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/ 15 Jun. 2008 (Sun.) 「そして、いろいろ」

小林信彦『定本 日本の喜劇人』(新潮社)。ちなみにこの画像は輸送用のダンボール箱である。

アデュー第二回公演『125日間彷徨』の感想(「感想」か?という内容だけど)を書いた前回分の日記(12日付)を、13日の夜から14日の朝にかけてうんうん唸りながらひねり出し、ノートに下書きする。ああした内容になったのにはそれなりに訳があり、ひとつには「とにかく長い」ということそれ自体がコンセプトに含まれるから、すると(きちんとした長いものを書くには)私の場合どうしたって、テクストの細部にこだわってそれを全体の〈読み〉に還元するというような「テクスト論」的な方法というか、そうしたある種の芸当に頼らざるを得ない(もしくはそれに頼るのがラク)ということがあるわけだけれど、さらに言えば今回の『125日間彷徨』が、そうした読解の愉しみに堪えるだけの(あるいはそうした読解を試みたくなるだけの)「テクスト的な強度」をもっていたということがあって、それを私なりに示したかったということがある(正しく示し得ていたかはべつとして)。ここで「テクスト的な強度」と言う場合、その「テクスト」を織りなしているテクスチャーには戯曲の言葉だけでなく、むろん役者の身体が含まれるわけで、つまりそれは宮沢(章夫)さんの言葉でいえば、

(引用者註:成功した要因の)ひとつとして考えられるのは、俳優への演出がこれまでとは格段に丁寧になされていたことだ。ディテールの積み重ねがドラマに書かれた世界に深みを与えたと想像する。
「富士日記 2.1」2008年6月15日付

ということになるのだと思うのだけど、それを私が言ったところで説得力がないというか、「何言ってやがんでい」って話だから、まあ、あくまで言葉の細部からのアプローチを試みさせてもらった。
しかしわれながらいいかげんなことをしているなあというのは(資料としての)戯曲ナシであれを書いているからで、(圧倒的に「観ていない」人のほうが多い/そして「もう観られない」という状況のなか)あの文章がある固定化されたイメージのなかにあの舞台を定位させてしまうようなことがもしあるとすれば、それは非常に申し訳ない次第だ。ま、繰り返して念を押すまでもないけれど、あれはあくまで私の〈読み〉であって、『125日間彷徨』そのものとは異なる、それに連なろうとするまたべつのテクストであるし、あるいはまた、『125日間彷徨』がことのほかよかったことへの私なりの嫉妬の発露でもあるだろう。そのように読んでいただければと思う。ちなみに一点、登場人物の早川が「125日間」を言い換え、「四ヶ月と日間」と言うところのセリフは、それが「何日間」だったかを出演者の田中夢に電話して確認した。というのは、その「四ヶ月と三日間」という言い方(が「125日」に相当するということ)から具体的な期間をカレンダーの上に復元できるかと思ったからだが、完全には復元できない(し、さらには私が記憶していないだけで具体的な日付に言及したセリフがあった可能性も捨てきれず、また戯曲を読めばト書きに書かれているかもしれない)上に、復元したところでそれ以上の〈読み〉につながりそうもなかったので扱うのをやめにしたのだった。(一応書いておくと、登場人物の多くが半袖であり、コンニャクがすぐ腐ることから舞台上の現在が夏らしいこととも併せて考えると、それは三月から七月にかけて、もしくは四月から八月にかけての「四ヶ月と三日間」だったと思われるが。) あ、いや、この件こんなに長くなるつもりじゃなかったのだけど、じゃあまあ、ついでに前回の文章の補足を。物語の〈枠〉として「松井」が機能し、かつそれは排除されることによって物語を成立させている、というところだけれど、これは当日パンフにあった笠木(泉)さんの次の言葉を補強する方向での〈読み〉となる。

