3
Mar.
2018
Yellow

最近のコメント

リンク

広告

/ 31 Mar. 2018 (Sat.) 「安倍加憲の『幼稚』に立ち向かうために」

ロビン。2016年11月。いよいよ写真は残りわずかとなってきた。

同じく。

日比谷図書文化館の大ホールで開催された公開討論会「安倍加憲論への対抗軸を探る」を聞きに行く。かもがわ出版の松竹伸幸さんが「やりますよ」と宣言した企画に、毎日新聞社のメディアカフェが主催を買って出た。ここに言う「安倍加憲論」とは、自民党・安倍政権から提出されると想定されている「現行の 9条の条文はそのままに、そこに自衛隊を明記する条文を書き加える」改憲案のこと。じっさいに国会で発議されれば、国民投票においては「その案にたいして」賛成か反対かを投じることになり、賛成・反対のうち過半を得たほうが結果となる(有効投票数の過半なので、投票しなかった人や無効票は分母に入らない。投票率が何%以上でなければ無効といった規定はいまのところない)
登壇の四氏──伊勢崎賢治、伊藤真、松竹伸幸、山尾志桜里(五十音順)──の選択はいずれも加憲案にたいして「 NO」なのだが、NOを言うさいのその〈視座〉がそれぞれに異なっていて、たとえば伊勢崎さんは「安倍加憲に NOを言う、その NOは『護憲』ではない。『護憲』ではダメなのだ」と言う。もちろん、何を指して「護憲」と言っているのかということはあって、そこで言われているのはまず、現行憲法の「条文を守る」という意味での護憲だ。それにたいし、「精神を守る」という言い方が的確かどうかはともかく、現行憲法がその出発点において希求したはずのもの──非戦へむけた人類的な営みとともにあろうとする思い──を大事にする態度もまた「護憲」と呼ばれるケースがあるだろうが、そのふたつ(現行 9条の条文と、その精神)はいま現在競合しあうものとなっており、並び立つことができないのだというのが伊勢崎さんの主張である。
どういうことか。
「国の交戦権は、これを認めない」とする 9条2項を額面どおりに読むならば、ここでは集団的か個別的かを問わず、自衛のための戦争そのものがまるごと放棄されているはずだ(これについて、改憲にたいするスタンスとはべつの個人的意見というレベルにおいては伊藤真さんも同じ解釈だと言う)。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とする表明とも併せ、いうまでもなく、自衛隊は違憲である。そうでありながら、(民主党政権を含む)歴代政府は自衛隊は「戦力」ではなく「実力」であり、「交戦しない」という理屈でもってその存在を合憲だとしてきた。そしていまや、日本の自衛隊は「世界五指の通常戦力」と言われるまでになっている現実がある。
「交戦しない」からいいのだと言うとき、「交戦権」は「交戦する権利」として読まれているのだろう。もっとニュアンスを込めれば、「自衛ではない侵略・破壊のための戦闘をこちらから仕掛ける権利」だ。ここまで噛み砕けばおのずと気づくように、そんな権利はいまの国際社会において、9条に言われるまでもなく、もともとない。日本国憲法が発布されるより以前の 1945年の国連憲章において、そして理念的には 1928年のパリ不戦条約においてすでに戦争は放棄されているのであって、いま現在、「 9条の日本」だけでなく全世界的なルールとして、許されているのは「自衛のための戦争」だけなのである(そしてそこにプラスして、集団安全保障=国連的措置としての PKOがある)。だから、少なくとも「交戦権」を「交戦する権利」として読むならば、「 9条の日本」と誇るような先進的なことを 9条は何も言っていない、ということでもある。
「交戦権」と訳されたその原文は「 The right of belligerency of the state」だが、これをより精確に訳すなら「交戦主体(交戦国)となる権利」なのだろうと伊勢崎さんは言う。きっかけがどうであれいったん戦端が開かれたときには、戦時国際法にもとづき、紛争の当事者たる国家はそれぞれが「交戦主体」となる。と同時に「交戦主体」には、戦時国際法にもとづいてさまざまな禁止事項が課される(敵の戦闘構成員以外を攻撃してはいけないとか、捕虜を虐待してはいけないとか、これこれの武器を使ってはいけないとか)。故意であれ過失であれこの禁止事項を破ることがすなわち「戦争犯罪」であり、戦時国際法の別名が「国際人道法」だ。逆に言えば、戦時国際法の定める交戦法規に律される存在としてのみ「交戦主体」はあるのであり、有事が起こり、紛争当事国となった瞬間から同時に「交戦主体となる」ことは、権利ではなく、むしろ国際社会における義務であると捉えたほうが正しい。自衛隊を〈外〉に出さなければいいという問題ではなく、領土・領海・領空内でも事態は変わらない。防衛出動が可能なボーダー上でまさに「自衛」の身振りから戦端が開かれてしまったそのとき、われわれは国際社会のなかで「交戦主体」とならなければいけないのであり、そうした主体とならないことは「非人道的」なのだ。
しかしいっぽうで、人類(国連)はいまだ国際的に強制力のある司法制度を持っていない。そこで、国際人道法にたいする違反行為を審理する責任は各国自身が負うことになり、戦争犯罪を想定した各国の国内法廷──いわゆる軍法、軍事法廷──がそれを裁くことになっている。言わずもがなのことだが、たとえば「過って民間人を撃ち殺してしまった」というような〈事故〉が起こった場合に、撃った隊員個人──彼は国に「撃て」と言われたから撃ったのだ──にその責を負わせるのは無理であり(責を負わされるのだとしたら、彼は「撃てない」)、その過失の責はあくまで国が負うべきものであるから、通常の刑法や民法とは理屈の異なる軍法が必要になるわけだ。したがって、自らの戦争犯罪を裁くことのできる法体系を国内に持つこともまた「交戦主体」と不可分なのだが、そう、日本には軍法がない。
もちろん軍法がないことのより直接的な原因は 9条ではなく 76条(特別裁判所の設置禁止)のほうに求められるのだが、同時に、自衛隊は「交戦しない」から「戦力」ではないのだ──軍隊がないタテマエなのだから軍法があるのはおかしい──とする〈合憲〉状態がそのことを無視させてもいる(なお、国際的にみればコスタリカのように、常備軍は持たないが軍法は持っているという例もある)。個別的自衛権を主張する気がある──少なくとも殴られたら殴り返す気がある──にもかかわらず交戦主体としての自覚を持たないことの「非人道性」は、9条を護持することの〈恍惚〉のなかで〈忘却〉させられているのだ、と伊勢崎さんは表現してみせる。前述したように「交戦権」は、〈そもそも、そんなものはない〉ものであるにもかかわらず──「交戦する権利」と捉えるならば 9条以前にとうに否定されているものだし、「交戦主体となる権利」と読む場合も、個別的自衛権を放棄しないのであれば、「交戦主体にならないこと」は選択肢として存在できない──、その〈ないもの〉を否定することによって、どうやらわれわれは〈恍惚〉を得ているのだ、と。

