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Apr.
2018
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/ 13 Apr. 2018 (Fri.) 「ツイッター記念日」

あー、いたねえ、こういうの。

ロビン。2017年1月。舌を確認できる最後の写真。

10:14
そろそろ起きたら?

「今日は君のツイッター記念日だからそれをネタにつぶやいたらどうか」とアプリに促され、殊勝にも促されるままにつぶやいたのがこちら。土屋(アソビ)さんからのリプライも続けて。

@soma1104: 11年前(2007年)の今日、ツイッターのアカウントを作ったらしい。ツイッターのトップページにまだ、全ユーザーのツイートが流れる「パブリックタイムライン」が表示されていたころ。たしか作って最初にフォローしたのが @wtbw さんだったと思う。 #MyTwitterAnniversary
2018年4月13日 10:36

@wtbw: @soma1104 やっぱパブリックなやつだったよねー最初。あれはめちゃ早く流れるのですごく楽しくて、「世界だー! 世界のナウだーー!」と思ってすごく楽しかったのに、あれがなくなったのはすごく残念でしたよー
2018年4月13日 12:56

@soma1104: @wtbw ですよねー。それでも「めちゃ早く流れる」くらいでまだ済んでたってことなんでしょうが、あれがなくなったのはほんと、惜しまれます。
2018年4月13日 13:31

 ちなみにツイッターのサービス開始は 2006年7月なので、一年ほどしてから存在を知り、アカウントを作ったことになる。
パブリックタイムラインが直接トップページに表示されるデザインはわりあい短命で、Wayback Machineで確認するかぎり、そのかたちが見られるのは 2007年10月31日の版までだ。その後デザインが変わってトップページからは消えるが、パブリックタイムライン自体は http://twitter.com/public_timeline という URLのページで見ることができた。このページは 2012年7月13日の版まで確認できる。そして、ついにパブリックタイムラインは── API的にも、概念的にも──完全になくなるのだが、それはサービス規模的に「それどころじゃなくなった」ということを超えて、象徴的な出来事だったようにいまは思える。
受容することが土台不可能な情報の速度と量ゆえにじっさいには何ひとつ使い途のない──その意味で「ないに等しい」──ものであったとしても、パブリックタイムラインは、「ある」というそのことが重要だった。それがいまはほんとうに「ない」のであり、そのことの差は大きい。ユーザーの数だけのタイムラインがあり、いかに工夫しようともけっきょく自分自身を読むことしかできないのが(自分の)タイムラインなのだとして、その〈外側〉に出ることもいざとなれば可能なのだということ──そこに〈全員〉が地続きでいる、パブリックな広場が少なくともどこかにはあるということ──を保証していたのがパブリックタイムラインだった。
書いているうちに「はたしてそうか?」という気にもなったが、それはまた後段で。
で、ユーザー歴丸11年の記念日だと言われれば、ついつい最初のツイートが何だったか──もちろんすっかり忘れている──を確認したくなるのが人情だが、手を尽くした結果、これらしいと知れる。

@soma1104: 帰るのだ。
2007年5月8日 21:44

 4月13日にアカウントを作ってからほぼ一ヶ月後にやっとつぶやいたこれがどうやら最初のツイート。傾向はたいしていまと変わっていない。あと、アイコンは実証がないものの、たしか最初はこの写真じゃなかったかなと復元している。
プロフィール設定のところにある「全ツイート履歴をリクエストする」というやつもはじめて使ってみた。手に入ったデータはここに上げてある。これがわたしの全ツイート。
まあ、いろいろと懐かしいのはたしか。

@soma1104: QuietComfort2を注文。 *tp
2007年5月9日 12:30

 この「 *tp」っての、何かの記法だったのだと思うが、全然覚えてない。(いまちょっと調べた。)あー、「 TwitterPod」か。TwitterPodから投稿すると自動的に付いたんだったか。
時期はちょっとちがうが、初期のツイッターを興奮気味に扱っている日記は 2009年7月の「Twitterの夏、その他の朝」
「はたしてそうか?」という話。仮に原理上、「タイムライン」はどこまでその範囲を広げても自分自身を読むことしかできないものなのだとして、するとパブリックタイムラインもまた例外ではないのかもしれず、だからたんに、それが提供されていた 2012年ごろまでのユーザー規模においては、ツイッターの世界的コミュニティ全体でもって、まだ〈それ(=パブリックタイムライン)を自分自身として読む〉ということが夢想可能だった、というだけのことなのかもしれない。とも思ってみたり。だんだん何を言ってるのかわからなくなってきましたが。

