12
Dec.
2008
Yellow

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/ 15 Dec. 2008 (Mon.) 「アクセス過多?」

言っておきますが、「熊野ビネガー」などというゲームはありません。
15日未明というか14日の深夜、Movable Typeの管理画面から記事を書いていると、急にサーバエラーが出てつながらなくなってしまった。同じサーバに置いてある笠木さんのブログもだめ。それと「Pink」も閲覧できない。エラーメッセージから推定するにどうも、アクセスが集中し、サーバの負荷が非常に高まったため一時的にアクセスが制限されているといったような気配だ。14日の夕方にもほぼ同じ現象があり、二、三〇分おいて元に戻るという案配だったから、その晩は書くのをあきらめ、カスタマーサポートへの問い合わせ送信だけをネットから済ませて寝る。
翌朝にサポートからもらった回答によると、やはり「サーバーが大変込み合っている際のエラー」だそうだ。ここに説明のある、coreserver.jpの負荷制限にひっかかったらしい。つまり、サーバに高負荷をかけたのはわたしが借りて使っている領域内へのアクセスであり、それでわたしの領域内が制限を受けたのだった。同時に閲覧不能になったコンテンツから鑑みるに、ひっかかったのは「MySQLの同時接続数」あたりだろうか。うーん、そんなに混むかなあ。「アクセス統計」という名前のページで自分のアカウント領域についての情報(CPU負荷率、転送量、リクエスト数ほか)を参照することができるということを、サポートとのやりとりのなかでいまさら知ったが、それを見るとたしかに、わたしのアカウントの負荷率がその日、借りている共有サーバ内において(何アカウントでシェアしているのか知らないが)「1位」という扱いになっているのだった。
そっかあ、まいったなあ。まあ、その日の「1位」というのは多少突発的な要因が絡むだろうとはいえ、その他の日もコンスタントに負荷率は上位だ。負荷の発生しやすいCGIプログラムを多数利用しているということもあるだろうが、それに加え、ここはひとつ冷静な判断として、「web-conte.com全体へのアクセスって、わりとある」と認識しておくべきかもしれない。いや、この日記の読者数などたかがしれているが、その他いろいろと手広くコンテンツを扱っているからトータルではそれなりに膨れあがるし、また、検索ロボットらによるアクセスもこれでなかなかばかにはできないように思えてくる。
ともあれこの調子では、現状ですでに高負荷気味である以上(かつ、負荷制限がある以上)、ここにさらにプリセタのサイトや、夏休みウルトラ計画のサイトも移転させるというのはちょっと現実的でないという話になってきてしまった。少なくとももうひとアカウント作って、サーバを分けるとかしないとだめである(ま、2アカウント分借りても1年で1万円なのだった)

さて、二年半ぶりに再開された「Pink」がはたしてこのまま順調に更新を重ねていくかはわからないものの、たとえばそれが三日にいっぺんぐらい更新されるとして、するとこの「Yellow」も、三日に一度ぐらいの更新でいいのではないかという気分になる。で、オモテのブログ(「blue」)を三日に一度更新すれば、それでもう「毎日更新」の計算だ。じゅうぶんじゃないかと言いたい。「Red」など更新するものか。てこでも更新しないね。

(2008年12月16日 20:15)

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/ 13 Dec. 2008 (Sat.) 「やってみるものだ」

妻の誕生日。
そのプレゼントというわけでもないが前日、有楽町のビックカメラに寄ったさいに、前々日妻が「次はこれをやりたい」とその名を口にしていたのを思い出し、Nintendo DS用ソフト「熊野ビネガー」を買ってきた。よくよく聞けば、妻のほしかったのは「クロノトリガー」だったらしいのだが、まあよしとしようじゃないか「熊野ビネガー」でも。どういうゲームなのか、そもそもゲームなのか、皆目掴めないけれども。
午後、妻の両親がクルマで北本(埼玉県)から来る。お米やビールをはじめなんやかやいただく。お義母さんはおでんと栗ごはんとを作ってきてくれ、それは夕飯においしくいただいた。毎度のことだが荷物を運び込み、多少のおしゃべりをしてお茶で一服するともう腰を上げ、「じゃあ行くよ」とあわただしく帰途につくのだった。ポシュテが家に来て以来はじめての来客だったのだが、まったく予想していなかったことにポシュテは「人見知り」した。
夜、「Pink」を更新。二年半ぶり。まずもって妻が更新のしかたを忘れているのでそれを再レクチャーし、きょう撮った写真を二枚アップする。で、それにわたしが文章を入れるというのが(もともとの)「Pink」だ。
いやあ、やってみるものだよ。できてしまった。Movable Type用の、「半月(上旬・下旬)ごとのアーカイブを生成するためのプラグイン」である。ogawaさんの「年度別アーカイブを生成するためのプラグイン」をもとに、見よう見まねで作る。まったくの自分用。というか一般にはほとんど需要のない機能だと思うのだが、うちの場合これがあると〈理想的〉であり、前々から「作りたいが作れるだろうか」と思っていたプラグインだ。いよいよ思い立ち、作ってみたら一日ほどで完成。このプラグインができたことで、たとえば「富士日記 2.1」をまったくいまの体裁のままにMovable Typeで組むことも可能になった。

