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Nov.
2004
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/ 7 Nov. 2004 (Sun.) 「『アリス』のサイトはオープン。できてないけど」

シリーズ「ゼロへの道」。いよいよ佳境へ。

私の次兄・そうまあきらが監督する自主制作CGアニメーション『不思議の国とアリス』の公式サイトは報告しているようにプレオープンというかたちですでに公開されていましたが、サイトの入り口ページにあった「11/7 正式オープン(予定)」の文字もいつしか消え、どうやらずるずると正式公開の運びとなったようです。ただ、しまりのない話で申し訳ないのですが予定されていたコンテンツがすべて出揃っているわけではまだなくて、いくつか「いましばらくお待ちください。」となっているページもある状態です。サイト制作を行っているのは私で、まあその、がんばったんですがね。
すべてのページに関して、まだ手直しだとか、追加だとかが日々あるはずで、そのへんの「どうしよう、ああしよう、こうしようか」といった企画会議的なところもまた、サイト内に設置された「制作日記ブログ」において展開され、公開されています。ブログなので、むろん訪問者のみなさまもその会議の話題に自由にコメントすることができます。まあ書き込みづらいだろうことは重々想像いたしますが、こちらとしてはぜひ何か書き込んでいただければと思います。ブログと別に「BBS」もありますので、そちらに感想などいただいてもありがたいです。
目下の注目コンテンツは「作りかけお見せします」で、そこでは週イチペース(予定)で更新される「作りかけ」のムービー(1分程度)が見られます(あらためて説明しておけば『不思議の国とアリス』は現在鋭意制作中。そのDVDは来年9月発売予定で、「予約販売」というかたちをとり、件の公式サイトはつまりその予約販売サイトであるわけです)。

きのう(6日)は夜が遅く、そのままこたつで寝てしまう。早朝に目が覚め、ごはんを食べたり、しばらく何かしていたと思うが、あらためてベッドで寝直してしまったのが失敗だった。起きると夕方である。自転車で西荻窪まで出、食事と買い物。何度も日記に登場している「ティーヌン」で食べようと考えたが、あいにくちょうど休憩時間で、ふらふらと自転車で走るうちに行きあたったお好み焼き屋に入る。お好み焼きが厄介なのは自分で調理しなくてはならないということで、多少の面倒はかまわないけれども、「うまく焼けなかった」という問題はまったくどう処理すればいいのか。客としての満足度をひどくそこねる。メニューに「焼きそば」とあり、ひどくうまそうな焼きそばを想像して食べたくなり、注文するはいいが、私に「ひどくうまい焼きそば」は焼けないのだった。気づくのが遅かった。
ずいぶん久しぶりに「信愛書店」に立ち寄り、本を何冊か買う。

本日の参照画像
(2004年11月 7日 23:59)

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/ 6 Nov. 2004 (Sat.) 「ソロアクト」

