/ 11 Aug. 2009 (Tue.) 「ひっピー」
■タイトルはのりピー語。
■わたし自身の最近のつぶやきから。
二元論は「一」を隠し持っている。二項対立は次々と「二」を生み続けることによって「二」を保持する。二元論(究極的には「内/外」を分ける)には分割される「全体」があるが、二項対立は何かを二分するのではなく、いわば手当たり次第に何かと何かを結びつける。対立とはむしろ接合のことである。
11:44 PM Aug 6th Tweetieで
つぶやいたきっかけは「WANの緊急政党アンケートにみる、フェミニズム『理論』と『実践』の乖離」というブログ記事で、そこでもやはり「二元論」が問題の核のひとつになっていた。「二元論」批判のなかから、いかに「二」そのものを救い出すかということのためのメモ。もちろんこれは、「二大政党制」を考えるときの有効な道筋にもなるだろう。ちょうど朝日新聞(9日付朝刊)に細川護煕元首相のインタビュー記事が載っていたが、そこで語られる「穏健な多党制」に、わたしはひとまず「二の希望」を重ね合わせたいと思う。
しかしそれにしても、「140文字」(Twiiterでつぶやくさいの字数の制約)というのはなかなか絶妙な数字だ。基本的にはけっこうなことが書ける。
■『食品偽装の歴史』にはいよいよ、フレデリック・アークム(前回の日記を参照)に代わる次なるパーソナリティが登場。アーサー・ヒル・ハッサルその人だ。まあ例によって人物が面白いのだけれど、業績でいえば、ハッサルが「反混ぜ物工作」の歴史にもたらしたものこそが顕微鏡である。顕微鏡はすごいよ、顕微鏡は。
顕微鏡もすごいが、笑ったのは『パンチ』だ。おなじみ、イギリスの週刊風刺漫画雑誌(1841年創刊)だけれども、わたし、『パンチ』でほんとうに笑ったのはこれがはじめてじゃないかなあ。ここまで読んできて相当文脈を把握しているってことも大きいが、しかし『パンチ』、ほんっとうにくだらないよ。
一八五〇年、ハッサルは胸の悪くなるような微生物の多色の挿図付きの本、『ロンドンおよび郊外の住民に供給されている水の顕微鏡検査』(一八五〇)を出版した。『パンチ』はハッサルの挿図を誇張した漫画を載せた。
『食品偽装の歴史』(p.168)
というその漫画がこれである。とにかく、なんでも笑いのめすということの偉大さであり、「誰だよ、その真ん中のやつはよ」ってことである(たぶんこれ、「パンチ氏」なんだと思うけど)。
■笠木(泉)さんがブログで「英検を受ける」と宣言したのは何日か前のことだが、にわかな英語ブームはわたしのところにも到来している。英語ブームというか、翻訳ブーム。なにか手当たり次第に私訳を試み、それを少量ずつ、日々重ねていくことで高校レベルぐらいまで戻らないだろうかと夢想中。たんなる逃避だという噂も。
■最近の電力自給率:(5日)53.2%、(6日)42.3%、(7日)72.3%、(8日)26.0%、(9日)52.7%、(10日)24.2%、(11日)31.1%
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/ 4 Aug. 2009 (Tue.) 「Twitterにもかまけつつ」
笠木さんからもらった猫用のおもちゃ。ポシュテに渡して一日後のそれである。残骸を集めて写真を撮っていると、「ひもの部分は二階にあったよ」と妻が報告してくれた。
ビー・ウィルソン『食品偽装の歴史』(白水社)
■秋かよというような天気ではじまった八月である。
○1日(土)
ロビンの尿をもって動物病院へ。数値は変わらず良好なままであり、獣医さんからはあらためて治療終了宣言が出る。すでにこの二週間ほどは普通食のみの食生活にもどっていたロビンだが、この先もひとまず普通食でよいだろうと言われる。再発に備え、三ヶ月に二度くらいのペースで尿検査はつづけていく。
モーリス・ブランショ『来るべき書物』の冒頭、セイレーンの歌について書かれた箇所を読んでいて、ふと直接的に、先日の松倉(如子)さんのライブを思い起こした。念のため言い添えれば、肯定的な意味として。
セイレーンたち。たしかに彼女たちは歌っていたようだが、それは人を満足させるような歌いかたではなく、歌の真の源泉と真の幸福とがどのような方向に開かれているかを聞きとらせるだけの歌いかたであった。だが、彼女たちは、未だ来るべき歌にすぎぬその不完全な歌によって、航海者を、そこでこそ歌うという行為が真に始まると思われるあの空間へ導いていった。
