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Nov.
2006
Yellow

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/ 14 Nov. 2006 (Tue.) 「腰がまずい」

写真をレタッチするうち、24日の欄に何か書かれてあることに気づく。もう一度カレンダーのところまで行ってみると、「たまご」とメモされていた。

腰が痛い。ずっと座りっぱなしだということもあるが、記憶を辿るとどうも、土曜日(11日)のあれじゃないかというのがあって、部屋の片付けをしていたのだったが、そのとき縛った古新聞の束を両手に持って立ち上がった。あのときに少し「あ、」というような痛みが走った気がする。
という日記が、書きかけたままになっていた。束の間心配をかけたかもしれないとすれば申し訳ないが、じつはいま(17日)、すでにもうほとんど痛くない。上の文章を書いたあと、というのは翌日(15日)の夜になるが、会社の近くの整体マッサージに行ったのだった。それですっと痛みが消えた。とはいえ上の文章も、それはそれで14日の時点での切実な筆になる。
「11月5日付の日記を募集します」というこのあいだの企画だけれど、あのあと締め切りをだいぶ過ぎて、みえさん(義姉)から日記が送られてきたのだった。文中に日付のはっきりと入った日記だということもあって、もらったはうれしいものの、いまさらこれどうしようかと、そのことを考えているうちにまた日は過ぎた。
日も、過ぎれば疎くなる。日付が入り混じって始末も悪い。
困った。何も覚えていないのだ。日記を書こうと記憶を辿るが事物の断片の一欠片さえも一向に像を結ばない。忘れてしまった、というのとは少し違う様な気がする。11月5日という日が「あったのだ」ということさえ疑わしく思えてくる。だが、紛れもなく「あったはずだ」と思うのは今日がそこから5日を過ぎた10日の深夜であり、昨日、一昨日、一昨々日、その前、もう一日前、と、記憶を辿れば、微かに蘇るその日を印象づける物たちが忽ちに思い浮かぶからだ。自転車の軋む音、椿の花びらの上品なカーブ、「山本?女じゃないの山本って。俺小林だし。電話してないよ、するわけないじゃん。」という若い男の声、日だまりで眠りこける秋田犬、よろけた瞬間に思わず触れた壁の冷たさーそんなものがいくつもいくつも浮かんでは消え、そのことで、それらの日々は確かに「あったのだ」と実感させられる。そして更に遡ることも出来る。4日、3日、2日、1日・・・だがどうだ、5日のこととなると、しん、と音のない真夜中に放り込まれたように何も浮かばない。忘れた、という場合にはもう少し、カタチにならないまでも、何か、そう、気配があるはずだ。それがない。
5日、5日、5日・・・・そう頭の中で繰り返している。いつか、いつか、いつか。そうか、いつか、か。5日はいつか、だ。ずっとさき、のいつか。いつのことだったか、のいつか。それが5日なのか?5日の正体なのか?オノマトペの誘惑に抗いきれず、思い出せないことも手伝って、ぐるぐるする頭でそんなことを思う。今日は10日。
で、これは一体、いつの日記なんだろうか?

本日の参照画像
(2006年11月18日 02:14)

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/ 13 Nov. 2006 (Mon.) 「アフタートークのことなど」

