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Apr.
2009
Yellow

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/ 29 Apr. 2009 (Wed.) 「町内会とラストソングス」

わが家のレモンである。買ったときにひとつ付いていた実のほかには、一度も実をならせたことがない。毎年新芽は出るものの、アオムシに食べさせ放題、チョウを育て放題である。
こちらはおおでまり。
そしてこちらが鈴木将一朗だ。

きのう付の日記「Mac Proは復活した」に書いた作業の後半部分を午後まで。しかし直ってみるとMac Proはやっぱり快適だ。8GB積んでるしな、メモリ。真新しいハードディスクと入れたてのOSが心なしか小気味よい。250GB→1.5TBはちょっと増えすぎである。Time Machineもバックアップ先が内蔵ディスクだと話早くてとてもいいのだった。
夜は町内会の集まりに出る。前にも書いたが、持ち回りの「組長」という役に今年度はうちがあたり、各ブロックの組長が集まる代議員会というやつが近所の集会施設であって、それにひとりで出席する。顔ぶれに同世代は「ない」と言っていい。女性の割合も高い。そしていろいろな人がいるのだった。ああ、なんと〈面倒で厄介な関係〉であることよ。で、「面倒だ」と妻は気を重くしているが、わたしはわりと愉しがっている。たとえばそれこそ「なかなか私語がおさまらない」さまとか、もうおっかしくってしょうがないのだった。町会長をはじめとする本部役員の多くは、だいぶ前に一度出た廃品回収の折に顔を見知っているのだったが、わけてもわたしは副会長のFさんのファンである。二回しか会ってないけど。Fさんはその佇まいに「ちゃきちゃき」(まさしく「嫡嫡」の意のそれ)を漂わせる人である。
町内会のもろもろの行事にさいし、大きく体育部と文化部という組織分けがあり、組長はそのどちらかに属さねばならない。わたしは体育部に決まり、全員で6、7人しかいないのだが、副部長ということになったのだった。「おまえは文化ではないのか」という声もあるかと思うが、ここで言う「文化」は夏祭りのときのカラオケ大会とか、そういうものを指すのだった。

090429_lls-thumb.jpg

町内会の集まりから帰って、ラストソングスのチラシづくりを明け方まで。
そういったわけで、ラストソングスの初ワンマンライブ『ラストソングスの脱出』は、5/30 (19:00) と5/31 (15:00 / 19:00) 、Nibroll White Studioで。予約制で1,000円。その他、以下のとおりである。

タイトル
liveLastSongs #001『ラストソングスの脱出』
ラストソングス
演出
鈴木謙一
出演
上村聡/鈴木将一朗
場所
Nibroll White Studio
京浜急行「日ノ出町駅」より徒歩3分/JR・市営地下鉄「桜木町駅」より徒歩8分
(横浜市中区宮川町1-14-1 ノゲマリヤビルホワイト2F)
日時
5月30日(土)19時~
5月31日(日)15時~/19時~
※開場は開演の30分前となります。
チケット
1,000円(予約制)
予約・問い合わせ
lastsongs_yoyaku@voice.ocn.ne.jp(脱出専用アドレス)
※ご予約の際は【お名前/公演日時/枚数】をご明記ください。
※こちらから追って、確認のメールを返信いたします。
※座席に限りがありますので、ご予約はお早めに。
当日連絡先
090-6026-6279(制作・受付)

話は変わるが、わたし、こないだまで冨永(昌敬)君の電話番号もメールアドレスも知らなかったのだった。で、シネマ・ロサでの最終日に「そういえばそうだったので、教えて」と声をかけると、冨永君は「mixi」にいるという。わたしも、ほっとんど使ってないものの入ってはいるので探すと、いた。で、なんの話かというと、そこで見かけた、冨永君の日記の使い方になるほどと思ったという話で、文章自体は livedoorブログである『シャーリーの好色人生と転落人生』の公式ブログに書き、「mixi」上の日記にはそのURLだけ載せて更新(通知)しているのだった。いや、それだけのことなんだけど、ああ、この手はあるかもなと思わせられた。

本日の参照画像
(2009年5月 1日 16:48)

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/ 28 Apr. 2009 (Tue.) 「Mac Proは復活した」