Walking: 3.2km • 4,466 steps • 49mins 43secs • 153 calories
Cycling: 2.5km • 13mins 20secs • 55 calories
Transport: 70.1km • 1hr 18mins 58secs
本日の参照画像
(2018年4月19日 12:28)

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/ 9 Apr. 2018 (Mon.) 「『洒落やないがな』とあのひとに言われました月亭可朝の死を悼む」

ロビン。明けて 2017年元旦。

18:11
あぎゃー。

月亭可朝の訃報を知る。あぎゃー、だ。亡くなった年齢こそちがうが、うっかりまだ聞けるだろうと思っていたこの感じは、志ん朝のときにちかいようなショックがある。そうそう、亡くなった年齢こそちがうが、志ん朝と可朝は同い年で、生年月日もそっくり同じだ( 1938年3月10日)
「祝80歳 可朝まつり 第3回可朝のハナシ」はお江戸日本橋亭で 3月11日に予定されていた。当然高座(ネタ出しは「住吉駕籠」と「野ざらし」)が予定されていただけでなく、桂吉坊が聞き手となる、ずばり「初期米朝落語を語る」という対談企画も組まれていた。開催の二週間ほど前になって可朝の体調不良のためにこの会が「延期」となったのは残念だったが、「日を改めて公演を行う予定でおります」としていた主催者のブログをわたしは素直に読んだし、仕切り直されたその日取りが発表されるのをただ心待ちにしていた。今回は主だったところ(?)に声をかけ、チケットを 5枚も取ってみんなで押しかけようとしていたので、また声をかけ直し、チケットをおさえ直さねばとそれだけを思っていた。むしろ、「体調不良で延期だって」と連絡したさいにみんなのほうが「えっ」と絶句しかかるような反応を見せたのを、こちらはなだめてまわってさえいた。だってねえ、公演延期のお知らせに言付けられていた「メッセージ」は、それこそこんなに颯爽としていたのだから。

『この度は、日頃の不摂生が祟りまして、入院加療が長引くこととなりました。可朝80歳を楽しみにしていただいたお客様にはまことに申し訳ございません(満員を頂いていると聞いております)が今しばらく時間を下さい。よりエロくなって高座に復帰いたします。お許し願います。月亭可朝拝』
謹告2 可朝まつり 公演延期のお知らせ | 有限会社宮岡博英事務所のブログ

けっきょく可朝を生で聞いたのは一回きりになってしまった。2012年5月に川柳川柳とのふたり会を聞いたのだが、例によって肝心なことを日記に残していないわたしだ。ツイートとして残っている当日の興奮はこんな感じ。

@soma1104: 可朝、すばらしかった。思っていたとおりだった。
2012年5月27日 15:54

@soma1104: ネタこそ軽かったけど、漫談部分も含めて思っていたとおりの、あるいはそれ以上のじつに正統な語り口。言ってる内容をべつにすればまさしく〈米朝〉な心地よさと品のよさ。ま、こちとらハナから「のまれて」もいるしね。やっぱり大阪での独演会も行っとかないとだめかなあ。あ、月亭可朝さんの話っす。
2012年5月27日 23:53

『ユリイカ』の桂米朝特集( 2015年6月号)を読み返す。ここに載っている可朝のインタビューがいいのだ。じつに冷徹に、理知的に、米朝のことも落語のことも考えているのがわかる。その可朝が、インタビューのなかでやけに南光を買っているのがうれしい。米朝の特集を組むような君らはひょっとすると見過ごすかもしれないが、いいか、南光はすごいのだ、と言っているように聞こえる。