悲観的な意見かもしれませんが「愛がすべてを救う」と断言できないところが私の中にはありますし、でも何らかの可能性がないわけではないと思いたい(中略)まあ、もちろん断言できる人もいるわけで、じゃあ断言できない人の物語を書こうと思ったのがきっかけです。

 ここで笠木さんが「断言できない人の物語」という言い方をしているところを、前回の私の〈読み〉に沿って言い換えれば「すごくない人の物語」ということになるだろう。当日パンフにあるのはひどく抽象的な物言いだけれど、しかしそのことは、(テクスト論は「作者の意図」をカッコに括るから、むろんそれを笠木さんが意識していたかどうかは別問題として)きちんと戯曲の構造のなかに刻印されているということだ。

さて、その前回の日記を14日の昼頃アップし、そのあと出掛けて、吉祥寺で田中夢と会う。「伊万里」という喫茶店で打ち合わせ。というのは、『不思議の国とアリス』の字幕版に関する相談だ。このアニメ作品、東京国際アニメフェアに出展したさいの感触や、YouTubeでのアクセス状況をみるにどうも海外の反応のほうがいいということがあって、で、監督(そうまあきら)は真剣に「海外版」を作りたがっているのだった。「海外版」といっても声を収録するのは現実的でないので、字幕を付けるというかたちになり、おおむねは比較的楽な作業だったりもするのだが(原作『不思議の国のアリス』に即した部分については、日本語化に苦労したダジャレの部分など、逆に「元に戻せばいい」だけだったりするからだが)、一点、オリジナルで脚本を書き、付け足している会話シーンがあり、そこはあらためて翻訳を用意しなければならないが、それが言葉遊びというか、ダジャレから成り立っている会話なために厄介なのだった。ちなみに説明すると、「サクランボ」という単語がどうしても思い出せない二人組(カエルとサカナ)による会話で、それで、「サクランボに似た言葉(「昨年度」)」から「さほど似ていない言葉(「星セント」)」、そして「もはやちっとも似ていない言葉(「エド・サリバン・ショー」)」までがさまざま飛び交うというものである。その脚本を書いたのが私で、「どうしたものか」という相談を監督から受けていたが、「響きが似ている/似ていない」の判断にさいしてできればネイティブ感覚のある人の意見がほしいといったことがあって、(あと、彼女がいま時間があるらしいということもあって、)まず手近に浮かぶところの田中夢に相談したのだった。
彼女には作品のDVDを前々日(つまり『125日間彷徨』の楽日打ち上げのとき)に渡して、急遽一度見てもらっただけなので、あらためて上に書いたような経緯を説明したり、あとまあ、まったく関係ないような雑談で大半は終始したけれど、小一時間ほど打ち合わせる(これほどまとまった時間、田中夢と話したのははじめてじゃないか?)。「こういう調子でお願いしたい」ということを説明し、一応期限を切ったうえで下訳のようなものをあげてもらうことになる。
あと、そう、そうまあきらといえば、ラストソングスに白羽の矢を立てておいてちっとも企画の進んでいない「西遊記」もあるのだった。あれもなあ、なんとか実現させたいところだけれど。

吉祥寺の本屋で、つい買ってしまったのは小林信彦『定本 日本の喜劇人』(新潮社)だ。「日本の喜劇人」「喜劇人に花束を」「おかしな男 渥美清」を収録した「喜劇人篇」と、「笑学百科」「天才伝説 横山やすし」「これがタレントだ1963・1964」(未刊行のインタビュー評論、2段組で130ページ強の分量)を収めた「エンタテイナー篇」の全二冊で、函入り。うーん、まあその、「平野甲賀(装幀)買い」という要素もかなりあるね、これは。
土曜の深夜は「原田知世ライブ music & me」をNHK BS2で。これ生で観てるんだけど、スタンディングの群衆に埋もれて遠くからの状態だったからこちらの日記を参照)、ステージ上がどうなっていたかははじめて見るようなものだ。
小林信彦つながりというわけでもないが、日曜は『長靴をはいた猫』(1969年、東映動画。「ギャグ監修:中原弓彦」とクレジットにある。「中原弓彦」は小林信彦の筆名のひとつ)をひさびさに見る。