ディスクウォーリアはたのもしかった。なお、2008年10月14日以降に発売されたMac Book、Mac Book Pro、MacBook Air、2009年3月4日以降に発売されたiMac、Mac mini、Mac Proでは、現時点(Ver. 4.1)でディスクウォーリアDVDからの起動はできない。

復活した。結果から言うと、ディスクウォーリアはじつにたのもしかったという話で、

ハードディスクそのものは無傷っぽいので、別ハードディスクにOSさえ入れればデータは簡単に取り出せるのかな。

と前々回の日記に書いたわたしは底抜けに呑気だった。これだけ「いきなり」であることから逆に推して知るべしだったわけだが、おおもとの原因はけっきょくディスク不良にあったらしく、そのいつとも知れぬ「寿命」ってやつが購入から三年弱を経たおととい、不意に訪れたってことのようである。
復旧作業にあたって新しいハードディスクを買ったが、ついにはじめて手にする「テラバイト」ってやつである。1.5TBのハーディスク(以下、「ディスクA」)を買って内蔵ベイに差し足し、ディスクウォーリアのDVDで起動、だめになったディスクに対しディスクウォーリアまかせで「再構築」と呼ばれる作業を行う。ほどなく「再構築」の進捗を示すバーの動きがぱたっと止まるが、なによりすばらしいのはそのさい「ディスク不良のため処理速度が低下しています」という案内が表示されることだ。これは親切でいい。「そっかあ、やっぱりディスク不良かあ」とは思いつつ、しかし「精一杯やってくれそうな」ディスクウォーリアにここはひとつまかせて、ひたすら待つ。5時間ぐらい(だったかな)で再構築が完了。
本来なら(ディスク不良がない場合には)、ディスクウォーリアは再構築したボリュームのデータをそっくりオリジナルのそれと置き換えてくれるようだが、今回はそれが適わず、再構築したデータのバックアップをいますぐ取れと勧められる状態になる。システムのほうが完全かは不明ながら、一般のデータたちは完全に救出されている。で、そのボリュームデータをまるごと「ディスクA」へコピー。このコピーに半日ぐらい。
まるごとコピーとはいえそのまま起動ディスクにはならず。再起動のさいOptionキーを押すと、起動ディスクの選択肢のなかに「EFI Boot」という名前で出てくるものの、まあだめだろうと思い、ひとまずDVDの入れ替えを行うためにBoot CampのXPで起動、今度はLeopardのインストールDVDを挿入。ここでいったん電源を切り、さらにもう1個買ってきた1.5TB(以下、「ディスクB」)を、だめになった250GBのディスクと入れ替える。
LeopardのインストールDVDで起動。まだまっさらな「ディスクB」のほうにLeopardをインストール。この段階で一度「移行アシスタント」を試してみたものの、「このMacの別のボリュームから」を選択しても「ディスクA」上のデータを移行元として認識してくれなかった。ので、認識されるようにすべく、今度は「ディスクA」に対してLeopardを「アーカイブしてインストール」。が、「ユーザとネットワークの設定をそのまま残す」を選択するも「ユーザ」データが引き継がれない。rootユーザとしてログインし、手動で「ユーザ」データを移す。
なんだか非常にまわりくどいことをやっている感は否めないが、あらためて「ディスクB」(まっさらなLeopardが入っている)で起動、「移行アシスタント」で「ディスクA」側の設定やアプリ、ユーザデータを吸いとる。これでひと段落。「ディスクB」のほうを新しい起動ディスクとし、完全にもとの環境に戻った。Parallels Desktopsが起動しなくなっていたが、アプリの再インストールだけで仮想マシンも元どおりになる。
「ディスクB」が問題ないことを確認後、「ディスクA」は再フォーマットし、これをTime Machine用のディスクとして指定。初回のバックアップも終え、めでたしめでたしである。

本日の参照画像
(2009年4月30日 20:10)

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/ 27 Apr. 2009 (Mon.) 「小坂忠&Soul Connection @ Billboard Live TOKYO」

