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Apr.
2008
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/ 30 Apr. 2008 (Wed.) 「鍼へ/ああ、シャルロット」

前回と同じ20時からの予約で、都立家政にある鍼治療院へ。宮沢(章夫)さんに紹介してもらったところで、前回3月12日に行ったのが初診、そのさい「次はできたら四月中に一度受けといてもらうと安心ですね」と言われたのをなんとも忠実に守ったかたちだ。(先生が言うのに)宮沢さんからはとんと連絡がないらしい。大丈夫かなあと心配する先生である。
裸になり、ベッドに横たわる段になって、あきらかに前回よりも恐怖心が増しているのがわかる。「学習」とはまったく厄介なもので、だいたいの施術の流れと、そしてどの部位への鍼がどういう感覚/痛みをもたらすかという前回得た知識が、どうしてもひとを緊迫した気持ちにさせるのだった。背中や肩、首、あるいは腰といった部位は、これはどうってことないのだ。痛くないことはないし、場所によってはひどく痛みがあるが、これらはしかし、どーんとかまえて気持ちよくがまんのできる種類の痛みなのだ。で、腕と脚がいけない。とくに脚がだめだ。もう恐くってしかたがない。どうしてああだめだろうか。遠いからか。
だから、今日は前回なかった「吸い玉」というものもやったのだが、うつぶせ状態での脚への鍼が終わり、吸い玉タイムに移ったときはかなりなよろこびだ。もうこのままずっと吸っていてもらいたいとさえ思い、というのはそのあと、仰向けになっての後半戦でまた脚があるのをわかっているからで、ただ、仰向けが終わると、最後にはベッドに腰掛けた状態での首、肩、背中が待っていて、これがじつに気持ちいいということも知っているから悩ましい。吸い玉を受けるのははじめてだけれど、これには喚起される古い記憶があって、亡き父が昔、母に手伝ってもらってたまにやっていたのがこれ──もっとも、使っていた器具はぐっとチープなプラスチック製の黄色い筒だったが──である。ごくたまに母が失敗すると、これ火を使うから父は熱い思いをし、で、怒るのだった。
あ、いま「吸い玉」の参照リンク先を物色していて思い出したけど、そうそう、それは「すいふくべ」(聞こえとしては「すえふくべ」)と呼ばれていたのだった。
「とくに問題がなければ次は九月中に一度来てください」と言い渡され、治療院をあとにする。もうね、身体のあちこちが重い(これは鍼の一般的な特徴だそうで、施術後しばらくは効いた箇所がかえって重くなり、そのあとそれがすっと抜けるのだった)

夜、WOWOWでシャルロット・ゲンズブール主演の『恋愛睡眠のすすめ』をやっていたのだが録り逃した。最後のほうだけを少し見る。高校時代に「内田有紀ファン」を公言していたのを除き、これまで、好みのタイプは?と訊かれればもっぱら「シャルロット・ゲンズブール」と答えてきたのが私だ。言いはじめたころはなかば冗談でもあったのだが、しかしあるとき自分ではたと気づいたのは、その答えがかなり真実を突いていたらしいことである。私はどうやら「シャルロット・ゲンズブール」に弱い。
いや、そんなことを言われても困ると思うけど。

(2008年5月 1日 17:01)

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/ 29 Apr. 2008 (Tue.) 「宮沢さんと打ち合わせ/天金はうまい」