 「戦力」の過失を審理し統制する法体系を持たないことは、国際人道法の観点から「非人道的」なのである。繰り返すが、国際人道法の違反が、いわゆる「戦争犯罪」であるからである。そういう法体系は、「戦力」を自覚しない限り、生まれない。
 だから、「戦力」であることを自覚しない「戦力」は、「非人道的」なのである。
シンポジウムで配布された資料「安倍加憲案に対抗する私の立場」より、伊勢崎賢治さんの文章、p.7

そして、われわれのこの非人道性が、いま現に臨界に達している場所がある。自衛隊が PKOで派遣されている北アフリカの小国ジブチだ。1999年のアナン事務総長の告示以降、国際人道法の遵守は PKO要員にも求められている。「国際人道法を遵守する」というのはつまり、「交戦主体となる(覚悟をもつ)」ということである。結果的に 100万もの住民を見殺しにしてしまった 1994年の「ルワンダ虐殺」をトラウマとして抱える国連は、ついに 1999年に一大方針転換をし、「内政不干渉」の原則よりも「住民保護」を優先させることを決める。以降の PKOは、「保護する責任をまっとうするため、交戦主体となることもいとわない」存在となったのだ。だから PKOの派遣国は、その受け入れ国とのあいだに「地位協定」を結ぶことになる。PKO部隊が現地で起こした軍事的な過失について、現地国に裁判権を持たせず、派遣国側の国内法廷で裁くことを定めるのが地位協定だ。これを、日本はジブチと現に結んでいるのである。そう、軍法がないのに1]、だ。