いやあ、贅沢贅沢。
会社を早退し、新宿で妻と待ち合わせて六本木へ。二度目の六本木ミッドタウンは、前回と同じ「Billboard Live TOKYO」。で、前回とまったく同じ席(DXシートDUO)でもって、開演30分前ぐらいからお酒とおつまみ。それぞれお酒をおかわりし(夫はビール、妻はワイン)、サラダとか、おつまみ的なものを三品たのんで9000円すよ。別途、チケット代とシート代はあらかじめカードで落ちていて、当日は飲み食いした分だけ会計する仕組み。
この日のスペシャルゲストは松たか子(バンマス佐橋佳幸の奥様で、アルバム『Connected』にコーラスで参加している)。あと、アンコールではたまたま観に来ていたっぽい浜口茂外也もステージに上げられ、タンバリンを鳴らしていた(ぜんぜん関係ないけどATOKは「たんぶりん」を変換しないんだね)。『Connected』収録曲以外では、「ありがとう」「風来坊」「ほうろう」「機関車」「ゆうがたラブ」だったかな。幸宏はドラム叩きっぱなしで妻も大満足。あと妻は、「サックスの人(山本拓夫)すごい」としきりに。妻、ひさびさ「ただの酔っ払い」になる。わたしもしたたかに酔い、帰宅後に更新したのがこの記事だ。
いやあ、贅沢贅沢。

(2009年4月29日 17:12)

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/ 26 Apr. 2009 (Sun.) 「Mac Proの起動ボリュームがだめになった相馬君に励ましのお便りを」

これが禁止サイン。

25日(土)の昼間というか朝に、例のオール電化+太陽光発電工事のための現地調査が入る。ただし本降りの雨のため、屋根に登っての下見はできず、翌日にもちこし。それできょう、あらためて屋根の下調べ。いろいろ具体的に決まっていく。

でまあ、そのこととはまったく関係なく表題の件だけれども、悲劇は連鎖するということだろうか。いきなりだとしかちょっと説明のしようがない。きょう(26日)の朝まで無事に動いていて、作業の区切りで自発的な再起動をかけたところが起動しなくなったのだった。
アップルマークが出、しかしその下のクイズタイムショックのような回転するマークは出ないまま、ほどなくアップルマークが禁止サイン(はじめて見た)に変わる。まあびっくりするわけだが、ひとまず放っておいて、MacBookのほうで禁止サインについての情報を調べるうち、今度は「?」のついたフォルダマークが点滅する状態に変わり(これは「起動ディスクが見つからない」という状態ですね)、さらに放っておくと最終的にBoot CampのWindows XPが起ち上がる。2個差してある内蔵ハードディスクのうち、Boot Campは起動ボリュームでないほうに作ってあって、だからそっちはだいじょうぶだということである。XPでもなんでも、このさい起ち上がってくれるとちょっとほっとするのだった。
禁止サインの素性からいっても、「mach_kernel」とか、そういったあたりが壊れてしまったんでしょうか。よくわからないけど。テックツールプロのDVDで起動し検証を行うと、ボリューム構造のテストでエラーが出る。修復を試みるがだめ。LeopardのインストールDVDで起動、ディスクユーティリティーも試すが歯が立たない。慣れないシングルユーザモードで起動してみるも、やっぱり「mach_kernel」がどうしたこうしたというエラーを言われているようで、コマンド入力できる状態まで行き着いてくれない(で、どうしたものかと思っているうちにアップルマーク画面に切り替わり、冒頭の流れに入る)。念のためPRAMクリアも試したが効果なし。
いまさらだけど、Time Machineによるバックアップをまったく取っていなかったことが悔やまれる。Time MachineはMacBookでしか使っていなかった。そのことが示してもいるとおり、ここ一、二年の必要なデータ類はみなMacBook側にもあって、Mac Proと二重で持っているかたちにしていたからすぐさま途方に暮れるというわけでもないのだったが、なにより、Time Machineがあったらすごくラクなんだよな、復旧が。もちろん、だめになったMac Proの起動ボリュームにしか入ってないデータもあったはずだ。でもあれか、ハードディスクそのものは無傷っぽいので、別ハードディスクにOSさえ入れればデータは簡単に取り出せるのかな。
やらなきゃいけない作業(後述)もあるので、ひとまずアマゾンでだめもとのディスクウォーリアを注文し、Mac Proのことはあとまわしにする。ほんと、MacBookがあってよかった。

