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Nov.
2005
Yellow

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/ 28 Nov. 2005 (Mon.) 「自主リーディングは落語だった」

駅の柱にある、中央総武線の主要時間を示すパネル。日記の本文とはとくに関係ない。
それを2枚掲載する意味もまたない。

もう十何回目かになる「自主リーディングの会」が開かれたのは、さる11月23日の勤労感謝の日である。以前なら、「自主リーディング」の報告は参加者のひとり、赤羽さんに任せておけば「自主リーディング、自主報告。」というかたちでまとめてくれたものだが、いまその赤羽さんはサイトの更新どころではなくなって久しく、それでは高森さんはというとこちらも「10月22日」で日記の日付は止まっていて、唯一、北田さんが早くも当日の夜に更新したブログにそのことを書いているほかは、誰からも言及がないのを少し寂しく思うというのも、今回は私がほとんどコーディネート役を務めたからだ。
ところで今回は人が多かった。私を含めて11人で、これは最多人数かもしれない。高森さん、赤羽さん、北田さんはもうおなじみの常連組。『資本論も読む』の編集者である竹村さんも忙しいだろうなか来てくれた。竹村さんの友達のイノウエさんは数度目の参加で、「落語を読む」という今回の趣向の言いだしっぺ。役者陣からは上村君と、前回から参加してくれている渕野さん、そして今回は南波さんが初参加である。もうふたり、私の友達の吉沼夫妻も初参加で、私を入れ、11人。
いや、落語をテキストにするという今回の企画に関しては、「私が言いだしっぺではない」ということだけまず言い訳しておきたいと思うが、準備を進めるうちにはやはり楽しくなってきてしまい、いろいろと一人で勝手にお膳立てをととのえさせてもらったのだった。まずテキストにする噺の選定。ちくま文庫に入っている古今亭志ん生の速記本から「鮑のし」と、同じくちくま文庫『志ん朝の落語』シリーズから「井戸の茶碗」と「文七元結」。当日南波さんから「落語って、基本的にこんな『いい話』ばっかりなんですか?」と質問が飛んだのももっともで、とくに後者の2本はかなり粒よりの「いい話」である。落語を読むというこの試みが仮に失敗に終わった場合に、噺(テキスト)それ自体のストーリーと結構でもって救われるというか、楽しんでもらいやすいほうがいいだろうと、「いい話」のほうへ振り子が振れた。
リーディングのテキストにするにあたって厄介だったのは『志ん朝の落語』のほうで、これ、会話文にはきちんとカギ括弧が付いているものの、それを誰がしゃべっているのかという徴付けがないのだった(志ん生の速記本のほうは一般的な戯曲の体裁により近く、カギ括弧のアタマに名前が付いていて親切である)。それで、当日使用するテキスト用にカギ括弧の上に手書きで人物名を入れたものを作り、それを人数分コピーして事前に郵送。こちらで考えた仮の「配役表」もそこに付けた。
今回はキャラクター単位で役を割り振ることにし、そのため噺の選定でも登場人物の多いものをなるべく選んだが、とはいえ、キャラクターごとに噺の中での比重(しゃべる量)には大きく偏りがあって、主人公などほとんど出ずっぱりの役だけは場面ごとに区切り、複数人で担当することにする。しかしまあ配役を考えるのはすこぶる楽しい。なにしろ上村君、南波さんという贅沢な素材が手元にはあるのであって、それをどこに使うかということだけでも充分に頭を悩ませる作業だ。ちなみに、わかる(=噺を知っていて脳内シミュレーションが可能な)人に向けて書いておけば、「文七元結」では「佐野槌の女将」を南波さんに、終盤ふたたび長兵衛宅に場面が移ってからの「長兵衛」を上村君にお願いした(吾妻橋の場面の長兵衛は私だ。いいところを頂戴してすまない)。
リーディング終了後、時間が余ったので iPod に入れて持っていった「本物」の音源をスピーカにつないで少し流す。それで最後に特製の「おまけ」を配布。いや、楽しかったですね、単純に。

本日の参照画像
(2005年11月30日 19:28)

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/ 27 Nov. 2005 (Sun.) 「同窓会のこと」

