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/ 30 Nov. 2008 (Sun.) 「ポシュテ・イズ・フリー/句会の報告はまたあとで」

ロビンとポシュテ。なんだかよくわからないかもしれないが、灰色のかたまりのほうがロビンである。

芭蕉記念館の入り口にある門。

これが和室。床の間には小さな芭蕉像があってにらみをきかせる。拡大写真のほう、左端に写っているのは準備中の吉沼。

29日、ポシュテを病院に連れて行く。回虫は陰性。三種混合ワクチンの一回目を打ってもらい、これでついにポシュテは「専用の部屋」から解放される。そんなポシュテは体重が1.07kgに増えた。ワクチン接種にあたってはまれにアレルギーショックを引き起こす恐れがあるそうで、注射を打ってのちすぐ帰らず、待合いで15〜20分ほど様子をみるよう言われるのだが、ポシュテはべつだんどうということもなく、それどころか、ひさびさカゴに入れられて運ばれた行きの緊張がここへ来てとけたか、申し訳にカゴに入れてあったボールのおもちゃで遊びはじめるありさまだ。病院の先生から「きょう一日はなるたけ安静に」という忠告があり、興奮する機会を与えないようにと翌日まではまだ二階の専用の部屋に閉じこめておいたが、一日、そのなかを走り回る音が階下まで聞こえていた。
というわけでポシュテは元気だが、ちょうどポシュテが病院から戻ったあたりからロビンがおかしなことになった。何であるかはわからないし心当たりもとくにないのだが、何かを食ったらしい。それが喉にひっかかっているようで、吐こうとするが吐けず、また飲み込んでしまうということをくりかえす。喉につかえたそれが影響してか、食も細く、こころなしか元気がないという状態が一日ほどつづいて妻を心配させる。電話で病院に相談すると、「あまり食べない場合は缶詰を流動食の状態にするなどして食べやすいものを与える。食べるうちにひっかかっているものが取れることもあるが、症状が変わらなかったり、食べたものを吐くようなら(何かがひっかかっているのではなく)食道炎の可能性もある」という答えだ。たいして流動食でもないのだが、ここぞとばかり「好物」を与えるとそれは食べた。食欲そのものは一日で回復したらしく、食べたものを吐くということもないが、(何かがひっかかっているのだとして)その「何か」を吐くことも結局ないまま、まだたまに吐こうとする仕草も残るので取れてもいないようなのだけれどその頻度は徐々に減り、たんにそれ「その状態に慣れた」ということなのだろうか、ともあれ、ごはんどき、人が缶詰を手にしたときなどに大きな顔をこちらに向けて見せる〈期待の眼差し〉にはいまや以前のチカラが戻って妻をほっとさせるし、そうなると昼間基本的にずっと寝ているのは前からそうであるところの12歳なので、なんだかよくわからないが元気らしいということになっている。そして、そんな目に遭っているというのに隙さえあればビニールを食べようとし、妻に怒られている12歳でもある(なぜだか知らないが、ロビンは腹が減って食べ物がないとビニールを食う。妻が言うには子猫の頃かららしい)
ロビンがそうした状態にあることなど露ほども察しないポシュテがその尻尾にしつこくじゃれつき、あまつさえ飛びかかって噛んだりするのを、しかしロビンは粛々と受けとめている。なんて偉いんだ。そして、相変わらずピーはだめだ。ポシュテが自由の身となって以降、いよいよこそこそと身を隠している。ポシュテに見つかるや逃げる。妻が目撃したところによると一度、ポシュテがぐっすり眠っているところに近づき、ペロペロと舐めていたそうだが、舐められたポシュテが気づいて目を覚ますや逃げ去ったという。なんだそれは。
30日は「句会」。江東区芭蕉記念館の和室(研修室)はとても広かった。居心地もよくて、申し訳なくすら思う。主宰の吉沼と私のほか、南波さん、細江さん、編集者の竹村さん、さきごろ映画を撮り終えたばかりの赤羽さんが参加。楽しかった。詳しいことはまた日をあらためて書きたい。
読者のみなさまにはまったくどうでもいい話ながら、サーバの移転をもくろんでいる。長らくお世話になった 80code.com から コアサーバー に乗り換える。日記が少し滞ったのも(そして句会の詳細報告が少し後回しになるのも)そうしたことをちまちまやっていたからであり、じつをいって(80code.com上で運営しているもののうち)「web-conte.com」に関してはすでにデータの移行を終え、準備万端、新サーバ側でひととおり動くようになっているのだったが、まだちょっと移行できないというのは併せてドメインの移管手続きも開始してしまったからで、それが通常一週間程度はかかるといい、移管が済むまでネームサーバを書き換えられないことになってしまったからだ。ドメインのほうは gonbei.jp からバリュードメインへ。いつだったか、白水社のWさんが「なんか、バリュードメインってのがいいんでしょ?」と言っていたそのバリュードメインである。

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(2008年12月 2日 20:32)

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/ 27 Nov. 2008 (Thu.) 「何も共有していない者たちの共同体」

