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Jul.
2007
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/ 29 Jul. 2007 (Sun.) 「選挙」

アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義—多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』(勁草書房)。「ベストな」民主主義を探る比較政治学の現代の古典。狭い経験に依拠するだけの印象論を排し、データにもとづいて民主主義を語る。小選挙区制、二大政党制、議会に対する政府の優越などのイギリス型デモクラシーを理想視する通説に、経験的研究の立場から異議を唱えた古典的著作。36ヶ国の分析から多数決型民主主義だけが民主主義ではないと主張する。

選挙だった。結果はご存知のとおり。「安倍晋三が良しとされる事態ばっかりはちょっとまずいだろう」ということからすれば、何はともあれ一歩前進と捉えなければならないが、と同時に、やっぱり小選挙区制による二大政党制への流れのことを考えると、うーんと思い、立ち止まりたくなる。自民党がそうであるのと同様に、民主党もまた政策でまとまっているわけではないことはよく指摘されるところだが、考えてみれば、仮に二大政党制というものが文字どおり(そしてまた理想的に)かたちになったとして、そのときには当然、これまで〈政党間の差異〉としてあったものがそのまま〈政党内部の差異〉として組み換わるはずだし、中小政党の側が〈政党間の差異〉として存在し、自民党ひとりが〈政党内部の差異〉を孕んだ大政党としてある状態がそれと差異の幅としてはあまり変わらず、ただ政権交代をのみ起こりにくくしている(そして政権交代が起こらないために政・官の関係が固定化される悪循環のみを生む)のだとすれば、むろん次善策としての二大政党制は肯定されるべきだろう。──とはいうものの、はたしてそううまくいくのかという危惧はどうしたってある(なにしろこの美しい国は何度も戦争を起こしているのだ)
そこでちょっと調べてわかるのは、われわれのこの小選挙区制が「単記非移譲式投票」と呼ばれる投票方式だということで、ほかにはたとえば、オーストラリアで行われている「優先順位付連記投票」というものなどがあるらしい。「優先順位付連記投票」というのはつまりこう。
まず、投票者は全候補者に対して順位を付けなければならない。仮に候補者が5人いれば、1〜5までの順位を付ける(1位だけを書いた票や、3位までしか順位を付けていない票などは無効)。小選挙区制なので当選するのはひとりだが、最大の縛りは、当選するには有効投票数の過半数の得票が必要だということ。むろんまずは〈順位1〉の票を数え、そこで過半数に達する候補者がいればその人が当選になる。で、そこで過半数に達しなかった場合だが、仮に5人の候補者(A、B、C、D、E)がいて、有効投票数が1,000、〈順位1〉の得票がつぎのとおりだったとする。

  順位1の得票
350
270
190
130
60

 この場合、いちばん票の少なかったEの落選が決まり、Eが得票した60票が、その〈順位2〉に従って再分配される。Eに投票した60人の、2番目に支持した候補者が次のとおりだったとしよう。

0
30
5
25

 と、こうなる。

  順位1の得票 順位2の得票(E) 合計
350 0 350
270 30 300
190 5 195
130 25 155

 まだ誰も過半数に達しないので、最下位のDが除外される。この時点でのDの得票のうち、「130」が〈順位1〉による得票、「25」が〈順位2〉による得票だから、「130」を〈順位2〉に従って、「25」を〈順位3〉に従って再分配する。それでたとえばこうなった。

  順位1の得票 順位2の得票(E+D) 順位3の得票(E) 合計
350 0 + 50 0 400
270 30 + 50 20 370
190 5 + 30 5 230