シリーズ「ゼロへの道」。
『恋愛大全集』、終演直後の舞台。赤い椅子と茶色い鞄。

髪を切りに、六本木の美容室へ行く。もともと妻が利用していたお店で、そこにいっしょに行くようになって三度目だ。今回は妻のほうが私よりだいぶ時間がかかることが予想され、先に私だけ店を出て、それで夜までの時間をどうすごすかと考えていたが、六本木の駅近くにあるモスバーガーが「HOTSPOT」という無線LANサービス(これは有料。24時間分使える1日パスポート/500円をネットで購入)のサービスエリアになっていることを事前に調べ、そこで作業などしつつ時間を潰せばいいとPowerBookをもって家を出る。自転車で。
自転車に乗り、意気揚々と出かけたのはよかったが、直後に驚愕の事実を知らされることになるのは駅前にある荻窪北第一駐輪場で、今日は「1日使用/100円」で駐輪したが、では6ヶ月契約などの「定期使用」のほうはどうなのか(申し込んで空きはあるのか)と管理人のおじさんに確認したところ、「申し込みは受け付けてますが、空き待ちで数年かかる状況」だという。単位が「年」だとは思わなかった。「もう少し待ちの少ない駐輪場もほかにある」とおじさんは言うが、そこはそれで駅から少しはなれた立地になる。「それじゃ、みんな道にとめるのしょうがないじゃん」と、「花の自転車生活」の出鼻をくじかれた恰好の妻はとたんに機嫌をそこねる。
六本木のモスバーガーは快適だった。4階が「HOTSPOT」を使う人用のフロアになっていて、席にひとつずつ電源が確保されてもいる。利用者はまばらだった。妻のストレートパーマは予想以上に時間がかかり、食事をとりつつ、7時近くまでそこですごした。
そのあと中野へ移動したのは、『トーキョー/不在/ハムレット』の出演者のひとりである熊谷知彦さんのソロアクト『89年飛行』──そのプレアクト第2弾である『恋愛大全集』──を観るためだ。会場には南波さん久保さん笠木さん、田中さん、上村さん、永井さんらの姿もある。
プレアクト第1弾の『トゥーリーのショー』は見逃しているのだが、準備公演のさいに配られたチラシのなかに『恋愛大全集』のそれを見つけまずはしゃいだのは妻である。映画『be found dead』の第3話「イマニテ」も含め、プレ公演をとおして妻はすっかり「熊谷さんファン」となっているのだった。
『恋愛大全集』はたいへんおもしろかった。舞台上の身体をとおしてしか具象化できないイメージ、といったものが、気づけばたしかにできあがっていくさまには舌を巻いた。語り、踊り、歌いもし、熊谷さんの魅力はほぼ全開と言ってよく、それをひどく間近な席で観ていた妻は大満足だったようだ。劇中、ときおり目の前のお客さんに直接むかって話しかけ(ようとす)る、という動きがあるが、客席のなかにあってとりわけ妻は反応がよかったらしく、終演後の熊谷さんは「一番やりやすかった」とありがたそうに言うのだった。
ファンと化した妻が熊谷さんに言及するさい、プレ公演の感想においてはとにかく「きもちわるい」ということを口にし、それが実質上の褒め言葉だった妻だが、今日の感想を聞けば「あのきもちわるさは感じなかった」と言い、それはつまり、プレ公演で感じていた「きもちわるさ(あくまで褒め言葉)」は結局のところ「鶏介」──『トーキョー/不在/ハムレット』での熊谷さんの役──に起因するのでないか、要は「宮沢さんが悪い(褒め言葉)」のではないかと、荻窪に戻りラーメンを食べながらそんな話になった。

本日の参照画像
(2004年11月 6日 23:59)

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/ 5 Nov. 2004 (Fri.) 「遭遇」

シリーズ「ゼロへの道」。

きのうは笠木さんの日記に登場していた冨永昌敬監督だが、今日は私の日記に登場する。深夜0時をすぎた四ツ谷駅の各駅停車を待つホームで、またばったりと会った。お互いに仕事帰りである。以前にも一度ここでこのようにして偶然会い、そのときも私はそのことをこうして日記で報告したが、冨永さんはその日記を読んだらしく、「あ、こないだなんか書いてたでしょ、相馬さん」と言われる。何を書いたのだったかほとんど記憶がなかったのだが、いま掘り起こしてみると次のようなことを書いていた。

で、冨永さんは新宿で降りていったが、直前まで、「じゃ、ぼく、新宿で降りますから」といった素振りを微塵も見せない。

 今日も同じく新宿で降りていった冨永さんだが、電車が新宿駅のホームへと入るやいなやあわてて「じゃ、あのぼくここで降りるんで」と宣言し、なぜか勝ち誇ったかのような笑みである。
ほか、「演出助手って何やるの?」といった質問など。「助監督と同じようなもんなんだろうとは思うんだけど、演出助手はカチンコ打たないでしょ? だから、何やってるんだろうと思って」。まあ、ね。

