて、人を混乱させるのが目的であるかのように、これでもかというくらいに主演作、監督作、監督主演作、監督製作作、監督製作主演作というふうに分類されています。頼むからそんなに分けないでくれと(笑)
徹底討議「イーストウッドは何度でも蘇ってしまう……」蓮實重彦 × 黒沢清(『ユリイカ』5月号、p.37)

と言及しているところのそのフィルモグラフィーでは、『グラン・トリノ』を監督29作目としている。まあその、前回の日記でつい『八月の狂詩曲』を持ち出したのはじつはそういうこと(『八月の狂詩曲』は黒澤明の29作目)だったりもするのだが、でも、イーストウッドにまったく明るくないわたしはパンフレットにその記述を見つけるまでほんとうに29作目(と数える数え方があるの)かということに自信がなく、はじめ、同じく『ユリイカ』にあるイーストウッド監督へのインタビューで聞き手が次回作を指し、「モーガン・フリーマン、マット・デイモン主演で、マンデラ大統領をテーマにした三〇本目の監督・製作作品」と言っていることから29作目なのかと思ったものの、たとえばこれも同号の「クリント・イーストウッド監督作品ガイド」では『恐怖のメロディ』から『グラン・トリノ』までで計31本の作品を挙げているし、また日本語版のウィキペディアでは30本がリストアップされていて、うーん、29作目とは数えにくいのかなあと思い、前回、数の符合については触れずにおいたのだった。ってどうでもいいことながら。ちなみにおそらく、『グラン・トリノ』を29作目と数える数え方では、『ユリイカ』の作品ガイドにある31本のうち『タイトロープ』と『ピアノ・ブルース』を含めないのだと思う(って書いてたらなんだ、本国のWikipediaがそうじゃないか)
いや、そんなことに字数を割いてないで二回目の『グラン・トリノ』はどうだったんだという話だけれど、前述のとおり、わたしはただ「エンドロールまで運ばれてしまった者」である。こちらは『文學界』の5月号にある鼎談で、

阿部
ですから、さきほどの映画の記憶という点から言えば、これほど楽しめる作品もないわけです。
青山
何しろ『荒野の用心棒』から観ていけば、全部入っているわけだから。
蓮實
しかも、それを知らない人たちが楽しめないということでもない。

鼎談「クリント・イーストウッド、あるいはTシャツに口紅」蓮實重彦 × 青山真治 × 阿部和重(『文學界』5月号、p.181)

と言われてしまうところの、「それを知らない人」であるよ、なにしろわたしは。
夜は表参道にある「EATS and MEETS Cay」へ。「CLUBKING」が主催する月イチのクラブイベント「CLUB DICTIONARY」に、「赤塚不二夫論」をひっさげて宮沢(章夫)さんが出るということで、それを聴講しに。ほかにもさまざまな出演者があったが、宮沢さんのすぐ前には「羊」(大堀こういちさんと小林顕作さんによるフォークデュオ)のライブがあり、大堀さんを堪能。「羊」、かなりあたたかく迎えられていた。
宮沢さんの「赤塚不二夫論」は、以前に早稲田大学で行った講義の一回分(「サブカルチャー論」のなかの一回)にあたるそうで、だからもとは90分の授業枠のなかで語られたそれを、多少の割愛と、なぜか足されてしまった新たな素材、そしてあとは早口でもって「30分でやる」というのが今夜のそれ。第一声の「宮沢章夫です」からして「うわっ、なんだか〈やる気〉だ」と思わせるような声量と調子で、一気に畳み掛ける宮沢さんである。
講義内容としては、同時代的な状況と文脈のうえにあらためて「赤塚不二夫」という表現者を布置させたうえで、『天才バカボン』を中心に、その代表的な実験(「方法」上の実験)がどういったものだったか、じっさいの作品をスライドで示しつつ紹介するというものになり、だからまあ「論」というよりか、趣きとしては「赤塚不二夫再入門」といったテイストなのだが(ま、30分だしね)、とはいえ聴いていて、「こういう授業はやっぱり楽しいし、必要なのだ」とあらためて思わせられもする(というのもなにせ、客席の反応がわりと「バカボンってこんなだったんだあ」という感じのものだったからだ)。奇しくもそれは、前掲の『文學界』の鼎談のなかで蓮實さんがつぎのように発言するのと響き合うような、まったくもって「大学の授業」なのだった。