(2008年12月14日 17:54)

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/ 10 Dec. 2008 (Wed.) 「『アキストゼネコ』を観た」

公演フライヤー。公式サイトはこちら

9日の夜、柴田(雄平)の主宰するチェリーブロッサムハイスクールの舞台『アキストゼネコ』を観た。さすがに観ないとなあと思ったというのは、前回の公演を観たあとでそのときすでに決まっていた次回公演のそのタイトル(『アキストゼネコ』)だけを掴まえ、「『あきすとぜねこ』と子どもの自由さ」という記事や、「ブリコラージュとしての『あきすとぜねこ』──チェリーブロッサムハイスクールによせて」というやけに長い日記(日記じゃないけど)を書いていたからだ。その文章は柴田君の目にも触れた。終演後に柴田君に聞いたところによると、アキストゼネコの遊び方について調べた前者の記事のほうはそのままプリントアウトされ、資料として稽古場で配られもしたらしい。そうなのか。
そうしたわけで、舞台のできあがる前にあれだけ無責任に盛り上がっておいて、それでじっさいの舞台を観ないというのもさすがにどうかと思われ、ってそんな消極的な理由からばかりではないが、観に行ったのだった。それで終演後、柴田君には「よかったらまた何か書いてください」と言われ、むろんわたしだって書きたいとは思ったものの、すぐにその感想に取りかかれなかったのはまたべつの長い文章をこつこつと仕上げ、いよいよ佳境に入ったときだったからだ。
『思想』に掲載された小田亮さんの論文に刺激を受け、示唆を得て書いたその文章、「関係の過剰性はどこに生じるのか──共同体の真正性とビデオコメントの可能性」は、さすがにその内容と量でこっち(Yellow)に載せるのが憚られるためあっち側(blue)に公開したが、これはまあいま現在、二〇〇八年における相馬の思想的到達点(と呼ぶにはちょっと内容薄いけど)でもあるから、お時間とご興味さえあればぜひ読んでいただきたいところではある。
というわけで『アキストゼネコ』だ。いってみれば荒唐無稽である。寓話、もしくは童話でもあるだろうか。そしてまあ、いまのわたしの関心事からいくと〈神話〉という言葉も呼び出されてくるわけだけれど、はたしてこれを〈神話〉として読むべきか、あるいは〈神話にはなりえない物語──それを夢見る物語〉という枠設定のもとに読むべきか、そこのところの作戦をまだ悩み中である。たしかに、かつて〈神童〉と呼ばれた者たちによる、〈起源をめぐる物語〉ではあった。
舞台装置がよかったなあ。装置の一部であるところの大きな黒板がスクリーンの役を果たし、そこに映像が投射されるのだが、そのことに単純に驚かされてしまった。これ、エンターテイメントとしては、黒板がスクリーンになるということをいかに直前まで気づかせないか──黒板にたしかに視線を集めつつも、同時にありふれたものとしていったん観客の意識下にその存在を沈めさせる──というむずかしい課題があったんじゃないかと想像されるのだが、その想像は、たんにわたしが驚かされてくやしいだけのことか。
そうそう、前回公演の感想を書いたときに何かキャッチコピー的なものを作り、その言葉の響きを柴田君にひどく気に入られたということがあったが、それ何だっけとわたしはもう忘れており、いまたしかめたが、「空想科学ポップ」だった。あ、そうだった、そうだった。で、その「空想科学ポップ(もしくは空想土着ポップ)」という言葉をもとにいますぐ何か言葉を紡げるかというとそう簡単にはいかない。何か書けるかと思ったが失敗である。このパラグラフはまったく無駄だった。
じゃあもうどうでもいい話から先に済ませよう。(あ、これはどうでもいい話ではなく)今回もまた舞台に立つ柴田君はかなりよかったということがあるが、その柴田君が言うセリフに、「ごじゃっぺやってんじゃねえよ」というものがあったのだった。柴田君の芝居ともあいまって、これはじつにいいセリフだったと感じられるものの、しかしなあ、いかがなものだろうか、通じないんじゃないか、「ごじゃっぺ」。茨城弁というか、栃木あたりでもたぶんいけるところの北関東方言である(また、京都を基点として同心円上に位置する熊本でも通じるというもある)。ちなみに、埼玉の出である妻は知らなかった。断定の文末に付けて「そうでごじゃっぺ」などと使う説、「ごじゃっぺ汁」なる郷土料理があるのではないかという説など勝手なことを言う妻の話はさておき、わたし自身、いざ「意味は?」と訊かれるとにわかに答えられないというか、友だちや教師が口にするのをはじめまわりでは頻繁に耳にしたもののとにかくその応用範囲は広く、あとまあ自身で使う語彙にはならなかったということもあってはっきりとしたことは言えないのだけれど、おおよそ推し量れば、「出来が悪い」「ろくでもない」「いいかげんである」「役立たずである」といったこと、およびそうした性質をもつ人やモノにたいして用いられる言葉であるかと思う。
いや、何の話だ。そうではなくて『アキストゼネコ』のことを書かねばならないのだったが、肝心なところの感想はまだ作戦が決まらずまとまらない。てなわけで書けたらまた書きますよ。

