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May.
2009
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/ 15 May. 2009 (Fri.) 「『朝霞と夕霞と夜のおやすみ』へ」

夜、「FUKAIPRODUCE羽衣」の妙ージカル『朝霞と夕霞と夜のおやすみ』を観に、こまばアゴラ劇場へ。「羽衣」は前作『ROMANCEPOOL』以来で二度目。その前作につづき、熊谷(知彦)さんが出演している。先日更新されていたブログによれば熊谷さんは、自分に「出鱈目」が不足していると指摘されたことを悩んでいるという。終演後に声を掛けたときもその話題になり、「出鱈目は(きょうの僕に)ありましたか?」とわたしに訊いてくるその顔がわりと切実なものだから、ひとつここで(その場ではうまく答えられなかったから)ともに考えてみようと思うのだけど。

終演後、観にきてくれていた冨士山アネットの長谷川さんから開口一番
「熊谷さんは、出鱈目さがないんですよねぇ。」とダメを言われる。
長谷川さんにはワークショップの時にも似た様なことを言われたので、
実に進歩の無い奴だと、結構へこんでしまう。
「出鱈目男女」を歌っている奴が、出鱈目じゃないなんて、全く話にならないじゃないか。

翌日の目標を、密かに「出鱈目さ」に絞り、
本番前に糸井さんにも稽古をつけてもらい、芝居をどんどん大きくしていく。
うん。大きくなってきた。これで出鱈目に繋がるかどうかは分からんが。
出鱈目不足 - 熊谷知彦blog 『何でもひとり』

 「目標を密かに『出鱈目さ』に絞る」というきまじめさがすでに出鱈目からは遠いのではないかとか、「大きい」ことがはたして出鱈目でしょうかといったことはもちろんあるものの、とはいえ、まず思うのは、このさい出鱈目はべつにいいんじゃないかということである。「羽衣」の魅力がはたして「出鱈目さ」にあるのかということはひとまず措いて、仮にそこに表現すべき出鱈目なテクストがあるとしてだが、すでに出鱈目であるそれを「出鱈目に演じ」たら、面白くもなんともないのはつまり「マイナスの掛け算」の原理である(「マイナス掛けるプラス」もしくは「プラス掛けるマイナス」はマイナスを大きくするが、「マイナス掛けるマイナス」はプラスに転じてしまう)
 と同時に、ここで言う「出鱈目」は、おそらくある種の「軽さ」のことを指しているのではないかと思えるのだけれど、わたしには、「熊谷さんに軽さがない」とは到底思えず、しかしその軽さがうまく舞台に表れないときもあるのだろうと想像すれば、その差を生んでいるのはきっと、ほんのささいな、「ちょっとしたこと」じゃないかと思えるのである──なにしろ、かつて、かの「岸建太朗伝説」につづいて宮沢(章夫)さんが書こうとしたものこそ(けっきょく書かれはしなかったけど)、こうした「熊谷知彦伝説」であるのだから。

きょう、熊谷の芝居がよかったと思い、その原因を探ったところ、伝聞によれば、熊谷はきょうの本番中、「京都公演のこと」で頭がいっぱいだったという。そんな先のことを考えてもしょうがないだろう。いま、ここを大事にしろと思ったが、「京都のこと」というのが、舞台のことだったらまだいいが、京都公演があったあと、「どうやって東京に戻るか」について頭がいっぱいだったそうだ。先のことを考えるにもほどがある。でも、そのほうが、熊谷はもしかしたらいいのかもしれず、毎日、なにか考えることに集中していてくれればいいのかもしれなかったものの、まだ東京の本番があるというのに、もう京都から帰ることで頭がいっぱいになっている熊谷に、笑った笑った。本番直前、みんながきょうの舞台のことで集中しているときに、迷惑になるかもしれないなどと一切考えず、次に熊谷が出る舞台のチラシを配って宣伝しているという、常識的な人間の枠を越えた無神経な熊谷から、わたしはもう目が離せない。こいつはいったい、なにものだ。だから芝居がいいんだろうな。熊谷には助けられている。少し前、「岸健太郎伝説」を書いたが、「熊谷知彦伝説」も書かなくてはいけないのではないかと私は思ったのだった。
「不在日記」2005年1月21日付