蓮實
本来はそういうこと映画の記憶/引用者註]は大学という場できちんと教えるべきことのはずなんですけどね。別に解釈を加える必要はない。単に事実としてこういうことがあったということは踏まえるべきだとは思う。

鼎談「クリント・イーストウッド、あるいはTシャツに口紅」蓮實重彦 × 青山真治 × 阿部和重(『文學界』5月号、p.181)

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(2009年5月29日 20:22)

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/ 25 May. 2009 (Mon.) 「その後/『グラン・トリノ』」

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これ笑ったなあ。「11」かよ。てんでやれてないのだった。

21日の夜に前回(20日付)の日記を書きながら、9日の夜から長らくわたしを悩ませているその「鯖風邪」について言及するうちに、まてよ、これ結核ってことはないのかという疑念がふつふつと湧く。そのとき参照したのは、大塚製薬のサイトにあるこの啓蒙ページ。咳やタン、微熱、倦怠感といった初期症状はまったく風邪のそれだが、良くなったり悪くなったりを繰り返すところが異なり、つい風邪だと思って対処するうちに重症化するのが典型的な経過だという記述に、ごく単純にどきっとする。でまあ、けっきょくちがったのだが、ついでに紹介すれば、その後に見つけたこの記事もひじょうに手際よくまとめられていて参考になる。
22日。というわけで会社のちかくにあるかかりつけの病院へ。「良くなったり悪くなったりを繰り返し、長引いている」ということを伝えないと意味がないと思い、行く前に日記を見返して症状の経過をメモにとっていく。「で、きょうはどうされました?」と訊かれて悠揚とそれを読み上げたが、「いいからもっと早く来てもらいたいですね」と叱られた。結核を心配していると伝え、それでレントゲンを撮ることになったが、結果はシロ。結核や肺炎のたぐいではおそらくないという所見である。となると、症状は目下ほんとうに「ほぼ治りかけている風邪」でしかないのだったが、いちおう抗生剤と咳・タンの薬とを処方してもらう。でまあ飲むのだけど、いやあ、あれだね、効くね薬は。
23日、予習三本目は『ガントレット』(クリント・イーストウッド監督・主演、1977年)
24日、地域のソフトボール大会が早朝から予定されていて(といってプレイヤーとして参加するわけではなく、例の町内会の役回りとしてごくごく末端の運営サポートをするのだが)、そぼ降る雨のなか、とくに中止の連絡もないので傘を差し、競輪場のちかくにある(駐屯地のちかくでもある)運動場に歩いていったが、向かう途中で雨が強くなり、ちょうど行き違うようなかっこうで家に中止の連絡が入る。日延べということらしい。
 夜、『グラン・トリノ』。なにせ妻がこれから観る予定なのでなるべくネタバレにならないよう書こうと思うのだが、まあなんだ、大泣きである。

戦争を始め、自動車を作り、ずっと作り続けてきたのでそこそこ資産(工具=工場=生産設備)もあり、人種偏見を隠そうとせず、周囲から疎まれ、かと言って宗教におもねることもできず、気まぐれに(しかし自らの振る舞いが招いた結果でもある)マイノリティを引き受けたものの、守ることもできず、良かれと思って行使した武力・暴力がむしろ悲惨な結果を招く、そんな国、アメリカ。

物語では、そんなアメリカを象徴してきた主人公が死期を悟って一人の男に戻り、すべての落とし前をつけ、次の世代に希望を託す。
Ogawa::Buzz: GRAN TORINO