今福龍太『ブラジルのホモ・ルーデンス——サッカー批評言論』(月曜社)。帯のうしろには、「歴史として捏造されたにすぎない勝利や戦術といった概念に、サッカーのすべてを売り渡してしまう必要はないのだ。」の一文。表紙写真は森山大道さん。

今福龍太さんは新刊ラッシュだ。『ブラジルのホモ・ルーデンス──サッカー批評原論』(月曜社)がアマゾンから届く。『フットボールの新世紀』以来ひさびさのまとまったサッカー批評であり、一連の新刊のなかではじつをいってこれが一番読みたかった。「プロローグ」がいきなり(添えられている附言も含めて)感動的である。興奮のあまり全文を引用したいくらいだけれどそれは差し控えておこう。
話は変わるが、アマゾンからいつもの、「おすすめの商品があります」というメール。読むとこうあった。

以前に『小鳩の会の日本の歴史』をチェックされた方に、『巨乳素人 限界着エロ 03 あきこ(22才) メートル超えの超巨乳「私、脱がなくても凄いんです」』のご案内をお送りしています。

 どう見てもエロDVDをすすめられているわけだが、それがどう「小鳩の会」の冗談映像作品とつながるのかまったくわからない。いやというほどに長く実直なその作品タイトルからは思いもつかないような何かつながりがあるのかもしれないと念のため商品ページを確認してみるものの、『巨乳素人 限界着エロ 03 あきこ(22才) 〜』はほんとうにただの(AV扱いでこそないが)エロイメージビデオらしく、

街にいる普通の女の子を口説き、限界ギリギリの着エロに挑戦してもらうシリーズ第3弾。普段はアイドルやタレントのメイクを務める巨乳美女・あきこちゃん。モデル未経験の彼女だが、気の知れたカメラマンとの撮影でちょっぴり大胆なポーズを披露。

というのがその内容だという。いよいよ関連がわからない。いや、「ここまでふつうのエロをよそおっておいてじつは冗談」といったような作品なのかもしれず、ことによるとこの「あきこ(22才)」なる人物を演じるのもまた私のよく知る誰か(鈴木謙一さんとか)だったりするのかもしれないのだけれど、とすればさすがここまでまったく「ふつう」をよそおってすきを見せない作品だけに、これ以上はちょっと買って見てみないとなあ、わからないな。謙一さんならいいのに。「あきこ(22才)」を演じるのが謙一さんであるという一点を除いて、まったく主旨に忠実なエロイメージビデオであるという作りがやはり好ましいのではないかと思うが、それ、たんに詐欺か。
話は変わるが、小田亮さんのホームページにある口頭発表原稿「共同体と代替不可能性について」を読んだ。

 今年の6月下旬から7月上旬にかけて、3つの研究会で発表したものを1つにまとめたものです。そのためにちょっとつながりが悪いのですが、11月25日に刊行される『思想』のレヴィ=ストロース特集に寄せた論文(「真正性の水準について」)と併せて読んでいただけたら、このところの研究テーマである「真正性の水準という視点からの『共同体』概念の再構築」についての目下のところの最新版が示されているはずです。
[お知らせ] ホームページ更新のお知らせ

というものである。小田さんのこれまでの主張にたいし決定的に新たな何かがそこに加わっているわけではないけれど、しかし読むことで次第に私にもわかってくることがあり、たとえばそれは、小田さんが「〈顔〉のある関係」というときの〈顔〉とは、ところで何なのかということだ。それをようやく掴みかけたような感触がある。おそらくこういうことだ。共同体の真正性を保証するところの〈顔〉とはつまり、非真正な社会における代替可能で比較可能な役割関係を超えてにじみ出てくる(にじみ出てきてしまう)関係の過剰性や複数性のことであり、それってほかでもなく、われわれが〈顔〉を合わせたとたんに発生する、あの〈関係の面倒くささ〉のことである。といった私なりの理解から出発し、さしあたりまずは「共同体の真正さとビデオコメントの可能性」といった文章をものしたい思いに駆られるものの、それはちょっと待ってくれ、すぐにはうまく書けない。
ほかにも、「何も共有していない者たちの共同体」である「もうひとつ別の共同体」が〈贈与〉の概念と結びつけられるという話、そしてその〈贈与〉のひとつの特徴が「譲渡不可能なものの譲渡」にあるという点の確認は、とにかく示唆的だ。興奮する。
あ、そうそう、宮沢(章夫)さんの書く、Keynoteのスライドメモをどう用意するかという話「富士日記 2.1」2008年11月26日分]だけれども、それ、Keynoteについている「発言者ノート」機能ではだめなのだろうか。まあその、メモの分量がどれだけあるかにもよるのだけど、ある程度だったら、「発言者ノート」欄に書いたものを「配付資料」形式でプリントするという方法でそれをメモにできるんじゃないかと思う。「そんなことは知っているし試してもみたが、やりたいことはそうじゃないんだ」と言われる可能性は大いにあるものの、一応説明しておけば以下のような具合。
発言者ノートはツールバーの「表示」>「発言者ノートを表示」でスライドキャンバスの下の領域に出てくる。ここに書いたものはプレゼンテーション画面には現れず、また、操作している発言者側のディスプレイだけにはプレゼンテーション中でも表示することができるというのが発言者ノートだ。で、ここにメモを書く。各スライドにたいするメモとしてならば以上で充分なわけだが、この場合必要とされているのはスライドの「順番」も含めたメモらしいので、この発言者ノートをプリントアウトすることでその用途を満たしたい。「ファイル」>「プリント...」で印刷ダイアログを出し、その「Keynote」に関する設定項目の右下、「プリント:」とあるなかから「配付資料」を選ぶ。で、1ページにいくつのスライドを含めるかを決め、「ノートを追加」にチェックを入れる(ほかの項目はお好みで)。印刷プレビューで見ていただければと思うが、こうして印刷すると、左にスライド画面のサムネイル、右にそのメモというかたちで、設定したスライド枚数分(最大6スライドまで)が1ページに印刷される。最大の利点は、そもそもメモがスライドに付随するかたちなので、スライドの順番を入れ替えてもまったく問題ないというか、メモの順番も勝手に直ってくれるということ。ただ、これも印刷プレビューを見てもらえばわかるとおり、印刷したときに含まれるメモの量には物理的に上限があり(「1ページに4スライド」の場合なら用紙を4等分したものが1スライド分)、そこからはみ出した分は印刷されないため、あんまり長いメモだと用をなさないということはある。ちなみに発言者ノートは画面で打ち込んでいるフォントサイズがそのまま印刷サイズになるから、打ち込みにくくない範囲であらかじめ小さなフォントサイズを設定しておくのがよいかと思う。
といったところですが、これでは(宮沢さんの場合の)用途を満たさなかったりするでしょうか?