1:軍法がないのに

軍法がないため、適用させるなら刑法しかないのだが、さらには刑法の「国外犯規定」により「業務上過失致死傷」などをあてはめることができないため、たとえば自衛隊員が過って住民を殺害してしまった場合などには「たんなる個人が行った殺人事件」としてしか裁けないことになる。この状況は派遣される自衛隊員にとっても、そして現地国のひとたちにとっても絶大に理不尽である。

 「日米地位協定」の被害者である日本国民がなぜ、(じっさいには軍事的な過失を裁ける国内法廷を持っていないという意味で)それよりも理不尽な地位協定をジブチ国民に押しつけて平気なのか、というのが伊勢崎さんの憤りである。
「おっしゃっていることは 120%正しい。けれど護憲派として、憲法の矛盾にたいしては発議できない」。上記のような矛盾を訴え、その根源にある憲法の問題を指摘したときに、「護憲派」と呼ばれる議員のほぼ全員(名前こそ挙げなかったが、言えば誰もが知っているようなリベラル派の面々)から返ってくる答えが、これだという。「これが〈護憲派〉なんです」と、伊勢崎さん。

@isezakikenji: 『理論的に正しいことと、政治は別?』冗談じゃありません。間違った理論でやって成果が上がっても、そうやってつくられた「権力」は運動の「支持」の手前、間違った理論を自ら正すことはないからです。野党結集は正しい理論の下に。欠陥条項である9条2項の「護憲」は理論的に間違いです。
2018年4月4日 10:23

ちなみに、では、伊勢崎さんの考える改憲の条文案とはどんなものかというと、それはこうしたものだ。

【伊勢崎さんの9条改憲案】

9条を以下のように改定し「永久条項」とする。

  1. 日本国民は、国際連合憲章を基調とする集団安全保障(グローバル・コモンズ)を誠実に希求する。
  2. 前項の行動において想定される国際紛争の解決にあたっては、その手段として、一切の武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄する。
  3. 自衛の権利は、国際連合憲章(51条)の規定に限定し、個別的自衛権のみを行使し、集団的自衛権は行使しない。
  4. 前項の個別的自衛権を行使するため、陸海空の自衛戦力を保持し、民主主義体制下で行動する軍事組織にあるべき厳格な特別法によってこれを統制する。個別的自衛権の行使は、日本の施政下の領域に限定する。

『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』著者・伊勢崎賢治さんインタビュー|通販生活®

もちろん、伊勢崎さん自身が言及するように、この改憲案は「日米地位協定を改定することが大前提」のものでもある。さすがに紙幅が(尽きちゃいないけど)尽きたのでごく手短に触れておくが、日米地位協定のもとで〈戦争するアメリカ〉を体内に置いている(そして現に、在日米軍基地を他国への攻撃に使わせている)日本は、「戦争をする主権はおろか、戦争をしない主権がない」のである(ほんとうは、出撃するなと相手に言える関係を「同盟」と言うのだ、と伊勢崎さん)。そしてさらには、そうして〈戦争するアメリカ〉を体内に置きつづけることこそが、「テロとの戦争」以降の世界において、中国(言っときますけど秩序の側にいる「戦勝国」なんですよ、彼らは)なんかより、よっぽど国防上の脅威となり得るのだと伊勢崎さんは指摘する。
シンポジウムの席上、山尾志桜里さんが「安倍加憲案については、そもそも発議させないことが重要だと思っている」と述べた。これは、いま発表されている自民党の条文案が、それをもとに議論しても何の実りもないようなバカげた案2]であって、それに国民投票の労力を費やすのは無駄であるという理由からは正しい。けれど、これが「改憲の恐れを回避さえできればそれでいいのだ」という考えに接続されてしまうならば、それはまちがいだと言わなければならない。そうした態度はつまり、国際社会にむけてすべての矛盾を一気に露呈させてしまうに充分な、たった一発の〈事故〉がジブチで起こってしまうことを、ただ待っていることと同じなのだから。