本日の参照画像
(2008年12月11日 15:25)

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/ 8 Dec. 2008 (Mon.) 「未亡人たち」

web-conte.com のサーバを移転。ネームサーバの切り替えは、わたしのまわりの環境ではあっというまに反映された。というわけでここは(きのうの日記からだが)新サーバ[@coreserver.jpである。
きのうの上村君の結婚式には先日妻が買ったサイバーショットをもっていき、それで適当にパシャパシャと撮っていた。そのデータを一応上村君に送ろうと思い、1枚3MBぐらいずつある撮ったままの大きなデータだから全部で100MBを越えるそれをzipに圧縮して、うちのサーバに上げ、上村君の実家にあるというパソコンからダウンロードしてもらうことにするものの、解凍しようとするとエラーが出るということではじめうまくいかなかった。で、何が原因だろうと考えるさいに、「実家のパソコン」と聞いて勝手にWindowsを想像していたけれど一応確認しておくのがいいと思い、「Windowsですか?」と上村君の携帯メール宛てに訊くとほどなく返信がある。

そうです。ウィドウズです。

 隣にいて携帯の画面を覗き込んだ妻が「かっこいいね」と言ったのだった。そうだな、なにせ「未亡人たち」だ。黒ずくめだろうかと想像する。決然として物悲しい。でも、操作感とか、だいたいのところはウィンドウズなんじゃないのかな。
それだけかよ、きょうは。

(2008年12月 9日 15:04)

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/ 7 Dec. 2008 (Sun.) 「上村君の結婚式」

「ケーキカット」のあとの「ファーストバイト」だかなんだか知らないけどさ。
映画『ラストソングスの花嫁』より。

じゃあ、返す刀でこうなるしかないじゃないか「富士日記 2.1」の12月7日付を参照のこと)。右側でカメラ(iPhone)をかまえているのが、(たぶん「富士日記 2.1」掲載の写真を撮っているところの)宮沢さんだ。そして、そんなことはともかくその左が、新郎新婦、上村聡君と梨乃さんである。
というわけで7日は、上村君の人前結婚式および披露宴だった。表参道の地下鉄出口に直結してある、青山ダイヤモンドホールというところ。宮沢さんのほか、(鈴木)謙一さん、笠木さん、(鈴木)将一朗、田中夢らが「トーラス」(牡牛座)と名の付いたテーブルを囲む。
新郎側からはまず宮沢さんが祝辞。はじめテーブルにいるときには、「終始、新郎新婦の名前をまちがいとおす」という案を披露していた宮沢さんだが、まあそれはやらずに、とてもいい祝辞。とりわけ「トーラス」テーブルの面々には強く響いたろう、いい祝辞だった。
途中、お色直しで新郎新婦が中座している時間に、「ふたりの生い立ちと、これまで」といった映像が流れる。まあ、そういったものはわたしのときも流したわけですが、でも「なかなかこうはいかないよ」というその演出と被写体だ。「なんでそういう写真があるのか」「たしかにいいオトコだよ、上村」といちいちうるさい「トーラス」である。
お開きのあと(いわゆる二次会はまた別の日に設定されているのだが)、トーラスの面々でちかくの喫茶店に移動し、長いことしゃべっていた。なにはともあれ幸福な一日。