 とそんなことを思っていてしかし、わたしは『朝霞と夕霞と夜のおやすみ』のサウンドトラックCD(劇場受付にて販売)のなかに、すぐれて出鱈目な熊谷さんを見つけたのだった。サントラに収められているうちの4曲目「picnicsongs」における熊谷さん(セリフ部分)は、ものすごくいい。正直、きょうの舞台のそれよりもよかった。これぞ「出鱈目」じゃないすかとわたしは熊谷さんに言いたい思いだ。あるいは熊谷さんは、「これ、とくに工夫もなくふつうにやってるだけだけどなあ」と言うのかもしれないが、わたしにとってはこれこそが「出鱈目」である。もちろんCDは声だけだが、このセリフを発している者の身体もこのとき、まちがいなく軽やかであるにちがいないと想像されるような、ことによったら何も考えていないのではないかというほどのしなやかな発話が、そこには収録されているのだった。
というわけでわたしは、サントラを買い、また、『ROMANCEPOOL』のDVDも買ってしまった(ちなみにCDもDVDも、劇場のみでの販売らしい)。白状すれば、『ROMANCEPOOL』の「夕暮CDショップ」以来の、わたしは鯉和鮎美さんファンでもある。

(2009年5月19日 04:29)

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/ 14 May. 2009 (Thu.) 「二〇〇三年の夏、わたしは変なTシャツを着ていた」

元同僚のK君から不意のメール。人間、もつべきものはK君だ。夜は何ヶ月ぶりかで床屋へ行き、さっぱり。
妻に指摘され、すでに直してあるが、きのうの日記でわたしが『ガレージをめぐる五つの情景』を「妻と、友人の上山夫妻の四人で観た」と書いたのは誤り。そのときは恭子ちゃん(上山夫人)が入れ違いに上京していて、妻と上山君と三人で観たのだった。逆にわれわれ夫婦と恭子ちゃんの三人で観たのが、その前年(2003年)夏の発表公演『アイスクリームマン』だったわけで、それと記憶がごっちゃになっている部分がある。『アイスクリームマン』のほうは当時の日記がない(更新の停滞した時期にあたっている)が、何かあったはずだと探すと、「Pink」のここに記念写真だけ載っかっている。一番上の写真で変なTシャツを着ているのがわたしで、となりが恭子ちゃん。
きのうの日記にたいしては二方面からさっそくのリアクションがあり、『ガレージをめぐる五つの情景』に関しては児玉君からコメントを、mixiについては「IDEA-H」の長谷川さんから「マイミクシィへの追加リクエスト」をもらった。ありがとうございます。で、児玉君が寄せてくれたコメントによればこうだ。

『ガレージをめぐる五つの情景』で僕は、相馬さんの当時の日記にある"「ハラダ」が駆け込んできての第一声「すごかった」で笑ってしまった。"の「ハラダ」を演じていました。おぼろな記憶によると、他の登場人物に比べ、宮沢章夫さんに細かく指示されなかったような印象のあった「ハラダ」でしたが、「すごかった」という台詞に関しては何度も繰り返し稽古させられたように覚えています。手元にある当時の戯曲によると、「すごかった」に続く台詞は「インド人が五人で歩いてた。」です。

 おお、そうだったのか。「ハラダ」だったというのは予想外。ていうか何を予想してたってわけでもないが、そうかあ、「ハラダ」だったかあ。言及されている当時の日記にある感想でわたしは、松倉(如子)さんのよさについて触れたあとにこう書いていた。

観終わって、近くにあったスープカレーの店で昼食をとっているときにうちの奥さんが言ったのは、「『くぬぞー』のことが心配」だ。まあね。具体的にどこがということでもないのだけれど、古着のワンピースを試着する役の、「タエコ」の人もよかったと感じた。「タエコ」と「ハラダ」はカップルでよかったように思う。「ハラダ」が駆け込んできての第一声「すごかった」で笑ってしまった。

 「『タエコ』と『ハラダ』はカップルでよかったように思う」は、「(物語的に)ふたりが恋人でよかった」とも読めるが、そうじゃなく「ふたりともよかった」の意で書いたんだと思う。そして、当時あれだけ「くぬぞー」のことを心配していた妻だが、「ぜんっぜん覚えてない」という。
ってあたりで今日は時間切れ。

(2009年5月15日 18:17)

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/ 13 May. 2009 (Wed.) 「そしてまた児玉君のこと、mixiのこと」

これはネットから適当に取ってきた写真だが、こういうやつですね、コーレーグース。「高麗(コーレー)辛子(グース)」ってことらしく、するとまあ、「マザーグース」の意味もなんとなく知れようというものだ。