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(2008年11月28日 17:56)

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/ 26 Nov. 2008 (Wed.) 「句会近づく」

DSソフト「レイトン教授と最後の時間旅行」。

いまは光文社文庫や知恵の森文庫といったものに収められている『頭の体操』シリーズの第1集。カッパブックスのそれはたしか第20集ぐらいまであったんじゃなかったか。

岩波書店が出している雑誌『思想』12月号はレヴィ=ストロース特集である。小田亮さんがそこに「真正性の水準について」という論文を寄せているらしいことで知ったのだが、小田さんのブログには11月25日刊行とあり、で、そこそこ早く帰れそうだったから夜九時までやっている立川の本屋に事前に電話し「置いてあるか」と確認したところ、「最新号はあさっての発売で、2冊入荷予定です」という答えだった。なんだ、まだ出ていなかったか。というか、「あさって」って「誕生日」だろ。そういうことなのか、岩波書店。
在宅仕事で依然忙しい妻だが、明日(27日)発売のNintendo DS用ゲーム「レイトン教授と最後の時間旅行」はしっかりアマゾンで予約済みだ。その方面にまったく興味のない人のため一応説明しておけばこのゲームは、大枠としてのストーリー要素とそのアニメーションとが加味され、DSという舞台も得て〈いま風〉になったところの『頭の体操』である(クレジットには監修としてしっかり多湖輝の名前があり、またじっさいシリーズ前作にはいくつかの「過去問」も収録されていた。って、『頭の体操』や「多湖輝」にこそ説明は要らないのか)。これまでに二作品がリリースされていて、謎解きの天才である「レイトン教授」とその助手「ルーク少年」のコンビがシリーズをとおして登場、今作「最後の時間旅行」は完結編と銘打たれた三作目である。で、「10年後のルークから助けをもとめる手紙が届き、未来のロンドンへタイムスリップ、シリーズ最大の謎と敵がふたりを待ちかまえる」といった展開らしいのだけれど、そうした梗概だけをネットで読み知った妻は、「それ、最大の敵ってどう考えても10年後のレイトンでは?」と食卓で漏らすのだった。そうだなあ、その前振りならまあ、そうなるかもしれない。
ひさびさポシュテの話。くりかえすように妻が忙しくしていて、妻のほうも平日に動けないということがあり、回虫のその後の経過を診てもらいに病院へ連れて行くのが延びている。というわけでポシュテにはまだ基本的に専用の部屋ですごしてもらっているのだが、夜など少しの時間、先住猫もいるリビングに解放して自由にさせてもいる。ポシュテとの接触において一歩リードしているかに見えたピーだが、その後、いかんなく発揮されるその臆病ぶりのためにまったく関係に進展がないというか、リビングではポシュテに追いかけ回され、巨体をおどらせてただ逃げ回っている。威厳ゼロだ。それに比し、一方のロビンがここへ来てすこぶるいい具合なのはさすが年の功か、そのすらっと長い尻尾にじゃれついてくるポシュテをしたいままにさせ、わざと尻尾を動かして遊ばせているようでもあるのには感動すら覚えるし、また、いよいよ五月蝿いというところまで来て一喝するから威厳も充分だ。なんだこのちがいはとも思うものの、まあ、ロビンにしてみればかつて、この姿勢でもってピーの存在も受け入れたのだろう(ロビンとピーの場合、お互いに引っ越し先で顔を合わせたということがあり、年の差はあれど〈先住者 − 新入り〉といった関係性が存在していなかった点が今回とはちがうが)
これは専用の部屋での話。部屋には例のケージがあるわけだが、ケージにはキャスターが付いていて床とのあいだに隙間がある。数種あるボール系のおもちゃがみなその隙間より小さいから、ポシュテが転がして遊ぶうち、ほどなくその下に入れてしまい自分では取れなくなってしまう。エサを与えにいった折りなど人間が気づいて出してやるが、またすぐに入れてしまうというくりかえしであり、いいかげん面倒なので最近は放っておくことが多いのだが、すると、いよいよ遊ぶものに事欠いたポシュテは固くなった自身のウンコをトイレから拾い出し、それを転がしているらしいのだった。エサをあげにいくとしばしば、ウンコが床に転がっている。で、今日部屋の掃除をしたさいにケージを動かしたのだが、その下からは取れなくなったボールとともにウンコも現れたのだった。まったく。「日記に書いて世間の人に読んでもらうからな」と脅して私は叱るが、聞いているふうではないポシュテだ。
今週末、日曜日にまた例の「句会」が予定されているのだった。今回はほとんど吉沼まかせで、私はまだなんの準備もしておらず、あやうく予定さえ忘れかねないありさまだ。今回のお題は「年末」「旅」「歴史」。やる場所がすごいよ。われわれ〈エセ俳句同人〉からすればアウェイもアウェイ、江東区にある「芭蕉記念館」だ。敵の本拠に乗り込むと言えばいいか、あるいはまた「ついに本場までやってきた」というような高揚感がただよいもして、吉沼のメールにあった言葉を借りれば、「それは渋公なのか、武道館なのか」ということである。ま、どっちでもないし、それはただ「江東区芭蕉記念館」なわけだけれど。