さかのぼって6日のことを記録しておけば、夜、古今亭志ん五の独演会に行ったのだった。細江(祐子)さんをさそって日暮里サニーホールへ。

古今亭だん五転失気
古今亭志ん公厩火事
松本幸雅踊り 竹に唄う
古今亭志ん五猫の災難
(中入り)
柳家紫文三味線漫談
古今亭志ん五大工調べ(通し)

 あのだん五さん、ほんのわずかだがたしかにうまくなっているのだったとこれは米倉さんへの報告。志ん公はもうずいぶん前「いち五」時代に一度聞いていると思うが、いまだ何の色にも染まらずにまっすぐ上達しているという印象の高座姿と口跡。また五年後に出会えばものすごいことになっているんじゃないかと思わせる。志ん五「猫の災難」は初演とのこと。あたりまえなのだろうが(そうでなければネタ下ろししないのだろうが)、完成度は初演と思えぬもの。序盤のかなめと思われる「猫によろしく言ってください」と、クライマックスにあたる「かったるくなってきちゃったな」は見事に決まっていた。欲を言えば、同じく決めぜりふのひとつと思われる「酒は吸ったほうが酔うね」がいささか決まらない。そこまで〈静かな高潮〉が持続しなかった感が少々。通しで演じた「大工調べ」は前回のときよりも丁寧な印象で、棟梁・政五郎の啖呵までは充分な出来ながらも、惜しいかな与太郎がいまいちはじけなかった。贅沢も生意気も休み休み言えという話だけれど、なんだろう、与太郎の言葉を拾う政五郎のほうにこそ何か足りないのだろうか。とはいうもののわたしは志ん五が贔屓だ。あれだけ取って付けたような「大工調べ」のサゲが、あれだけ心地よく宙を突き抜けていく。やっぱ最終的に「調子」っすよ、落語は。継いじゃったらどうなんでしょうか、「志ん生」。

いやいや、ほんとは「ホール・アース・カタログ」の話のほうこそ承けて書かなくちゃいけないんでしょうけど、それはまた、次にでも。

本日の参照画像
(2008年12月 8日 20:34)

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/ 4 Dec. 2008 (Thu.) 「それ、雪降ってる?」

ポシュテの足。

そしてこれがわたしの手だ。

しかし「高菜句会」について、というかそこで発表された句について、これほど詳細に報告したのははじめてではないか。わたしが参加者各人の作風を丹念に拾い、周到に句会の雰囲気を伝えようとするその一方で、もうひとりの主宰である大学同窓の吉沼がブログに書くのは、じつにきっぱりとくだらない話である。笑った。

 会場の利用は句会のみに限られることもあり、場所柄もあって、ふだん利用する人もあるていど節度がある様に想像されるが、中にはひどい利用者もいるのではないか。
終わった後の会場が、ペンキやげろ、その他いろいろな汚物にまみれているような状態で、これがわれわれの句会です、と笑顔で語るような俳句結社がないとも限らない。

 我々の句会の参加者はみな節度あり、幸せな時間をともに過ごせて本当によかったと思うのだった。高菜句会5@芭蕉記念館: よし沼

ところで今回「歴史」という題を出したのはわたしで、そのときにはべつだん思い起こしもしなかったことだが、そういえば南波さんは(彼女自身の言い方を用いれば)「歴史が苦手」なのだった。以前、世間話をしていてそうした話題になったと記憶している。今回の「大昔浅野内匠頭が松」というくだらない句はわたしの作品だが(句の解説はおとといの日記を参照)、後日、南波さんから届いたメールにはこうしたエピソードが添えられていた。