米朝が死んだら上方落語は終わりやということはまったくどこにもありません。かえってそういう〔むしろ江戸風味に近かった米朝とはことなる〕大阪風味の落語がウワーッと出てくる可能性が高くなったと僕はみるべきやと思う。ほんだらそのためのひとがおらんやないかと言われたらおると。桂南光ちゅうのがおるから。
月亭可朝(聞き手=編集部)「上方落語の吹き返し」『ユリイカ』2015年6月号、p.122-123

若き可朝がその場に居合わせたという、先代馬生と米朝とがふたりで飲みながら「算段の平兵衛」を復元する話はスリリングだ。『ユリイカ』のインタビューにも言及があるが、これについては同時期の記事で、米朝追善一門会を目前に控えた可朝に毎日新聞が取材したインタビューのほうがより具体的なことをしゃべっている。

 これ〔「算段の平兵衛」〕はもともと埋もれてたネタなんですよ。米朝師が埋もれてたネタを掘り起こして、今の時代に生かそうと考えてね。僕もそばで見ておりました。(十代目金原亭)馬生師匠と東京の居酒屋で飲んでたときに、この話がぽんと出てきた。「あれはこうやったな」「そうなんですよ、それでね、こういうふうに展開してね」と2人で思い出しながら話してね。

 ところが、2人でいくら話しても、どこへはまるか分からなかったくだりがあったんです。(平兵衛が殺した庄屋の死因を偽装するのに)ネタの中では首つりに見せかけ、盆踊りの中で踊らせ、最後は崖から落とす。けど、もう一つ、ヤクザの抗争に巻き込まれたように見せかける、というのがあったらしいんです。でも、噺の流れでどうやってそこへ持っていくのか、どうしても分からなかった。それで結局、今のネタには入ってないんです。あれはどこへ入るんやったんかなあ、というのは何度も言ってたね。
月亭可朝インタビュー「上方落語の『らしさ』出さな」「毎日新聞」2015年7月16日

 あー面白い。
これはブログ記事からの又聞きだが、可朝が語っていたという「名人論」がまたすごい。2010年5月、立川談春とのふたり会でのトークの内容を、いくつかのブログがこう採録してみせている。

面白かったのは、可朝さんが談志さんの落語は二流だ、と当人に向かって言った話。
可朝さんいわく、「情景描写をする前に俺は上手いだろう、と思わせてしまうのは二流」とのこと。その視点からすると、文楽さんも円生さんもそうなんだとか。それに比べて、志ん生は凄かった、という話。
月亭可朝・立川談春 二人会@日経ホール。(長文ご容赦) | AD/Marketing-BIZな日々 by T.Suzuki

「上手い、が先に来る落語家は二流。文楽、圓生、談志といった普通の名人はみんなそう。志ん生だけが一流、上手いと思わせるよりも客全員に客それぞれの情景を思い浮かべさせることができたから」
だそうで。
可朝談春二人会: 日々備忘録

 これにうんうん首肯きたい気持ちも山々ながら、しかし一方で、「なるほど」と即座に引き取るのが憚れるような、これは「すごい」名人論だ。ここに語られる「名人」は途轍もない大きさのものであり、そして間違いないのは、可朝が、ものすごく大きな「落語」というものを見ていたということである。ここに言われる「一流」の座に、志ん生が座らされているのはおそらく可朝自身の強烈な志ん生体験があったからだろうが、言ってしまえばその指名さえ(可朝の考える「落語」というもののなかで)偶々のことであって、志ん生ありきの凡庸な序列が語られているのではきっとない。
『ユリイカ』の米朝特集には米團治のインタビューも載っているのだが、そこに登場する可朝がまたかっこいい。米朝の葬儀の場で、米團治にむかって可朝が「君が米朝を継がなアカンがな」と言ったという話で、いちおう付言すれば、系譜的な名前の上下関係のなかで元来「米團治」は「米朝」よりも大きな名前であり、当時すでに「米團治」を襲名済みである彼がこのさき「米朝」を継ぐというのはふつうの理屈から言うとヘンなのだが(「志ん生」になった人間がそののち「志ん朝」を襲名するような感じか)、ここにあるのはおそらく、そうした名前の大小とはまたべつの、可朝にとっての理屈──米朝という存在への思いと、米團治への思い──なのだろう。