『来るべき書物』(p.5)
asahi.comのトップページにはちょっとしたカスタマイズ機能があり、地域を指定して天気情報を表示させたり、利用する鉄道路線の運行情報を表示させたりできるが、加えて「12星座占い」もある。星座を選択しておくと、その日の運勢(五つ星で評価)と、短いアドバイスのようなものがトップページの一角に出る。妻のPowerBookはブラウザのホームページをasahi.comにしてあるのだが、ふと目に入ったその「占い」がすごかった。正確な引用ではなく記憶で書くが、この日、asahi.comは射手座の人にむかってこう言っていた。
日ごろ気になっていたことを解決すると、安心できます。
そうだろうともさ。
○2日(日)
朝は雨のなか決行された町内の廃品回収の手伝い。終わってもういちど寝て、午後から外出。夜は遊園地再生事業団のミーティングに参加。
友人からWii用のゲームソフト「ピクミン2」を借りる。といってもじっさい借りるのは妻だ。友人はまだクリアしていない。しばらくプレイせずにいて再開したところ操作の慣れやら何やら「ゼロ」にもどってしまったと友人は言い、それでわたしの妻に貸し、さきにクリアしてもらってアドバイスを受けたいという。妻は前作「ピクミン」のクリア経験がある。
笠木(泉)さんからのイギリス土産は猫用のおもちゃ。わが家での反応(笠木さんちの猫はそれに大興奮し、同じものを土産にあげたべつの家では猫がそれにおびえたというが、はたして相馬家では?)を知りたいと言われたので帰宅後さっそく彼らに開陳するが、大方の予想どおり、それを独り占めするのはひさびさに(自ら「ブリコラージュ」したものではない)既製品としての「おもちゃ」を与えられたゼロ歳児、ポシュテである。いいかげん遊んでいる。おもちゃ本体(デフォルメされたトンボ。と認識するのはヒトだけだろうが)からゴム状のひもが延びていて、ひもの端をヒトが持ってあげることにより真価を発揮するおもちゃなのだが、そうそう持ちつづけてもいられないからしばらくしてまるごとをポシュテに預ける。
ロビンは一瞥をくれただけでどうということもなく、「めしなら何度でもかまわん」という顔をして泰然としたものだ。ピーは、あるいはポシュテがいなければ遊んだかもしれないものの、ポシュテがすこし飽きておもちゃから離れたさい、「どう、これ?」とピーにむかっておもちゃをアピールすれば、すかさず飛んでくるのはポシュテである。
○3日(月)
新宿の紀伊國屋書店でまたいくつか本を買う。ビー・ウィルソン『食品偽装の歴史』(白水社)も買ってしまった。
そして、ほかの二匹の反応を知る前に、おもちゃはポシュテによって消費し尽くされた。すでにおもちゃは見る影もない。
妻が「ピクミン2」を開始。
■というわけで『食品偽装の歴史』を読んでいる。原題は『Swindled』で、まあ、多少しゃれれば『食わせもの』ってところか。まだほんの序盤だが、おもに第ー章で語られるフレデリック・アークムがまずすこぶる面白い。
当代きっての化学者として、また料理を愛する者として一八二〇年に『食品の混ぜ物工作と有毒な食品について』を出版し、食品偽装の歴史に(後世から見ればだが)「アークム以前/以降」の楔を打った彼は、まったく道徳的な義憤から「混ぜ物工作」を糾弾したが、それ以前にはガス灯の普及にあたって啓蒙的な役割を果たしてもいる。「この国が富み、独立し、世界の諸国の中で卓越した地位を占めているのは、機械と労働の短縮によって運営されている工場のおかげであるのを決して忘れてはならない」とはっきり書き、「進歩とブリタニアを信じた」(p.22)アークムには、けっして一筋縄にいかない多面体としての〈大英帝国〉が凝縮されているようですらある。
ほとんどの歴史家は、単一の形態の「産業革命」というものをもはや信じてはいない。しかし、こう言ってよいなら、アークムは小宇宙における産業革命を体現している。このハンサムで好奇心旺盛な一人の人物の中で、知識と商い、啓蒙と利益、それに加えグレート・ブリテンの富と力に対する大変な誇りが一つになっていたのだ。
『食品偽装の歴史』(p.19)
圧倒的な歴史記述を前に、なかなかゆっくりと「食品偽装」を考えることができないほどである。「ニューヒストリシズム」的面白さ(と呼んでよいものかどうか、わからないけれど)。
■最近の電力自給率:(7月31日)34.5%、(8月1日)37.5%、(2日)12.0%、(3日)51.7%、(4日)37.8%