ガブリエル・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』(新潮社)。

ティム・バートン、マイク・ジョンソン『コープスブライド』(2005)。

昨晩の興奮冷めやらぬ身体はよく動き、土曜日(11日)はほぼ一日がかりの丹念な家の掃除に精を出すことになる。反動で日曜日(12日)はぼんやりした一日をすごした。日曜の午後には妻の両親が改造の終了した庭の具合を見にクルマでやってきた。ガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読み、夜、WOWOWでティム・バートンの『コープス・ブライド』を見る。10日付けの日記をノートに下書きしはじめるものの進まず、更新するまでに至らない。結局その更新は今日の夜にまで持ち越してしまった。こうして日記の日付はずれていく。
同じ日記をいつまで推敲しているわけにもいかないと、「あ、書けたな」と思えたところであとのことはあきらめ、えいやっと更新したが、それでいくつか書き漏らしたことがある。ひとつは絓秀実さんと宮沢さんとで行われたアフタートークのことで、私としてはそのなかで語られた「わからなさの擁護」とでも呼ぶべき問題が興味深かった。
劇中のせりふには「アルトー」が登場するが、当時訳出され紹介された難解な思想書にはそののち多くの「誤訳」が指摘され、近年、訳の質が向上することによって、ある部分の不可解さは単純に解消されてしまうといった事態が進行している。そうして「わかりやすく」なった翻訳は、徒労感さえ漂うような無闇な難解さから読者を解放したけれども、しかし、その「とにかくわからない」ものに付き合うことによって当時の読者が受け取っていたような「思考を喚起する力/言葉のざらつき」を、われわれはわかりやすさと引き換えに失っていってはいないだろうかというのが、絓さんの発言趣旨だったかと思う。これ、ある意味、絓さんはとても無茶なことを言っているわけだ。なにしろ、「誤訳よりも正しい訳のほうがよい」という、自明とも言える(少なくとも「進歩」を前提とするような近代的精神にとっては自明な)命題に対して留保を試みようというわけである。
先日オモテのブログのほうで新訳文庫版を紹介した『アンチ・オイディプス』も、その旧訳には「誤訳」に対する非難がつきまとっていたようで、たとえばアマゾンの商品ページにあるカスタマーレビューのひとつは、なんとも啓蒙的な態度でもってその訳業を切って捨てている。

訳がひどい。例えば、「連合」や「契約」の意味も持つ alliance をすべて「縁組」と訳しているせいで、ユダヤ教の中心教義としての「神との縁組」なんて表現が出てきて読者を脱力させる。副詞や接続詞の訳し方もしばしばミスリーディングであり、原文の論理を裏切っていることも珍しくない。単語レベルでの誤訳や不適切な訳の数々とも相まって、三読四読しても意味不明の箇所に満ち満ちています。

 おそらく、事実の指摘としてはあたっているのだろう。しかし、とそこで絓さんならおそらく言うのだ。たとえ「単語レベルでの誤訳や不適切な訳の数々」があろうとも、そして「原文の論理を裏切ってい」ようとも(!)、たまさかそこに出現してしまった「わけのわからないもの」の「ざらつき」をこそ、いまわれわれは擁護しなければならない、と。そしてその「ざらつき」を、「わかりやすく」「滑らか」になっていこうとする世界に対置しなければならない、と。それは、いわば「理不尽」な抵抗である。
たぶんに牽強付会かもしれないけれど、私は、上野千鶴子の次のような言葉を思い出していた(正確に言うとどこかで上野千鶴子が「似たようなこと」を言っていたような気がし、それで探してみたところ、私が「似たような」発言として捉えていたのはおそらく次の言葉だったと思われる)。

思想的であるということは、痩せ我慢をするということです。
上野千鶴子「不安なオトコたちの奇妙な〈連帯〉」(『バックラッシュ!』所収、双風舎)

 これもまた「リベラル」な感覚をひどく逆撫でするにちがいない言葉である一方、どこか解放感をともなった態度表明でもあり、まあ単純に言ってしまうと「わからないものを読む/書く」という「痩せ我慢」によって支えられる「(有効な)思想性」というものがあるのではないかと、そういうふうに私はつなげて考えた次第。
そうそう、ところで前掲の発言は、もっときちんと引用すると、次のような流れのなかで登場する。

ナイーブでなくシニカルでありつづけるためには、知的体力がなければいけません。知的であるということは、批判的であるということで、批判的であるということは、まず第一義的に自己批判的であるということです。とはいえ、誰だって自己批判などやりたくない。さらに、思想的であるということは、痩せ我慢をするということです。
同前