わが家に流行の兆しを見せた「鯖風邪」だけれども、わたしはかなり恢復した。妻もゆっくり復調中。ずっと切らしていたコーレーグース(沖縄の辛味調味料で、島唐辛子を漬け込んだ泡盛)を買ったので、夜はフーチャンプルーを作ってもらい食べた。ああうまい。
ひきつづき、児玉君のサイト「LOSCO」にある古い日記を読んでいるが、それでやっと、その学年的な相関関係についてあっそうかと知るのは、つまり児玉君らが京都造形芸術大学在学中に参加した発表公演が、『ガレージをめぐる五つの情景』であるということだ。それ、わたし、観に行ったんだよ。妻と、あと友人の上山君と三人で観た。そのときの日記[2004年7月25日付]もここに残っている。わたしはもう『トーキョー/不在/ハムレット』の演出助手をしていて、というか、その年が『トーキョー/不在/ハムレット』ど真ん中の年(本公演は翌2005年だけどね)だったわけだが、発表公演を観たのはちょうど、ふたつめのプレビュー公演である「映像公演」(というか、映画『be found dead』)最終日の翌々日である。と、いま、自分の日記から知る。
で、『ガレージをめぐる五つの情景』の公演情報は京都芸術劇場のサイトに残っているが、それを見ると、松倉(如子)さんのほか、そこに今野(裕一郎)君や、橋本(和加子)さんも出ていたのだとわかる。ダブルキャストのうち「A」のほうを観たから、つまりわたしはそのときにみんなを観ているってことだが、うーん、あれなのです、あんまりこまかくは覚えていないのです。日記を読み返して、「くぬぞー」のこととか、だんだんと思い出すこともあるのだったが、なにせ記憶が不確かなので、不用意に間違いを書いてがっかりさせるとまずい。
先日来、mixiでもっていわゆる「マイミクシィ」ってやつの登録をちょこちょこと、まったくちょこちょことやっている。mixiについて無知であるわたしは、前に、mixi上での日記の活用法について冨永(昌敬)君のやりかたを取り上げ、

で、なんの話かというと、そこで見かけた、冨永君の日記の使い方になるほどと思ったという話で、文章自体は livedoorブログである『シャーリーの好色人生と転落人生』の公式ブログに書き、「mixi」上の日記にはそのURLだけ載せて更新(通知)しているのだった。いや、それだけのことなんだけど、ああ、この手はあるかもなと思わせられた。

と書いたのだったが、その後、もっと手っ取り早い方法があるのを知る。「設定変更」の「その他の設定」に「日記・ブログの選択」という項目があって、通常はそこが「ミクシィ日記」(mixi上で書く日記)になってるわけだが、変更することもでき、外部のブログサイトを持っている場合にはそいつを指定することができるのだった。そうすると、mixi側がブログのRSSを定期的に巡回、mixi上の日記と同様に扱われて、更新通知などがマイミクシィに対してなされる。ちなみに、「日記・ブログの選択」ではその外部ブログの種類(はてなダイアリだの、Exciteブログだの)を選ぶが、それはそれによって巡回すべきRSSのURLを自動的に判断するってだけのことらしく、わたしのところのようにRSSのありかが特殊な場合、Movable Typeを使っていても「Movable Type系」を選ばず、「その他」にして、「RSSのURL」欄で直接そのアドレスを指定してやることになる。
というわけでわたしは、mixi上では、ここにいる。いるので、「われこそがマイミクシィだ」という人や、「マイミクシィたぁわっちのことかえ?」という方、「マイメロディなら俺にまかせろ」という方も含めて、お声掛けくださってかまいません。ま、わたしとマイミクシィになったところで別段得るものはなく、基本的にはぜんぶここにあるわけですが。

本日の参照画像
(2009年5月14日 16:19)

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/ 12 May. 2009 (Tue.) 「鯖風邪」

風邪は抜けそうで抜けない。頭痛にまでは至らないものの「首の凝りのようなもの」はまだ残り、なにより喉が痛い。熱や咳はない。妻のほうが少し厄介で、頭痛のほか、胃をやられているという。そっちはそっちで、それ以外の症状は(まだ?)ない。「豚インフルエンザ」ではなかろうが、対抗してここではひとまずこれを「鯖風邪」と呼んでおこう。露ほどの意味もないものの。
仕事溜まり気味。なのだが、ついつい逃避している。「LOSCO」の児玉君の古い日記「Ver.1」時代のもの)をぜんぶ読んでしまった。それで、3月3日に生まれ、2月22日(2007年)に死んだという猫の「りゅう」の写真に心動かされたりしていた。こうした眼差しを残して死んでいく猫に出会うとき、いくぶん靄が晴れ、その瞬間こちらが、自身の死というものを受け入れやすく感じるのはなぜなのか。
ところでうちのポシュテだが、まだ去勢をしていないのだった。ときおり軽く妙な声は出すものの、マーキング行為には及んでいないため、なら、まあまだいいかというふうに先延ばしになっている。近所には野良が多いので、網戸越しに漂ってくるだろうメス猫の匂いや、あるいは網戸越しのメス猫そのものなどはきっかけとして非常にあぶないと思うのだったが、しかしこれまでは窓を閉め切りにしておくことがほとんどだったし、最近二階の窓を網戸にしておくことがあったけれど、そのときも別段ポシュテに変化はなかった。で、きのう今日のこの気候で家のなかはとても蒸し暑く、ついに一階の窓を開けて網戸にした。さすが網戸とばかりに涼しくなってヒトを喜ばせたのも束の間、ポシュテに異変。桁違いの妙な声とともに下半身の毛がみるみる逆立ち、二倍にもなった尻尾を振り上げて二箇所ある窓を行ったり来たりしはじめた。こりゃだめだと窓を閉め、ヒトは扇風機を出す。おお、こりゃあ丁度いいと扇風機の根元を枕にして寝転がる去勢済みの大人たちだ。ばかものが。ポシュテはそれどころではないのだ。と思っていると、思いのほかはやく、ポシュテの尻尾はもとのサイズに戻っていく。あぶねえ、あぶねえ。一階の外気はあぶねえぜ。