 たとえばこうした、すぐれて妥当であると思われる〈意味の素描〉が、しかし、「なぜ、クライマックスシーンの【あの瞬間】に涙があふれるのか」という問いにたいしてはまったく用をなさない──そのことこそが、この映画の〈奇蹟〉を物語っているだろう。つい思い起こされるのは、『八月の狂詩曲』のラストシーンについて言及する黒澤明監督のつぎのような言葉だ。

パラソルがオシャカになって、あすこでみんな泣くらしいね。投書がたくさんくるんだけれども「あれは一体何だ」というんだよね。「あすこでどうして涙が出てくるのか」と。あれは何だと言われても、僕も説明できない。要するにあれが映画なんだよね。映画になっているところなんだよ。何がどうしてというのではなくてね、あすこでもって「完全に映画になった」んだよね。いろんなものが一緒くたになってあすこでばーっと涙が出てくるらしいんだけれどもね。

 「クライマックス」という言葉をつい使ったが、もちろん便宜上のことで、『グラン・トリノ』──そして予習に見たどれもこれも(『トゥルー・クライム』『目撃』『ガントレット』)──は、ただひたすらに〈静か〉である。そのことにいまはただ驚かされている。
25日は『許されざる者』(クリント・イーストウッド監督・主演、1992年)。復習というよりか(妻のための)予習。やっぱり、こればっかりは先に見といたほうがいいというお節介なのだった。

(2009年5月27日 10:58)

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/ 20 May. 2009 (Wed.) 「猫たちのあたらしい玩具」

オリーブである。無計画に育って、ちょっとたいへんなことになっているのだった。

『トゥルー・クライム』はすばらしいのだった。

『目撃』もすばらしいのだった。

例の「鯖風邪」だけれども、じつはまだ抜けきらずにいるのだった。最後の最後に咳の症状が出た。それももうだいぶよくて、いよいよ、今度こそ治りかけであるとわたしはぜひとも宣言したい。そうしたわけでいま、通勤時にはマスクをしているのだったが、それ、予防じゃなくて、わたし自身が咳をしているからである。それにしても鯖風邪は厄介だった。巷に流行る豚インフルエンザよりもことによると厄介なのではないかと思えるが──なにしろ鯖だけにね──、でまあ、なんだよその鯖ってのはよという話に立ち返るならばそれは、ついに熱の出る気配のないのがいっそ解せないところの、地味に長く苦しい風邪のことなのだった。って、ちょっとまてよ。ん? 結核かこれ?──で、その後、病院へ行き、胸部レントゲンを撮ってもらって、結核や肺炎といったたぐいのものではないだろうという診断を受けました。2009.5.22 13:19追記)

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写真はこれ、猫用のおもちゃである。左の、「PIG」のほうのそれを、もうかれこれ五、六年前に、義姉のみえさんからもらったんじゃなかったか。以来、それはわが家の猫たちの根強い支持を得つづけてきて──というのはこれ、マタタビが調合してあるらしいのだが──、床に放置してあるそれを時折噛んだり、枕にしたりしながら、年を経て、さすがにもうマタタビもいい加減薄れているんじゃないかと予想されるなかをなお飽かずに、皆、舌でブタの顔をびしょびしょになるまで舐め、でまあ、ずっと床に放ってあるそれはしばらく前からちょっとどうかというほどに真っ黒になってしまっていたが、そこへ来てポシュテが加わり、がんがんに噛むから、ついにブタの顔が破けて中の綿のようなものが出てきたのだった。そこまでいってなお、にわかに捨てる踏ん切りが付かなかったのはつまりペットショップなどで同じ商品を目にすることがなかったからだが、でもまあ「さすがにいよいよ」なことになっているのでついにそれをゴミ箱に入れ、ネットにたよると、さいわいにも同じものを扱っている店が見つかった(商品名は「フィンガーファミリー」。で、はじめて目にする「MONKEY」のそれとひとつずつ、注文しておいたものがきょう届く。