2:バカげた案

この点についての伊勢崎さんの指摘は単純明快だ。戦後初の憲法改正としてそれなりのニュースバリューをもって世界に発信されるだろう条文を、英語で考えてみてくれ、と。つまり、9条2項をそのまま残しつつ自衛隊を明記するということは、9条2項で「戦力」=「 forces」の不保持を言っておきながら、そのすぐあとに「自衛隊」=「 self‐defense forces」の保持を言うということであり、これは完全な「法理の崩壊」なのだ。「 self‐defenseな forces」なのだから「 forces」とは違う、と言い張ろうにも、国連憲章によって保持を認められている forcesは self-defenseなものだけなのだから、このふたつは完全に同じものを指すのである。こうした批判にたいしておそらく自民党は、ローマ字表記で「 Jieitai」と書く、といった対応を用意しているのだろうが、つまり、その対応自体がずばり現しているような、バカバカしさをもった条文なのである。

 安倍加憲とは、「 9条もスキ、自衛隊もスキ」のポピュリズムを単純に解釈改憲から明文改憲するだけでそのポピュリズムに応える幼稚な「お試し改憲」にすぎないが、この憲法の“完全破壊”の危機に、護憲派は深く自省を込めて覚悟すべきである。9条を解釈改憲することにここまで慣れ親しんだ世論とメディアに十分な批判能力はない。そして、護憲派自身も「安倍の悪魔化」にしか反対の発露を見出せない、ということを。
シンポジウムで配布された資料「安倍加憲案に対抗する私の立場」より、伊勢崎賢治さんの文章、p.7

 今こそ、右/左、保守/リベラル、改憲派/護憲派、双方の「知性」が一致団結して、安倍加憲の「幼稚」に立ち向かう時だ。
同、p.9

Walking: 2.5km • 3,902 steps • 41mins 26secs • 117 calories
Cycling: 2.7km • 13mins 50secs • 60 calories
Transport: 75.1km • 1hr 25mins 51secs
本日の参照画像
(2018年4月11日 14:59)

関連記事

/ 27 Mar. 2018 (Tue.) 「せをーはやーみー」

ロビン。2016年11月。

同じく。

23:07
せをーはやーみー

この得体の知れないツイートに、投稿を連動させている Facebook上で「いいね」をくれたのは中学同級のNさんだ。よく知らないが、垣間読むところではなんか、百人一首がらみの活動(?)をしてるんだっけ。「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」は崇徳院の一首。落語に、この歌が活躍する「崇徳院」という噺がある。わたしのなかでこの噺の受容の枠組みとなっている口演は志ん朝のそれと、ざこばのそれ。
紀尾井小ホールは会社から走れば五分というような距離のため、行こうと思えばひょいと行き、帰ってくることができる。かつてそこで定期的に研鑽会を開いていたのが当代の正蔵で、二、三度足を運んだのがたぶんもう十年近く前。で、そこでいま、二ツ目だった談奈時代から引き続いて定期的に会を開いているのが立川左平次だ。と書けばさも熱心に追っかけているかのようだがそれは記述のアヤ。真打昇進・改名して「紀尾井町のダンナ」から「紀尾井町のサヘイジ」に会の名前が変わったその第一回( 2017年6月28日)に行ったのがたぶん左平次を聞いた二度目で、そのときのゲストが師匠・左談次だった。当時すでに左談次はがんの放射線治療のために入退院を繰り返すなかでの高座だったが、その日はとても状態がよいように傍目には見えた。演ったのは想定された持ち時間を大幅に超過しての「子褒め」。(ゆえにトリの左平次の「子別れ」が非常に駆け足になった。)