アマゾンから、ビートニクスの『EXITENTIALISM ~出口主義』『EXITENTIALIST A GO GO —ビートで行こう—』『M.R.I.』が届く。ちょっとした衝動買い。それで思ったが、

通常24時間以内に発送します。

に人はわりと弱い。「即納」のようなものですね。

本日の参照画像
(2004年11月 5日 23:59)

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/ 4 Nov. 2004 (Thu.) 「バイオリズム」

液晶も確認せず、手に持ったデジカメをただ上に向けてシャッターを押す。
青空がそうさせた2枚。
おとといの日記に添えた猫(ピー)の写真。PowerBookのモニターに表示されたページのなかのそれをさらにデジカメで撮る。そのようにして撮ったこの写真をまた、という反復の果てには何があるのか。

こうして11月に入ってにわかにサイトの更新が活発になっているのを見れば、上山君はまた笑うのではないか。以前に上山君に指摘されたことだが、毎年、私はなぜかこの時期になると更新が繁くなる。「この時期」というのは「誕生日が近づくと」ということで、笑いながらそう指摘する上山君がではなぜそんなことに気がつくのかといえば、彼のサイトもまた例年「この時期」に更新が活発化するからだ。
だからなんだという話ではあるが、上山君と私は生年月日が同じなのだった。毎年この時期に更新頻度が高くなったり、またページデザインをリニューアルしたりするのはまあちょっとした偶然で、そうしたタイミングがたまたま重なっているだけではないかと、そうも思うものの、しかし上山君がはっきり断言するのにはこれは「バイオリズム」なのだった。われわれはバイオリズムが同じなのだ、と。上山君のサイトのほうはいま現在、まだ活発化する様子を見せていないのだったが、私はといえばこうしてまた今年もこの時期にサイト更新にやる気を出していて、そのことに気づいてはまた上山君の言葉を思い出し、結局今年もバイオリズムってやつの術中にはまっているのかと思えば、「まったくバイオリズムのやつめが」と憎々しい気分にもなるのである。
まったくどうでもいい話なのだったが、私はまたミッキーマウスとも誕生日が同じである。あと、渡辺満里奈。どうだと言いたい。(そういえば、昔こんなページもつくったな。)

きのうの日記で恭子ちゃんの日記の一部を引用し、「私も支持する」と書いたことに対して、みえさん(義姉)がさらにその日記のなかでレスポンスしてくれていた。あらためて引用すれば、恭子ちゃんの日記にはこうあった。

 常連さんらしきおっちゃん二人がお店のおかみさんとお話をしている。イラクで捕まった日本人の話も。若い人が世界に出て歩くのは素晴らしいことなんだよ、それができない国を作っちゃってる政府がいけないのよ、ほんとは、というおかみさんのことばを私は支持する。

 そしてみえさんは次のように書く(全文はこちら)。

でも、待てよ、と思ったのは、
「政府がいけない」の先には何があるの?ってこと。
今の状況を見てたら、「政府」を悪者にするほどの希望も無いと思う。
内閣が変われば、状況が変わるっていうものでもないんだと思う。
おかみさんは、そういう状況で、どういう行動を取ってるの?ってこと。
批判じゃなくて、本当に聞きたい。
私はずっと困ってる。