 ここでは「シニカルであること」が肯定的に語られている。対置されているのは「ナイーブであること」だ。アフタートークのなかで宮沢さんは「シニシズム」に対して断固否定的であろうとしつつも、それが内包(もしくは隣接)する「批判的態度」について、いわば「肯定的なシニシズム」とでも言うべき何かが、一方の側面としてきっと存在するのだろうとも述べた(正確には宮沢さんは「肯定的なシニシズム」という語の用い方をためらい、最終的には「肯定的な批評性」と言い直していた)。また、その場で、絓さんが「シニカルであること」に対置して使っていたのは「ポジティブ」という言葉だった。ひょっとすると、いや、思いつき以上のものではないのだけれど、先の文章で上野が「ナイーブ」に対置して使う「シニカル」こそが宮沢さんの言う「肯定的な批評性」なのであり、一方で断固否定されるべきは「ポジティブ」にまで対置されるような意味でのそれであると、ひとまずそのように用語を整理することはできないだろうか。ナイーブさに対して批判的でありつづけつつ、しかしけっして批判的態度それ自体が目的であるかのように見誤ることもなく、目線の先には希望を(いまは見えないとしても)見つづけること。宮沢さんが試みようとする「シニシズムの否定」とは、たとえばそうしたことだろうか。

本日の参照画像
(2006年11月15日 02:44)

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/ 10 Nov. 2006 (Fri.) 「『鵺/NUE』」

兄弟による奇妙な文通のことはさておいて、ひとまずこの日の興奮のことを記しておかなければならない。今日、『鵺/NUE』の舞台を観た。
開演の20分ほど前に劇場に着き、言われてあったとおり、受付席にいる永井さんを目指して財布を取り出す準備などしつつ歩いていくと、「今日の分は招待」と思わぬことを告げられ、ありがたくチケットを受け取る。席に着いてみるとこれがかなりいい席である。しかもびっくりすることには、私の隣の隣に座ったのが、(すでにロビーでは見かけていて驚き済みだったが、その)蜷川幸雄さんなのだった。この日記を読んでくれている人の大半が同時に宮沢さんの「富士日記2」の読者でもあると思われる状況で説明するのも余計かと思われるけれど、今回のこの『鵺/NUE』を蜷川さんが観に来るということの事件性については、わかりやすく特別な理由があるのであって、それはつまり宮沢さん自身が説明するように、

なにしろ清水邦夫さんの初期戯曲を多く引用しており、それをかつて演出していたとおぼしき「演出家」が登場するこの劇において、それが誰をモデルにしているかは明白じゃないか。

 という訳である。といって観劇後のいま、もちろんそうした「事件性」のみが私を興奮させているのではない。
いくぶんかの予兆があったというのは、開演前においてすでに、その舞台装置にちょっとやられていたからだ。グレイスケールの階調のなかに抑えられた端正な舞台装置。端正であるという点では、むろんいつだって、たとえば『トーキョー/不在/ハムレット』の場合だってそうだったけれど、グレイスケールのトーンがそれをさらに際立たせて、「まあ、北関東じゃあこうはいかないよな」というかっこよさを「トランジットルーム」は漂わせる。
幸福な予感は開演後まもなくさらに強まる。ひとりひとりの人物や、そこから浮き上がってくる物語の際立ち方が、先日観た通し稽古の印象よりもずっと、格段によくなっていて、まるでちがうものがはじまったかのような印象さえあった。客席は、よく(あとで聞いたところによると「これまでになく」)受けていた。随所で笑いが起きる。反応のいいお客さんに役者も乗る、という面が少なからずあったかもしれない。途中、そんな笑っちゃって、ちょっと大丈夫か(後半に向かって劇のリズムを狂わせやしないか)と思われるほどだったが、それは杞憂だった。劇のリズムは狂わなかった──あるいは、劇の側がそれ以上の狂気をきちんと孕んでいた。
便宜上「劇中劇」と呼んでしまいがちな、清水邦夫戯曲からの引用部分は、しかしけっして「劇中劇」としてではなく、「劇」としてそこにあった。引用の織物に縫い目はなく、逆にすべてが引用なのではないかとさえ思えたのは「劇についての劇」である『鵺/NUE』においては当然のことなのかもしれないものの、そこに宮沢章夫の凄みがあった。「かなり無意識に戯曲を書いた」と宮沢さんは言い、じゃあそれはそうだったのだろうと承知するとして、ならばそれを意識にまで浮上させてくれた役者の身体に乾杯しなければならない。幸福な夜に私は立ち会った。
宮沢さんのクルマで下北沢まで送ってもらい、そこから上村君とふたり井の頭線に揺られながら、さらに舞台についてよくしゃべる。刺激的だった。