(旦那さんである佐藤君に)「相馬さんが勧進帳について句を詠んでたよ」と帰ってから報告したのですが、色々話しているうちに「それは忠臣蔵だね」と訂正されてしまいました。相変わらず歴史は苦手です。

 これ、注目したいのは「色々話しているうちに」という点だ。(「歴史が苦手」な南波さんにおいてはむろんありえない前提だが)仮に南波さんが句に出てきた固有名詞を覚えていて、「浅野内匠頭が」だの、「松の廊下を」だの説明しはじめたとすれば〈すぐ〉に「それは忠臣蔵だね」となるわけで、当然ながら南波さんの「報告」は、微妙にあいまいな語彙で構成されていたのだろうと想像され、それがなんとも可笑しい。いや、つきあいの深い「夫」を甘く見るべきではなく、ひょっとしたら佐藤君は「勧進帳」と聞いただけでほどなく、ピンときていたのかもしれない。「切腹」ぐらいのキーワードは南波さんも出したかもしれないから、そのあたりで、佐藤君はなにがしか探りを入れたのではないだろうか。「それ、雪降ってる?」「それ、四十七人出てこない?」「それ、ひょっとして討ち入る?」
ちなみに「以前の世間話」だが、そのときは「西遊記と三国志の区別がつかない」といった告白だったと記憶する。
web-conte.com のサーバ移転はいまだドメイン移管の作業完了待ち(移管元ではすでに転出済みの扱いになっていていわば宙に浮いている状態のため、どこからもネームサーバを書き替えることができないことになっている)。すでに書いたように当方は準備万端で、準備万端にしてしまったがゆえに日記の更新などは旧(現)サーバと新サーバとを二重メンテナンスしているのだったが、新サーバ、じつに快適である。これまでに比べるとサーバの応答速度がいちいちよい。で、web-conte.comが足踏みしているあいだに先に笠木さんのadieuadieu.comとall2step.comを移転させたが、そちらもあるいは(若干だが体感もできる程度に)レスポンスがよくなっているかもしれない(なおこれらのドメイン管理には21-domain.comを使っているが、21-domain.comの場合値段もバリュードメインと10円しかちがわないし、移管しようという積極的な気持ちは起きていない)
ポシュテは元気すぎるほど元気。ロビンも前に書いた「おかしな状態」をまずまず脱し、いまのところ問題ない。そのおかしな状態のさい、飼い主を心配させたロビンの変化のひとつとしてその朝、ごはんの催促をしなかったということがあった。これまで、朝の催促はロビンの仕事であり、枕元にやってきての直訴が聞き入れられないとなると、寝室にある本棚から本を何冊も爪で引きずり出し、そのカバーを次々と剥がしてまわるなどの悪さを重ねて〈目覚まし〉役を担ってきた(ピーは朝そうした催促をせず、というかそもそも朝の缶詰にあまり興味がなく、夕方に与えられるカリカリのほうの催促をおもに担当する)。おかしな状態におちいりまったく元気の感じられなかったその朝はのぞいて、しかしそれ以降もロビンはあまり朝騒がしくしないようになったのだったが、それにはその翌日以降、ポシュテが朝の騒ぎ手としての役を担うようになったことが関係しているように思え、ロビンを見るにどうも「任せた」と考えているらしいフシがあるのだった。「要はあのふたりが起きさえすればわたしはいいのだ」と、その大きな面構えは語っているように思える。
ピーは遅々とした歩みながら、わずかずつポシュテとの距離を詰めだしている印象。というか「お前が逃げ出さなきゃいいんだよ」という話ながらも(で、最終的にはいまだ逃げてしまうのだが)、ときおりしばらくポシュテを組み伏せて上に乗り、力ずくでそれを押さえつつペロッペロと舐めたりしている。

本日の参照画像
(2008年12月 5日 08:36)

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/ 3 Dec. 2008 (Wed.) 「続・第5回高菜句会報告」

ではひきつづいて先日の「句会」から。投句一覧および相馬作の句についてはきのうの日記でどうぞ。ところでいまさらだが、われわれは結社名を「高菜社(たかなしゃ)」といい、句会はなんとなく(おもに主宰者側によってのみ)「高菜句会」と呼ばれている。