きのうの日記を書き上げて更新したのが朝の5時すぎで、そのあと、更新した旨を宮沢(章夫)さんにメールしてから寝た(東大ネグリイベントのレポートを書くと一ヶ月前に約束した相手が宮沢さんだったわけですね)。メールにはついでに、サイトリニューアルのほうはどんな案配でしょうということも書いておいたが、すると昼間、宮沢さんから携帯に電話があり「夜会おう」ということになる。
昼間は笠木(泉)さんのサイトというか、「アデュー」の公式サイトの修正作業。第2回公演『125日間彷徨』の前売りが開始されて、先日来チケット予約フォームが稼働中なのだが、きのう、予約フォームから送信できないのでメールで送りますと書かれた予約メールが笠木さんのもとに届き、ただ、それ以上の情報がないからどこで何が起きているのかいろいろ試し、結果、IE6環境下での動作に致命的な不具合があったことがいまさらながら発覚したのだった(入力内容の確認画面で出てくる「送信」ボタンがクリックできないという現象で、はじめて使ってみた例の「ie7.js」が思わぬ悪さをしていたことが原因)。で、とりいそぎそれを直す。
こういうのはインスタントラーメンと言ったらいいのか、袋に入った生麺タイプのそれ、こないだ妻に食料品の買い物を頼まれたさいについついアドリブで買ってきた「天金」というやつを、作ってもらって食べる(「天金」は北海道にある有名ラーメン店らしい)。これがじつにうまい。言ってみれば「何の変哲もない」のだが、こういうのが(管見ながら)なかなかないのだ。実家でとる出前のラーメンに近いと言うと「天金」に失礼かとも思うが、とにかくこれはいい。いいものを見つけた。──と書いてから論理的な順序の間違いに気づいたけれど、長年ラーメンといえばそれだった「実家でとる出前のラーメン」が、おそらくは私にとっての「何の変哲もない」ラーメンなのだろうな。どうでもいいけど。
『落語研究会 古今亭志ん朝 全集 上』のDVDボックスから『夢金』を見ようと思ったが、その解説部分(テレビ放映時の解説・解題コーナーで、劇作家の故・榎本滋民さんと山本文郎アナがやりとりをするもの)を先に見たところで眠くなってしまった。解説だけを堪能する。
それで少し寝てから、夜、初台へ。オペラシティのなかにある面影屋珈琲店で、一時間ほど宮沢さんとサイトの打ち合わせをする。ほか、いろいろな話。半分ほどは雑談だった。先日完成した『不思議の国とアリス』のDVDを宮沢さんに進呈する。お忙しいかとは思うが、ぜひ見てもらえたらうれしい。で、メールででも日記のなかででも、感想というか、ダメ出しでもかまわないので何かひとこともらえたら親類一同こんなにありがたいことはないと、この場にも図々しく書いておこう。
というわけで遊園地再生事業団のサイトは動き出す。なにか劇的に変わるかもしれない。全部ひらがなになるとかね。

(2008年4月30日 14:22)

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/ 28 Apr. 2008 (Mon.) 「またも過日の話」

またこれも過日のこと。それももう一ヶ月も前の話だ。たまには日付に即した近況を書きたいが、書くと約束してしまったこともあり、ちょっとこのことを書いてしまわないと落ち着いて次へと移れない気分なのだった。近況はといえば、私は元気だ。背もかなり伸びた。座高がすごいことになっているから、いま、ちょっとモニタが遠い。
書くには書くけれども、こういうものはやっぱり日の経たないうちに書いておかないとだめだと、そのことはあらためて強く認識したしだいで、だいたいね、当日ノートに書き留めていたメモの、その意味がもはやよく掴めないことになっている。だからこのレポートはさっぱりだ。さっぱりだけれども、書かないよりかは何かを生むだろうという、そうした程度のものと思って読み進めていただきたい。
何の話かというと、「ネグリ来日中止」という大きな奇禍に見舞われるなか3月29日(土)に開かれた、東京大学創立130周年記念事業/アントニオ・ネグリ氏講演会「新たなるコモンウェルスを求めて」である。つまりまあ、それに行ってきたよ、という話。シンボリックなその会場は安田講堂。
安田講堂の前に着くと、入り口付近には花咲政之輔さんらがいて、例のごとくビラを配っていた。花咲さんのほうから声をかけてきてくれたが、どうも会話がちぐはぐだと感じていたところ、私をまったく別の誰かと間違えてしゃべっていたと最後にわかる。まったくもう。ビラの内容(タイトル部分)はこうしたものである。

洞爺湖サミット警備を口実としたネグリ来日妨害糾弾!
安田講堂・東大130周年記念事業利用したネグリの闘争性の換骨奪胎・政治的回収を許すな!
早大ビラ撒き不当逮捕・東大駒場寮廃寮を正当化する「反体制」大学人を許さない!