葬儀のときに月亭可朝さんが「君が米朝を継がなアカンがな。時期はあとでええ、せやけど、その覚悟はもっとけよ」とあの可朝さんが言うんですから不思議ですよね。そのときは遺族としてこの名前をもっておいていずれオークションで売りますわみたいなことを言うたんですけど、「洒落やないがな」とあのひとに言われました。
桂米團治(聞き手=編集部)「落語家の名前──桂米朝の家に生まれて」『ユリイカ』2015年6月号、p.97

Walking: 3.1km • 4,436 steps • 49mins 5secs • 146 calories
Cycling: 2.5km • 12mins 50secs • 54 calories
Transport: 70.5km • 1hr 17mins 22secs
本日の参照画像
(2018年4月17日 23:45)

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/ 7 Apr. 2018 (Sat.) 「コントめく春に笑いの数を数えつつ」

ロビン。2016年12月31日。大晦日のこの日、妻は帰省せずロビンと年を越した。

春は急にコントめき、夜、下北沢の本屋 B&Bに「いとうせいこう連続企画『今夜、笑いの数を数えましょう』第5回」を聞きに行く。いとうさんと宮沢(章夫)さんの対談イベント。おふたりの対談を公の場で聞くのは三度目で、過去のそれは 2009年11月の池袋コミュニティ・カレッジでのトークイベント(宮沢さんの『時間のかかる読書』の刊行記念)と、2011年10月『トータル・リビング 1986-2011』でのアフタートーク。ちなみにいとうさんは昨夜の「明日のアー」の客席にもいて、二夜連続で会うかたちとなった。
対談内容についてはいずれ雑誌掲載(『群像』)のかたちできちんとまとまる予定のものなのでわたしがどうこうレポートするまでもないのだが、とはいえ印象の深かった話題にちょっとだけ触れておくなら、ひとつはいとうさんが説明した、「ぼくが見たコント55号のコントのなかで、いちばんすごかった欽ちゃんのツッコミ」。
いとうさんの記憶では坂上二郎さんがクルマの保険を売るセールスマンで、欽ちゃん相手に売り込むのだが、その過程で欽ちゃんに請われて、クルマのかたちを指で描かされる。「ですからクルマはこういう……」と空中に輪郭を描いてみせる二郎さんの指は、そういう所作でよくあるように、描き終わりのところが「ふわっとなる」。で、欽ちゃんはそこを見咎めるのだ。その「ふわっとした部分」を指摘して「ここは何?」とツッコむ欽ちゃんの、その〈角度〉にいとうさんはそのとき驚嘆を覚えた(で、容易に想像できるように、そのコントでは以降そのやりとりだけが延々繰り返されるのだった)
東八郎さんの話になったとき、「全盛期は(見えていないはずの)真後ろにツッコんだっていうからね」と、いとうさんがプレーヤーとしての憧れを言っていたのも印象に残っている。
権威にはなりたくないというのが心情だけれど、齢が齢だけに知らず知らず権威性を帯びてしまっている局面があってもおかしくはない。たとえば俳優たちは宮沢さんの台本を読むときに、ありがたいものを授かるように〈戴いて〉しまってはいないか、というようないとうさんの指摘。「ぼくらはさ、台本を上から見てるじゃん。ああ、宮沢さん今回はこう書いてきたかあ、だったらここはこう演ってやろうか、みたいな」。プレーヤーの側にそうした「メタレベル」があるかないかは、笑いが起きるか起きないかにおいて大きいという話。
「今日は宮沢さん、笑いについて 3つ、これを話そうっていう重要なことを事前に考えてきて、で、直前にそれ全部忘れちゃって、いま話してるでしょ?」「うん」「だからこっちはいま、ずっとつないでるんだから、宮沢さんが思い出すまでのあいだを」「思い出せないもんだね」。といったようなやりとりののち、あらためて当時、いちばん何を考えて笑いを作っていたかという問いに宮沢さんは「ほかのやつらの笑いには絶対負けない、っていうね」「精神論じゃん(笑)」。主線(主旋)と関係ない動きがあること、本質とはちがうところで何かが起こってることを面白いと思う、と宮沢さん。あるいは、ラジカル・ガジベリビンバ・システムの作家・演出家といういわば「権威」が、本来語るべきこと(笑いについての、重要な 3つのこと)はべつにあるという前提のもと、けっしてそこへ至ることなくどうでもいい話をしゃべり続けることもまた、同様の構造のもとにあるのかもしれない。
あと、シティボーイズミックスのときのエピソードの、「ヤーレン」はやっぱり面白い。この「ヤーレン」については前に宮沢さんから聞かされて大笑いしたのだけれど、今回はそこに、プレーヤーの側から悔しがるいとうさんの視点が加わることでより立体的に聞こえた(ぼくも、「ヤーレン」は絶対に面白いと思うひとりだ)
終わって声をかけられるまで気づかなかったが、宮崎(晋太朗)君が聞きにきていて、それでしばし立ち話。しているところを今度は宮沢さんに声をかけられ、ふたりで打ち上げにまで同席させてもらった。打ち上げではライターのモリタタダシさんと、放送作家の大野ケイスケさんがラジカルフリークぶりを遺憾なく発揮されていた。
終電の都合でひとり早く帰った宮崎君だが、話を聞いているととても精力的な様子で頭が下がる。「あっ、だったら」とひとつ誘ってみた落語会(けっきょく落語かよ、おれ)は残念ながら都合があわなかったが、まあ、いずれまた、ゆっくり話しましょう。