 はや三回目の参加(うち実参加が二回、句のみ提出が一回)となる南波さんの作風は、なんというか芯が太い。見たまま感じたままをつるつると手元に引き寄せたような素直な言葉の運びでありながらも、しかし一方でこの句はこうでしかありえなかったのだ、わたしの関節はこうしか曲がらないのだというような〈強ばり〉も感じさせ、それが魅力になっている。

「ろうそくは持ちたくないと泣き叫ぶ主は、主は来ませり」

 子供会感覚で近所の子供らが集う教会があり、クリスマスには讃美歌(「諸人こぞりて」)を合唱する行事があるのだが、唱うさいにひとり一本小さなロウソクをもたされるのが怖くてたまらず、ひどく泣きわめいて退場させられたという幼時のごくちいさな記憶が、人類規模でのクライマックス(=主は来ませり)と併置させられているという妙。泣き叫ぶ子の危急と人類の歓喜とはともに大音声をあげつつ、ついに交わることがないが、しかし両者はいま句のなかでひとつの情景に収まってもいる。よくよく声に出してみればわかるとおり、じつは「ろうそくは持ちたくないと泣き叫ぶ」で五七五は完結しており、「主は、主は来ませり」は語調としてのつながりはともかく、形式的にはまったくの〈余り〉であるのだが、それが完全に〈異分子〉としてあるがためにかえって、泣けども叫べどもいかんともしがたく教会に鳴りわたる歓喜の調べの、その大音声が耳について残る。

 前々回に参加してもらった竹村さんは今回が二度目。竹村さんといえばやはり「青春俳句」だ。というのもなにせ、前々回に投じてもらった三句がつぎのようなものだからだ。

「ローファーの先ばかり見た檸檬のころ」 「父のもとへ走る君と冬の朝」 「幸せかと問う弟花火のあと」

 ちっくしょう、青春じゃないか。だから、今回もまた次の一句を見て、てっきり「アツアツ」な情景かと思ったのも不思議ではない。

「意味を問う意味のないふたり喫茶店」

 なぜここにふたりでいるのかというその理由を言葉で確認する必要もない者同士がただ喫茶店で向かい合うという濃密な時間──この喫茶店がよく行く近所のそれだとすれば、ここにはやはりそうした「アツアツ」を読むことも可能だが、しかしこれは「旅」という題のもとに提出された句で、この喫茶店も旅先で入ったそれということになるから、すると句の様相はにわかに変わってくる。「旅先で喫茶店に入るときって、たいてい疲れたときだよね」と吉沼が言う、その〈疲れ〉がふたりの関係にも影を落とす。「問う意味のない」はそこでは「問う甲斐もない」というニュアンスで響き、うっかりしようものなら、まったく直接的な意味で「意味のないふたり」がそこに出現しかねないあやうさだ。「うわー、せつないなあー」と南波さんは何度もつぶやき、首を振るのだった。

「祖母の知る私はいまだ帰らぬと」

 「歴史」の題で出されたこの句では、個人的な歴史=記憶が詠まれている。一読では意味が取りづらく、竹村さんの自作解説を聞いて「ああそういうことか」となったところによると、近頃痴呆の症状が出てきた祖母の〈いま〉において竹村さんはまだ学生のまま家に暮らしているらしく、「あの子はまだ学校から帰らない」と言っていたのを家族づてに聞いたのだという。

 竹村さんが「青春俳句」なら細江さんは「ぼやき俳句」である、というふうに開始前にはなんとなく規定していたのだが、合評が進み、本人の自作解説など聞くうちに、これは「ぼやき」ではなく「相談」なのだということがわかって笑った、笑った。細江さん、今回の三句で「相談俳句」というジャンルを見事確立。たとえば、

「歳重ね 速さ重なる 師走時」

は、まあ、一読して凡庸な印象すらある心情吐露なわけだが、これについていわばテーマとか作者の意図とかいうものを(作者本人に)もとめるとして、それは「年をとることの感慨」といったものではなく、「で、わたしはどうしたらいいんでしょうか?」ということなのだった。(ちなみにその相談によれば、ここに詠まれている「時間経過の速さ」には個別な事由があり、一般によくある「年をとると時の経つのが早い」という感慨もあるがそれに加えて、「準備もなく一瞬で眠りに落ち、気づくと時間が経っている」という昔からの傾向が最近病的なほど顕著になっており、といって生活は不規則・不健康だからたんに「夜を無駄にしている」感覚になるのだという。で、「どうしたら夜起きてられますかね?」というわけだ。)