会場は、満員とまではいかないものの一階席はほぼ埋まり、二階にもそれなりに人が入っている状態で、のちに登壇者の誰だったかが発言したところによると「700人」という数が(ネグリのいない)安田講堂に集まったという。前段で言い訳したとおりで事細かに会の流れを追えないから、渡されたプログラムを(登壇者の肩書きを省略して)引用してしまうが、だいたいこうした流れだった。

13:00開会の辞
吉見俊哉
13:10アントニオ・ネグリ氏講演原稿の代読映像
「新たなるコモンウェルスを求めて」
13:45報告
姜尚中/上野千鶴子
14:25休憩
14:45ディスカッション
姜尚中/上野千鶴子/石田英敬/鵜飼哲/アントニオ・ネグリ(電話による交信を予定。気象条件などにより不可能な場合があります)
16:20閉会の辞
姜尚中
ドンデン返しへまっしぐら
木幡和枝

ネグリとの交信に関してはむろん、はじめに検討されたのはもっといまどきな手法で、たとえばSkypeなどを使ったビデオチャットが当然のように案として上がったらしいが、ネグリの住まいというのがとにかく辺鄙な場所にあるらしく、説明されていたところによると「インターネットに接続できる場所に出るのに車で20分」、時差の関係で向こうは早朝でもあり、なんやかや現実的でないということになって、結局せいいっぱいのところが電話回線による交信だったとのこと。で、交信にあたっては事前に、四問からなる「問いかけ」がネグリのもとへ送られており、基本的にはその問いに電話口で答えてもらうというかたちになっている。その問いかけというのがこれ(質問者は上野[Q1〜3]、姜[Q4])

Q1)
歴史的にみて、マルチチュードの運動は、資本と権力の新たな編成に対応するという以上に、これに先んじ、時代を先取りしてきたのではないか。
Q2)
マルチチュードの実践は法を超えるというとき、その非合法の実践の中に「暴力」が含まれるというなら、それはいかなるもので、それを肯定するのはなぜか。
Q3)
マルチチュードの実践が「権力奪取」でないなら、何がゴールか。「権力なき社会」は想定可能か。現実の抑圧的な〈帝国〉の権力にどう対抗するのか。
Q4)
イラク戦争以後、アメリカの国力の失墜は著しいが、このことは逆に〈帝国〉への移行がより現実化しつつあることを意味しているとも解釈できるか。

 なかなか興味深い問いかけが並んだわけだが(とくにQ2)、結局、ネグリとの交信はあまりうまくいったとは言えない結果に終わる。電話は別段問題なくつながったものの、そこから先の段取りがあまり練られたものではなく(というか、それが電話の限界なのかもしれないが)、まずネグリがまるまる30分ほどの時間、途中の通訳を挟まずに延々としゃべりつづけるのをわれわれはただ聞いているということになってしまい、で、それを中央大学の三浦信孝さんという方がこれまたずっとメモを取りながら舞台脇で聞き取っていて、最後に(かつ直後に)三浦さんがネグリの30分もの発言をまとめて翻訳/要約するという離れ業をやることになる。いや、ものすごいことをさせられてるんだと思いますよ、これ、三浦さんは、たぶん。
ネグリは結局、Q1とQ2に答えるのに30分を使い果たし、そこで時間切れ。で、ネグリのフランス語というのがかなり訛りを含んでいて発音がよくないらしく、加えて電話回線ごしであるという悪条件が重なって、三浦さんをもってしても、要約の冒頭で「正直、聞き取れない箇所がずいぶんあった」ことをことわらざるをえない結果となる。そして、なにより大きいのはネグリがQ2の質問意図を勘違いしてしまったことで、つまりQ2はマルチチュード側の用いる「抵抗暴力」についてネグリの見解を問うているのだけれど、電話口のネグリは「国家の行使する暴力」について延々としゃべっていたのだった(で、その内容は、この会場にいるような人たちにとっては了解済みなことの繰り返しだった)
とはいうものの、その後のディスカッションで上野千鶴子さんが今回の交信の成果をまとめていたように、やはり話し言葉で語ってもらうと多少なりともわかりやすいということはあって、三浦さんの超人業のおかげもあるけれど、あらためて理解したことはあった。たとえば(これも上野さんが着目し、交信ののちに触れていた点だが)、「マルチチュードとはつまり社会の初源的なかたちのことであり、それは権力に先立ってある」(よってマルチチュードに「合法/違法」の尺度は用いることができない)という点などは、マルチチュード理解の大きな第一歩になる気がする。

といったところでレポートをそつなく終わらせてもいいのだが、これだけだとちょっと片手落ち(?)になってしまうのが今回のイベントである。話はネグリとの交信の前にさかのぼるが、まず、もっとも印象的だった上野千鶴子さんの言葉を紹介するところからはじめよう。
冒頭の「報告」と題されたセクションで、上野さんがまず言及したのが「68年」と「72年」というふたつの楔のことであり、言われてああそうかということになるが、今年は「68年革命」から40周年ということになるのだった(で、コロンビア大学だかどこかでは40周年記念の大会が開かれるのだとか)。また折しも若松孝二監督による『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が公開されるなどするなか、上野さんが壇上で紹介したのは、漫画家の山本直樹さんが連合赤軍について語ったという次のような言葉だ(下の文章は私が理解した範囲のその大意で、正確な引用じゃありません)