@soma1104: 夕べの左談次さん。騒乱事件で赤く燃える新宿の空を眺めた末廣亭の風景(マクラの一部)もよかったが、何よりやはり「オハチだよッ」はすばらしかった。そこが決まるから「オハチにお目にかかります」も決まるわけで、「オハチだよッ」は(言うまでの束の間、八五郎を泳がせとく感じなど)完璧だった。
2017年6月29日 12:02

もはや「何を言っているかわかるまい」というつもりの感想ツイートだが、まあ、そういうことだったのだ。
それ以来となる第二回「紀尾井町のサヘイジ」はゲストが立川ぜん馬。24日に流れた左談次の訃報に触れたあとで「あっ(そうだ、これがあったんだ)」となって予約したものだが、今日のこの日にはこれ以上ないというこの番組。

間抜け泥 立川だん子
権兵衛狸 立川左平次
お化け長屋 立川ぜん馬
〈仲入り〉
漫才 ナイツ
崇徳院 立川左平次

左平次の一席目は、師匠・左談次の最期〜通夜・告別式までの時系列レポートを未編集/未脚色版で長めに語り下ろしたあと、これは師匠に教わった噺ではないが、往年の左談次や談志がよく掛けていたのを思い出すというネタ選びで「権兵衛狸」へ。この「権兵衛狸」がとてもよかった。ああなるほどこういう組み立てになっているのかということをあらためて知らしめてくれる端正な運びで、権兵衛が狸の頭に入れるひと鋏ひと鋏のごと、丹精にサゲまで。
噂にたがわず、ぜん馬はうまかった。しかも「お化け長屋」ときたもんだ。
そして左平次の二席目が「崇徳院」。これは左談次に教わった噺だとのことだが、ネタ選びの理由はそれだけではなく、「(はな)の好きな師匠でした」と噺し了えたあとに述懐を添えた。言われるまでわたしのなかでは後景にしりぞいていた描写だが、若旦那が見知らぬお嬢さんに一目惚れし、恋煩いをしょいこんでくる上野の清水さんには、たしかに、桜が舞っていた。
せをーはやーみー。

きょうのひとこと

ヒゲが生えてると思うでしょ?( 10代目金原亭馬生「崇徳院」)

@sadanzi: @watnantaw 放射線だよ!ピーナッツ!
2018年1月31日 11:57

Walking: 5.1km • 7,150 steps • 1hr 16mins 6secs • 241 calories
Cycling: 1.2km • 6mins 7secs • 26 calories
Transport: 35.3km • 37mins 14secs
本日の参照画像
(2018年4月 4日 10:57)

関連記事

/ 24 Mar. 2018 (Sat.) 「ロロを観て、ミクニヤナイハラを観る」

ロビン。2016年11月。

13:03
早稲田へ。まちがえて卒業式に出てしまわないよう気をつけたい。
13:09
で、もし出てしまったらどうするかだ。
13:14
卒業するか、しないか。
13:22
行けば学位もらえるものなのか、どうか。