 この場合だとまだ過半数に達しないので、Cの「230」(つまり、「190」の〈順位2〉と「35」の〈順位3〉と「5」の〈順位4〉)を再分配し、これでAかBかのどちらかが決まるというわけだ。Cに投票した人がA・Bどちらを「次点」と考えるかによっては、〈順位1〉で最多得票だったAを、最終的にBが逆転する場合もある。
なるほどなあ。いろいろ考えるもんだよ。これ、今回の東京選挙区でもって考えてしまうと、順番的にまず考慮されるのがたとえば「又吉光雄」とか、あるいは「マック赤坂」とかを〈順位1〉とした人が、誰を〈順位2〉にしたかってところからはじまるわけだからいささか徒労感が漂わないでもないけれど、もっとわかりやすく、「定数1」のところに自民党・民主党・共産党がひとりずつ候補者を出している場合を想定すれば、自民党と民主党はそれぞれ、共産党を〈順位1〉とする人たちの〈順位2〉を獲得すべく、いくぶんかでも共産党の政策を取り入れなければならなくなるというわけだ(まあ、これもそううまくいくかは別として)
あとね、これやるといまのような調子じゃ「選挙結果」が出なくなるね。集計にすごい時間がかかる。じっさいオーストラリアでは、大勢は翌日には判明するものの、最終結果が出るまでには数日以上かかる場合もあるらしい。
さて、とはいえ、いずれにしたって「多数決」であるからには「少数派」が生まれざるをえない(また生まれなければならない)わけで、問題はそこをどのように視野に入れるか/入れさせるかだろう。さらにもう少し調べれば、「小選挙区=二大政党制」を称揚する現在の流れをつくったのはモーリス・デュベルジェという政治学者の1970年代の研究(「デュベルジェの法則」)であり、それがいまも多くの政治家に浸透しているが、70年代以降研究はさらに進み、たとえばアーレンド・レイプハルトは36か国に及ぶ実証研究のなかから、2党制および2.5党制を含む「多数決型民主主義」よりも、優位政党のある多党制または優位政党のない多党制による「合意形成型民主主義」のほうが優れていると結論付けているらしいことがわかる。ウィキペディアの記述であることを断らなければならないが、たとえば、

レイプハルトによれば、その国が多党制になることは、そういう政治風土があるからであり、選挙制度は関係がなく、また小選挙区制によって機械的に政党数を減らすことが出来たとしても、かえって社会問題、経済問題などを民主主義以外の解決方法(すなわち暴力的方法)へと誘導しかねないという論拠に立った。
政党制 - Wikipedia

 という。
そしてまた、いとうせいこうさんのブログにあるのはこのような言葉だ。

 選挙結果にも色々感慨はあるが、小田実の死がむしろ印象的だった。
 二大政党制へと日本が大きく動いた日の、一市民運動家の消失。
 この死の鮮やかさを、我々は忘れてはならないだろう。
 二大政党制がそのまま、マイノリティの無視という事態を引き起こさぬように。
2007/7/28|readymade by いとうせいこう

本日の参照画像
(2007年7月31日 16:41)