かつて60年代は、何かを言うことがかっこよかった。それが72年、連合赤軍のあの失敗のあとで、何も言わないことがかっこいいという時代(シニシズム)が訪れ、そしてそれがあまりにも長くつづいた。もう何か言わなくちゃ、というときになって、自分たちが〈懐メロ〉しか口ずさめないことにわれわれは気づき、唖然としたのだ。

 これは示唆に富むというか、素直にうーんと思わされた。そしてその一方で上野さんが強調したのは、「68年」という試みが40年かけて、いまたしかに一定の成果を示しているのだということ──だからこそ、いま40年目にここ「安田講堂」で、「東大130周年記念事業」の名のもと、「在日と女の東大教授」がこうして壇上にいるのだということ──である。
さて、姜・上野の「報告」が終わって休憩を挟んだのち、そこに鵜飼哲さん、石田英敬さんのふたりが加わって「ディスカッション」となるが、事件はそこで起こった。石田さんが発言をはじめてしばらくたったとき、突如会場から野次が飛んだのである。聞き取りにくかったのではっきりはわからないが、たしか「何がマルチチュードだ!」とか、「これなら木幡先生にしゃべらせたほうがマシだ」とか、そういった内容のようだった。で、これに壇上の姜さんが断固とした姿勢と強硬な態度をみせたのである。相手にして時間をとられるまでもないといった顔つきで発言をつづけようとする石田さんをいったん中断させてまで、姜さんは野次を発したグループへと向き直り、執拗に注意を繰り返す。「そういう不規則発言は、今回時間的制約の都合上認められないからやめるよう、最初に言ってあったでしょう」と低く諭すような調子からはじまり、しかし野次はやまずに何度か応酬があったのち、ついに壇上から降りた姜さんは彼らの席へと詰め寄り、態度と言葉で威圧して、そうして彼らがもっていた(イスのそばに置いていた?)トランジスタ・メガフォンを手にすると、それを床に投げつけたのである。「暴力じゃないか」「それがマルチチュードを語る態度か」といった反駁の声はむろん彼らからあがったものの、そのまま、しばらくして場は一応収まったのだった。
でまあ、その、彼らというのが花咲さんたちである。これはあとになって(イベント終了後の彼らのアジ演説を聞いて)わかったのだが、その直接の標的は石田さんであり、彼らの説明するところによれば、この石田英敬という人は例の東大駒場寮廃寮に際して当局側に立ち、「運動弾圧の尖兵として大活躍した輩」なのだそうで、その同じ人物が一方ではネグリを論じ、あまつさえマルチチュードを語っているというその大学の状況に対する素朴な疑義と、強い危機感が行動の根底にはある──で、ビラにある文句、「早大ビラ撒き不当逮捕・東大駒場寮廃寮を正当化する『反体制』大学人を許さない!」につながるわけだ。
会場はというと、おそらくその大半が姜さんの主張(まさしく「プレカリアート」たる大学院生たちの、身体をこわすほどの献身的努力がこのイベント運営には払われており、そのことを思ったとき、私はどうしてもそれに報いてやらなければならなかった)のほうに賛意を示していたように見え、そして、それこそネグリによって否定される、旧態依然とした党派的左翼活動家の悪弊というイメージを、一方の野次とアジテーション、ゲバ文字の書かれたばかでかい立て看板とお膳立ての揃った彼らの姿に重ねているように思えた。で、私はというと、やはりつい口をついて出かかるのは「まったくもう」という言葉だけれど、しかし、ここで(笑いを含んでであれ)「まったくもう」と発言することは、とりもなおさずある一方の潮流へと加担することにほかならないわけで、だからことは厄介である。
たしかに「在日と女の東大教授」は生まれたのだし、そうして彼/彼女らが大学の公式事業としてネグリを安田講堂に招くことの皮肉的勝利は、まず第一に勝利であるだろう。けれどその勝利は、あの〈無事〉に終わった場において、とうてい勝利とは呼べないような抑圧的空間へと簡単に変質してしまってはいなかっただろうか。あるいは少なくとも、それが簡単に変質してしまうものであることへの無自覚さが、露呈してしまってはいなかったろうか。
いや、そう問うだけなら簡単なのだな。あー、むずかしいなあ。「あそこに、ネグリがいたらどうなっていただろうか」といった想像は、おそらく根本的な解決を提示するものではないだろう──とはいえ、やっぱりあそこにネグリはいるべきだった。あー。うー。
ま、だからいろいろあれだ、ひとの振り見て我が振り直せってことでどうだろう。どうだろうじゃないよなあ、まったく。