これは実家の猫。「マメ」ちゃん(♀)。
そのアップ。もうだいぶいい歳である。

きのうの同窓会に来ていた田宮さんにはしゃべる早々「結婚おめでとうございます」と言われ、結婚したということはその席ですでにべつの友達にしゃべっているし指輪もしているしで、そういう情報の流れかと一瞬は思ったものの、次いで田宮さんの口から「ホームページ見てます」と聞かされたときは少なからず驚いた。なんとなく恥ずかしい。ああ、そうでしたか。そうだよな、同窓生やその他の旧い友達がこちらに知られずここを見ているという可能性はままあるよな。それならそうと、早くメールをくれればいいじゃないか。田宮さん、見てますか?
同窓会は「千石ヤ」という居酒屋できのうの夜8時からはじまり、20人ほどのクラスメイトと担任の宮川先生が集まる。同窓会は数年前にも催されたらしいが、そのときは時期が正月で、私は行っていないからこの面子と会うのは成人式以来になる。卒業から数えれば15年ぶり。当たり前ながら同い年であるみんなは揃って今年30歳になるわけで、ひとつその節目の年に集まっておこうじゃないかという企図になる。出掛ける前に、実家で卒業アルバムを引っ張り出して「予習」を行ったのははたして顔や名前の記憶がつながるかどうか、そこのところをまったくこころもとなく思っていたからだが杞憂もいいところである。なぜ、君たちはそんなに昔のままなのだ。「そうちゃん(※私のことである)も変わらないね」と何人かから言われ、すると私も「昔のまま」そこに座っていたのだろう──「何が」ということになれば、つまるところ、みんな「顔が」ということになるんだろうけど。
もう閉店になる12時過ぎまでその店にいて、二次会にはそこから半数ほどが残り、カラオケ屋へ。3時過ぎにいよいよお開きになり、最後に堀江君、伊藤君、篠崎君、牛久君、鈴木君、私の6人はラーメン屋に入った。堀江君の車で送ってもらい、家に着いたのが今朝の4時のことである。
ラーメン屋を出たときに堀江君──愛称は下の名前の「トモユキ」だが、当時から私は一度もそう呼んだことがなかったと記憶している。いつも私は「堀江君」とばかり呼んでいた──が、「そうちゃんとかはちがうだろうけど、地元はだいたい(いつも)こんな感じだから」と言う。「うん、そうなんだろうね、きっと」という意味を込め、私はただ笑っていた。
いきなりそんなことを書かれても、同窓以外の大半の読者にはどう想像をふくらませればいいか途方に暮れるだけかと思うけれども、伊藤君は面白いよ。しかもおそらく、その面白さは私以外のほとんどの者がそれを発するところの「訛り」の魅力とどうにも分かちがたく結びついていて、さらに文章で言及するのはむずかしい。じつのところかなり自覚的にサービス精神旺盛なのが伊藤君だが、自覚しきれる程度の旺盛さではないと言いますか。まあいわゆる「人気者」。「人気者」をあなどってはいけないのだった。伊藤君にはすでに子供があって、「子供は似てるのか」という宮川先生の質問に「似てる」(より忠実には「似でる」)と答えた伊藤君は、さらにつづけて、「だっで、(子供のすることを)見でてわげわーがんねえもん」と言う。「自分が『訳わからない』ってのは自覚してんだ?」と瀬畑さんが的確な応答をすれば、それに対して「おお。俺、わげわーがんねえもんなあ」。
と、こうして描写してみれば「馬鹿なのではないか」という方向で読者の伊藤君に対する想像はふくらんでしまうかもしれないけれども、むろんそんな伊藤君が馬鹿でないわけがないじゃないか。もうこれはほんとうに「褒め言葉」というか、あるいは「(評価をはなれたところにある)ゼロ度の言葉」としてネット上では受け取られてほしいところだけれども、言うまでもなく伊藤君は馬鹿なのだった。そうした伊藤君と瀬畑さんのやりとり、あるいは伊藤君と堀江君のやりとり、交わされる呼吸が、なんとも「昔のまま」なのであり、そういえば私もまた当時から、そうしたやりとりの端にいてニカニカニカニカ笑いながら、「生徒会長」なるものをやっていたのではなかったか。
それと、これは同窓のなかでは誰も指摘する者がないと思うので書いておくが、堀江君はなんだか「トニー谷」に風貌が近づきつつあるのではないか。堀江君もまた真の「人気者」のひとり。カラオケ屋を出るときに握手したら、やたら手が分厚いので驚いた(あ、いや、昔も同様に驚いたことがあったんじゃなかったかといま思い出した)。

本日の参照画像
(2005年11月29日 11:55)

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/ 26 Nov. 2005 (Sat.) 「瑣末」

ふと、なんとなく思い出してみた「瑣」の字。少しちがう。

中学の同窓会に出席するため実家の下館へと向かう東北線なかで、モーリス・ブランショの「謎の男トマ」を読みはじめる。なんとも久しぶりに「小説」に──あるいは「フィクション」に──手をつけた気がする。直前に、電車待ちをする新宿駅構内のコーヒー店で読み終えたのは、ちくま新書の佐藤卓己『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』だし、その前に読んでいたのは同じちくま新書の石原千秋『国語教科書の思想』である。何度も書くようだが、石原先生は大学のときのゼミ担である。
ごく久しぶりにネット上の日記を更新するべく、こうしてコクヨの小振りのノートに極細軸の水性ボールペン──まさしくモバイル(!)──でその下書きを書いているとつい、そんなことを説明調で書いたところで読者にとっては期待の外(ほか)ではないかというような瑣末な──正直な話、私はいま、瑣末の「瑣」の字がどうしても思い出せなかった。そこでコクヨのノートには「サ末」と書き、あとで ATOK の知恵を借りて「変換」してもらおうと考えたところだ。「さまつ(sa-ma-tu)」と入力してスペースキーを打つ。求めているところの「サ末」(いや、だからまだ私は「サ」の字を思い出せていないのだが)以外に、変換候補はあっただろうかとそんなことまで考えている。「左松」。左側にある松という意味だろうか。いや、そんな言葉がはたしてあったかどうか。あったとして、ちなみにこれは「重箱読み」だ。ついでに言えば、前掲のちくま新書の書名も正確なところがわからず、確認の手間を惜しんでいまはただ四角く空欄の枠を書いている。註釈のようなかたちで書きはじめたこの話がここまで長くなると、はて、元の文脈はいったい何だったかと俄かにわからなくなっている読者も多いと思い、そこで改めて繰り返すが、そんなことを説明調で書いたところで読者にとっては期待の外(ほか)ではないかというような瑣末な──事柄ばかりが浮かぶ。
その石原先生の近代国文学ゼミナールで一緒だったのが吉沼で、その吉沼は先日の「自主リーディングの会」に奥さんの彩子さんともども初参加してくれた。せっかく日記を再開するのであれば、その「自主リーディングの会」のことも記しておきたいと考えるところだけれども、「謎の男トマ」の衝撃だけでもってここまで無内容に筆をすすめてしまって、いまはもう時間がない。同窓会のこともまた明日、書くだろう。

本日の参照画像
(2005年11月28日 00:18)

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