Walking: 1.5km • 2,542 steps • 28mins 26secs • 73 calories
Cycling: 1.3km • 7mins 5secs • 28 calories
Transport: 42.4km • 53mins 56secs
本日の参照画像
(2018年4月15日 14:36)

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/ 6 Apr. 2018 (Fri.) 「『ドードー』のチラシ / 明日のアー」

裏面もどうぞ。

「あなたのお茶」。

ロビン。2016年12月。鼻の頭に付いているのは缶詰フードだ。

「スヌーヌー」というひとりユニットを新たに立ち上げた笠木(泉)さんが作・演出し、踊り子ありさんが出演するひとり芝居『ドードー』は、三鷹 SCOOLで 5月31日〜 6月2日まで。そのチラシのデザインはわたしだが、例によって「いかに何もしないか」というようなデザインに仕上がった。できれば、「絵の魅力を前面に出す」なんていう意図にさえ気づかれたくはない、なるべく無防備なチラシをめざした。3月の末に入稿したそれが刷り上がり、そろそろ各所へ渡りはじめる。
チラシで使っている絵は「タムナデ姉妹」の姉、「タムナデ姉」さん(なんだこの何ひとつ説明できていない感は)が、踊り子ありさんをモデルに描き下ろしたもの。チラシで使っていないものも含め、4枚の絵を描いてくれた。デザイン作業に入る前に 3回会って打ち合わせたのだけど、その 3回目に描き下ろされたばかりの 4枚の原画を受け取り、その足ですぐ〈わたし御用達〉1]のスキャン業者、「マック・スキャン」に向かう。

1:わたし御用達

最初に利用したのが 2010年『ジャパニーズ・スリーピング』のチラシのとき(鈴木理策さんの写真のスキャン)で、のち、2012年・シティボーイズミックス『西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を』のチラシ(同じく理策さんの写真のスキャン)、2014年『ヒネミの商人』のチラシ(ヒネミの地図と初演時の舞台写真のスキャン)で頼りにさせていただいた。