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(2008年11月27日 17:56)

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/ 25 Nov. 2008 (Tue.) 「この冬の入口に」

クロード・レヴィ=ストロース、今福龍太『サンパウロへのサウダージ』(みすず書房)。

今福龍太『群島世界論』(岩波書店)。

佐々木中『夜戦と永遠』(以文社)。

「他者の物欲」番外編。番外編というのは、これは買ったからだ。買ったといっても妻よ安心あれ、230円のiPhone/iPod touch用アプリケーションである。「NumberKey」。iPhone/iPod touchをMac用のテンキーとして使うことができる。Macとの接続はWi-Fiで行われ、Wi-Fi環境のない外出先でもMac側でネットワークを作成することにより接続が可能だ。ブラック、ホワイト、クラシック(GSキーボード?)、シルバーの四種類からスキンを選べて、好みで切り替えたり、自身のノートブックと揃えたりできるようになっている。

だから本屋になど行くものではないというのはつい買ってしまうからだ。23日、ひさびさ街の本屋に行く。今福龍太の新刊が出ているのではなかったかと見て歩くと、人文系の棚の一角に「レヴィ=ストロース生誕100年」という特設コーナーができていた。ああそうか、最近しばしば名前を目にすると思えばなるほど、そういうことだったか。「生誕100年」という言葉を前にしてこの場合、その物言いに(人ごとながらも)幾分くすぐったさを覚え、なんとも微笑を禁じ得ないというか、つまりその目出度さが特異であるのは、レヴィ=ストロースが存命であるからだ。1908年11月28日生まれであるところのレヴィ=ストロースは、満百歳の誕生日をこの円い大地のどこかで迎えつつある。ハッピー・バースデイ。これはもうね、構造主義が勝ったということでいいのではないのか、何に勝ったんだか知らないけど、ともあれ〈勝利〉なんじゃないかと、よくわからないことのひとつも言いたくなるこの冬の入口に、私はいま両手をポケットに入れ立っている。
クロード・レヴィ=ストロース、今福龍太『サンパウロへのサウダージ』(みすず書房)今福龍太『群島世界論』(岩波書店)佐々木中『夜戦と永遠』(以文社)を買う。
『サンパウロへのサウダージ』は二部構成になっていて、前半が、1996年にブラジル版が刊行された同名の写真集の翻訳である。1935年、新設のサンパウロ大学に招かれてブラジルの地に降り立った27歳のレヴィ=ストロースが、ライカを手にサンパウロの街を歩くなかでスナップに収めた都市の日常。そこにレヴィ=ストロースの短めの文章が添えられている。また、2005年のインタビュー「ブラジルから遠く離れて」もそれを補うものとして併録。そして後半に収められるのが、訳者でもある今福龍太の論考と写真からなる「時の地峡をわたって」だ。レヴィ=ストロースがサンパウロでシャッターを切ってから正しく65年後、2000年に彼の地に長期滞在した今福が一枚一枚、同じ地点から同じ方角にレンズを向け、「レヴィ=ストロースが撮った写真を再撮影する」という試みを行ったことに出発する思考の軌跡である。
ふと、レヴィ=ストロースの次の言葉に、いまさら「あっ」と思わせられる。

けれどここで強調したいのは、私のそうした省察が、サンパウロに住むという経験がなければけっして生じえないものであったという簡潔な事実である。
(「サンパウロへのサウダージ」『サンパウロへのサウダージ』 p.11)

 そうなのだな、やはりその「簡潔な事実」から出発しなければならないのだ。だから、おそらく、インタビュー「ブラジルから遠く離れて」の最後にある次の発言もまた、前掲の言葉とのセットにおいて──この民族学者のもつ重要な〈律儀さ〉の響きのなかで──耳にしなければならないのだろう。

──未来についてはいかがですか?