ごもっともだ。
ただ、これに反論(言い訳?)するとすればそれは次のようなことになるだろう。私が支持したのは、そのとき、その場所にできあがった関係のなかに立ち現れた「おかみさんのことば」なのだということである。むろん以下は私の〈読み〉でしかないわけだが、恭子ちゃんの微妙な(と私が読むところの)書き方から想像するに、おそらく、「常連さんらしきおっちゃん二人」は「おかみさん」と同意見ではなかっただろう。
「政府がいけないのよ、〈ほんとは〉」と言っているようにそれは反論だったと思われ、とすると、「おっちゃん二人」の意見は恭子ちゃんの日記のなかで省略されていることになる。「イラクで捕まった日本人の話〈も〉。」とあるようにそれはそのほかのいくつかの話題と並べられた世間話のひとつだったはずだし、恭子ちゃんのそのある種投げやりな書き方から察すれば、その世間話は省略するに足る、ひどく一般に流通しているたぐいの言説──たとえばそれが「いま行けば危ないとわかっているイラクに自ら行った者のことなど知るか」──ではなかっただろうか。「おかみさん」がどの程度聞き役にまわっていたか、あるいは活発に発言していたかはわからないが、ともかくそのことばは「常連さん」への反論(あるいは、たしなめ──しかし切実なたしなめ)としてそこに立ち現れたのであり、(「政府(国)」と「香田さん(個人)」という単純な二項対立に還元してあげてみせたところで「おっちゃん二人」の同意を得られたかはわからないものの、とにかく)それはそのときその場所において、まちがいなく「おかみさん」にとっての行動(表現)だったのではないか、ということである。

本日の参照画像
(2004年11月 4日 23:59)

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/ 3 Nov. 2004 (Wed.) 「自転車を買う」

自転車は無印良品の20インチである。主に妻が乗ることになる。
「KURE 5-56」は、引っ越して以来とんと乗らなくなり、雨ざらしにしてすっかりサビだらけにしてしまった私の折り畳み自転車のために買ってきたのだった。「KURE 5-56」さえあればもう、俺だって。

やけにあたたかな一日。だと思って夜への備えをもたず、身軽な恰好で買い物に出れば失敗する。妻と吉祥寺へ行った。自転車を買ったのだった。
どのようにしてわれわれは自転車を買うにいたったか──というその流れを書けばそれがそのまま今日一日の日記になるわけだが、それについては妻がすでに、『不思議の国とアリス』「制作日記ブログ」のなかで今日の活動報告として書いてもいるので、そちらを参照していただければさいわいだ(該当記事を直接参照する場合はこちらから)。

トップページのブログにはずいぶんくだらない投稿をしてしまったが、その「ブッシュ254人、ケリー252人」というトップ見出しを asahi.com に見つけたとき、同時にその下のほうには「香田さんが無言の帰国 福岡空港で家族ら出迎え」のニュースもあった。恭子ちゃんの日記にあったのは次のような記述だ。

 常連さんらしきおっちゃん二人がお店のおかみさんとお話をしている。イラクで捕まった日本人の話も。若い人が世界に出て歩くのは素晴らしいことなんだよ、それができない国を作っちゃってる政府がいけないのよ、ほんとは、というおかみさんのことばを私は支持する。

 私も支持する。
一方でこのニュースをめぐり、よく耳にするように思うのが「いま行けば危ないとわかっているイラクに自ら行った者のことなど知るか」という、要約するとそういう言葉たちで、私はこのニュースの詳しい内実といったものを知らないのだけれども、ただ、そうした反応に対してはつよい違和感を抱く。当然ながらその批判(?)の言葉が前提とするのは、裏返せばわかるように「いまここ(日本)にいて何もしなければ安全である」という認識である。それはたしかにそうかもしれず、仮にそうだったとして、しかし先の言葉たちはじっさいのところ、その事実を指差し確認しているにすぎないのである。それ以上でも以下でもない──だから、「彼を責めるのはとても簡単」なのだ。問題ははたしてそんなことなんだろうか。
問題とすべきは、このニュースの先におぼろげながら(しかし確実に)見えてくるもののほうであり、それこそは「いまここにいて、何もしなくても悲劇に見舞われるかもしれない」という事態のことである。つまり「戦争」であって、それはまちがいなくこのニュースの先に立っている。問題を「自衛隊のイラク派遣」から「香田さんそのひと」にすげ替えて戦争の影を視界からはずすこと──「いまここの安全」を称揚しあうことの裏にひそむのはそうした欲望なのかもしれないが、そこに欠けているのは、「いまここ」の延長として「世界」を感じるための想像力にほかならない。

本日の参照画像
(2004年11月 3日 23:59)