(2006年11月13日 19:21)

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/ 7 Nov. 2006 (Tue.) 「兄の薬師丸ひろ子への愛を語ることで自身の薬師丸ひろ子への愛を語る」

ところでこのあいだ、日記の終わりに

薬師丸ひろ子の話から兄につなげて、それから西遊記の話にもっていこうかと思っていたのだったが、それはまた次で。

 と書いたことに対して、それ、いったいどういうふうに「つなげ」るんだと思われた方もあるかと思うが、説明するとしごく単純な事情があって、つまりその昔、世代的にもど真ん中であるところの次兄は薬師丸ひろ子のファンだった時期があるということだ。まあ、ブームの規模からすると、当時を生きた青少年の多くがみな等しくそうだったように彼もまた、というような現象だったのかもしれず、それは幼いころにたまさか「おいしい」と口にしたものが「ちゃんの好物」としていつまでも親戚の者などの間で認識されつづけるような事態にも似て、兄に言わせれば「いつまでもその話題を持ち出してくるんじゃないよ」という話かもしれないものの、まあ、長兄と次兄が高校までを過ごした子供部屋をそののちあてがわれ、両者が残していった蔵書やレコードに囲まれつつ育った者として、そこにあった「趣味の残り香」について記憶を書かせてもらうならば、次兄の場合たとえばそれは「薬師丸ひろ子」や「片岡義男」だったわけだ。薬師丸ひろ子関係はビデオ(多くはテレビ録画)もレコードも写真集も揃っていて、だから、逆に言えばそれほど世代でもないのにブームを追体験してしまっている私のほうがちょっとまずいことになっているとも言えるのだった。
と書いているうちに後年の兄がファンだった当時をふりかえって説明していた言葉を思い出した。くだらないので紹介しよう。『セーラー服と機関銃』と『時をかける少女』が代表的であるように、当時、薬師丸ひろ子主演映画は二大看板であるところの原田知世主演映画との二本立て上映というのが基本だったわけで、さらにはおそらく映画館が「入れ替えなし」だったりもして、日に何度も『セーラー服と機関銃』を観るというようなことを兄はしていたらしいのだが、そんな兄がはじめて『時をかける少女』を観たのはそのあと何年も経ってからだった。兄は言う。「硬派のひろ子ファンは原田知世を認めず、同時上映作品のあいだロビーに出ていた」。
で、妻には内緒だが、ついつい『薬師丸ひろ子 限定プレミアムBOX』を買ってしまった私がいるというのはこのあいだ見返した『セーラー服と機関銃』がかなり面白かったからだ。相米慎二という人のチカラが大きいように思える。DVD BOXに含まれるのは『セーラー服と機関銃 完全版』と『翔んだカップル オリジナル版』(ともに相米慎二監督)、および『メイン・テーマ』(森田芳光監督)の3作品(+特典ディスク)で、何というか、「監督の名前で言い訳のできる」セレクトになっているわけだが、とくに目当てなのは『翔んだカップル』だ。もちろん兄の所蔵ビデオのなかには『翔んだカップル』もあったが、どういうわけかこれだけ見ていないと記憶する。いや見たかなあとも思うものの、少なくとも中身の記憶はまったくない。まったくないながら断言すれば、これ、きっと面白い。