 その種の質問はしないでください。今の世界は、もはや私の属する世界ではありません。私の知っている、私の愛した世界は、人口二五億の世界です。現在では六〇億を数えています。これはもう私の世界ではありません。そして、九〇億の男女が住む──たとえ、私たちを慰めるためにそれが人口増加のピークであると言われたにせよ──明日の世界について、何か予言することなどとうてい不可能です……
(「ブラジルから遠く離れて」『サンパウロへのサウダージ』 p.113)

ハッピーバースデイ、ミスター、レヴィ=ストロース。

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(2008年11月26日 13:11)

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/ 22 Nov. 2008 (Sat.) 「湯たんぽとボジョレーの土曜日」

今日はまず「他者の物欲」から。テプラなどで知られるキングジムから登場の、テキスト入力専用デバイス「pomera」はどうだろう。折りたたみ式のキーボードと4インチのモノクロVGA液晶画面を備えたこのデバイスが扱えるのはテキスト(txt形式)のみ。日本語入力環境には「ATOK」を採用、8,000文字入力したテキストファイルを6ファイルまで保存可能で、入力したテキストはUSBケーブルかmicroSDカードを介してPCへ転送する。Wi-Fiなどのネットワーク機能は搭載しておらず、潔いといえば潔い。単4乾電池2本で連続20時間駆動可能の、370グラム。メーカー価格は2万7300円。楽天のショップなどでは1万9800円の値段を付けているところもあるが、さて、で、これは必要か。「電猫庵blog | pomera買った」にある詳細なレポートを読めばどうやら、「どんどんとメモを打ち込む」というその一点のみに目的=機能を純化した〈文房具〉であるらしいことがわかる。書いたものを推敲し編集するという作業も本来的には守備範囲外のようだ。思いとどまるための手がかりはそのあたりにありそうだが、しかし〈あなた〉には残念なことに、そうした理性的な判断もまた物欲を前にしてはかぎりなく非力であるだけだ。

20日から21日にかけてはひさびさ会社泊。引っ越し、といっても基本は同じフロア内でのことだが、業者を入れてのわりと大幅なレイアウト変更工事がこの連休中に予定されていて、それにむけ荷物を段ボールにまとめておかなければならないのと、加えて通常の業務があるからなかなか忙しい。片付け作業は無事予定時刻のうちに終わり、そこでいったん業者の人たちにフロアを明け渡すから、21日の夜は早めにあがる。ポシュテ用の缶詰を買い足すついでのダイエーで、手頃なボジョレー・ヌーボーを買った。妻が日頃からワインを好むということがあり、わりと毎年飲んでいるのだった、ボジョレーは。よく利用する「カオマンガイ」というバンコク屋台料理屋でテイクアウトを注文し、夜は妻とそれを食べる。
妻は妻でいま、自宅でやるエクセルの入力仕事が舞い込んできていてそれがかなり忙しいことになっている。土曜の今日も日中から黙々とその作業をする妻に対して、わたしのほうはわりとのんびりしたものだ。この記事のためちょっとした英文を訳す作業など。「多少飲んだほうが効率がよい」と言い切る妻と、陽の高いうちにボジョレーを飲む。夜はうどんを茹でた。

さて、動くポシュテの第二弾は「湯たんぽとポシュテ」。セーターを模したようなニットのカバーを着たミニ湯たんぽを与えてみたのだったが、おもちゃ(あるいは体温のある敵?)としてしか認識していない様子のポシュテである。こうしてビデオに撮ったものなどを見るとよりはっきりそうだと知れるわけだが、日を追うごとにやはり、確実にでかくなっているよ。

(2008年11月23日 01:29)

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/ 19 Nov. 2008 (Wed.) 「上山君は実在するか」

上の写真だが、「今日はこれを使え」と妻がつよく推すところのものだ。撮影した妻によれば、写真のコンセプトは「かっこいいロビン」だという。どーんと貼ってみた。実物を見たことのある人はうなずいてくれるかと思うが、じっさいのところロビンは顔がでかい。これで実物大だと言っても過言ではないほどだ。この顔に、申し訳程度の身体が付いていると思ってもらえればいいだろう。
きのう、