作業というのは、ラストソングスの初ワンマンライブのチラシ作りだ。渕野(修平)さんが撮り下ろした三人の写真が素材としてあって、それと文字情報とを適当に組み合わせる作業。きょう中にラフを数案つくって(鈴木)謙一さんに送らねばと思っていたところへの前述の悲劇である。で、MacBookで作業。支障はないものの、どうにも作業がちまちました感じになるのだった。日付の変わる前になんとかできて、謙一さんに連絡。
というわけで、5月30、31日の両日、ラストソングスは「Nibroll White Studio」にて初ワンマンライブを行うのだった。詳細はまた追って告知します。

夜半、Mac Proショックを引きずりつつ、DVDで『メイン・テーマ』(84年、森田芳光監督、薬師丸ひろ子主演)

本日の参照画像
(2009年4月27日 13:51)

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/ 24 Apr. 2009 (Fri.) 「シャーリー三回目、上映最終日」

なぜこの少女は小首をかしげているのか。詳細は拡大写真(クリック)で。

『シャーリーの好色人生と転落人生』三回目は池袋シネマ・ロサでの上映最終日。20人ほどの立ち見が出る盛況。最後列のいちばん端で(でも座って)観る。
まあその『シャーリー』読解とか言ってなんだかんだ書いてましたけど、ぜんぜんですねわたし。ぜんぜん読み解けてない。というかやっぱり、観れば作品は圧倒的なわけです。たまさかわたしの書いたものを「前知識」として仕込んで劇場に行かれた方が万が一にもあったとしたら、いやあちょっとそれ申し訳ないなあとか思いつつ観てましたよ。わたしだってたとえば今野(裕一郎)君のように、

出ている役者さんの方言がむちゃくちゃだけど、映画はそんなことでは揺るぎもしない。
バストリオ、書く! シネマロサ

といった潔い、すぱっとした感想が書けたらなあと思いますけどね、思うんですけど、そういった何を書いても「揺るぎない」作品を前にしては、そこんところに安心しつついろいろ書いてみたくなるわけですよ、いわば。
最終日のアフタートークはゲストに菊地成孔さんを迎え、「中内」役の杉山彦々さん、佐藤監督、冨永監督が登壇。公式ブログ等でも何度か語っていたとおり、冨永監督の思惑としては今夜、いわゆる「痴漢/痴女問題」[※1]に一定の決着を付けるつもりだったわけだが、予期せず、その問題が菊地さんによってまんまと反転させられることになる。

※1:「痴漢/痴女問題」

映画の登場人物はすべからく痴漢/痴女であるべきではないか、という冨永監督の提言をめぐる問題。上映期間中のトークイベント内で何度か話題にされた。ここでやや極端に「痴漢/痴女」と呼ばれているのは、「欲望を行動に直結させる、スピード感をともなった人物」のことで、そうした人物を多く配した映画はおのずとスピード感を生み、90分という黄金の時間枠に物語を収められるのだと冨永監督は述べる。

そういう欲望のスピード感をかつての撮影所時代の映画は持っていたわけで(2本立てを前提にジャンル映画が量産されていた時代)、撮影所の崩壊以降の現代映画はスピード感を喪失し、欲望それ自体よりも、むしろそれらを取り巻く状況と風景をとらえることに拘泥しすぎなのではないかと。『シャーリーの好色人生と転落人生』 Official Blog : 248!

 冨永監督が述べるところの問題意識それ自体にはおおむね賛意を示しつつ菊地さんは、「でも、単純な感想として、主人公=シャーリーに〈欲望のスピード感〉を感じるのはそれこそプログラムピクチャー然とした『好色人生』のほうであって、『転落人生』のシャーリーにはそれを感じないけど?」と応答して冨永監督の出鼻をくじく。また、「冨永映画において、もっとも欲望に忠実なのは主人公じゃなくて監督自身だよね」や、「冨永君はとにかく女優を撮るのがうまくて、〈出てくる女優さん全員、俺のこと好きなんじゃないか〉と観客に思わせる不思議な才能をもってると思うんだけど、それ、自分で気づいてないでしょ?」といった指摘も矢継ぎ早に繰り出して司会・冨永にペースを掴ませない。
はたで聞いていればわかるとおり、菊地さんはそうして『転落人生』を評価してるわけだが、その評価軸が冨永監督の思惑とは異なったものであるという図式で、「じゃ、その、オレの言ってることは正しいけど、まずオレがそれ(言ってること)できてなかったということで」と最後には哀しそうにまとめた冨永監督だったけれど、それを聞いていて、あ、やっぱりなんだかんだ〈読解〉的なことをわたしが書くのも甲斐のないことではないのかなと思うのだった。わりかし自作に無自覚だよ、やっぱりこの人(たとえば冨永監督の「言ってること」の上に、さらに菊地さんの指摘を肯定的に重ねることもおそらく可能だろう)。そこが、さすが表現者ということなんだけどさ。