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/ 28 Jul. 2007 (Sat.) 「同窓会」

立川では今夜、国営昭和記念公園の花火大会だったが、それを目指して早い時間からぞくぞくと押し寄せる人の波に逆らい、夕方新宿方面へむかったのは例の7月4日の日記に少し書いた)、成城大学「石原千秋ゼミナール」同窓会があったためだ。
同窓会といっても同期の一学年が集まるのではなく、石原先生が成城大学に在籍した十年間の全ゼミ生に呼びかけたもの。頼りとする大学の名簿の限界(最新の住所を把握しきれていない可能性等)はあるだろうからほんとうに全員に呼びかけられたかはわからないが、石原先生曰く十年間でゼミ生はおよそ百二十名ほど、そのうちの四十名弱が集まった。私や吉沼は、その十年間のだいたい真ん中ぐらいに位置している。
えーと、ちょっとこまかく説明しておこうか。吉沼と私は同い年だが、私は現役合格、吉沼は一浪ののち入学して、出会ったはじめは私のほうが一学年上だった。で、私は結局大学に六年いて、吉沼は四年の〈スピード卒業〉だったから、途中で学年が同じになり、吉沼のほうが一年早く卒業している。というわけで私は、吉沼よりも多めに、前後一、二年ずつぐらいにわたって知った顔のゼミ生がいるわけだが、わけてもいちばん馴染みがあるのが吉沼たちの学年ということになる。卒論(「ジャンル、語る──二葉亭四迷『平凡』」)も吉沼たちと同じ年に書いて、卒論はOKをもらったが(何だったっけなあ、たしか「優」の部類)、全体の単位数が足りずにもう一年大学にいた。
その吉沼と新宿駅の西口で待ち合わせて、いっしょに会場へ向かう。前述のとおり全期間のゼミ生を対象とした同窓会だから、石原ゼミの卒業生という共通項でつながるとはいえ大半は見知らぬ先輩・後輩なわけで、不意にそのなかに投げ込まれて関係性をもたなければならなくなるという状況に対して、吉沼は会場へ向かう道すがら、「寺山修司の実験演劇で、劇団員がいきなり見知らぬ家庭を訪問して『ここに住まわせてください』って言い出す、あれみたいなもんだよね」とそれこそいきなりな譬えを持ち出していた。
「行ってみたらみんなそれぞれレジュメを配っているかもしれない。何も用意していないがどうしよう」とか、「遅刻したら中に入れてもらえないんじゃないか」といった冗談を言いながら定時に会場に着くと、わりとまだ人がまばらで、その後徐々に集まってくるのを待つ恰好になる。結局、知った顔では、オリジナルの私の学年が女性二名、その下の吉沼の学年が吉沼のほかに女性四名、その一学年下がたぶん誰も来てなくて、二学年下で顔がわかるのが女性二名だった。大学の同窓で卒業後も交流があるのは吉沼だけなので、あとはみんな卒業以来ということになる。
石原先生には開口一番「おまえブログに変なこと書いてんじゃないよ」とにこやかに言われ、「おっ!?」と思ったが、それはこの同窓会の通知のことを書いた7月4日の日記のことだった様子。研究に行き詰まると、ときおり「石原千秋」でネット検索をしているらしい。こりゃ滅多なことは書けないね。ってこんなことを書いてる時点で次にまた叱られるんだろうけど。
今日もまたそのようにしていわば「怒られた」わけだが、同窓生たちによれば「相馬さんていうと、しょっちゅう怒られてた印象が強い」そうで、そうかなあと自分では思うものの、「それでいて、相馬さん自身は怒られてもわりと何食わぬ顔をしてる感じだった」とも言うから、ああ、ならそうだったんだろう。そう映っていたか。
ところで同窓生のKさん(ってあとで出てくるように「カシマさん」なんだけど、漢字がわからなくなってしまったのだ。たしか「加島」だったと思うんだけど間違ってたら申し訳ない)が、「かしま ゆう」という名前で数年前に第一句集『Tシャツ』を自費出版していることが会も半ばを過ぎてから判明、すかさず応えて「そういうことは早く言ってよ!」と返すSさんの、どういうことが「そういうこと」なのかを考えさせない勢いに「ああ、変わらないなあ」と思ったりしたことはともかくも、かしまゆうの『Tシャツ』はたとえば楽天ブックスを経由して買うことができるらしい。門外漢でよくわからないが、第4回ヘップバーン新人賞というやつを受賞し、出版に至ったのだという。「ヘップバーン」は「オードリー・ヘップバーン」の「ヘップバーン」だろうか。名前を冠するくらいだからオードリーが審査委員長を務めるのかもしれない。日本語読めるんだろうか。というか、死んでるんじゃないのか。日本語の読める女流俳人がオードリーの霊を降ろし、それで「This」とか言って選んでいるのだとすれば、われわれはヘップバーン新人賞の権威をどう考えればいいのかよくわからないことになるが、まちがいなくそんなことはないから大丈夫だ。いやほんと、かしまさん、ごめん。
『Tシャツ』は帰ってすぐ楽天ブックスで注文した。「読んでもらえるんなら送りますよ」と言ってくれたのだったが、まあ、こっそり注文だ。読んでなにがしか感想を送れればと思うが、いや、そういえば俺、こっそりしすぎてかしまさんの連絡先を何も知らないんじゃないのか。どう送るってんだ。それこそ、「かしまゆう」で検索してここを見つけてくれることを願ってやまない私がいまここにいる。

(2007年7月30日 19:11)

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/ 27 Jul. 2007 (Fri.) 「左手ならね」