(2008年4月29日 05:37)

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/ 26 Apr. 2008 (Sat.) 「贅沢をする」

HARRY HOSONO & THE WORLD SHYNESS『FLYING SAUCER 1947』。

22日(火)のこと。めったに使うこともないのだけれど一応制度としてはある有給休暇というやつを使って会社を休み、夕方から出掛けて妻とむかったのははじめて足をむける六本木のあそこ、東京ミッドタウンで、そのなかに「Billboard Live TOKYO」という食事をしながらライブを楽しむというような店があるのだった。その夜の演[だ]し物は「細野晴臣&ワールドシャイネス」である。
だいたい純粋なチケット代(自由席料金にあたる)もなかなかいい値段なのだが、加えて贅沢をしようと思えばたとえば「メンバーズシート(いわゆる指定席)」とか「DUOシート(二人掛けの指定席)」、「DXシートDUO(さらにいい位置の二人掛け)」といった座種があってそれらには席の指定料がかかり、そもそもBillboardの会員でないとそれらシートの指定ができないから、じゃあしょうがねえ、入会料も払おうじゃねえかってことになるのだし、そして最終的にはそこに注文した分の料理代が加わるのだけれど、そこはそれ、ビール一杯だって900円(さらに言えばエビアンが800円)なメニューである。
こりゃあもう「勝ち組」と揶揄されてもしかたのないハイソぶりだが、けれど食事をしながら細野さんを聴くといえば、どうしたってそこは例の伝説的ないわゆる「中華街ライブ」(「細野晴臣 & Tin Pan Alley In China Town」、1976年5月8日横浜中華街レストラン同發新館)──おそらくこのミッドタウンのハイソぶりとはまったく異なる食事の場だったのだろうと想像されるものの(と書きつつ調べていたらあれはコンベンションライブだったそうな)──想起されるわけで、そりゃあ、そんな幸せな時間はなかなかあるものではなく、ま、どうせもう「勝って」しまったんだとすればなおのこと、「これぞ贅沢」と言うべきこの体験に金を使わない手はない。困るのは明日から困りゃあいいじゃないか。
「ワールドシャイネス」のメンバーは、徳武弘 (Guitar)、高田漣 (Pedal Steel)、コシミハル (Accordion)、伊賀航 (Bass)、浜口茂外也 (Drums)、それと清水宏 (ゲストMC、前座としてスタンダップコメディ風の前説を行った。これがまたとてもよかった) 。曲は『FLYING SAUCER 1947』のものを中心にほかいくつか。
途中、細野さんがメンバーそれぞれに雑談をもちかけるというかたちでいわゆるメンバー紹介がすまされたのだが、そのさい高田漣さんには「最近ユキヒロとやってる(原田知世らとのバンド「pupa」のこと)んでしょ? どんな感じ?」と訊き、さらにつづけて「テクノ?」と言ったのは可笑しかったが、高田さんはそれに答えて「ボブ・ディランな感じ」と説明し、で、細野さんは「え!? そうなの? じゃあライバルだなあ」と受けて、そしてその流れのなかでたしか「ま、ぼくもカントリーじゃないけどね」といった発言をしたように聞こえた。あ、やっぱりそうだったんだ、そういう意識でやってたんだとその言葉にはなんだか得心がいく。
くりかえすが贅沢だった。ゆったりとした二人掛けの席で妻とふたり、ビールを飲み(妻は白ワイン)、サラダをパクついたりしつつ抜群のアングルでステージを眺め、演奏を聴く。最後の曲で、それまで閉まっていたステージ後方のカーテンが開くと壁は全面ガラス張りで、向こうには六本木の夜景だ。まったくもう。「Pom Pom 蒸気」や「香港Blues」、「キャラバン」もよかったが、(個人的に)圧巻はやっぱり「スポーツマン」だ。涙が出そうになる。アンコールに「はらいそ」で幕。

本日の参照画像
(2008年4月27日 04:26)

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