車窓の陽光を浴びてくだらない連投をしつつ、早稲田(早稲田小劇場どらま館)にむかったのはロロの「いつ高」シリーズ最新作( vol.5)『いつだって窓際でぼくたち』を観るためだ。14時からの回。言っとくと、学位はもらえないと思う。勘だが。
会場で山本(健介)君や内田(智也)君に会う。内田君すげーひさしぶり。『いつだって窓際でぼくたち』はうん、まあ、そうですね、劇中の彼ら四人──群青、将門、シューマイ、モツ──には今後、大いに見習っていきたいと思います。
高校演劇のフォーマットに即した「いつ高」は上演時間が 1時間くらいのものなので 15時過ぎには劇場をあとにし、それで次が吉祥寺で 18時からのミクニヤナイハラプロジェクト『曖昧な犬』なのだが、何かをするにはちょっと半端な時間が、加えて半端な時間帯に空くことになった。まことに勝手なことを言うけれども、トリコロールケーキの公演がなあ、中野あたりで 16時ぐらいから、4、50分くらいでやっててくれりゃあなあと心底。
『曖昧な犬』。アッと思わせられたのは終幕の場面、劇中においてずっと擬似的に閉じ込められていた四角い監視空間のなかから、三人の男たちがやおら「コンビニに行こう」と言い出して外へ〈出ていく〉のだが、男たちが舞台上から消えていった直後にふたたび、スクリーンに男たちが監視空間のなかにいる映像が──ここにおいて完全に、「いつ」の映像なのかが不明になった状態で──映し出されることによって、むしろ街へと消えていった男たちは、ここではじめて──あるいはこの瞬間を舞台内時間の循環的原初として──監視空間へと〈入っていった〉ように見えた。監視空間に外部などなく、街こそが監視空間であるというそのことはひどく絶望的だが、しかしとても腑に落ちたのだった。
吉祥寺シアターでは山本(圭祐)君、今野(裕一郎)君、橋本(和加子)さんらに会う。山本君に例の「教養問題」(今年の誕生日プレゼントには「教養」がほしいとツイートしていた山本君に、いったい何をあげたらいいのか問題)について、わたしがひとりで勝手に盛り上がり、いろいろ考えているところだと話すと、「ほんとすか、くださいよ。本とかじゃだめですからね、読みませんよ」ときっぱり言われたのだった。くじかれたなあ、出鼻。

Walking: 4.5km • 6,560 steps • 1hr 12mins 48secs • 213 calories
Cycling: 2km • 8mins 12secs • 43 calories
Transport: 63.6km • 1hr 29mins 22secs
本日の参照画像
(2018年4月 3日 11:49)

関連記事

/ 20 Mar. 2018 (Tue.) 「富山太佳夫先生最終講義 / 米朝一門会」

講義終了後に花束を受け取る富山先生。

1983年の映画『細雪』から、当時は小米朝の桂米團治。「奥畑の啓ぼん」。

ロビン。2016年10月。

このところいろいろと遊びすぎ(出かけすぎ)なのでちょっと気後れがし、妻には出がけに「夜、落語を見てから帰る」とだけ伝えたのだったが、じつはその前に会社を早く退け、立正大学の品川キャンパスに行ったのは富山(冨山)太佳夫先生の最終講義だ。わたしが知るのは成城大学時代の富山先生で、べつにゼミ生だったわけでもなく学部の講義をいくつか受けたことがある程度なのだが──そして同時に、『方法としての断片』『ポパイの影に』等々の著作に(もちろん翻訳にも)多大な刺激をもらった者であるのだが──、ともあれこれは行くべきだということで。
そこそこ広めの教室に集まった聴衆は 80名ほど。80名でも「少ないな」と思える数だが、現れた富山先生は 20部くらいのレジュメしか手にしていない。「いや、ヒトケタぐらいだろうと思って」と〈あの調子〉で言う先生に、あわてて係の人たちが増刷に走る。ともあれ〈あの調子〉が懐かしい──ちっとも変わっていない──のだが、しばらく経ってから増刷分が届いたレジュメも含め、すべてが 20年ちかい時を飛び越えてすぐに蘇った。そうだった、字、うまいんだった。
冒頭で「今日は OED( Oxford English Dictionary)と DNB( Dictionary of National Biography、オックスフォードの人名辞典)の引き方をやります」と言ったので思わず──「最終講義」で戻ってくるところはやっぱりそこなのかと──笑ってしまったが、自身の来歴に触れる雑談を交えながら、図書館という愉楽の場所(閉架の書庫に直接アクセスできる先生にとってはなおのこと)についての話から、宣言どおり OEDと DNBの引き方、そして書評の仕事で扱った数多のタイトルをひとつひとつ挙げて横断的に語るあれやこれやまで。
「とにかく(紙の)辞書を引いてください。ネットでちょろちょろと調べてわかった気になる。まったくの錯覚です」。富山太佳夫の最終講義というコンテクストを離れて耳にしたならばただの「保守反動」とも聞こえかねないこの言葉の、その説得力にやられる。つまりここで言われているのは、紙の辞書でなければ、調べているその項目の〈隣りの項目〉に出会えないということである。探しているものしか見つからないのがネット検索であり、ネット上の厖大な資源を真に活用できるのはすでに充分な知識をもった者だけである、とも。雑談はいずれも興味深く、甘美。たとえば 80年代、国書刊行会から「ゴシック叢書」シリーズを出す折りに、小池滋先生と志村正雄先生から「ちゃんと訳せる人間はおれたちが探す。どの本を訳せばいいかは富山、おまえが選べ」と言われたという話などは、もうほんと「くーっ」となる。ほか、書評を書くときは必ず引用しろ、とか。あと、ときに書評で特殊な分野・用途の、ゆえに高価でもある本を取り上げることの意義について、「個人で買う人は少なくても、(書評に取り上げられることで)図書館が入れてくれるんです」と言っていたのもちょっとぐっときた。
いま 70歳の富山先生は「あと 20年」は計算に入れているらしく、「あと 20年で」何をやるかを約束して講義は幕となったのだが、その前にまず、「読みたい本が山ほどあります」と言ったときには、ちょっと、どうにも、涙が溢れてしまった。「とにかく本を書く、研究するという、それは約束します」。
新宿に移動して、紀伊國屋ホールで桂米朝一門会。近藤(久志)君、ウエハラさんと。こんな番組。