モンティ・パイソン関係の仕事でも知られるコメディライターの須田泰成さんが構成・脚本を担当し、松尾貴史さんらが声の出演をしている3DCGのショートアニメーション「兵庫のおじさん」はウェブ上で無料配信、連載されているもので、松尾さんが「笑っていいとも!」出演時に言及したり、また「きっこの日記」に取り上げられたりして俄にアクセス数を増やしているらしいが、私はまあじつのところまったく知らなかった。その「兵庫のおじさん」の関係者を中心とした、いわゆる業界の人たち限定で開かれるパーティーがあるという案内を須田さんからメールでもらったのは、こないだちょっと須田さんの仕事を手伝い、またいま少し手伝っているからで、夜、その「兵庫のおじさんを励ます会」へ顔を出す。
須田さんが私のことを知ったのは、ほんとうに奇跡的にネットを通じてのことで、これまでメールや電話でやりとりをしつつもお互い都合が合わずに直接会うことができずにいて、それでこの機会がやっとの初対面だった。松尾貴史さんもいらしていて、須田さんが紹介してくれたのでしばらくしゃべった。「オオタアキフミ(だったかな)」さんの話とかもね、聞きましたよ。あと、こちらが名前を存じ上げているところではほかに放送作家の山名宏和さんなど。山名さんとも少し話した(つまりまあ、『ヒネミの商人』の演助と『トーキョー/不在/ハムレット』の演助の邂逅ですね)。そのほか、知らない人たちばかりだけどいろいろな人がいて、いろいろ話していた。
さて、というわけで今日(27日)の午後、仕事はまたちょっとひと段落したのだけど、でもひきつづいてこの土日は勝負だ。やらねばならない。けっして、Wiiリモコンなど手にするものかと決意を新たにするところだ。手にしないぞ。うん、まあ左手ならね、持ってもいいかな。利き手じゃないからうまく振れないし、熱中せずにちょうどいいかもしれない。しかし言っておくが右手では持たないよ。持つもんか。仮に右手で持ったとしても、そうだな、同時に左手でバナナを持てばいいかな。馬鹿馬鹿しい気持ちになってゲームに熱中するということもないだろう。よし、じゃあそうしよう。そして、けっしてそのバナナだけは食うまいと誓おう。

(2007年7月28日 16:19)

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/ 24 Jul. 2007 (Tue.) 「がっぱり」

また会社に泊まった。急にせっぱつまったような具合だが、朝五時に床に寝るまで、がっつり仕事をした。九時半に起きてからもがっつりだ。
つい誘惑に負けて書いてしまうのだったが、「がっつり」ということで言えば、「富士日記2」に突如現れた「がっぱり」のことを書きたくてしょうがないのは、俺疲れてるってことだろうか。

でも、ようやく夏らしくなって、調子があがってきた。七月は一年でいちばん好きな季節だったが、ぜんぜん、夏らしくなくてがっぱりしていたのだ。
「富士日記2」2007年7月24日付[2007.07.25 16:30時点]

 文脈からいって「がっかり」の誤字であることは明らかだし、意図のあろうはずもないから、こんなとこで取り上げてないでメールで指摘したらどうなんだって話なんだけど、おそらくは音的に隣接する「がばっ」と「ぱっくり」のせいだろう、私には「がっぱりしている宮沢さん」が瞬時に想像されて、ちょっと愉快な気分になってしまったのだった。なにせ「がっぱり」はなあ、相当な状態だと思われるのだ。

070724_gappari.png

前回の日記に、これも「富士日記2」への言及としてだったが、「Always Look On The Bright Side Of Life」をBGMに使ったサッカーの映像集のことを書いた。すると、たぶん知らない人なんだけど、とあるブログがここのリンクをきっかけに考えを巡らし、一本の記事にしていたのだった。

こちら[引用者註:当日記のこと]で知ったこの動画が面白くて、で僕はサッカーは全然詳しくないし意識的にリアルタイムで見ることもほとんどないからどうなのかと思うのだけど、これってまさに今歓声/喚声を上げ眺める人達は笑えないんだよね。とりあえず僕がその場で(生で)見ていても笑えないだろうと想像するから“ファン”な人達は一層笑えないのだろう。コンテクストから隔離されたフレーミングの妙で笑いへと転化されるってのが見てとれる。あちら側とこちら側、のこちら側で眺めることが許された場ではじめて生まれる笑いとでもいうか。“笑い”をちゃんと考えたことはないから凄く曖昧だけれどとりあえず笑いには3種類あって、それは、こちら側で起こる笑い(会話の中で巻き起こるそれ。あるコミュニティ内での笑い)、あちらとこちらのその狭間で起こる笑い(芸人らの“笑い”)、あちら側を笑う笑い(今回の動画とか)なのかなと今思う。例えば自嘲的な笑いだったら、自分をあちら側に位置づけて笑ってみせるその解離っぷりが時に恐怖を誘うのだろう、とか。
MCMLXXXIX/AT HOME [2007-07-23]