(2009年5月13日 17:19)

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/ 10 May. 2009 (Sun.) 「風邪だったのだろうか/MUSIC BAR 道」

「10日の朝まではいたって元気だったよ」と妻の証言はあるものの、わたしのなかでは、9日の夜、「MUSIC BAR 道」でのトークイベントを聞いて帰宅したあたりからどうもあやしかった。肩や背中、腰の凝りが総出で首筋までのぼり詰めたような案配で、頭痛もする。調子にのりビールを過分に摂取したときの症状もこれに近く、もともと弱いがここ最近どんどんと弱くなっている印象があるから、あるいはきょうはビール一杯でそうなってしまったかとも思われたものの、やはりこれはどうも(ビールが症状を悪化させているにしろ)肩凝りだろうということで、10日の午後に指圧マッサージを受けに。
指圧はまったく気持ちがよかった。じっさいまちがいなく凝っていた。が、これで解決かと思いきや首のところの凝りだけが取れていない。家に戻ってしばらく寝ていたが改善せず、ふたたび頭痛。こりゃちょっと我慢ならないということになって夜、薬局へ自転車を飛ばしてローションタイプの塗り薬と、それから神経に作用するという飲み薬とを買ってきた。飲み薬があろうとは思わなかったが、「首筋にまできた肩凝りに」というどんぴしゃな売り文句に惹かれ、手を伸ばすとやけに値が張る。さては効くんじゃないかというのも哀しい消費者だが、でまあ、帰宅し、塗り薬を塗り、飲み薬を飲む。飲み薬はちょっとにわかに効き目のほどがわからないものの、塗り薬のスースーはさすがにスースーしてその場をしのげるのだった。
それでおとなしく就寝したのだったが、翌朝、起きると隣の妻が「頭が痛い」という。そこでようやく、「風邪かよ俺」とその可能性に考えが至った。妻にむかい「じゃあ、わたしの不調もあれ風邪だったのかな」と言うわたしの声はガラガラだ。しまったなあ、そうかあ、風邪かあ。そうであればきのうは、「ただ寝ている」のでもよかったかもしれないのだった。

そうしたわけで、9日は湯島にある「MUSIC BAR 道」へ。着くと上村(聡)君がいた。その日納品されたばかりだという『ラストソングスの脱出』のチラシ(1,500枚刷ったといううちの500枚)を紙袋に提げていた。一枚受け取る。
上村君とふたり最前列の小さな腰掛けに座ると、ほんとうに目と鼻の先が出演者(宮沢章夫さんと桜井圭介さん)の席である。開演前の出演者席にはおふたりがそれぞれ持参したのであろうアナログレコードおよびCDの束というか山が置かれてあったが、それを見、上村君はそのラインナップからどっちの山がどっちのコレクションだろうかと推測する。「こっちが桜井さんかなあ」と上村君が言うのに対し、さして音楽に造詣があるわけではないわたしはただ「どうだろうね」と返していたが、内心、きっとこっちの三倍ある山のほうが宮沢さんだろうとは思っていた。車で来ているだろう宮沢さんのほうが量を運べるということもあるが、その事情を抜きにしても、こうしたときにまったく「ほど」というものを知らないのが宮沢さんであるからだ。あと、目の前に座ったことも手伝ってか、後半「90年代の音楽」をテーマとした部分では宮沢さんも桜井さんもしきりに(当時の空気を濃く知るところの)上村君に発言を求め、上村君もそれに応えてなかなかしゃべっていた。
18時半からはじまったトークは、あいだ20分の休憩(グリーンカレー500円がおいしかった)をはさんでじつに四時間ちかくつづき、とくにこれという結論が出るものではむろんないが、「言葉がない」部分は「言葉がない」ままに、おふたりそれぞれの、ごく個人的な〈肌合い〉といったものにも触れるような楽しい時間だった。
80年代にした仕事にまつわる話のなかで、宮沢さんが「FM-TV」[※1]の「ケンソーのこの一品」に触れたが、加藤賢崇さんのエピソードを話し終えてから、「賢崇の話をするとついこう」と遠い目をしてみせるのがなんとも可笑しかった。というのも、実家のビデオライブラリー(深夜放送だった同番組を兄が録画したベータテープで、計算すると12、3歳のわたしが兄の横で見ていたもの。現在再生可能かどうかは知らない)に収められたうちの一本の、その「一握の蟹」は、当時賢崇さんが関わって出版されたらしいとある本(『ぼはなん』だったかなあ)について、宮沢さんがものすごく怒っているというものだったからだ。
イベント終了後しばらく、客としてきていた白井君や、宮沢さんの教え子だったという方、それと上村君とわたしとで宮沢さんを囲み、雑談。23時半ちかくになって店を出た。
新宿まで宮沢さんの車で送ってもらったが、車中はもっぱらハードディスクトラブルとバックアップの話。で、わたしの話が「iPhone」に移ったところで急に宮沢さんの反応がなくなったと思ったら、「おれ、iPhoneもってないぞ」とそのとき宮沢さんが忘れ物に気づく。ひとまずわたしの携帯から宮沢さん宛に掛けると、しばらく呼び出したのち、押切さんが出たのだった。