 で、麹町から歩いて曙橋まで、4年ぶりとなるマック・スキャンへ意気揚々と向かったところ、事務所が移転していた。サイトを確認しても旧住所のまま何の案内もなかったが(現在はちゃんと書き換わっている)、電話して訊くと去年移転したそうで、そこからさらに山吹町まで一路タクシーで移動し、無事、原画を渡して 4枚ともスキャンを頼む。旧住所に無駄足を踏ませてしまったお詫びもあってか、その日の夜遅く、何時間か後には早くもデータが届いた。あと、事務所で帰りがけ、サンガリアの 500mlペットボトル「あなたのお茶」もくれた。
そんなこんなでチラシの出来上がったスヌーヌーの『ドードー』だが(まあね、今回のチラシは絵をきれいにスキャンできた時点で八割がた完成したようなもんなんでね)、ご縁があればぜひ、三鷹の SCOOLまで足を運んでいただきたいと思う。そこにはたぶんチラシに描かれたこのひとがいて、しゃべったり、動いたりしているはずである。
で、今夜はその同じ SCOOLで、「明日のアー」のコント、『会話表現Ⅰ・Ⅱ』を観る。大場(みなみ)さんと。明日のアーを観るのは『猫の未来予想図Ⅱ』以来で二度目だが、「俳優公演」と銘打たれた今回は小浜(正寛)さんが出ている(ふだんの明日のアーは〈一般人〉と〈プロ〉が入り混じるコントの団体だ)
うん、小浜さんだなー、やっぱり。あのうまさはいったい何だろうというくらいよかった。そしていろいろ考えさせられ、考えねばなあと思う。春、また、コントのことを考える季節がめぐってきたのかもしれない2]
受付を山村(麻由美)さんが手伝っていた。終演後には物販を担当していて忙しそうだったためこれといって話すでもなく会場をあとにしたが、後刻連絡すると感想を聞きたかった、話したかったと言葉をくれる。そうだね、それについちゃあ今度、ゆっくり話しましょう(そんな山村さんの出る、平田オリザ作・演出の舞台『革命日記』はこまばアゴラ劇場で 4/14〜 30まで)

2:春、また、〜めぐってきたのかもしれない

何言ってやがんだ?

Walking: 4.7km • 7,066 steps • 1hr 13mins 2secs • 222 calories
Cycling: 2.5km • 12mins 38secs • 54 calories
Transport: 70.4km • 1hr 16mins 10secs
本日の参照画像
(2018年4月13日 17:30)

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/ 1 Apr. 2018 (Sun.) 「Apple TV 4K」

いや、これはべつになんでもなく。

ロビン。2016年12月。

きのう届いていた Apple TV 4K( 64GB)をテレビにつなぐ。エイプリルフール。だからというわけではないが、いま、これを書いているわたしは、あなたの記憶にある相馬と較べて、間違いが 5つある。それはどこか。
とあるソフトウェアをネットで買うために、決済の都合から Vプリカ(プリペイド式の VISAカード)を作ってそこに 15,000円ほど入れてあったのだが、その決済がどうにも「通らない」ということがあって、それ、基本的には販売サイト側の支払いシステムに起因する問題であったらしく、購入を試して「やっぱり通らない」となるたびにその旨をサポートにメールすると、毎度「新しい支払いシステムの導入が遅れておりご迷惑をおかけしております」といったお詫びとともに、当座の処置として試用期間をもう 20日分伸ばしてくれるのだけれども、その〈ダメでした→すいません、試用期間をリセットしました〉というやりとりを、去年のなかばぐらいからずっと、延々繰り返していたのだと思っていただきたい。で、ついに、こないだまたダメでメールをしたところ、「特例としてフリーライセンスをお送りします」というメールが来たのだった。

そんなわけで、15,000円の入った Vプリカが浮いたので、そこに少し足して Apple TV 4Kにあてた。といって、うちのテレビは 4Kではないので「 4K対応」の恩恵はないのだけれど、プロセッサのスペックが上がっていることにほのかな期待を寄せていたところ、見事それを実感できる視聴結果となった。
というのは、自分でエンコードした H265フォーマットのとあるムービー(サイズはばかでかい)があるのだけれど、それを iTunes経由で再生させると、いままでの第4世代 Apple TVでは──ほんと、それ一本だけなのだが──カクカクした動きになってしまっていた。H265という規格がそもそもアップル製品では採用されてまもないものなので、はたして処理速度の問題なのかどうか、tvOS側の問題なのではないかとか、こちらのエンコードに粗相があったのではないかとか、原因を掴みかねるところはあったが、それが 4Kモデルではスムーズに再生されたわけである。

Walking: 53 meters • 87 steps • 1mins 28secs • 2 calories
本日の参照画像
(2018年4月12日 22:34)

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