 文章はこのあともつづき、後半は、森美術館で開催されたという『笑い展』を巡っての展開になるから、もちろんそこまで含めて読まないと本来的な文意がどこにあったのかを手にしにくいと思うが、それはリンク先に直接あたってもらうとして(というか、全部読んだら読んだでさらに文意が掴みにくくなる印象が私にはあったんだけど)、とにかく、偶然にも見知らぬ人とつながってしまったというこの出来事がまず純粋にうれしく、うれしさのあまり書いてしまうんだけど、この〈こちら側〉と〈あちら側〉の関係から見た「笑い」の三分類は、ちょっと恣意的というか、弱いんじゃないかなあ。
自身、文中で、笑う対象が〈こちら側〉にあるはずの「自嘲的な笑い」が、じつは笑う瞬間に対象を〈あちら側〉に投げることで成立していることを指摘しているが、だとすれば、事態をより微細に見つめて、「すべての笑いは、笑う瞬間に、対象を〈あちら側〉へと位置付けるのだ」という言い方をすることも可能であって、それを否定してなお「三つの笑いは質的に異なるのだ」とする根拠がちょっと言われていないように思える。仮にそれが「あるコミュニティ内での」「会話の中で巻き起こ」った笑いであっても、笑う者は、笑われる者をその瞬間〈あちら側〉に置くことによって笑っているのだ──「笑う」という行為はそのようにしか存在し得ないのだ──という主張は、ひとまず成立するように見えるのであり、この点を処理しないかぎり、「三分類」のうちのどれかひとつを取り出して肯定的に語るのはむずかしいのではないかというのが私の感想である。
いや、まったく見当外れなことを言っていたら申し訳ない。うれしかったんだよ。うれしかったんだろうなあと思ってくれればさいわいだ。

(2007年7月25日 19:08)

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/ 22 Jul. 2007 (Sun.) 「いまごろ妻はクリアしているかもしれない」

いや、もう、そういうつもりじゃなかったんだよ。まだ詳しく書けないが「あれ」の仕事に手を付けようと思っていたんだ。そろそろはじめないとまずい。固い決意でもってこの土日はやらなくちゃと思っていたのだったが、どこで踏みあやまったかなあ。
そりゃま、買ってしまったのがいけないのだ。「ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔」(Wii用ゲームソフト)。やってしまったよ。ついついだ。面白いじゃないか。「ドラクエ」と「Wii」をうまいぐあいに、立体的につなぎ合わせている。本流である「ドラゴンクエスト」の次作は「DS」用ソフトでのリリースが決まっているが、ひょっとして「その次」は「Wii」用に準備が進められていたりして、前段階としてこのソフトでユーザーに〈練習〉させておこうという魂胆なのではないかと勘繰りたくなるほどの見事な融合だ(と言ったって、本流「ドラクエ」があの戦闘システムを手放すとももちろん思いにくいけれど)
とここまで書いて、ちょっとAmazonの商品ページにあるユーザーレビューを覗いたんだけど、みんな酷評だなあ。うーん、そうかあ、面白いと思うけどなあ。そりゃま私だって〈これは「ドラクエ」ではない〉ってのはわかりますよ、充分。そう思っては買ってない。ていうか、「妻がなんだか欲しそうにしている」ということ以外に購入動機はないですけどね。で、「ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔」は「体感型アクションRPG」であって「RPG」ではないから、「ドラクエ」を支えている要素のうちの多くは削ぎ落とされている(四時間ほどプレイして、けっこうこれで半分ぐらい来ちゃったんじゃないかなあと懸念する感覚があったが、やっぱりストーリーは短いらしい。などなど)。けれど「戦闘システム」の面で、これはやっぱり「ドラクエをうまいこと立体化したなあ」ということを思わずにいられず、この〈試み〉の先に浮かぶ、「じゃあ〈RPG〉である〈ドラクエ〉をまるごと〈Wii〉でやるとすれば、うわ、どういうことになるんだ」という夢想のわくわくはたまらない(むろん、そのわくわくのさらに先に、「いろいろ考えたけどね、結局、ドラクエはこうですよ」という判断が待っているかもしれないことも承知の上で)
えーと「ドラクエ」の戦闘システムは、あれは何て言うんだろう、「ターン方式」かな、順番にこっちが1回分攻撃して、そのあと敵が1回分攻撃して、それで「1ターン」というものなんだけど、「ドラゴンクエストソード」ではそうではなくて、基本的にリアルタイムで戦うわけです(だからじっさいのところ「アクションゲーム」なのです)。で、「立体化、立体化」言ってますけど、笑ってしまったのが「メタルスライム」(というモンスターキャラクター)で、ほんとに、そそくさと画面を横切っていくんですよ。あははは。いやまだ出会ってないですけど、これ「はぐれメタル」は絶対倒せないっすよ。[註:「メタルスライム」は倒せば極端に多くの「経験値」を得られていいのだが、「防御力」と「すばやさ」が異常で、基本的に1ターンで1ダメージしか与えられない。5ダメージぐらい与えれば倒せるが、たいてい5ターン分回らないうちに逃げていなくなってしまう。「はぐれメタル」はそれのもっと極端な設定。]