本日の参照画像
(2008年6月17日 11:03)

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/ 12 Jun. 2008 (Thu.) 「アデュー第二回公演『125日間彷徨』」

アデュー第二回公演『125日間彷徨』。二度目の観劇。「感想はまたあとで」とだけ書いて済ませた前回の日記を読み、作・演出の笠木(泉)さんは「書けよ」と思ったといい、「こりゃ結局書かないな、ぜったい書かないよあんたは」と舞台のあと、打ち上げの席で言われたわけだが、むろん私は胸をはってこう答えた。「年内には書く」。
しかし「年内に」というのはちょっとあれなのではないか、もう少し早く書いたほうが、私も舞台のことをよく覚えているしいいのではないかと、いま、そのように思い直してこうしてキーボードを打っている。
ところで、野球選手の松井秀喜を取材した本に、『松井秀喜のリハビリ125日“戦争”』というものがある。今回のアデュー作品のタイトルにある「125日」という数字が、そもそもの着想時に直接この本からとられたものなのかはわからないが、2006年5月11日の試合中に骨折した松井秀喜選手が、同年9月12日に復帰するまでの日数が「125日」であり、その数字はたとえば、(松井選手の自著で、前掲書よりもポピュラーだと思われる)『不動心』についての感想を述べたブログ記事などにも登場するから、(多くの読者がわざわざ数えるとは考えにくいとすれば)おそらく『不動心』のなかにもその数字は登場するにちがいなく、つまり「松井」界隈(どこだよ)において「125日」というのは有名な数字だと考えられるのだった。
早い話が劇中、そのラストに登場するのがこの『松井秀喜のリハビリ125日“戦争”』という本であり、だから「125日」という数字をめぐってあらためてその関係性を云々する以前に、明白に両者は関係しているわけだが、不思議なことに一度目の観劇後、なぜだろう、私の頭からはこの書名がすっぽり抜け落ちていたのだった。
ラストちかくに置かれることで、ある種の種明かしというか、なにがしかの答え(?)のようにさえ機能するはずのこの書名がほとんど印象づけられなかったことについて、それがいいことなのか悪いことなのか(成功なのか失敗なのか)、はたまた私がただぼんやりしていただけなのではないかということはひとまず置くとして、ともかく私はその書名を一度忘れ、そして、ふたたびネットでこの書名に出会うのだった。というのはつまり「125日」という語で検索してすぐに出てくるのがこの本なのであり、じつに間抜けなことに、それが劇中に登場していたことを忘れている私は、「あ、『125日』というのはこれのことだったか」と何かを発見したような気分になったのだった──ま、ほどなくして「ちょっと待てよ、ラストのあの本がこれだっけか」と思い出すことになるのだけど。
さて、劇中における「125日」とはまず、自殺願望を抱いた女・小西晶が、自殺サイトを介して知り合った男・早川真純と結婚し、そして離婚するまでの「125日間」、「四ヶ月と三日間」のことである(ちなみにこの「四ヶ月と三日間」は舞台上の物語時間の外部にあって、その日々が演じられるわけではない)。その125日間、晶は早川と「死ぬことについてほんとうにたくさんのことを話」し、ついに早川を「生かしたい」と思うに至って一方的な別れを告げた(という事情は、物語の終盤になって判明する)
晶の姉・小西晴子が同棲する玉田治の部屋で、玉田と早川、そして隣人の成瀬が顔を合わせる場面で、玉田が野球好きであること、わけても松井のファンであることが再確認される(「再」確認であるのは、物語の冒頭、スポーツ番組らしきテレビを見ていた玉田が「やっぱ松井すげえな」とつぶやくからだ)。プロ野球も大リーグも大好きだと語る玉田に、早川は趣味が合いますねとばかりに顔を輝かせ、バックのなかにしのばせていたイチローの本を取り出して示すが、玉田の反応はすげなく、それどころかかえって、まったく趣味が合わないといった調子で「ぼくは断然松井です」と返す。そのことがあったゆえに、ラストの場面、小西晴子のもとに届いた早川からの郵便物には晴子へ宛てた長い手紙とともに、玉田への贈り物として『松井秀喜のリハビリ125日“戦争”』が同梱されているというわけだ。その意味で──冒頭の「松井すげえな」からはじまって──この物語はその「はじめ」と「終わり」を「松井」によって縁取られているとも言える(ボリス・ウスペンスキーによれば、芸術において作品を作品たらしめている要因とはすなわちそれを他と分かつ〈枠〉であり、絵画において「額縁」が果たすのと同じ役割を、たとえば文学テクストではその「はじめと終わり」が担うことになる)
ではいったい、松井秀喜の「125日」は、小西晶と早川真純の「125日」と、どういった関係を結ぶのだろうか。むろん、両者はただたんにその数字の合致のみで隣り合わせているだけであり、それぞれがまったく異なる「125日」なのであって、両者が共同して統一的な意味を担うことはない。そしておそらくは逆に、両者はまったく異なる「125日」としてこそ、そこに登場させられているのであって、そのことは端的に、玉田のセリフによって示されている。贈り物のその本を受け取った玉田は薄暗い部屋のソファに寝そべり、それをぱらぱらとめくりながら、最後にぽつりと思いも寄らぬひとりごとを漏らすのだった。