クライマックスのもぐらたたきのシーンに生まれる情感と身体感は、20年経っても変わらず力を持っている。

 と、浅野君が2006年3月18日の日記のなかでこの作品を観た興奮を語っているというのはDVD BOXを注文したあとでたまたま知ったのだけど、おそらくこの興奮はそのとおりなのだろうと想像するところだ。
しかしなあ、先日レンタルながら『里見八犬伝』を見てしまったのはこれはもう、薬師丸ひろ子以外の要素での言い訳がきかない事態になっているのであって(まあ、多少無理をすれば「ヨネヤマママコが見たかった」とか、もっと無理やりながら「成田三樹夫が見たかった」とか言うことも可能かもしれないものの)、「薬師丸ひろ子がもっと見たくなってしまった」と正直なところを述べるほかないのだった。で、見ていて驚いたのは、これまた「もういいよ」という話題かもしれないものの、『里見八犬伝』の薬師丸ひろ子がとても南波さんに似ていたことである。何がトリガーになっているのか(顔なのか、表情なのか、声なのか、せりふの調子なのか)突き詰めるとまだよくわからないが、ごく普通に「あ、似てるなあ」と思ったのだった。

夜、会社を中抜けして六本木の青山ブックセンターへ。再刊された『考える水、その他の石』のサイン会+ミニトークに行き、宮沢さんに会う。
そうだ、過日の話になるが村田裕子さん作・演出の舞台『しあわせあまたあめあられ』を観に行ったという話も書こうと思っていたのだったが、薬師丸ひろ子だけでだいぶ長くなってしまった。またあらためて。あと、西遊記の話とか、「日記募集」企画の今後とかもまたあらためて。

(2006年11月 8日 06:47)

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/ 6 Nov. 2006 (Mon.) 「謝辞」

みんな、ありがとう。11月5日付の日記をありがとう。
結局、4人の知人から4つの日記が届き、掲載したのはそれらを切り貼りしたものである。4人というのは送ってくれた順に、恭子ちゃん(上山君の奥さん)、吉沼、上山君、永澤で、前3者は5日以前に送って寄こし、永澤だけが6日に、おそらくほんとうに自身の11月5日の日記なんだろうと想像されるものを書いて寄こした。切り貼りした結果使っていない部分になるが、永澤の日記の書き出しは、

今日は予定外の仕事.
やっと会う約束まで出来たのに,それがつぶれてしまったよ.

 というもので(ちなみに永澤はいつも句読点に「.」「,」を使うが、掲載時にそれだけ修正させてもらっている)、当然気にかかるのは「つぶれてしまった」という「会う約束」なるものだ。下世話な深読みながら、「つぶれてしまったよ」と嘆いてみせるその顔はどうも嘆きとは遠く、にやついているようにさえ想像されて、つまり何て言うんでしょうか、そうした響きがここにはこもっているように受け取れてしまうのだが、ここはひとつ、私が代表して訊くとするか。
デートすか?

11月5日付の日記の第2パラグラフ(「エマール」と間違って「液体アタック」を入れる話)は、これ、私の昔の日記(2002年11月13日)である。これを送って寄こしたのは吉沼で、これを含め、私の過去の日記をカットアップして再構成したでたらめな日記をくれた次第だ。
「髑髏坊」なるキャラクターが出てくる部分が上山君(どうでもいい知識ながらこの「髑髏坊」はいわばシリーズもので、上山君が自身の日記だったかどこかで以前登場させていたはずだが、いまざっと探したら見つからなかった)。「にんじん」の箇所がその奥さんの恭子ちゃん。上山君の10月26日の日記を見ると、

 妻、ニンジン狂い。語尾に「ニンジン」をつけて話している。困った。

 とあるから、これも当人のじっさいの「日記」だったのだろうと想像される。
まあ、ともかくありがとう。で、これ、楽しいなあ。私は書かなくていいからラクでいいし。うーん、俺が楽しいだけだろうか。

(2006年11月 7日 22:06)

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/ 5 Nov. 2006 (Sun.) 「私はそれを弾くことができない」