つる 桂米輝
ぜんざい公社 桂ちょうば
佐野山 桂南光
〈仲入り〉
上燗屋 桂ざこば
はてなの茶碗 桂米團治

南光の「佐野山」は三度目くらい。解像度高く楽しいのはやはり有象無象たち──恋の遺恨相撲を仕立て上げる堂島の贔屓連中──だ。脳梗塞から復帰のざこばは〈リハビリ〉がそのまま〈高座〉として成立するというような、そんな地平に達していよいよ自由だし、そして今夜は何といっても、トリの米團治にこそ驚きたい。聞くたびごと、確実によくなってきているという印象はかねてよりあったが、ついにいよいよ何者でもなくなってみせた──聞き終わってからあらためて名を尋ね、ほう、いまのは米團治というのかい、というような──、そんな高座がそこにあった。それはむしろ聞く側の、こちらの成長なのかもしれないけれど、ともあれ、当代米團治はいよいよのところまで来ていると、映画『細雪』ファンとしてそうわたしは宣言したい。
なんてなことをつぶやこうかと浮かれ気味にツイッターを開き、そうして立川左談次の訃報を知って「えっ」となる。そうですかあ。うーん。しかしまあ、それについちゃあ富山先生がかつてジル・ドゥルーズについて書いた文章(『書物の未来へ』所収、初出は「現代思想」1996年1月号)に倣い、ここはひとつ「追悼拒否」とさせていただこう。そしてそのかわりに左平次を、あるいはぜん馬を、龍志を、いまこそ聞きに行きたい。

 追悼するためには、その人物の人間性のどこかに、あるいは残されたテクストのどこかに焦点が絞られ、濃縮化され、切断されなくてはならないだろう。しかし、ドゥルーズについてそれが可能だろうか。彼の、彼のテクストの、何処を切断して濃縮するというのだろうか。つねにデリダでしかないデリダ、あまりにもフーコー的であったフーコー──そのつどドゥルーズであろうとしたドゥルーズ。それにもかかわらず、彼の何を追悼するというのだろうか。
富山太佳夫「追悼拒否 ジル・ドゥルーズ」『書物の未来へ』、p.210

誰を追悼するというのか。彼のテクストはつねにそこにあって、私の関心のいたるところに浸透し、いたるところに浮上してくる。私は彼のテクストにまだ〈不気味なもの〉になるのに必要な時間も忘却も与えていない。それは私にとって特権的なテクストになっていない。追悼するということが必ず何らかのいかがわしい特権化をはらんでしまうとするならば、私は彼を追悼することを拒む。
同、p.212

Walking: 6.8km • 10,025 steps • 1hr 48mins 52secs • 319 calories
Transport: 68.7km • 1hr 32mins 52secs
本日の参照画像
(2018年3月31日 13:38)

関連記事