「俺、あんまり好きじゃねえんだよな、松井」

 よかれと思って本を贈った早川の期待と、そして物語中盤のやりとりを聞いていた観客とを裏切って玉田はそう口にするが、しかしそのじつ、それがけっして「思いも寄らぬ言葉」ではないことを、舞台を観ている者であれば知っている(もちろん私のこの文章による説明だけでは「思いも寄らぬ言葉」ということになるだろうが、それがそうではないのが結局この舞台なのであり、また柳沢茂樹という人の魅力である)
玉田が「あんまり好きじゃない」という「松井」とは何か。それはこのセリフと円環をなして響く冒頭のセリフ──「やっぱ松井すげえな」──から明らかであり、つまり、「やっぱすげえ」松井であるだろう。骨折という危機を乗り越えてふたたびグラウンドへと戻ってきた松井の「125日」にはいわゆる「克己」といったイメージが漂い、ぶれることのない目的へとむかってその日々を律していく強靱なる精神を思わせるに充分だが、それはむろん小西晶と早川との「125日」とはほど遠いものであって、また、他のどの登場人物とも異なる〈強さ〉のあり方である。だから「松井」は、物語を〈枠〉として縁取りつつも、あくまで「外部」として排除されることによって物語を成立させているのである。
とそこまで書いたところで、「はたしてそうだろうか」という疑念があらためて沸くのは、その本の贈り主、早川真純を想像してのことだ。セリフにあるとおり、自身の結婚生活の日数を「125日」と数えていた早川がその本を手にとったのは、むろん「125日」という数字の符合がそこにあったからにほかならないはずで、そこに自身のものとはまったく異なる「125日」があることを知った早川であってみれば、逆に、自身の「125日」を新たに意味づけ直す枠組みとして、その本の存在を受け入れたのではないかとも想像される。玉田が「松井ファン」であることをおそらく疑いもなく信じていただろう早川にしてみれば、玉田がすでにその本をもっている可能性が高いことにも当然思い至っていておかしくはないが、それでもなお、彼はそれを玉田に贈ったのであり、とすれば、本の内容そのものとは別のレベルにおいて込められた早川のメッセージをそこに読むことも可能だろう。そのメッセージとはいったい何なのか。「私たちの125日間もまた、結局のところ〈リハビリ〉だった──そう呼べるだけの、平坦ではないながらに幸福な、時間のなかにいまはいる」──あるいはそうしたメッセージでもあるのだろうか。たしかに、小西晶を取り戻すために外部からやってきて、そしてついにそれを果たして去っていく早川は、その愚鈍な〈強靱さ〉において「松井」を想起させなくもない。
けれど、前述のとおりで、その早川のメッセージが玉田(と小西晴子)に届くことはない。本とともに届いた早川からの長い手紙が、あまりにも長いために(晴子にも玉田にも)途中までしか読まれなかったのと同様、本に込められたメッセージもまた、(少なくとも劇の時間のなかでは)届かなかった。そう、これはそうした物語である。だからこそその物語を受け取った私は、かの書名が何であったのかを忘れ、劇場をあとにしたのだ。