「出不精で 一駅向こうは 旅気分」

 相談俳句には「季語」ならぬ「相談ワード」がある。俳句がその季語によっていくつかの季に分類されるように、相談俳句では相談ワードがその悩みを分類する。悩みの中分類にはおそらく、「肩こり」「対人」「お金」「長年悩んでいること」といった恣意的な上位カテゴリが存在するだろうし、さらに大分類には、「大きな悩み」と「小さな悩み」というふたつがあるにちがいない。上の一句の場合、むろん相談ワードは「出不精」だ。この句もまた、相談ワードを中心に据えず一読すれば、むしろ前面に出るのは「一駅向こうは旅気分」というポジティブな姿勢・ものの見方のほうであり、「出不精」はそのことに対するちょっとした照れ・エクスキューズにすぎないとも読める。それが「出不精」を中心に据えたとたん、これは相談俳句となるのだし、「どうなの、あんまり外出しないの?」とこちらも思わず声を掛けることになるから不思議だ。細江さんは言うのだった。「まず布団から出ないんすよ。どうしたものですかね」。

「今日の飯 決めることすら めんどくせえ」

 一見、悩みとは遠いような、〈ロック〉さえ感じる句であるけれど、しかし聞いてみればなかなか悩みの度合いは深い。「なんにつけ、ベストチョイスをしなければという強迫観念がある」のだという。知ったことかと言いたい。(むろん合評=相談の場では、ネオリベラリズム的なるものが強要する自己決定・自己責任の幻想からいかに自由になるかといったアドバイスが出たわけだが、それはそれで長くなるため割愛。)

 初参加の赤羽さん(誕生日おめでとう、12月1日だそうで)はさきごろ映画『金糸雀は唄を忘れた』を撮り終えたばかりだ。

「いつの間に旅は道連れ百十人」

は、つまり映画作りのことを詠んでいる。あくまで個人的な欲求に出発する、小規模な制作行為と思い進めてきたそれが、しかし気づくとかなりな数の人を巻き込んでいて当人を驚かせる。「百十人」はおおよそながら、エンドロールに名を連ねた人の数だという。なのだが、これ、そうした詠み手の背景を捨象して味わった場合に立ち現れるのは、なんとも〈花のお江戸の無責任〉的な、あるいは〈五万節〉的なでたらめさであってそれもまたよい。いやー、まいっちゃったよと破顔する大親分の笑い声が、底抜けに青い旅の空を思わせて愉しい。

 最後、わたしと共同主宰の吉沼からは、まあ「新築の押入にある三度笠」もばかばかしくて捨てがたいものの、次の句を挙げておこう。

「柵の向こう 残像の街も日曜日」

 これも個人/地域の歴史=記憶を詠んでいて多少説明が要るのだが、この「街」はいま吉沼の住む街、羽田である。現在羽田空港がある場所にはかつて街が存在し、そこはかなり賑わった街だったという(飛行場は昭和初期から存在したが、戦後すぐそこを接収したGHQにより拡張工事が行われ、現在に至っている)。土地の夏祭りに参加し、その詰め所などにいて年寄りの話を聞いていると、かつて「柵の向こう」に家のあった者同士がその思い出話に花を咲かせるのに出会い、いまさらながら〈そこ〉と〈ここ〉が地続きであることに感慨を覚えたという。

(2008年12月 4日 15:05)

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/ 2 Dec. 2008 (Tue.) 「句会の報告っす」

しかし11月はよく書いた。11月のページがタテに長いったらありゃしないことになっている。高校の同級でかつ誕生日(1975年11月18日)がまったく同じであるところの上山君にかつて指摘されたことは今年もまた恥ずかしいくらいに当てはまり、つまり「バイオリズム」ってやつか、毎年この11月前後、誕生日付近でサイトの更新が頻繁になるのはまったく意識してのことではないが、でもなぜかきまってそうなのは──そろそろ句点を打ってはどうかと思うわけだが──それこそがバイオリズムってやつのおそろしさか。
さて、先月30日に開催された「句会」の話。すでに書いたように江東区芭蕉記念館の研修室を借りて会場とした。広く心地のいい和室で、七人の参加者ではその半分も使い切らない。床の間には掛け軸と大ぶりの花瓶、そして小さな銅製の芭蕉坐像が置かれているが、句会のあいだはその芭蕉像をテーブルの上に移動させ、つまりわれわれが合評をしているその正面脇、投句の紙が一句ずつ貼り出されるその隣に〈居て〉もらった。主宰のひとりである吉沼が、「これ、いつもだいたい(ここで句会を催す人たちに)こういう使われ方してるんじゃないか」と言うので笑った。