※1:「FM-TV」

 フジテレビの深夜番組。構成作家(および出演)として、川勝正幸、宮沢章夫、えのきどいちろう、押切伸一の四氏が参加。Wikipediaの「JOCX-TV2」の項によれば1987年、また、「たのみこむ」にDVD化を要望しているこの人の記憶によれば「’86年ごろから’88年ごろまで」となっている。
 フレディー・マーキュリーのPVを素材にテロップで遊ぶ「がんばれフレディ」、放送するミュージッククリップを犬に選ばせる「犬の言いなり」、加藤賢崇が自身の嫌いなものを絶賛して紹介する「ケンソーのこの一品」、文豪(宮沢)と書生(えのきど)という設定(ただし恰好だけ)でだらっだらトークする「一握の蟹」、情報通の靴磨き屋(押切)が道行くサラリーマン(川勝)に旬なアイテムを教え感化しようとする「シューシャイン・オッシー」などのコーナーがあり、とくに「がんばれフレディ」「一握の蟹」あたりが当時12、3歳とおぼしい相馬を魅了した。相馬はこれ以来の宮沢章夫ファンで、えのきどいちろうファン。
 当初1時間番組だったが、のちに30分番組になり、すると上記の「無駄なコーナー」たちがごっそり削られてあまり面白くなくなってしまったと記憶する。

(2009年5月12日 19:25)

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/ 7 May. 2009 (Thu.) 「吉沼の手紙」

「字を書くのも、たまにやると疲れるな。読みづらいし。(手紙にしたのは)大失敗だ」と手紙は閉じられている。

終電で帰宅、郵便受けを確認すると封筒、差出人には友人の名がある。霧雨に湿ってやけに粘る糊につい引き込まれ、しぶといような手つきにさせられてやっと開ければ、レポート用紙二枚に手書きのこまかな字だ。

近況報告も兼ねて(こっち、あまりブログも更新してないし)手紙でも書こうかと。まあ、メールでいい話だけど、なんとなくだな。

 レポート用紙の「Date」欄に律儀に埋められた日付は「2009.5.5」、封筒の消印は6日、友人にボールペンを握らせたのは連休後半を濡らした雨だったろうか。ってなぜこんな文体か。
中身はほんとうに(と断ることもないけど)近況報告だ。共通の友人である大竹君が東京に越してきているという。ブログのそれとない記述と、それから南波さん経由でも小耳に挟んで見当はついていたが、吉沼のところもおめでた(9月か10月出産予定)だそうだ。ほか、車の免許を取ろうとしているが、ことによると車を持つことになるかもしれず、車を持つことで変化をこうむるだろう消費行動や生活目線のことをやはり考えさせられるとか、そういった話など、しみじみ読まされる。しみじみするのは、吉沼のこの字のせいだろうか。きれいでも丁寧でもない字だが、慣れの問題か読みにくくはなくて、遠いむかしからこの字が好きだったような気にさえさせられる。この字で「しじみ」と書かれたら、かなりしみじみするのじゃないかとそんなことを思う。
やはり手紙はいいものだと思いつつ、こちらも手紙で返信を書こうかという考えは頭を掠めただけでまったくその気にはならず相済まない。また、出し抜けに送ってこその手紙でもあろうか。こちらはけっきょくこうしてウェブ上に反応めいたことを書いて済ましているわけだが、自筆とフォントではちょっと非対称が過ぎるし、きょうはこの日記の下書きをスキャンして載せておこう。下書きだから、こちらはほんとうに乱暴な字で申し訳ない。わたしは元気だ。

本日の参照画像
(2009年5月 9日 02:35)

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/ 5 May. 2009 (Tue.) 「甥に会いに」