ここでもう一度、物語の〈枠〉へと戻ろう。松井ではない。松井のもうひとつ外側にある、またべつの〈枠〉のことである。

「腹へった。ラーメン食べたい」

そろそろ、観ていない人にもなるべくわかるように書くという姿勢をあきらめつつ書かねばならないが(なにせ長くなりすぎたので)、「俺、あんまりすきじゃねえんだよな、松井」というセリフのあとで、玉田はさらに上のふたことをつぶやき、そしてそこで劇は終わる(じっさいには、そのあとにもう一瞬だけ、セリフのないワンシーンがあって芝居が終わるが、そのシーンの美しさを言語化することは不可能だ)
「腹へった。ラーメン食べたい」というこの言葉は、言うまでもなく劇の「はじめ」に、小西晴子によって読み上げられる彼女自身の日記の、その最後にあった言葉であり、ここでも、劇は円環の構造をみせている。「はじめ」から「終わり」まで、玉田の部屋が唯一の舞台となるこの劇においては当然のこととも言えるが、結局のところ、これは玉田と晴子のふたりの物語でもある。それぞれ互いの重要な情報を相手に話さず、直接の会話もそれほどないふたりは、しかし、互いに相手の日記を盗み読むということを通じて(あるいはそのことをひとつの象徴として)、互いの言葉を互いの身体に通わせている。「いい意味で」という便利なフレーズの使用を早川に勧めるのは晴子だが、しかし劇中で先に「いい意味で」を用いていたのは玉田だった(晶に対して)。松本詩子にむかって、母親が危篤であることを口にした玉田に、晴子は初耳だというふうに驚くが、けれど、それ以前にすでに玉田がモノローグとしてつぶやいていた内容が彼の日記であるとすれば、それを晴子は読んで知っていたはずでもある。突如として手の震えが止まらなくなるという身体的発作を共有してもいる玉田と晴子は、あるいはひとりの人物なのではないかというほどに融け合って見えるのであり、その〈行為/意識〉の上での距離とはべつに、〈言葉/無意識〉のレベルで、ふたりの距離はゼロに近い。
晴子がその日記を読み上げ、聞いていた玉田が聞き終わって拍手し、日記を絶賛して晴子にサインを求める──この「はじめ」のシーンがどことなく〈無意識〉のイメージに彩られているのは、それが物語時間のどことも地続きでないような、浮遊する時間感覚のなかにあるからだが、と同時に、それは〈夢〉のようでもあった。誰の夢かと問われれば当然こうなる──花を咲かせて玉田と眠る、小西晴子の夢だ、と。