本日の参照画像
(2009年4月26日 05:18)

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/ 23 Apr. 2009 (Thu.) 「愉快な話」

きょう付の三坂(知絵子)さんのブログ記事「嗚呼、夢のいちご狩り!」はちょっと笑ってしまった。そういう話かよ。ふつうさ、いちご狩りに行ってきて楽しかった話かと思うじゃないか。あやうくタイトルだけ見て済ますところだった。
とあるブログに、

今回のことはわたしは愉快な話として聞きましたけどね。

とあったのを読み、まったくだよと強く思う。ま、わたし、テレビ報道の調子とかネット上の盛り上がり具合とか(はたまたさほど盛り上がってないのかとか)ほとんど知らないで言ってるんですけどね、目にしたなかではこれ、毎日新聞の、

 「草なぎ容疑者:原宿署に身柄移送 うつろな表情で」

という見出しの「うつろな表情で」という物言いがきもちわるく、違和を感じた。「うつろな表情」になるのは、そりゃね、そりゃそうでしょうよと思うわけだが、でも、掲載されている写真の顔を見れば、ここで使うべき言葉はあきらかにこっちだろう。

 「しょげかえる」

 「うつろな表情」よりも「しょげかえる」がふさわしい事件じゃないかまったく。
あとまあ、これね。

 「地上デジタル放送推進メインキャラクター」を務める草なぎ(弓へんに剪)容疑者の逮捕に、地デジ担当の鳩山総務相は23日昼、国会内で記者団に「事実だとすればめちゃくちゃな怒りを感じる。だいたい総務省は何でそんなのをイメージキャラクターに選んだんだということにもなる。最低の人間としか思えない」と憤ったうえで、「地デジ関係の色々なものは全部取り換える」と述べた。草なぎ容疑者が写ったポスターなどは回収を指示する考えで、イメージキャラクターの差し替えも含め検討する。
asahi.com(朝日新聞社):草なぎ容疑者を鳩山総務相「最低の人間」 地デジめぐり - 社会

 ばかである。

また贅沢をさせていただくというのは週明け月曜、以前に「細野晴臣&ワールドシャイネス」を聴きに行った「Billboard Live TOKYO」で、今度は「小坂忠&Soul Connection」だ。「Soul Connection」というのは佐橋佳幸、小原礼、Dr.kyOn、高橋幸宏の面々。で、行くのは27日なんだけど、26日のほうのスペシャル・ゲストが決まったと「Billboard Live TOKYO」からのダイレクトメールにはあり、尾崎亜美と細野晴臣だそうだ(昼・夜公演のどっちかにどっちかが出るということらしい)。27日はというと、「27日、30日にも豪華シークレット・ゲストが登場!」と気をもたせることしかまだ書かれていないのだった。ひょっとすると真の「シークレット・ゲスト」として、いったい誰なのかを最後まで明かさずに演奏するということもあるだろうか。

(2009年4月24日 19:08)

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/ 22 Apr. 2009 (Wed.) 「われわれもまた全知ではないのだし」

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本文中でガサツに用いている〈境界侵犯〉とはほとんど関係ないものの、こちら『境界侵犯その詩学と政治学』。卒論を書くときに買ったのだったな。アマゾンでは中古商品しかないようなので、上はセブンアンドワイへのリンク。セブンアンドワイでは「カートに入れる」ボタンが押せるけど、でもけっきょく在庫切れなのかも。