甥である。抱いているのはgood妻(ぐさい)。

姉となった豆乃(とうの)さんはデジカメもお手の物であるという。

近すぎるのと暗いのとでなんだかわからないが、手前、決めポーズをする豆乃さん。奥はタンゴさん。

しかしどうしてこうわたしは「きのうの日記」が書けないか。たいていいつも(書く現在から見て)「おとといの日記」や、「三日前の日記」を書き、更新している。
すでに書いたけれど、次兄のところに第二子/長男が生まれたのでこの日、妻と実家へ参じた。ほぼ決まりであるという名前の候補も聞いたけれど、それはまだ伏せておく。伏せておくばかりか嘘を書くが、「勝蔵」である。兄の好きな「黒駒の勝蔵」からとったものだ。「黒駒」にするか「勝蔵」にするかで悩んだという。いっそ、「相馬」をミドルネームにして、「黒駒の相馬勝蔵」ではどうかとする意見もあったが、相馬をミドルネームにはできないんじゃないかという土地の古老の見解である。

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長兄の家族がちょうど前日から旅行に出ていて不在。姪ふたりへのプレゼント(小さいほうに誕生日祝い、大きいほうに進学祝い)は母に渡す。母にも母の日のそれを。品があまり思いつかず、いろいろ考えるうちにわからなくなったというか、気づくとそれ、はたしてどれほど「母の日」的かというプレゼントはボールペンとペンスタンドのセットだ(写真右、黒いペンスタンドのほうを選んだ)。ホテルのフロントとかにあるようなそれである。活用していただければなにより。「肩たたき券」とかそういったものでよかったんじゃないかとはいまふと思うことだが、ま、あれだ、「ホームページ見たよ」と言ってもらえればいつでも叩こう。おたがい叩けるうちに叩こう。
姪ふたりからは後日お礼の電話をもらったが、ともに品をよろこんでもらえたようで、妻とふたりほっと胸を撫で下ろす。

ま、なんだ、日を置くとろくな日記にならないよ。

本日の参照画像
(2009年5月 8日 16:35)

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/ 4 May. 2009 (Mon.) 「あるアルバムとの再会」

『アワー・コネクション』。iTMSで買う場合はこちら。いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー - アワー・コネクション

『EPLP』。iTMSで買う場合はこちら。RCサクセション - EPLP

『細野晴臣の歌謡曲〜20世紀BOX』。CD・6枚組。

きのうの長時間の買い物が響いたとは甘ったれたことを申しますが、一日ぐったりしていた。朝一度起き出したもののほどなく布団に戻り、二度寝したまま夕方まで。何もしなかった。
まあ、それで、『EPLP』をiTMSで買って聴いたりしているわけですが、それと同時購入したのが、再発されていたことをうっかり知らずにいた、いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー『アワー・コネクション』で、これを何遍も聴いている。名盤とはこれを言うね。
西武池袋線の東長崎にあった長兄の部屋(正しくはその彼女=現・義姉のアパート)に『アワー・コネクション』のCDはあって、留守番を頼まれた折りなどしきりに掛けていた。ウォークマンでさんざ聴いた記憶もあるのでカセットテープにはダビングしたはずだが、なにせカセットテープであり(気づくといま、カセットテープを再生させるものが家にないのだった)、その後しばらくは、ことあるごと中古ショップでそのCDを探したものだったが、ついに見かけることがなかった。先日、Mac Proのハードディスクが壊れてあたふたしているところへ届いたのが『細野晴臣の歌謡曲〜20世紀BOX』だけれども、思いがけず(ってこともないだろうけど、何が収録されるのかまったく確認せず予約しておいたところ)そこに『アワー・コネクション』から4曲が収録されていた。ひさびさの再会に喜び、「これだけでもボックスを買った甲斐があった」などと呑気なことさえ思っていたが、なんのことはない、アルバムも2007年に再発されていていま簡単に手に入るのだった。
笠木(泉)さんのブログに、

どうしても聴きたくてYOUTUBEで「HIS 日本の人」と検索したらヒットした映像の持ち主がなんと友人・相馬君だったことに少々びっくりしつつ、
aplacetodie/ツイノスミカ » 33歳/不自由/勝手バナー

とある件、それはまあこれ(HISの映像ではなく、細野晴臣トリビュートライブにおけるサケロックオールスターズ + 寺尾紗穂の映像)だけれども、

去年6月、「ここではありません」の米倉さんがそのブログに、

2、3日前、友人の王子から携帯に着信があったのだけれど、そのときは出られず、それから自宅仕事がものすごく立て込んで(今も)、折り返しそびれていたらそのあとの彼からのメールが「孤独です」とひとこと。今すぐとんでいってお茶でもしながらのんびり話したいが、遠くなってしまったというのは言い訳だなあ。そんな王子に愛を込めて。なかなかシビアな歌詞だけれど、ぐずぐずぐずぐずへこむタイプの私(ちょうど先週がそんな感じだった。私も泣きついて姉に電話してしまった)も、これを聴くと「なんでもない、なんでもないなあ」と思える曲。HIS(細野晴臣、忌野清志郎、坂本冬美)の『日本の人』。細野晴臣トリビュートに入っているSAKEROCKと寺尾紗穂さんVer.で聴くとさらに癒されます。王子ー、気を確かにー!近いうち会おうでなー。[太字強調は原文]
ここではありませんのノート - 孤独な王子