いやー長いね、長いよ。もういいかなこのへんで。長いわりにあまりたいしたことを言っていないというのはお読みいただければわかるとおりで、観ていない人にもなるべく伝わるようにと書いたが、とはいえこれは舞台のほんの一側面であり、私の〈読み〉をもとにしてある限定された視点からそれを再構成したものにすぎないし、しかもテクスト読解的なことをやっておきながら私は戯曲をもっておらず、ただ二回観ただけの者なので不正確なところもある。
二回観たのは、あらかじめそのつもりだったわけではなくて、「もう一度観たい」と思ったからだが、それは上で展開したようなテクスト読解的な愉しみからというよりも、たんに役者の魅力にアテられたからだ。〈けっして気持ちのいい話ではない〉この物語が、けれど最終的にはどこか清々しい。ごくごく狭い劇場空間においてそれはより顕著なものとなったが、「もう一度観たい」というよりか、「もう一度居たい」と思ったのだ。それが役者の魅力でなくてなんだろうか。
役者を褒めるのにその語彙は何だよという話だけれど、たとえば「田中夢がかわいい」といったことは、おそらく重要なことなのだ。これまでになく田中夢はかわいかった。あと、「細江祐子ほんとかわいい」とかね、そういう言葉だけでこれからは劇を語ろうかとさえ思うほどだ。
二回観ておいて、さらには打ち上げにも顔を見せておいて何だが、気がつくと私、誰にも「よかった」とか「面白かった」とか、なにひとつ言っていないんじゃなかったか。打ち上げの席で笠木さんとは、「これからは〈グルーヴ〉ではなく〈グローブ〉、もしくは〈グループ〉だよ」といったよくわからない話しかしていないし。まああれだよ、「しみじみよかった」という感想を私がもっていることなどは、笠木さんにはぜったい内緒だ。恥ずかしくって言えるかよ。って、それをここに書いてしまったらだめじゃないかという指摘があるかもしれないが、こんだけ長ければさ、「長えな」と言って笠木さんはきっと読まないと思うのだ。

(2008年6月14日 11:55)

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/ 9 Jun. 2008 (Mon.) 「一本の道もローマから」

タイトルについてはよくわからない。
夜、アデュー第2回公演『125日間彷徨』を観る。感想はまたあとで。
観終わって帰宅すると、妻は『坊っちゃん』も『うらなり』も読み終えていた(石原千秋先生の論考「『坊つちやん』の山の手」も読んだらしいが、むずかしくてよくわからなかったとのこと)
というわけで、「映画で学ぶ日本の歴史シリーズ」第2弾は『魔界転生』(深作欣二監督、1981年)である。まったく、なにひとつ、勉強にならない。

(2008年6月10日 20:48)

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/ 7 Jun. 2008 (Sat.) 「結婚記念日だとのこと」

式を挙げたのは翌年、『トーキョー/不在/ハムレット』の公演が済んだのちの春だが、その一年ちかく前、2004年6月7日に籍を入れている。いつのまにやら四年が経ってしまった。
午後ふたりで出掛けて、ひさびさ西荻窪と吉祥寺をぶらぶらする。いずれも以前私が暮らしたことのある街。西荻窪の「亜細庵」はなくなっていた。古本屋で二冊ばかり買う(いとうせいこう『ゴドーは待たれながら』、藤枝静男『或る年の冬或る年の夏』)。吉祥寺の「和幸」で食事。祝い事といえば、やはり「和幸」でとんかつだ。よくわからないけど。パルコを見て回り、地下にある本屋(パルコブックセンターと書きそうになるけどちがうんだよね。いまはリブロブックス)でたくさん買ってしまう。バルトの『零度のエクリチュール』がみすず書房から新訳で出ていて、いやほんと、ついね、買ってしまった。先日の日記に「mie」さんが寄せてくれたコメントのなかで言及のあった、大島弓子『グーグーだって猫である』も4巻まとめて。
小林信彦『うらなり』も買う。じつをいって私もまだこれ読んでいないのだが、先日の「富士日記 2.1」の記述を読んだ妻が「面白そうだ」と言い出して買う。で、せっかくだからとまず『坊っちゃん』から読みはじめた妻だ。私はさしあたり、石原千秋『反転する漱石』に収められている論考「『坊つちやん』の山の手」を読み返す。
結婚記念日を祝し、『柳生一族の陰謀』(深作欣二監督、1978年)をふたりで見る。妻が「歴史の勉強がしたい」と漠然としたことを言い出したための『柳生一族の陰謀』だが(チョイスしたのは私だが)、それ、まったくまちがっている。おそらくよくなされる説明じゃないかと思うが、これは時代劇版『仁義なき戦い』。公家勢として配された金子信雄、成田三樹夫が出色。成田三樹夫にいたってはその上(どの上?)、「強いのかよ、おい」という楽しさがある。ところで笑ってしまったのは、ウィキペディアの「柳生一族の陰謀」の項にあった次の記述で、その「現実との相違」という節にはこのようにある。