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(年末)
マッチ売る心を胸に暮の街 吉沼
まだ年明けてないのに着信 赤羽
越えられず三十二日(やのおおみそか)の口があく 相馬
ろうそくは持ちたくないと泣き叫ぶ主は、主は来ませり 南波
歳重ね 速さ重なる 師走時 細江
別々に帰るくらいなら東京 竹村

(旅)
白鳥よ必ず冬も会いに来るよ 南波
新築の押入にある三度笠 吉沼
いつの間に旅は道連れ百十人 赤羽
意味を問う意味のないふたり喫茶店 竹村
出不精で 一駅向こうは 旅気分 細江

(自由)
今日の飯 決めることすら めんどくせえ 細江
大波乱 芭蕉と一茶ここにあり 吉沼
人なしにはじまり終わらむ大地かな 相馬
生きづらいですチャーハンが食べたい 赤羽
一部張り替えた白いタイルと目地と湯気 南波

(歴史)
大昔浅野内匠頭が松 相馬
祖母の知る私はいまだ帰らぬと 竹村
目安箱徳川吉宗耳でかい 赤羽
柵の向こう 残像の街も日曜日 吉沼

(エキシビション)
古池や蛙飛込む水のをと 芭蕉
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 以上が今回の投句一覧。最後にエキシビションとあるのは、前述の芭蕉像を前にして「古池や」の句を貼り出し、みんなでそれを褒めそやすということをしたものである。
印象深かった句をいくつか取り上げてもう少し書こうかと思うが、その前にまずは自作解説をしておこう。

「越えられず三十二日(やのおおみそか)の口があく」

 「やのおおみそか」と読んでもらうよう「三十二日」にそうルビを振ったのだが、むろん「三十二日(やのおおみそか)」などという言葉はない。「やのあさって」これ東京ローカルな呼び方らしいが)からの連想で勝手に作ったものだが、「やのあさって」が「彌の明後日」(「さらに」あさって。つまりこの場合では「あさってのあさって」)の謂いだとして、「さらに大晦日」ならまあそれほどおかしくもないか。その「口があ」いて詠み手を呑み込むのだからこれはちょっと〈アンバランスゾーン〉的な何かということだが、はたしてそれ、空虚な12月32日が延々とくりかえされて年が明けないという恐怖なのか、はたまた、古来かぎられた人間(ある村?)のみが享受してきた12月32日という祝祭空間にまぎれ込み、その時間を愉しんだのち、一夜明けると何事もなく元旦であるというような不思議であるのか、そこはいろいろと想像が可能だろう。

「人なしにはじまり終わらむ大地かな」

 これはレヴィ=ストロース100歳おめでとうの意も込めたオマージュ。『悲しき熱帯』の最終章にある「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という感動的な言葉を五七五にしたもの。「世界」のかわりに「大地」を用いたのは、これもレヴィ=ストロースの言葉である「神話の輪舞の描く大地は円い」からのコラージュ。

「大昔浅野内匠頭が松」

 果敢にも「忠臣蔵」を俳句で説明するということに挑んだ男の物語である。まあ、モンティ・パイソンの「プルースト要約コンテスト」を思い浮かべてもらえればいいでしょうか。「松の廊下で」とつづけようとしたものの「松」で十七文字をむかえてしまい、アウト。ちなみにこの句はその男の二作目で、はじめに作った句では「江戸時代元禄十四年二月四日」で十七文字を使ってしまった。そこで「大昔」と省略したのだが、そういう問題ではなかったようだ。その試みは、俳句じゃなくて俳諧連歌でやればいいのではないかと思う。

しまった。自作解説だけでもうこんな長さになってしまった。ほかの方々の秀作奇作にはまた明日触れよう。ではまた。

(2008年12月 3日 15:05)

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