と書いていたことがあって、このあとに米倉さんは「王子」へ宛て「日本の人」の歌詞を引用するのだが、そこに、

あの、何でもある、ぜんぶあるYouTubeに無かったので、とりあえず歌詞のみ掲載。

と註が添えられているのを見、つい、「さらに癒され」るほうのバージョンをアップして報せたのだった。もちろん、申し訳程度の宣伝であれだが、ライブの全貌はぜひDVD『細野晴臣と地球の仲間たち』を買って堪能していただきたいところなのである。

本日の参照画像
(2009年5月 7日 16:33)

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/ 3 May. 2009 (Sun.) 「ボールペンの円いあれ」

こういうやつ。これでまん丸のがあったと思うのだが。

組長としての初仕事は町内会費の徴収である。組に属する近所10軒分ぐらいの会費を集めて回る。きのうの午前中、工事があって早起きだったついでにあらかた回り、不在だったところをきょう済ませた。
次兄のところに甥(5月2日生まれ)ができたので、このGW中に実家に参じようと思い、それで出産祝いもそうだが、年に二度ぐらいしか帰省しないためほかの姪っ子らの誕生日祝いなども溜まっていて、はたまた母の日も近いとなれば、いろいろプレゼントを見繕わなければならないと午後、ルミネだとかエキュートだとかをはしごする。「みんなまとめてボールペンではどうか」とわたしは提案したが、あえなく却下された。むかし郵便局で見かけた、なんていうんでしょうか、ペンのお尻の先が円く大きくなっているあれを買い、円い部分に「おめでとう」とか書いて一本ずつ配るのはどうかと思ったのだ。だめだと妻は言う。

本日の参照画像
(2009年5月 6日 19:32)

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/ 2 May. 2009 (Sat.) 「連休突入の初日はオール電化工事から」

IHクッキングヒーター。

エコキュート(奥)。

クラビノーバ。

「作るの遅くない?」とは妻も懸念するところのラストソングスのチラシは、きょうついに入稿(したデータのデータチェック)が無事完了したと連絡がある。ひとつ肩の荷が下りる。下がその裏面というか、まったく無駄に贅沢な「両A面」仕様の反対側。はじめにラフとして3案提出したところ、そのうちの2案が「どちらも捨てがたい」となりそうなった。

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お恥ずかしい。
2日未明のことか、あるいは1日深夜だったのかはっきり知らないが、次兄の第二子が無事誕生。男の子とのことである。
そしてまあきょうわが家は、オール電化の工事だった。給湯に用いるエコキュートと、IHクッキングヒーター+オーブンの設置・切り替え作業を朝の9時から夜7時すぎぐらいまで。これらはきょう一日で片が付き、太陽光発電のパネル設置工事がまた二週間後(予定)にある。
というわけでIH(Induction Heating=誘導加熱)だが、わたしはまったくその仕組みを誤解していた。てっきり電気コンロのようなものだと思っていたわけだがそうじゃなく、つまりなんです、IHクッキングヒーターの天板それ自体が熱くなるわけじゃないんですね、これ。金属の電気抵抗を利用した誘導加熱という仕組み(よくは知らない)により、「鍋に熱を伝える」のではなくて、「鍋自体が直接加熱される」。なので、(火力発電所における1次エネルギー=天然ガスから電気への変換効率さえ考慮に入れなければ)熱効率は抜群にいいというわけだ。したがって「IHは火力が弱い」というのもまったくの誤解(これも電気コンロのイメージが転嫁されたものか)で、湯を沸かすのでもなんでも、とにかくいちいち速いのだった。(あとまあ、とろ火で何時間とか、一定した加熱状態をキープすることにも強い。) それからIHというとまず、「対応してる鍋/してない鍋」の問題があって、そもそも金属でないもの(ガラス、土鍋)や、金属でも電気抵抗の少ないもの(銅、アルミ)はだめである。もっている鍋で事前にはっきりだいじょうぶだと判っていたのはルクルーゼのそれ(IHクッキングヒーターの製品カタログにもばんばん写っている)と、鉄のフライパン。一方、たとえばやかんは柳宗理のそれを使っているのだが、ネットで見ると同じ外見で「IH対応」のそれと「非対応」のそれが売られていて、値段もはっきりちがうから、定かではないがきっとうちにあるのは「非対応」だろうといったように、「よくわからないが、たぶんだめ(非対応)じゃないか」という調理器具もいくつかある。で、新たにどれを買おうかと途中まで物色してもいたのだが、クッキングヒーターの取扱説明書を読むと、本体を使って「使用可能な鍋かどうかをチェックする」こともできるとわかり、買うのはひとまず措いて、まずは駄目元で試すことにする。
と、それがあらかたいけてしまったのだった。鍋に水を入れてヒーターの上に置き、加熱のスタートボタンを押すと(つまりふつうに「加熱」しようとすると)、使えない鍋の場合には加熱がスタートせず、「鍋確認」というアラート表示が出る(また、鍋を置いていない場合にもこうなる)のだが、たとえば、サイトで調べるとはっきり「電磁調理器は使用不可」となっている野田琺瑯社製「月兎印」ブランドのホーロー製コーヒーポットも、やってみたら難なく加熱できてしまった。沸騰時間に遜色はないというかじゅうぶん速いので、熱効率が落ちるということでもなさそうで、おそらくは、こうした「使用不可」のものたちは鍋底が薄かったりして「早くだめになる(早晩鍋底が変形をこうむって使えなくなる)」ってことなのかと思うのだが、ならばだめになってから買い替えればいいかと思うのだった。
といったようなわけで電器メーカー勤務の上山君、わたしが何か勘違いしていたら指摘よろしく。ちなみにきのうとんかつを食べながらIHのことを話題にした(一応理系ではある)永澤は、やっぱりわたし同様、IHクッキングヒーター自体が熱くなるものと勘違いしていたらしい。