実際には秀忠の没年は寛永9年(1632年)だが、この映画では元和9年(1623年)にされている。

 あはは、それだけかよ相違は。
で、つい、何か口直し的な時代劇が見たくなり、妻が未見のものという選択から『影武者』(黒澤明監督、1980年)。これ三時間あるというのを忘れていて、見終わると外はすっかり明るくなっていた。

(2008年6月 9日 13:28)

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/ 5 Jun. 2008 (Thu.) 「というわけで」

というわけで、そろそろ自分のページを更新しようと思うのだった。ひと月ちかく空いてしまった。こんなことではいけないと思っているのである。
「自分のページを」というのはつまり、更新の途絶えていたあいだひとのページばかり作っていたからで、って、俺それが仕事なわけだから、ひとのページばかり作っているというのは言ってみれば年中そうなのだけど、とくに今年に入ってからは「仕事」以外でたのまれるサイト制作がわりとひきをきらず、それで、ここのところやっていた(いる)のが宮沢(章夫)さんのサイトのリニューアルである。
宮沢さんの場合、ご自身でレンタルサーバを借りてもう十年以上サイトを運営されており(おそらく宮沢さんと私はほぼ同時期にインターネットなるものに触れ、個人サイトの運営をはじめている)、その経験もあって技術的な話にもかなりついてきてもらえるから、今回私は、サイト構成や技術面でのアドバイスを絡めつつ、ページのデザインとそのHTML化までをしたところでデータを宮沢さんに渡し、その後は、宮沢さん自身がHTMLをいじって中身の文章等を書き換え、サーバにアップするという流れになっている。で、ただ、肝心の宮沢さんがなかなか腰を据えてウェブに取りかかる時間をもてない状況でもあり、また構想(やりたいこと)からいってもいちどきに全部更新できる規模ではないので、リニューアルは漸次進行していくかたちになるのだったが、「富士日記 2.1」が新デザインに移行したり、その一部成果はすでに公開されはじめている。
ちょうど宮沢さんの件がひと段落つこうとするころ、今度は俳優の鈴木将一朗君から声がかかった。作・演出の浅野(晋康)と組んで、新プロジェクトをはじめるだという。それで3日(火)の夜に新宿でふたりと会い、サイトの打ち合わせ。その場でドメインを決めたほか、おおまかなところを打ち合わせる。「夏休みウルトラ計画」というそのプロジェクトは、どうやら「鈴木将一朗の魅力を全面に打ち出す」というコンセプトでいくらしいが、プロジェクト結成のいきおいにまかせて早くも8月に第一回公演を打つのだった。で、まだ何もできていないがその「夏休みウルトラ計画」のサイトはこちら。これから作る。「将一朗からのビデオメッセージ」とかどうだろうか。いま思いついたことだけど。
で、その打ち合わせの席上、浅野君から「ネグリを読もうと思うのだけど、どれから読めばいいだろうか」といったことを質問され、まったくどうでもいいといった風情の将一朗君をひとり蚊帳の外に置きつつブックガイドのようなことをする羽目になったのだが、なにせいきなりだったし、書名とか、いろいろあやふやでうまくガイドできなかった。だいたい、ガイドを務めるほど読んでないんだよな、俺。まあ、読みこなせるかどうかはべつにして真正面から取り組みたい場合にはむろん『〈帝国〉』『マルチチュード』だろうし、やや取っつきやすいところから入るなら『〈帝国〉をめぐる五つの講義』、アフォリズムにあふれ、関心的にもおそらく読み進めやすいのではないかというのは『芸術とマルチチュード』、あと、ガタリとの共著『新たなる自由の空間』もいいのではないか。って、どれもまず俺がちゃんと読めって話だよ。