上山君にすすめられて買った(と記憶しているのだがちがったろうか?)家電に、デロンギのオイルヒーターがあるが、

と書いたことにさっそく異議が出たのは妻からで、「あれは、私が欲しい欲しいと言っていたのであり、それでプレゼントとして買ってもらったものだ。上山さんには逆に、『密閉度の高いマンションでこそデロンギは威力を発揮するが、一軒家にはあまり向いていない』と諭され、それを決定打に使わなくなったのではなかったか」と、記述とまるで逆のことを言われた。言われるとああそうだったと思い出すが、しかしその、以前書いた「小山駅の駅そば」の件といい(この日記で私が「上山君にすすめられた立ち喰いそば屋」の話を書いたところ、上山君に「まったく記憶にない」と言われた、私のもつ上山君にまつわる記憶はほんとうにでたらめであることが多いのは、ちょっとどうしたことか。ある日のこと妻が、上山君ともうひとりの見知らぬ男性を連れて私の前にあらわれ、「上山君を指さして」と言うから言われるまま指さすと、その見知らぬ男性と妻が顔を見合わせる。といったことが起こらないともかぎらないのではないかと思う。

唐突だが、新シリーズ「他者の物欲」のはじまりだ。もしやこれは〈あなたの〉物欲ではないかとシリーズは問いかける。あなたの物欲を刺激するかもしれないグッズを毎回一品ずつ掲げて紹介するとともに、その商品を欲しいと思う心は結局のところ「他者の欲望」なのだと自らには気づかせ、買わないぞ俺はと決意をあらたにするコーナーである。
一回目は JustMobile 社のiPhone専用スタンド、「Xtand for iPhone & iPhone 3G」「Xtand for iPod touch (1st and 2nd Gen.)」もある)。基本的には、写真がすべての魅力を物語っているのではないだろうか。iMac や Cinema Display を思わせる形状のこのスタンドは総アルミ製で、360度回転し、角度調整も可能、ケーブル類を通す穴さえ用意されている。というか、メーカーのページでもっと多くの画像を見てもらったほうが早いだろう。
はたしてこれは必要か、用途はあるのか、手に持ってこそのiPhoneなのではないかといった心配もあるかもしれないけれど、それがなんだというのだ。6,080円ここで買えるようです

(2008年11月20日 17:05)

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/ 18 Nov. 2008 (Tue.) 「33歳である」

せんだって届いたおもちゃがこれ。

こうしたセットが入っているらしい。

というわけで、とくにどうということもなく誕生日だった。すでにきのうの日記のコメント欄で言葉を交わし済みだが、上山君もおめでとう。ともに33歳である。
以前、上山君にすすめられて買った(と記憶しているのだがちがったろうか?)家電に、デロンギのオイルヒーターがあるが、いま、それを使っているのはポシュテだ。なんて贅沢な猫なのか。
デロンギを買ったのは荻窪の貸家に住んでいたときだが、そのときは「こりゃいいね」というほどにはその良さを感じられなかった。致命的なことに、それほど満足に部屋が暖まらなかったのである。これ、「延長コード・テーブルタップ類の使用を避け、電源は壁面コンセントから直接とること(さらには壁面にあるのが2口コンセントの場合、片方を空けて単独で差すこと)」という注意が説明書に強くあって、さすがにこうしたものだと怖いからそれに従うと、しかし製品の電源コードがそれほど長いものではないため、そのときの部屋では「ここぞ」という場所に設置できなかった。ひとつにはそのせいもあるかと思う。本来は窓際や壁際に置くのが効果的らしいのだが、コンセントの位置とコードの長さと家具の配置の関係でうまくそうならなかった。
で、荻窪であまり評価の得られなかったデロンギはその後、いまの家に引っ越して以来使われることなく置いてあったのだが、ポシュテを入れてある部屋がなかなか寒いため、じゃあひさびさに試してみるかとなったのだった。ポシュテが寒くないようにということもむろんあるが、それよりも、ポシュテをかわいがるためにその部屋に長居することの多くなった人間にとってちょっと寒かったのである。するとどうか、今度は非常にいい具合に働いてくれるデロンギだ。今回は壁際に置けたし、部屋がややせまいことなどより単純に影響が大きいと思える条件の差もあるが、とにかく暖まりがいい。むろん控えめに暖めていて、しばらくポシュテをかわいがり、ふと隣の寝室に出ると「あ、やっぱりあの部屋あったかいね」と気づく具合なのだが、それこそデロンギの本領じゃないか。やっと良さがわかった。暖まり具合に問題がなければ、うるさくないし乾燥もしないし、そりゃいいに決まっている。ポシュテが家を自由に歩くようになり、この部屋を暖める必要がなくなったら一度、寝室のほうでも試してみよう。
きのうの日記でねだってみた甲斐があったか、夜、南波さんから誕生日を祝ってくれるメールが届いた。わざわざすいませんね。
そうそう、次兄家族からも先日誕生日プレゼントが届いたのだった。宅配便で伝票には「おもちゃ」とあったからてっきりポシュテ用の何かかと思えば、私用だった。外国製の教育用玩具で、まだ遊んではいないが、恐竜の化石発掘セットのようなものらしい。ありがとうございます。発掘したらまた報告します。
米倉さんも書いているが、「富士日記 2.1」にあった「さ来年の話」を朝、わくわくする思いで読んだのだった。