今日は予定外の仕事。朝からあいにくの雨。
朝はやく起き、出社前に全自動洗濯機をひと回しする。「エマール」を使い、セーターなどのドライクリーニングものをまとめて洗おうというのが主眼だが、あれやこれや洗濯槽に放り込んでおいて「液体アタック」を適量計り、入れてしまう。くせか。それは私の「くせ」ということになるのか。いったいどうしたものかと思案しかかるが、さらにそこに「エマール」の適量を注ぐことにし、「ドライ」のボタンを押して洗濯機を回す。
出掛けようと傘を開くとそこに髑髏坊がいた。髑髏坊はお尻の形が人間の頭蓋骨に似ている全長2cmくらいの蜘蛛で、北関東弁をしゃべることで知られている。

「あれ?おめー、どこ行くの?」
(「どこ行くの」は極度な尻上がりで発音されています。ドミソ#ラドくらい)
「あ、えと、郵便局ですけど」
「え、歩きで?」(歩きで→ミファラド)
「ええ、まあ」
「したっけおめえ、歩いちゃ遠いっぺよお。20分くれえ掛かるんでねえの?車使えば?車ならピューッとあっというまだべよ」
「いや、車持ってないんで」
「そっかあ、じゃあ仕方あんめえなあ、まあそのおかげで俺とゆっくりと話せるってものだけんどな」

 それから僕らはいろいろな話をしながら歩いた(髑髏坊は上野樹里のコメデュエンヌとしての才能の深さについて力説していたが、僕はその女優のことを余りよく知らないので、適当にあいづちを打っていた)。
郵便局で用事を済ませ、さあ帰ろうと傘を開くと、そこにもう髑髏坊の姿はなかった。iPodでも聴こうかとイヤホンを取り出したけど、やっぱりやめて、町の音を聴きながら帰った。
帰ってきて、「狂気人間」をみる。おしいなあ、いつ見ても。的矢所長が、最後の一言さえ言わなければなあ。ここで出てくる変調器。原理はわからないものの、きっと、脳波を加速させて狂わせるんだろう。今日は、仕事でお一人お見送りをしたのだが、モニター波形がゆっくり、そしてゆっくり遅くなって終わっていくのと対照的に思えた。突き詰めれば、我々の命やら精神活動やらは、波の強弱でしかないのだなあ。
「人参」と連呼しているだけでも歌になるものだなあ、と思う。人参に対する情熱(にんじん!)や、切なさ(にんじーん・・・)、うきうきする気分(にんじんにんじん)が、軽やかに音になってゆく。夕飯の人参の白和えがとてもおいしくて、すり鉢一杯食べてしまいそうになったところで、箸を置き、「もう、人参のことは忘れるにんじん」とつぶやいた。
隣では私の大切な人が、素敵な楽器を弾いている。私はそれを弾くことができない。

(2006年11月 6日 12:00)

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/ 2 Nov. 2006 (Thu.) 「『南波さん』と書くだけでおもしろいような気さえする」

米倉さんの日記(「ここではありませんのノート | キモカワイイ」)に笑った。

「キモイ、と言い切ってみたらどうだろうか」

 というのは、けれど、ほんとうにこのとおり発言したのだろうか。米倉さんが語調をととのえて、さらに面白くしているではないかという疑念は当然湧くところだ。
しかし南波さんが薬師丸ひろ子に似ているというのはどっから出てきた話なのか。私の把握するところではたしか言い出したのは笠木さんではなかったか。あるいは近場のブログをあさると、上村君の次のような記述が引っかかってくる。

「レイクサイドマーダーケース」を観に行く。緊迫した空気の中、一人だけ別世界に生きているような柄本明さんに釘付け。薬師丸ひろ子さんも好きでした。「詩人」の南波さんを思い出した。

 上村君のこの連想が裏書きするように、南波さんが醸し出すところのものは「最近の」薬師丸ひろ子なのだと、たとえば笠木さんの物言いに出会ったときなど私はもっぱらそう解釈していたものだが、しかし今回はなにせ『セーラー服と機関銃』である。すると、「最近」も「往時」もなく、もっと根源的なところで南波さんと薬師丸ひろ子は通底しているということだろうか。何が「だろうか」だ。
その南波さんはいきなりなことを言い出したもので、