ま、しょうがないですよ、「ドラゴンクエストソード」は。でもさ、なんでレンタルビデオ屋で「名探偵ポアロ ABC殺人事件」(1992年、イギリスLWT、デヴィッド・スーシェ主演)借りて来ちゃうかなあ。それと『眠狂四郎勝負』(1964年、大映、三隅研次監督)。ぜんぜん決意固くないじゃないか。しょうがないけどね、これも。みなさんもあるでしょ、急に三隅研次が観たくなること。ねえ。

で、関係ないけど(じつはあるけど)、老婆心ながら友人たちにむけての補足。更新された「富士日記2」(7月22日付)にある、

で、YouTubeにはすぐにその映像がアップされていたのでサッカー関連のものをいくつか観たが、この映像に少しなごんだ。

 で、リンクされている映像に流れているのが、エリック・アイドルの歌う「Always Look On The Bright Side Of Life(いつだって人生の輝かしい面を見ていよう)」。モンティ・パイソンの映画『ライフ・オブ・ブライアン』ウィキペディアの記述のエンディング・テーマです。

(2007年7月23日 16:49)

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/ 19 Jul. 2007 (Thu.) 「『blue』の更新」

「blue」のほうに2本、

 を載せた。前者は、事務的なお知らせとそれに関連する技術メモ。後者は、申し訳ないくらいくだらない。ちなみに後者のなかで私は「チャーハン」を連呼しているが、あれは嘘。響きと語のイメージだけで選択していて、べつに好物というわけではない。

(2007年7月23日 12:03)

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/ 17 Jul. 2007 (Tue.) 「『ラザロ』を観る」

『ラザロ—LAZARUS—』チラシ表。クリックで拡大。公式サイトはこちら。

同・チラシ裏。

日付に沿った(書く現在から言えばおととい、17日の)話をする前にちょっと18日のことを書くが、南波(典子)さんから「YELLOW←ブロッコリー」というタイトルのメールをもらった。「劇の希望、あるいは南波さんへ」を読んだ感想を送ってくれた。こっちが先に思いきり名指しておいてなんだけれど、いざ応答されてみると俄に恥ずかしくなる。何だよあのきのうの日記は。何言ってやがんでい俺め。
「でも私はわりかし元気」だとメールはむすばれるが、そのことはメールの文章からも見てとれる。読み誤っていたらあれだが、ここぞというときに南波さんは「〜ったんだ」を用いる。中性になって年齢も溶解し、「虫採り網もって草原の上かよ、あんた」と言いたくなる表情を見せる。「〜ったんだ」が出れば大丈夫だ。