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(2008年11月19日 14:36)

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/ 17 Nov. 2008 (Mon.) 「三者の秋」

ロビン。パソコンデスク前の椅子で寝ているところ。わが家では「カモフラージュ」と呼ばれる状態。

ピー。精悍な印象なのだったが。

ポシュテ。

『REAL SIMPLE JAPAN』(日経BP社)が休刊だそうだ。定期購読していた妻にハガキで案内があり、妻はがっかりしている。原油高が影響し云々とハガキの案内にはあった。誌名に「JAPAN」と付くように本家US版があり、じゃあかわりにUS版を定期購読するのはどうかと考えるものの、送料もあってなかなか高い。単号で買うのでも定期購読でもだいたい日本版の倍だ。あとまあ、英語だしなあ。
明日18日は、ってもうその18日に書いているのだが、私の誕生日だ。世間的にはミッキーマウスの誕生日として知られる日である(1928年11月18日にデビュー作『蒸気船ウィリー』が封切られた)。あと、斉木しげる(1949年)、桂吉朝(1954年)、にしおかすみこ(1974年)、岡田准一(1980年)らも同じだそうだ。私は33歳になるのじゃなかったか。というわけで、みんな、祝うならいまのうちである。
注文したデジカメが届く。ソニーのDSC-T700(の、ゴールド)。私にとっては──って妻が買ったものだが──はじめての「手ぶれ防止機能搭載」だ。すごいのだろうか、その「防止」ってやつは。手ぶれ防止の技術にもきっとさまざまあり、たとえば「ものすごく重いので、とてもじゃないが手に持てない」というのもひとつの防止策としてあるかと思うが、おそらく、それはだめなデジカメだ。デジカメは手に持てたほうがいいと思う。で、そのT700で妻がさっそくぱらぱらと撮ったのが今日の写真たち。
週末に先住猫たちと会わせ、かつまた「隣の部屋」の存在も知ってしまったポシュテは今日、おもちゃで遊ぶこともあまりせず、隣室につうじる扉に向かっていることが多かったという。で、先住猫のピーも、妻がエサをやりにポシュテの部屋に向かうたび、そのあとを付いてくる。会いたがっていることはあきらかだが、いざ顔を合わせるとピーのほうがあとずさる。隣の部屋(というのは寝室だが)のベッドにいて距離を保っているピーのところに妻がポシュテを運ぶと、一度、ふたりで軽く毛を舐めあうところまではいったらしい。ポシュテはピーの体毛を頭でまさぐり、どうやら乳首を探しているふうだったという。ピーのほうはなかば不意をつかれ、逃げる機を逸しただけではあるようだが、カウンター気味に舐め返した。夜、ふたたびふたりを寝室で引き合わせると、そのときはなぜかポシュテのテンションが高く、飛びかかるようにしてピーに接近したものだからピーは一目散に逃げ出してしまった。逃げなくたっていいだろうによ。
一方、ロビンはまったく孤高を守っている。

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(2008年11月18日 18:01)

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/ 16 Nov. 2008 (Sun.) 「週末のことなど」