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こちら、真新しい「MONKEY」で存分に楽しむロビンさん(13歳)である。人並みの嗅覚をもつとも噂されるピー(7歳)はしばらくそれに気づかず、晩になってそろそろと近づいては顔を擦りつけるが、いっぽうポシュテ(8ヶ月)は、「またべつの遊び方をしている」と妻の報告。はげしいらしい。
17日は、『トゥルー・クライム』(クリント・イーストウッド監督・主演、1999年。これも16日のトークイベントで話題にのぼった)と、『トウキョウソナタ』(黒沢清監督、2008年)をDVDで妻と。18日の夜は会社に泊まり、19日は『目撃』(クリント・イーストウッド監督・主演、1997年)をDVDでこれも妻と見た。今週末はいよいよ観に行けるだろうか、『グラン・トリノ』。

本日の参照画像
(2009年5月22日 02:13)

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/ 16 May. 2009 (Sat.) 「ショット/切り返しショット化」

廣瀬純『シネキャピタル』(洛北出版)。いま現在アマゾンに在庫がないようなので、リンクはbk1へ行きます。

『nobody』29号。こちらはアマゾンに在庫あり。

太陽光発電パネルの設置工事が朝から。午後3時すぎに終了。が、じっさいに動くようになるにはこのあと、日をあらためて東京電力が来たりして出力調整などの作業を経ねばならず、その日程は東京電力の都合次第なので、見込みとしてあと二週間ぐらいはただパネルが載っているだけになるとのこと。
そのあと出掛けて、ジュンク堂書店新宿店へ。廣瀬純さんと青山真治さんによるトークイベント「運動と映画──『闘争のアサンブレア』をめぐって」 を聴く。
トークに臨んで(まあ当然ながら)相当準備してきたらしい青山さんがまず、「廣瀬純とは何者なのか」「廣瀬純はいったい何がしたいのか」というふたつの問いを投げ、そこからセッションはスタート。前者の「何者なのか」というのはつまり、経歴的にも著作リスト的にも、一見脈絡がないかのようないくつかのフィールド/主題を行き来する廣瀬さんにたいする素朴な質問として本人にぶつけられたものだが、それにたいし、廣瀬さんが持ち出したキーワードが〈切断〉である。「ひじょうに美化して言えばですよ」と前置きしつつ廣瀬さんは、わたしはどこまでもドゥルーズ・ガタリ主義者なのであって、かれらの言う、「欲望の流れはつねに〈切断〉とともしかありえない」というその原理にのっとっているだけなのだという。では、その〈切断(による欲望の流れ)〉とはどういったイメージのものなのか。たとえば(まさにいまがそうであるような)対話において、相手のしゃべることに刺激を受け、そこから着想を得てこちらも発言するが、そのさいこちらの発言は、直前に相手がしゃべった内容と直接的につながっていなくてもかまわず、相手をさえぎってまで(話題を「切断」してまで)とにかく自分もしゃべりたいという欲望に突き動かされるような、そうした相手/対象との関係の連鎖がそうなのだと廣瀬さんは説明する。つまり、「切断する気も起きないものに用はない」というわけである。
今夜の対話はそうした(ある種幸福な)「切断」にあふれたものだったから、どこからどういう流れでその話題になったのか忘れてしまったが、前半のほうで廣瀬さんはクリント・イーストウッド監督の『ミリオンダラー・ベイビー』を取り上げ、そのショット分析を行ってみせた。主人公の女性ボクサーとイーストウッド演じるトレーナーは、物語のある時点までつねに〈ショット/切り返しショット〉の関係のなかにあり、あるいはリングロープをはさんで〈遠 - 近〉に分断されるかたちでしかひとつのショットに収まることを許されないが、物語がその悲劇的結末へとひた走りはじめる決定的なシーンにおいて、両者はついにひとつのショットに収まる/収まってしまうのであり、つまり『ミリオンダラー・ベイビー』においては、「ひとつのショットに収まることの悲劇」といったものが描かれているのだ、云々。
そうした話に至ったのは、思い出したが、映画批評誌『nobody』(29号、2009年2月)に掲載された廣瀬さんの文章「ショット / 切り返しショット、ゴダール / レヴィナス」を青山さんが取り上げたからだった。その論考のなかで廣瀬さんは〈ショット/切り返しショット〉の三つの様態、すなわち「フェイス・トゥ・フェイス」「サイド・バイ・サイド」「バック・トゥ・バック」を分類・分析するのだが、わけても「バック・トゥ・バック」という様式のもつ可能性に注目している。「バック・トゥ・バック」──あるいは「フェイス・トゥ・フェイス」を切り崩すこと──が戦略としてすぐれているのは、つまりそれがショットの切り返しのあいだに〈第三者〉を闖入させることにつながり、それによって〈無〉を形象化できるからだというわけなのだが、紹介されているように、同様の主張を行うひとりであるゴダールが、『アワーミュージック』のなかで引いているというブランショの言葉がこれである。