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/ 2 Nov. 2004 (Tue.) 「それにしても、みな」

では、うちにいるもう一匹のほうも。

きのうの日記の下に付けた「2004年10月分はこちら」のリンク先がまちがっていて、Not Foundになっていました。なおしました。「ないのかよ」と思われていた方、10月31日付けで書いた日記がありますのでご覧ください。

笠木さんがブログをはじめたという話はたしか永澤が電話で言っていたのを聞いてはじめて知ったような次第で、自分のページの更新が滞っているそのあいだ、それだけではなくまわりのいくつかのサイトをチェックするのも間遠になっていた。「南波さんの日記でさ、」とあたりまえのようにたとえば私の妻や義姉は話しかけてくるが、かえって私のほうがその内容を読んでいなかったりした。
それにしても、みな、ブログをはじめる。自主リーディングに参加しているKさんの「北。」も最近はじまった。例の『不思議の国とアリス』のサイトにもブログはあってなかなかに活発だし、これはどうなるかわからないもののその電話口では永澤もまた、ちょうどぼくもブログをはじめようかと思ってたところでさ、と笠木さんのブログを引き合いに出すかたちでそう言っていた。
という、数えてしまえば4つの事例をもって「みな、はじめる。」もないものだが、人の言う「みな」などえてしてそうしたものだし、自主リーディングに参加しているKさんの「K」は「北田」のイニシャルだ。
笠木さんのブログから刺激を受けたのは、それが携帯電話からの閲覧・投稿が可能だということで、それはまあ利用しているライブドアのブログにもともとそうした機能がついているということなのだが、たとえば携帯電話しかネット環境のない上村さんなどがコメントを書き込んでいるのを見れば、そうか、ケータイ(i-mode、ezweb、j-sky)用に開かれているというのはやはり大きいかと考えもした。そこで、Movable Type使いにとっては「いまさら」感さえただよう有名なツールではあるが、「MT4i」(正確には、それから派生した改変版の「MT4i_18T7」)というフリーのCGIプログラムを導入、うちのサイトも(そのブログ部分は)携帯でも見られるようにしてみたのだった。なお、携帯で見る場合のアドレスは、

http://web-conte.com/m/

です。まあじっさいのところほとんど需要はないと思われるものの、


こうしたものがあると「それらしい」のではないか。

本日の参照画像
(2004年11月 2日 23:59)

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/ 1 Nov. 2004 (Mon.) 「鼻から漏れ出る記憶」

やはり、困ったときの猫の写真、である。
いや、べつに寄ったところで意味はないのだが。

私は鼻がわるい。妻と暮らすようになり、その文化が生活に入ってきてハーブティーを飲むようになった私だが、その愉しみの最大のところであるらしい香りは、ティーカップにぐっと鼻を近づけ、湯面すれすれにまでもっていってようやくそれと知れる。わが家には猫が2匹いるが、猫のトイレは3つあって(しかも廊下に並んで3つ)、砂の交換をしばらく怠ると廊下はひどくオシッコ臭くなり、臭い臭いと妻は差し迫ったように訴えるが、妻が言うほどには重大事と捉えられない私がいて妻を苛立たせる。
しじゅうつまったその鼻の奥、古い匂いの記憶が地層のように折り畳まって、ときおりほどける、ということはあるものだろうか。「ああ、これはあのときの匂いだ」と記憶がよみがえる。今日もまたその経験をしている。
大学受験の折り、日暮里にある母の実家に私は泊まり、そこからいくつかの大学の試験会場へむかったが、この匂いは、あのときの母の実家のなかで、私の鼻にまとわりついていたものだ。居間のテレビのチャンネルをまわすと見慣れない「MTV」が流れていて、それはケイト・ブッシュの新曲のクリップだった。茨城の実家からもってきていたCDは、ピチカートファイヴの「東京は夜の7時」だった。そのときの匂いである。
いや、だから何なのだ、という話ですがね。

本日の参照画像
(2004年11月 1日 23:59)

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