で、17日は夜、ポレポレ東中野という映画館へ。前回ここに来たのはあれは、『アレクセイと泉』のときだったか。今日は井土紀州監督の新作劇映画、「前代未聞のインディペンデント・プログラムピクチャー」と謳い文句にはある『ラザロ—LAZARUS—』。そのうちの「朝日のあたる家」篇と、上映前に行われるトークイベント。ま、早い話が〈追っかけ〉ですね、宮沢(章夫)さんの。
井土監督と宮沢さんによるトーク。「複製の廃墟」篇のなかに現れる「貨幣の偽造」という行為の、その象徴的な意味について宮沢さんが取り上げると、井土監督はシナリオ段階での構想(予算の都合で撮影は断念)を打ち明け、「複製の廃墟」篇に登場する土地がじつは、旧日本陸軍の「登戸研究所(通称)」につながる場所として想像され、描き込まれていたことを話す。応接して宮沢さんは、若干の留保を加えながらもひさびさに秋庭俊さん『帝都東京・隠された地下網の秘密』の名前を出し、〈地下への想像力〉について話した。〈地下への想像力〉は〈暗がりに対する想像力〉に通底し、「作家は〈こわがり〉なんです、〈こわがり〉じゃなきゃものは作れない」という後半の話を呼ぶ。前日のトークショーで、井土監督が作家の角田光代さんから聞かれた質問らしいが、「子どものときに観てはじめてショックを受けた、原体験的なものってなんですか?」という問いを監督が投げ、宮沢さんはあまり迷った様子もなく、ぽんと映画『俺たちに明日はない』を挙げた。井土監督が挙げたのは(これは『映画は生きものの記録である』のパンフレットに寄せている文章にも書かれてあるが)映画『ゴジラ対へドラ』。「じゃあ」と、宮沢さんは『サンダ対ガイラ』を挙げる。また、監督のほうから「(理解不能な他者としての)ノイズ」というキーワードを出して、『東京大学「ノイズ文化論」講義』から『ニュータウン入口』へと至る宮沢さんの問題意識のありようを聞いていた。そして、「理解不能な他者との遭遇」「とにかくわからないものに出会ったときの衝撃」という視点から、井土監督は岡本公三のとあるエピソードを語る。最後に宮沢さんは付け足すように、「朝日のあたる家」篇の「妹・ナオコ」役のひと(堀田佳世子)がよかったと言うが、なんだろう、それがちょっと照れ隠すような調子に見えて、「それ、単純に〈好みのタイプ〉だとかそういう?」とも思いながらつづく上映を観てしまった。いや、じっさいよかったですけどね、「ナオコ」。(ちなみに公式ブログには、演じている堀田佳世子さんがじつは役柄とはまったく対照的なひとであることを紹介した「変身」という記事があった。) でまあ、そんなことより肝心の映画について書きたいとは思うものの、なかなかまとまった文章にならない。面白いのはたしかだ。「インディペンデント・プログラムピクチャー」という謳い文句があらためて私の胸で躍っている。ぜひとも、残りの二篇も観たいところ。
上映が終わって打ち上げの席があり、加えてもらって終電で帰った。

本日の参照画像
(2007年7月19日 14:12)

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/ 16 Jul. 2007 (Mon.) 「劇の希望、あるいは南波さんへ」

太田省吾さんの訃報に接し、その演劇論集『劇の希望』(筑摩書房、1988年)、『舞台の水』(五柳書院、1993年)、『なにもかもなくしてみる』(五柳書院、2005年)をぱらぱらと読み返す。生の舞台はどれも観ていない。『水の駅』のその美しさを、私は、その美しさについて語る宮沢(章夫)さんの貌のなかにしか知らない。そして残された演劇論。太田さんの文章はおどろくほど読み易く、それでいてするするっと流れない。ひとつの句点を打つまでに、いったいこの人はどれだけの時間考えていたのだろうかとその足どりの重さを思わざるをえない。
南波(典子)さんの文章を前にしては、ただただうらやましく思う。むろん、

人は生まれて死んでいく。そのことについて太田さんはたくさんのことを教えてくださった。でも太田さんは死なないでほしかった。
「しいたけ園←ブロッコリー」2007年7月14日付

 という言葉の前で私は無力だ。それは「悲しい」ということではないのだ、と説得にかかったところで、涙が出るものをどうしようもない。

太田さんに教えて頂いた多くのことが私の体の中にあり、それはいつまでも変わらず私の中にあり、だからこれからも何も変わらないのだ、悲しいことなんてないのだ、と思おうとしても、どうしようもなく悲しい。
同上

 それでもなお、その〈死〉に際してわれわれが泣くのは「悲しい」からではない(いったい何のために私は仏教徒だというのか)──そして、われわれは泣く。あふれてくるのはおそらく、その人に出会えたことのありがたさ(有り難さ)を思うときの涙である。
舞台を観ることはできなかったが、テクストのかたちをとおして私は太田さんに出会うことができた。そしてまた同様に、私は南波さんに出会うことができた。だから大丈夫だ。涙は出るかもしれないが大丈夫だ。

三連休はわりとぼやぼやしていた。やらなければならないことはあるのだが。
前回の日記には、7月11日付の「富士日記2」に応接して『ディズニーランド完全マニュアル』のことを書いたが、そのあまりのウソ加減に、妻には「知らないよこんなこと書いて。ディズニーは恐いんだから」と心配されている。

(2007年7月18日 11:38)

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