この日、忌野清志郎さんが逝く。兄が録画した「YOU」の1コーナーだったか、RCサクセションのライブステージにアントニオ猪木を呼び込むというような一場面を思い起こすが、それ、まったく記憶がごっちゃになっているかもしれない。それから「い・け・な・いルージュマジック」のPVは同じく兄録画の「ベストヒットUSA」だったろうか(あ、「ザ・ベストテン」出演時の録画テープもあったな)。世代的により正しいところでは中学生のときに「タイマーズ」。〈不良〉のシノザキ君の強い薦めがまずあったようにも記憶しているが、それともあれかな、わたしがアルバム『THE TIMERS』を買ったことを知ったシノザキ君が興奮し、「だよね?かっこいいよね?」となったのだっけか。そして「HIS」。といったように、わたしはちっともど真ん中のファンではなかった者なのだけれども、逆に言えば、わたしの視野のはじっこにはつねにその人がちらちらしていたような気もし、だから、去られてみればいたって寂しいのだった。

本日の参照画像
(2009年5月 5日 01:24)

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/ 1 May. 2009 (Fri.) 「永澤とシティボーイズを観る」

なるほどメーデーだったのか。「全学連」という旗を含んだ一団が会社の近くを行進していた。
押切伸一さんがはじめたというミュージックバー「道」のオープニング企画イベント(「宮沢章夫音談科」)を予約。2006年の「文化デリックのPOP寄席」(川勝正幸 × 宮沢章夫)につづき、「FM-TV」ファン必見のイベントである。このいきおいに乗って、ぜひ来年あたりは「一握の蟹 2010」を期待したいところ。
行く予定にはしていなかったのだが、いま名古屋に住む友人の永澤から、東京公演のチケットが一枚あるがいっしょに行かないかと少し前に声がかかって、じゃあということに。シティボーイズミックス PRESENTS 『そこで黄金のキッス』。連休前最後の会社を引けて初台へ。今年の会場は新国立劇場なのだった。着いてから知ったのだが初日だった。新国立劇場のキャパシティが大きいので例年よりも少し期間が短いらしい。
永澤はこの日高速バスで名古屋から新宿まで。救急病院勤務からはなれていまやすっかり「暦どおりの人」になった永澤は、明日からの連休で長崎に飛ぶらしい。永澤は「飛行機好き」であり、旅の主目的のひとつも飛行機に乗ることそれ自体にあるのだったが、明日乗る長崎行きの飛行機は名古屋から出るんだそうで、きょう一泊したら明日は名古屋まで新幹線で戻るという。名古屋公演を観に行ったらどうなのか。
きょうの待ち合わせ方法を相談する永澤からのメールに、携帯電話の番号が変わった旨の報告があったが、その下に「@mac.com」のメールアドレスが添えられていることの意味にわたしはうっかり気づかず、「じゃあ、念のため携帯のメールアドレスも教えて」と訊くと、「その .Mac のアドレスがそれで、iPhoneにしたのだ」と永澤。おっとそっか、そうきたか。
観劇後、「さぼてん」というとんかつ屋で食事して別れた。
深夜、NHK教育で『青ノ鳥』。

(2009年5月 3日 13:05)

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