『シャーリーの転落人生』におけるもっとも重要なシーンをひとつ挙げろと言われれば──まあまず言われないとは思うものの、もし言われたとすればですね──、わたしは迷わず、あのシーンを挙げるだろう。台本(ミニコミ誌『spotted701』と限定セット販売されていたもの)で言うところのシーン「33」、喫茶店の外で小下田守が高見と携帯電話でしゃべり、そののちまた波子のいる店内に戻るシーンである。このシーンがすぐれて重要であり、かつまた、そこから一気に物語が加速していくような印象を与えるのは、そこにスリリングな〈境界侵犯〉が仕掛けられているからにほかならない。
少なくとも事後的に判断してもらえばあきらかなとおり、そのシーンにははっきりとした時制の混同が見られる。つまり、そのシーンにおける〈喫茶店の外〉はシャーリー失踪以前である過去に属していなければならず、一方、〈喫茶店の内〉はシャーリーを探す波子の現在でなければならないものであるわけだ。その両者をかろうじて隔てていた喫茶店のドアが小下田守によって造作もなく開けられた瞬間、時制は溶け合い、観客はおやと思うまもなくメタレベルに立たされて、前後の(たとえ初見であっても)すべてのシーンがそのとき映画のなかに解き放たれて輝くのを観る。ウミネコの飛ぶ冒頭のシーン、はたしてあれはほんとうに「やってくるリエ」だったのか、「去っていくリエ」ではなかったろうかと、そうした他愛もない妄想が解き放たれた時制のなかで可能になりもする。ここに至るまでにすでに全知のナレーターでないことは充分に了解されている波子の、その小さな背中がそこに映り、もう、すでにわれわれが波子を愛していることに気づかされる。もう(この映画は)だいじょうぶだという安堵とワクワクが、そのシーンにはある。

波子
退屈け?
退屈だよ。
波子
退屈でも聞いてくれっけ?

『シャーリーの転落人生』/シーン33

だから、その転回点とともに登場する高見栄一が〈裏シャーリー〉とも言うべきもうひとつの空虚な中心として機能していることは注目に値するし、高見を中心に据えた『シャーリー』読解もまたおそらく可能であるにちがいないが、それはまたべつの話として今度。
『シャーリーの好色人生と転落人生』は24日、金曜まで。池袋シネマ・ロサにてレイトショー (20:30〜) 上映中。

本日の参照画像
(2009年4月23日 14:49)

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/ 20 Apr. 2009 (Mon.) 「いけない女になりそうです。まる。」

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『シャーリーの好色人生と転落人生』のことはもういいよと思われるかもしれないが、まあいいじゃないかもう少しぐらい。わたしだって、たまには『セーラー服と機関銃』のことも書いてみたいけれど、しかしいまはぐっとこらえて、『シャーリーの好色人生と転落人生』である。
きのうの日記に、

ところで、今作では土地の固有名を出さないようにしたという冨永監督だが、『好色人生』のほう、パパさんと中内とが働く工場の施設にはっきりと「茨城」の文字があるのは、あれはどうなのか。

と書いたのはほかならぬわたしだが、この問いには自分で解を与えてみることにしよう。つまりこれ、考えてみれば〈程度の問題〉じゃないかと思うのだ。文字ででかでかと映る「茨城」はたしかに直接的だが、しかしそこまでいかずとも、ほぼ土地の名に等しいと言えるような何かは映画のそこかしこに刻まれていて当然なわけで、たとえばある人にとっては、『転落人生』のなかに映るフェリーの名「みしお」こそがよく知ったあの「みしお」として目に飛び込むのかもしれない。と考えるならば、そうした固有名を映像が抱え込んでしまうことはこの場合自明の前提でしかなく、より問題にすべきは、そうして抱え込まれた固有名さえも攪乱し、最終的には消し去りかねない、作品としての〈どこでもなさ〉のほうだと言えるだろう。
もちろん、その〈どこでもなさ〉を支えているひとつが「架空の方言」という手法であることはまちがいないが、肝心なのはその架空の方言が、フィクションとしてきれいに閉じられた体系を与えられていず、出来の悪い、不統一なかたちのまま話されていることである。全国各地の方言をサンプリングしたものであるという言葉そのものの出自もあるけれど、と同時に、けっきょくのところ俳優たちそれぞれが、自身のよく知る方言のイントネーションにそれを乗せてしゃべっているということがあって、だから単純な話、そこには何とも居心地がわるいほどに複数の方言が存在している。『転落人生』の後半で、自身は標準語を話す岡島リエがシャーリーの方言を真似てみせるとき、それは土地への同化としてではなく、まずもってシャーリーその人への同化として、ひどく性的で魅力的な響きを放つことになるのだが、それはこの〈方言の複数性〉と無関係ではないだろう。
〈方言の複数性〉のただなかでコミュニケートする者たちはまた、どこか〈流民〉のようでもある。〈中内の姉が嫁いだ先〉の土地を舞台にする『好色人生』ではむろんのことながら、シャーリーの故郷を舞台とし、いわゆる〈よそ者〉は岡島リエひとり(と、高見)だけであるはずの『転落人生』においてさえ、登場人物たちはみなひとしく〈流民〉であるかのようである。シャーリーの妻・波子が、東京で会った幼なじみ・小下田守に対して「帰って来ねいか」と言うとき、しかし〈流民〉のひとりである彼女の〈帰る場所〉もまた特定の土地ではないはずで、だから、「帰ろう」という彼女のその提案は直後に、〈その場〉で、成就してしまうことにもなるのである。