映像のそばには〈無〉が滞留している。映像の力のすべてが表現され得るのは、映像がこの〈無〉に呼びかける限りにおいてなのだ。

 この言葉に青山さんはひどく打たれたといい、準備中の作品にとっての大きなヒントをもらったという。
さて、トークセッションの翌日に更新されたブログには、

ともあれ自民党と民主党のショット/切り返しショット化を推進すること、だな、当面のミッションとしては。
MINER LEAGUE - 切断は闇の中

という一文が書きつけられているが、これに関してはこういうこと。青山さんと廣瀬さんは例の「定額給付金」について、政策そのものがいかに愚策であろうとも(愚策であるのは間違いないだろうがしかし)、とにかく、それによって幾ばくかの金をわれわれが国からせしめることができたのだというその意味において、やはりそれは歴史的な成果だったのだと評価する。で、それを「せしめる」ことができたのはつまり、「政権交代あるかもよ」というプレッシャーを自民党が感じたからにほかならないのであって、是非はともかくとしてどのみち「二大政党制」がやってくるだろう現在、われわれにできることはかれら職業政治家から「なるべく多く」を引き出すため、かれらにプレッシャーを与えつづけることなのであり、そのためにこそ、二大政党たる自民党と民主党とをただしく対立軸のあちらとこちらに──すなわち〈ショット/切り返しショット〉の関係のなかに──運動させなければならない。だから、(心情的にはそりゃあどちらかといって社民党や共産党を応援したいかもしれないが、また、そうはいっても○○の名前を書くのはキツイといったことがあるかもしれないが、)何よりもまず、次は民主党が勝たなければならないのだという話。
で、そうなると前述の『ミリオンダラー・ベイビー』論が思い返されたものだから、わたしは発言中の青山さんを「切断」して、「ひとつのショットに収まってしまうことの悲劇へと、それが至る可能性は?」という問いを投げたのだった(ま、すでにいったん質疑応答タイムにはなっていて、でも誰も手を挙げないのでふたりがしゃべってるという状況だったわけですが)。応えて青山さん曰く、「うん。その可能性はあるし、それ以前に、ひょっとしたらすでにひとつのショットに収まってしまっていると言えるのかもしれない。でもだからこそ、やはりわれわれは〈ショット/切り返しショット〉化へ向けて、行動しなければならないんじゃないか」。
その後、べつの質問が二、三出て、イベントは終了。いやあ、楽しかった。廣瀬さんの新刊『シネキャピタル』(言うまでもなく、「シネ」はシネマを指すのと同時に、「死ね」でもあるんでしょう、きっと──って書いてたらあれじゃないか、扉のデザインにはっきり「死ねキャピタル」と使われてるじゃないか)と、『nobody』の28号と26号を買う。肝心の、話に出てきた29号がジュンク堂にはなかったので、それを紀伊国屋で買って帰る。

本日の参照画像
(2009年5月21日 01:14)

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