セーラー服もそうなんだけど、最近は、バレリーナの衣装を着ておもしろいことになってしまいたい、と、ちょっと変な願望が出てきてるんだよね。

 とコメントをくれた。わくわくさせられる発言である。だいたい、バレリーナの恰好をしておもしろくなろうという意図がよくわからないじゃないか。ひょっとすると「ワーオ、イッチョメ、イッチョメ」のときの志村のような衣装をイメージしているのかもしれないが、そうではないとして、バレリーナはたいてい「きれい」だ。それを「おもしろい」ものとして見つめる南波さんの眼差しこそがここではおもしろい。たとえば想像してみよう。『エンジョイ』の公演も終わり、ひと段落ついた南波さんのもとに私の Power Mac G4 が届く。初期化してアプリを入れ直したりするのも面倒だし、だいたいは私が使っていたままの状態で問題ないと思うが、ちょっとは説明したほうがいいところもあるだろうと、都合を見て、セットアップの手伝いに私が南波さんの家に伺う。チャイムを押し、しばらくすると内側からロックを外す音が聞こえてドアが開くが、するとそこに立っているのはバレリーナの衣装を着た南波さんだ。おもしろいじゃないか。いや、そうではないな。私は南波さんの家を知らないから、おそらくは最寄りの駅前などで待ち合わせることになるだろう。改札を抜けたあたりで待っていると、向こうから駆けてくるのはバレリーナ姿の南波さんである。もっとおもしろいじゃないか。

薬師丸ひろ子の話から兄につなげて、それから西遊記の話にもっていこうかと思っていたのだったが、それはまた次で。
夜、「オーディション告知ページ」のデータを宮沢さんに送る。

(2006年11月 3日 18:15)

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/ 1 Nov. 2006 (Wed.) 「高まる更新欲はバイオリズムのせいか」

ひきつづき、11月5日付の日記は募集いたしております。

もう11月じゃないですか。誕生日が近づくこの時期にはサイトの更新欲が高まるというバイオリズムについては以前、誕生日がそっくり同じである上山君と「そういえばそうだねえ」といった話をしたことがあるが、今年はどうだろう。
オモテのブログのほうでも案内したとおり、この「Yellow」のページも Movable Type を使った生成管理システムに移行した。やればできるものだな。
すべてではないけれども、だいたいのところは管理画面からの入力で処理できるようにしたから更新はたいへんに楽である。HTMLを手書きすること自体は嫌いではないし(もともと私は「そこ」からやってきたのだし)、「管理画面でテキストを入力」と言っても、じっさいにはそのなかでタグを打つ場合もあるのだけれど、それでも、「データファイルからの解放」ということは気分的に大きい。日記を更新するときにテキストエディタでHTMLファイルを開かなくてもいいというのは、運動量からしたらごくごくわずかな差異のはずだが、かなり「身軽になった」という感覚を抱かせられる。これで、サイトの最新データを持ち歩かなくとも、そこにブラウザさえあれば手ぶらで日記を更新することができる。(まあ、じっさいには「日記の更新にあたっては不要」というだけで、サイトの全データを携えて日々家と会社を行き来している状態は変わらないし、というかほんとうを言えば、データはより「遍在化」したと言えるわけで、身軽になったどころか、よりその日常をデータに囲まれることになってるわけだけど、それはそれとして。)
それから、システムとしてはやっぱり「個々の日記に対してコメントできるようになった」というのが大きい。

さて、

兄(そうまあきら)の、次回以降の作品について少し話が出る。そのひとつが「西遊記」をモチーフとしたじつにくだらない企画なのだが、声の出演として、ラストソングスに参加してもらうというのはどうかという案が出た。実現すれば、かなり面白いものになると思われる。

と書いたところ、BBSのほうに兄からリアクションあり。

ホントに実現する気になってますので、ラストソングス方面の交渉よろしくお願いします。

とのこと。まあそのつもりで、ジャブとしてここに書いてみたわけですが、謙一さんとか見てますかねここ?

(2006年11月 2日 14:00)

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