というわけで『シャーリー』読解はまだもう少しつづく。映画はいよいよ24日まで。わたしはおそらくその最終日に三回目を観ると思う。

(2009年4月22日 02:25)

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/ 19 Apr. 2009 (Sun.) 「シャーリー二回目」

「パンドラの匣」を収める、ちくま文庫の『太宰治全集 8』。

手短に、手短に。夜、『シャーリーの好色人生と転落人生』を観に池袋シネマ・ロサへ。二回目。終映後には冨永(昌敬)監督、笠木(泉)さん、宮沢(章夫)さんによるトークショー。トークは冨永監督が主導するようなかたちで、作家と土地、土地の固有名と物語、架空の方言という手法についてや、地方のごく狭いネットワーク内で行われる選挙のおもしろさなどがテーマにのぼる。ところで、今作では土地の固有名を出さないようにしたという冨永監督だが、『好色人生』のほう、パパさんと中内とが働く工場の施設にはっきりと「茨城」の文字があるのは、あれはどうなのか。
『シャーリー』の公式サイトは依然サーバが落ちたままだ。重症なのか、復旧にはもう少しかかるらしい。というわけで最新情報等は公式ブログのほうへどうぞ。きょうのアフタートークでの発言もあとで公式ブログのほうに抄録されるのかもしれない。知らないけど。終わって、大勢で居酒屋へ。「終電なんで」と帰っていく浅野(晋康)君を見てわれに返ると、うわ、あぶねえあぶねえという時間で、みんなを残し大慌てでその場をあとにしたが、あれだ、お金を払ってないよわたし。
さかのぼって18日(土)、「パンドラの匣」を読もうと思って新潮文庫を本屋で探したが二軒まわってなかった。岩波文庫の『富嶽百景・走れメロス 他八篇を買ったのは「女生徒」を読むため。「女生徒」は新潮文庫版(『走れメロス』に所収)の在庫もあったが、岩波のほうが活字が読みやすい印象。しかし買ったあとで、「あれ?持ってたっけこれ?」という思いがふつふつとわく。怖いので本棚は確認していない。帰ってから落ち着いてネットで探すと、「パンドラの匣」はちくま文庫の『太宰治全集 8』に収められている。「グッド・バイ」が読みたいと妻は言い出し、新潮文庫版のそれと併せてアマゾンで注文。よくわからないのが『シャーリー』公式ブログの左欄で、関連書籍へのリンクが並んでいるところには『太宰治全集 3』へのリンクがある。文脈からすると「パンドラの匣」にリンクを張りたいんじゃないかと思うのだが、とすれば『3』ではなく『8』だ。『パビリオン山椒魚』で参考にしたと冨永監督の言う「黄村先生言行録」が入っているのは『5』だし、すると『3』はなんだろう、映画とは関係なく、太宰治ファンであるという冨永監督のただの「おすすめ」だろうか。なんだな、『3』が気になってきてしまったじゃないか。
つまびらかなことはまだ書けないというか知らないが、ラストソングスに近々動きがあるようだ。ファンの方はどうか刮目して待たれたい。

本日の参照画像
(2009年4月20日 16:34)

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