さて、日付をさかのぼっていくと、1日(日)には前述のサイトの件で宮沢さんの家におじゃました。おたがいのMacBookをならべつつ、じっさいのサーバを使った動作テストを行ったり、私の用意したデータの構造・構成についていろいろと説明する。このときはちょうど、共通の知人である笠木(泉)さんが「猫が行方不明問題」を抱えて真っ最中の時期で(その後のブログによるとどうやら無事見つかったらしいが)、その話題も会話にのぼり、どこかへ行ってしまったその猫(しかしおそらくそう遠くへは行っていないだろうその猫)を想像しつつふたりで心配をする。あと、今回の件で笠木さんが雇ったという「ペット探偵」の業者が(たまさかその業者が、なのだろうが)とにかく役立たずであるらしい話など。それから、関係ないけど、「空飛ぶモンティ・パイソン」のいくつかのスケッチを宮沢さんといっしょに見、単純に「あははは」言って笑うというのはかなり貴重で幸福な体験のように思うが、そうしたこともしたのだった。
このさい、さらにさかのぼっておこうか。これ、浅野君らと打ち合わせたときに雑談で話したら、「そういうことはちゃんと事前に告知しないとだめですよ」と叱られたのだったが、去る5月21日(水)に新宿ロフトプラスワンで「モンティ・パイソン・ナイト」なる小規模なイベントがあり、それに、壇上でしゃべる側として出演したのだった。はじめ、須田(泰成)さんから「今度こういうイベントをやるんでよろしかったら来てください」というメールをもらったときには、てっきり「見に来てください」ということだろうと受け取っていたが、「たぶん行けます」と答えておいたところ直前になって出演者側の頭数に入れられていることを知った。ゲスト出演者にはほかに細川徹さん、五月女ケイ子さんご夫妻、「猫のホテル」の池田鉄洋さんなど。
そして、ここに書こう書こうと思いつつ、ついに果たせなかった5月のあれこれのひとつは、熊谷(知彦)さんが出演することで観に行った「東京寄席スタイル vol.2-2時間を編集する-」というイベントのことだ。イベントを企画・主宰するのはこれも知人の武藤真弓さんで、二ツ目の若手落語家による落語二席に挟まれて熊谷さんのソロアクトがあり、そしてトリにあたる位置には批評家・佐々木敦さんをむかえてのトーク(聞き手は主宰者)があるという構成。落語は三遊亭きつつきさんの「薬缶」と、春風亭一之輔さんの「不動坊火焔」。熊谷さんのソロアクトは、ライフワーク的作品の一環をなす新作「ホーム脇の女亭主」。会場には南波(典子)さん、三坂(知絵子)さんが観に来ていた。観終わった帰り道、南波さんとは今日観た落語(と、若手落語家なるもの)についての話になり、そこで出てきた「自己言及性」というキーワードを軸として、その日の落語二席と、そして熊谷さんのソロアクト(これ、よかった)、そして「東京寄席スタイル」というコンセプトそのものについての感想が書けるんじゃないかと、文章の構想はいったんできかかったのだけど、けっきょく、忙しさにまぎれてしまった。また、思い出したころに書ければと思う。
あ、南波さんにはその日、おもむろに、「こないだ夢で相馬君の弟に会ったよ」と言われたのだった(私は末っ子の三男で、じっさいには弟はいません)。夢のなかで、私の弟は南波さんの水泳部仲間だったといい、だとするとわりとスポーツマンな印象である。まあ、四人目の正直で、そういう男ができたとしても不思議はないかもしれない。よくわからないが。

(2008年6月 6日 13:28)

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