先住猫。マイハウス(amazonの段ボール)で寝るピー。

手前がロビン。

土曜(15日)の朝、動物病院から電話。ポシュテの血液検査のうち、それだけ他のセンターにまわして検査しなければならないため時間のかかっていたコロナウィルスの結果が出て、「陰性」とのこと。よかった。これで、病気面での残る懸念材料は回虫と、ワクチンの接種がまだだという二点になった。回虫は先日病院にもっていった便から見つかり、それで薬を飲ませてある。投薬から二週間後(というのは、あと一週間と少しだが)にまた便を調べて経過をみることになっていて、そのときにポシュテ本人も連れて行き併せてワクチンを打ってもらう手筈だ。だから、順調にいって(回虫が根絶できたとして)一週間ほどのちにはいよいよ自由に先住猫たちとスキンシップをはかってもらうことができるわけだが、しかし「コロナウィルスも陰性」の報はやはり飼い主の気をゆるませるのに充分で、軽く、第一歩としての「顔合わせ」をさせることにする。
トイレや食器とともにポシュテをケージのなかに入れたうえで、先住猫を一匹ずつ、部屋に入れてみる。ピー(6歳)は怖々ながらも興味津々の様子でケージに近づき、匂いをかぐ。ただ、このときはちょうどポシュテの食事中にピーを入れてしまったせいか、ポシュテの側が「シャー」と威嚇を行い、そこで早々にレフェリーストップ。しばらくして次にロビン(12歳)を入れると、ロビンはケージのまわりを一周し、「べつに面白いものはなかった」というふうにそのまま部屋から出ていった。御大のその動きを緊張の面持ちのポシュテが目で追う。
そののち、ふたたびピーを部屋に入れると、今度はポシュテがグルグルとのどを鳴らしはじめた。ついついケージの扉を開けてやる飼い主。ふだんの習性から予想するに、この両者間の問題はひとえに、ピーが臆病だという一点にかかっている。臆病ゆえにこらえきれず、先制で暴力をふるうというまったくもってだめなやつなのだった。ピーのそばへ寄って無邪気に興味を発散させるポシュテに、かえってピーのほうがあとずさり、自分も興味があるくせに懐は狭いから、いよいよ間近で匂いをかがれると、パンチのための左手が徐々に準備されていく。牽制のパンチを宙に繰り出すとポシュテもそれに応戦するので、ついにたまらず臆病ピーが一発、ポシュテの頭に見舞う。それを何度か。状況を好意的にみれば「ピーが遊んでやっている」ととれなくもないのだが、しかしそれにしてはピーの表情にまったく余裕がない。気の散りやすいポシュテが途中でべつのおもちゃに気を取られそっちで遊び出すと、あきらかにほっとしたような顔になっている。で、負けず気の散りやすいピーは、そのうちポシュテ用のおもちゃに興味が移り、それを奪って遊びはじめてしまう。
そこにロビンを入れると、なぜかポシュテはピーよりもロビンのほうにより気安い。部屋を一周するロビンのあとを追い、しつこくじゃれつく。単純に嫌がったロビンが最後振り向きざまに「シャー」と威嚇、そうして退出していく。さて、先の道のりは遠いのか近いのか。
デジカメはサイバーショットのT700に決めたが、いざビックカメラに買いに行くと事前にネットなど見て想定していた値段よりもずいぶん高い。こりゃ買えない。まあ、ネット通販店の最安値と単純にくらべるのはあれだが、しかしちょっと差が大きいのでネットで買うことにする。代引きで、月曜に届くという。
連夜、実家の母のiBookとiChatをつなぎ、ポシュテの生中継を届ける。日曜は母と義姉、姪っ子たちがむこうのマシンの前に勢揃いした。

「さて、ニブロールの矢内原充志と礼子さんの結婚パーティが、横浜で開かれた」と宮沢さんの書く「礼子さん」が、稲毛礼子さんだということに笠木さんのブログを読むまで思い至らなかった。ああ、そうだったのか。わかってからあらためて「富士日記 2.1」にある新郎新婦の写真を見るとたしかに稲毛さんである。稲毛さんとはじめて会ったのは宮沢さんの「テキスト・リーディング・ワークショップ」でだ。いっしょの月に受講していた。それだけのことで、以降はただ観客としてその出演作を何度か観ているだけだから向こうが私を覚えているかはわからないが、そういうわけでこちらに勝手な親近感はあるのだった。ま、ここ読んでないと思いますが、おめでとうございます。

そうそう、当ブログのコメント欄の仕様が少し変わりました。「DISQUS」(ディスカス)という外部のコメントサービスシステムにいわばコメント機能をアウトソーシングしています。ボタン等の表記が英語だったりしてとっつきにくいかとも思いますが、べつにたいしたことはありませんのでぜひこれまでどおりお願いできればさいわいです。
今後はじめて書き込むさいには、併せて「DISQUS」のユーザー登録をしてもらえると二度目以降が便利になります。コメント入力欄のすぐ下、未登録(未ログイン)の状態では通常「Unclaimed」(登録・ログインせずに投稿)が選択されていますが、「Register」(登録して投稿)のほうをクリックし、「Email」にメールアドレスを、「Pick Username」には登録に使うユーザー名、「Pick Password」にはパスワードをそれぞれ半角英数で入れてください。で、最後に「Post Comment」ボタンを押すと、これでコメントの投稿とともに「DISQUS」への登録およびログインも済み、以降はコメントを書いて「Post as <ユーザー名>」というボタンを押すだけになります。また、ここでユーザー登録を済ませておくと、当サイトだけでなく、「DISQUS」システムを利用している他のサイトでも共通に、同じく利用することができます。
名前に関してはさきほど入力した「Username」がまず表示されますが、ログイン後に「DISQUS」のサイトへ行き、「Account」のページで「Display Name」(表示用の名前)をべつに設定することができます。設定を変えれば、それまでDISQUSを使って投稿したすべてのコメントにたいして適用されます。あと、お好みで自分のアイコン画像を登録したりもできますので、利用されると、まあ、多少華やぎます。
あとまあ、特定のコメントにたいする返信というかたちでコメントを付けられたり(各コメントの下の「reply」というリンクを使います)、登録ユーザーは自身のコメントをあとから修正できたり(同じく「edit」)、「これはいいこと言ってる。同意」と思ったコメントにたいしてポイントを与えたり(投稿者アイコンの左に付いている上下矢印ボタンを使う。下矢印は不適切と思う発言へのマイナスポイント)できるわけですが、それらは触っているうちになんとなくわかってもらえるかと思います。Webカメラのつながっているマシンではさらに、一番下にある「Record video comment」というリンクから動画でのコメントを投稿することもできるようです。

本日の参照画像
(2008年11月17日 14:02)

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